吉川英治のレビュー一覧

  • 柳生月影抄 名作短編集(二)

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    40Pほどの、大谷刑部の短編を読みたくて借りました。
    吉継が垂井の宿に泊まっている所から、関ヶ原にて
    五助に介錯されるまでの短いお話です。
    短いにも関わらず、吉継の為人が凄く伝わってきました。
    吉継が武士らしく凄く男らしいです。
    好漢惜しむべしとはまさに吉継の事を示しているなあと思いました
    すごく・・大谷軍に従軍したいと思いました・・・・^^

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    2009年10月04日
  • 三国志(七)

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    羽将軍の骨の手術に、名医華陀現る。
    呉の国の華陀が敵国の関羽の病を聞きつけ、医に国境なし、ただ仁に仕えるのみと、
    関羽の毒矢で腐りかけている骨を骨髄から削る大手術を行う。
    側近が皆、蒼ざめてしまうほどの手術にも、羽将軍は、差していた碁盤から目を離さない。
    毒で眠れぬ日々をすごしていた、羽将軍もその晩は熟睡して、回復に向かう。

    しかし、荊州を失った蜀軍大将。
    呉の孫権の願いも空しく、終に武人関羽将軍は、忠義に落命する。

    赤兎馬は、悲しくて、ごはんを食べず、ただ嘶くばかり。
    ああ、なんて、かなしい・・関羽先生のいない三国志なんて・・
    関羽先生は208年の昔の人で、元より生きちゃいないのに、

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    2009年10月04日
  • 上杉謙信

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    これもずっと積読状態だな…

    しかも、文庫版買ったの忘れていて、古本で大判のやつも買ってしまったよ…
    同じ内容の本が2つもあってもなあ…

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    2009年10月04日
  • 私本太平記(一)

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    幕末,明治の小説はかなり読んできたものの,鎌倉,室町時代については全くのど素人なので,まずはこの時代の王道である太平記を読んでみた。
    主人公は概ね足利尊氏で話は進んでいるが,尊氏は何となく優柔不断で人を惹きつける魅力があまりないように感じられた。
    それに比べ,楠木正成については,考え方も一貫しており,好きな武将の一人となってしまった。
    南北朝時代は武士も節操もなく足利方や後醍醐方の形勢の良い方に取り入っており,侍としてどうなのだろう。忠の字はどこへ行ったのかと思われてならなかった。
    しかし,尊氏のすばらしいところは,そんな侍たちも受け入れる度量,赦す心を持っていたのが好きなところだ。
    ひととお

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    2009年10月07日
  • 私本太平記(一)

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    足利尊氏の少年時代から、鎌倉幕府・北条氏の滅亡、後醍醐との確執、楠正成との決別、南北朝の成立を経て晩年に至る、戦乱と裏切りと人殺しと、権力欲と物欲と、そんな中を懸命に生きた人々の物語。

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    2009年10月04日
  • 新・平家物語(七)

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    「三国志」に続いて読んだ吉川英治の歴史小説。源氏と平家の間で葛藤した人々の姿も興味深い。平清盛に篤く遇されながらも平家打倒に立ち上がった源三位頼政などはその代表。

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    2009年10月04日
  • 黒田如水

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    天才的な洞察力の持ち主。
    洞察力とは、ある行動や作戦実行の結果を、予め想定できる能力の事。
    結果が判れば、判断もより正確になる。

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    2009年10月04日
  • 新書太閤記(十一)

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    山崎、賤ケ嶽の合戦と、破竹の勢いで進んできた秀吉軍が、たとえ一部隊にせよ、長久手で家康軍に完敗したことは、今後の戦局、いや政局に微妙な翳を落さずにはおかない。秀吉には苦汁を、家康には遅まきの美酒を。――家康の不撓不屈の闘志と、秀吉の天才的なヨミが激突する。そして秀吉が一歩先を制した。長らく信長の影に隠れていた秀吉の“力”が、ここに全容をみせる。

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    2009年10月07日
  • 新書太閤記(十)

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    信長の死後1年、めまぐるしい情勢の変化だった。しかし、賤ヶ嶽合戦の1戦をもって、信長に衣鉢はすべて、秀吉に継承されたといっていい。ただ1人、秀吉には強敵が残った。海道一の弓取り家康である。その家康も名器“初花”を秀吉に献じて戦勝を祝した。――だが、秀吉の天下経営に不満を抱く信長の次子・信雄は、家康と結び、秀吉に真っ向から敵対する。かくて小牧山に戦端が開かれる。

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    2009年10月07日
  • 新書太閤記(九)

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    天下統一にまっしぐらに進んでいた信長の死。しかも嗣子の信忠もろともの死であっただけに、後継者問題は織田家の内外を通じて、頭の痛いことであった。清洲会議の決定も、次第に宇に浮いてゆく。いち早く光秀を誅殺し、家中第一の発言権を確保した秀吉、一歩遅れたりといえど、宿老として重きをなす勝家。激化する二人の対立に、信長の子・信雄、信孝の思惑がからんで賎ケ嶽合戦へと進む。

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    2009年10月07日
  • 新書太閤記(八)

