池波正太郎のレビュー一覧
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八巻「紀州九度山」
真田昌幸・幸村親子は紀州九度山に流罪になります。
見張り役は、豊臣家五大老も務めた浅野家のため、扱いは決して悪くありません。
さて、私は「豊臣家家臣たちは、家康が豊臣家のために三成と合戦を起こしたと本気で思っているのか?!」と思いましたが…
本気で豊臣家を乗っ取ろうとしているのは石田三成で、徳川家康はそれを排除するために立ち上がったと信じていたようですね…。
そのため、その後わずか数年で家康が将軍になり幕府を開き、驚いたり後悔したりもしますが、こうなったからには家康に従わざるを得ません。
昌幸・幸村親子は、いつか必ず関東(徳川)と大阪(豊臣)には戦が起こると読み、その時は必ず九度山を抜け出し駆けつけようとその日を励みに流刑地で暮らします。
この巻は天下の情勢を描きつつ、真田家の草の者の活躍が描かれます。
戦が無くなり、忍びの活動も平常時のものに変わりつつあります。
そんななかで真田昌幸についていた草の者たちは、豊臣と徳川の戦になったら昌幸と幸村が存分に戦えるように準備を整えます。
話しとしては時代変換の説明のような第八巻。 -
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第7巻「関ヶ原」
三成側についた昌幸、幸村親子は上田城に篭ります。
もし三成が勝ったら真田家は豊臣政権の中心に抜擢されるかもしれません。
真田親子は、距離的に三成と家康がぶつかり合う合戦場に行くことはできません。
だから家康の嫡男、徳川秀忠の率いる徳川本体を家康の元に行かせないための時間稼ぎをします。
信幸は徳川側についたので、父のもとに城明渡しの使者として訪れます。
昌幸は安房守、信幸は伊豆守です。
NHKドラマで丹波哲郎さんが渡哲也さんを「ずしゅう(豆州)」「ずしゅうどの(豆州殿)」と呼ぶその呼び方が何とも印象的でその声と口調で頭に浮かびます。
昌幸と幸村親子は知略と武力を尽くして徳川本体を足止めしたので、あとは石田三成率いる西軍に任せるしかありません。
真田家の草の者、壺屋又五郎やお江さんたちもそれぞれが主家と離れ自分の意思と知略で家康暗殺を謀ります。ここが真田家の忍びが一般と違うところ。普通は忍びが主家から離れて独自の頭脳で動くことはあり得ないという立場。
しかし徳川軍と石田軍は前哨戦を経て思いがけず関ヶ原にて野戦となり、石田方は7時間の決戦で大敗します。
ここでも真田家草の者は家康本陣に詰め寄り家康の首級にあと一歩と迫りますが…、
講談?か時代劇のお約束?で「家康の本陣に七人の刺客が切り込んできた!」というものを聞きますが、それを元にした池波エピソードですね。
関ヶ原大戦後の勢力図の変更の様子が描かれます。
後世から見るとどう考えても家康が天下を狙ってるだろうとしか思えないのですが、この当時の武将たちはあくまでも家康は秀頼のために三成を排除し、今後は皆で秀頼を盛り立てると本当に思っていたようで。
しかし関ヶ原後明らかに天下人のようにふるまう家康。
そこでやっと何かが違う…と思いだす豊臣家家臣たち。
しかしこうなっては家康に従うしかありません。
さて。
この巻は著者の個人的見解と言うか好感嫌悪がよく表れています。
まず著者が優れているとしている人物の描き方。
昌幸と幸村親子のこと
「この時代のすぐれた男たちの感能はくだくだしい会話は理屈や説明を必要とせぬほどに冴えて磨き抜かれていた」
「人間と、人間が住む世界の不条理を極めて明確に把握していたのだろう。人の世は、どこまで行っても合理を見つけ出すことが不可能なのだ。合理は存在していても人間と言う生き物が”不合理にできている…”のだからどうしようもないのだ。人間の肉体は誠に合理を得ているのだが、そこへ感情と言うものが加わるため、矛盾が絶えぬのである」(P127)
関ヶ原の激戦の最中、家康は「小早川の裏切りはまだか~~~」とうろうろしして「小早川はどっちに付きそうだ?」と問う使者を出しまくるのですが、それを一喝したのは黒田長政。
「おれはいま敵勢と戦っておるのだ。ならば何としても駅の本陣を突き崩さねばならぬ。小早川がことはその後の事じゃ。しかと申し伝えるがよい。よいか、うろたえるなよ!」「内府もどうかしているのではないか、戦っているわしに松尾山の様子が分かろうはずはない。内府ともあろうものがなんたることだ、かくなれば運を天に任せ、戦って戦って戦い抜くよりほかに為すべきことはない」(P301)
さらにさんざん迷った小早川秀秋が、結局家康に味方し三成を裏切り西軍を攻めることにした…ことに対しての小早川家老。