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    信長凶刃に斃(たお)るの報を、織田の諸将はどう受け取ったか。秀吉は備中・高松城を水攻めに計った矢先、もし毛利方に信長の死が洩れたなら、情勢はどう変っていくか。まさに薄氷をふむ思いで、秀吉はこの3日間を過ごした。だが、彼の心気は生涯の内で最も充実したときであったろう。主君の弔合戦に姫路城を進発した秀吉も眉間は明るく、思惑はずれの天下に失望した光秀とは好対照をなしていた。

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    2009年10月07日
  • 新書太閤記(七)

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    天正10年春、信長は得意の絶頂にあった。東方の脅威だった武田氏はわが蹂躪に沈み、天下統一の道は西国を残すのみとなった。その西国も、秀吉が高松城を包囲し、着々戦果を上げていたが、救援毛利勢の動き如何では、覇業に頓座をきたすとも見えた。かくて信長出陣。だが出陣にも似ぬ軽装は、信長一期の不覚といえよう。運明の本能寺!鞭を揚げて東を指したのは、逆臣光秀であった。

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    2009年10月07日
  • 新書太閤記(六)

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    信長の天下統一の最後の難敵が、中国の毛利一族であった。この征討にあたるのが秀吉である。しかし、連戦連勝を重ねた金瓢も、今度はどうしたものか生気がない。一城を奪えば、また奪回され、戦線は膠着。信長の苛立ち、秀吉の苦慮。そして秀吉が股肱とも頼む、竹中半兵衛、黒田官兵衛の身にも異変は起きた。一方、衰運急な武田氏は春の淡雪と共に消え、戦国地図は大いに変ろうとしている。

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    2009年10月07日
  • 新書太閤記(五)

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    家康と信長の援軍が三方ヶ原で完敗を喫してから僅か3年、信長・家康の連合軍は、宿敵武田軍に潰減的な打撃を加えた。世にいう長篠の合戦である。武田の騎馬軍団を織田の鉄砲軍団が完膚なきまでに叩きのめした1戦であり、素早く実戦に鉄砲の威力を採り入れた信長の炯眼(けいがん)が光っていた。また、三河武士の名をあげたものに、鳥居強右衛門の懦夫(だふ)をも起たす鬼神の働きがあり、家康も面目を施す。

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    2009年10月07日
  • 新書太閤記(四)

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    出る杭は打たれる。――永禄の終りから元亀の始めにかけての信長が、まさにその状態に置かれていた。東北には武田・上杉の古豪が若輩何するものぞと眼を光らし、西北には浅井・朝倉が虎視眈々と隙をうかがっている。折も折、西上を打診しつづけていた信玄は、信長の盟友徳川家康を襲った。浜松城北方の台地・三方ヶ原に徳川軍をおびき出し、これを粉砕した。家康、生涯唯一の完敗であった。

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    2009年10月07日
  • 新書太閤記(三)

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    桶狭間の大勝は、尾張に信長あり、と武名を喧伝はされたが、天下統一への道は第一歩を踏み出したにすぎない。信長の次なる目標は、美濃の攻略である。その拠点ともなるべき洲股―尾濃の国境に天険を誇る要害の地に、織田軍団の足場をつくりたい。これが信長の渇望であった。だが言うは易く、工事は至難。重臣、みな反対である。時に藤吉郎ひとり、賛成論をブッた。当然、大命は藤吉郎に。

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    2009年10月07日
  • 新書太閤記(二)

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    長を主に選んだ藤吉郎のすばらしい嗅覚。これは彼の天賦の才で、寧子(ねね)への求婚でも言えることである。恋がたき前田犬千代との、虚々実々の妻(め)あらそい。だが、本巻の眼目は、田楽狭間の急襲にある。永禄3年、今川義元は数万の兵を率い、西征の途に立った。鎧袖一触と見くびられた織田勢であったが、信長は敢然とその前に立ちはだかったのである。この1戦の帰結が、戦国の流れを変えていく。

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    2009年10月07日
  • 新書太閤記(一)

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    乱の中世に終止符を打ち、新世紀を開いた豊臣秀吉の生涯を描く、規模雄大な出世物語が本書である。民衆の上にあるのではなく、民衆の中に伍してゆく英雄として、秀吉は古来、誰からも愛されてきた。―奔放な少年時代を過した日吉が、世間を見る眼も肥え、生涯の主君として選んだのが、うつけで知られる織田信長であった。随身を機に名も木下藤吉郎と改め、着実に出世街道を歩んでいく。

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    2009年10月07日
  • 平の将門

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    将門は著者の最も食指を動かした人物の1人である。反逆者としての歴史の刻印を除きたい気持もあったが、純粋で虚飾のない原始人の血を将門にみたからだ。都にあっては貴族に愚弄され、故郷(くに)では大叔父国香に父の遺領を掠められ、将門はやり場のない怒りを周囲に爆発させる。それは天慶の乱に発展し、都人を震撼させる。富士はまだ火を噴き、武蔵野は原野そのままの時代だった。

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    2009年10月04日
  • 新書太閤記(十一)

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    山崎、賎ケ岳の合戦と、破竹の勢いで進んできた秀吉軍が、たとえ一部隊にせよ、長久手で家康軍に完敗したことは、今後の戦局、いや政局に、微妙な翳を落さずにはおかない。秀吉には苦汁を、家康には遅まきの美酒を。家康の不撓不屈の闘志と、秀吉の天才的なヨミが、激突する。そして秀吉が一歩先を制した。長らく信長の陰に隠れていた秀吉の“力”がここに全容をみせるのである。

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    2009年10月04日