「裏切りがいかぬと申すのではない。裏切るからには裏切る頃合いがある。今この時、東西両軍の乱戦を目の前にして、味方を裏切るとは何事か。これによって小早川の家名に深い傷がついてしまうことが分からぬのか。裏切りはならぬ。かくなればどこまでもこの松尾山から動かず戦の終わるのを待てと申せ!」(P135)
そのほか、勝敗が決まった時に敵中突破で退却した島津隊、居城に戻り立派に立て籠もった後開場に応じた立花宗茂などは、敗戦側とはいえ清廉な一念を通したということで敬意を持たれています。
反対に著者がいらだちを感じているのは、優柔不断で自分で決断できないような武将たち。
石田三成は、まさに清廉な一念を通してはいるのですが、決断が遅い!事前調整ができない!人に任せない!完璧な計画でないと実行できない!リーダーなのに細かいこと気にし過ぎ!リーダーなのにうろちょろしすぎ!…などと著者のいらだちを感じます(笑)。
著者としては、関ヶ原で石田三成が大敗したのは味方の裏切りとは別儀で、「七時間も戦ったのだからその間に家康本陣に攻め入ることができなかったとはよほど采配が悪かったのか?」と、幸村に言わせております。
さらに関ヶ原合戦真っ最中に西軍でありながら日和見を続けた武将たち、裏切った武将たちに対しても著者は「裏切るのは良いけれどタイミング悪すぎなんだよ!大決戦しているその場で、どっちかが完璧に勝つとわかるまでは裏切りさえできないってどういう奴らだ!」「○○軍が動かないから自分も動けない…って子供の使いか!」などイラついている(笑)
そして大阪城に入った西軍リーダー毛利輝元が、関ヶ原後に一戦挙げるどころか余りに容易く家康への大阪城明渡したことへ「大阪城を明け渡すにしても事前交渉も碌にせずに甘い口約束に乗っかってただで出て行っちゃって、そのおかげで難癖付けられ所領削られ、輝元を丸め込むのは赤子の手を捻るより容易い」と言う様子。
また著者は官僚タイプで机上の戦論には厳しい目線を向けているようで、
東北で戦を繰り広げている上杉景勝へは敬意を払いつつ、その重臣直江兼続に対しては「著者は世上にもてはやされているほどに直江山城兼続を買っていない」んだとまで言っている。三成も兼続も「一か八かの激烈な闘志に揺り動かされて大局を見ることができない」のが低評価みたい。
そして真田家への処遇。
本家の昌幸と次男幸村は石田方について徳川秀忠の軍を足止めし、家康と秀忠を激怒させていたのですから、死罪が妥当と思われていたようです。
そして分家した長男信幸もいくら徳川方に附いたからと言って非常に覚えが悪いです。
そこへ信幸の舅であり家康の重臣本多忠勝の説得。
「かくなるうえは、それがし伊豆守殿とともに沼田城に立て籠もり、殿を相手に戦つかまつる」
脅しでも駆け引きでもなく、一貫して家康への忠義を貫いた真田信幸に命懸けで応えようと腹を括った説得に、家康も折れるしかなく、真田昌幸・幸村親子は流罪となったところで七巻終わり。 -
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6巻家康東下
秀吉の死後着々と力を付ける徳川家康。
昌幸は秀吉贔屓ですが、ところどころで秀吉の采配に疑問を持つところもありました。
家康に対しては、気に入らないけれどその采配や覚悟に感服するところもあるようです。
上杉景勝と、石田三成はそれぞれ家康を排除しようと動きます。
家康は上杉景勝に対して兵を挙げ、さらにその家康に対して三成が兵を挙げます。
関ヶ原の合戦と言うのは後世から見ると家康楽勝で三成無謀として描かれることもありますが、ここでは家康はかなり決死の決意と大胆かつ綿密な計略をたて己の一心の決意で事の準備を進めていきます。
そして三成は事前にだれにも相談せず己の信念で誰も巻き込まず準備を進めて実行しました。
いよいよことを起こし、そこで初めて全国の武将たちに使者を出します。
時代劇なんかでは、三成に味方になってほしいと言われた大谷吉継(幸村の妻の父にあたる)はしばし考えるがその場で決意したように描かれますが…実際は3,4日かけて三成を説得して説得して説得してそれでも決意が変わらないので味方に付いたということのようです。
真田家はどちらに味方に付くかの決断を迫られます。
昌幸は嘆きます「事前に打ち明けてくれれば!」
そして真田家大イベント「犬伏の別れ」に。
真田がメインでない歴史ものでも「父と弟が西軍につき、兄は東軍につく」という場面は取り上げられますね。
こちらの小説では、昌幸、信幸、幸村は語らいも不要でお互いの態度や目が語ることから、お互いに相手を説得することを諦めそれぞれ自分の道へ進みます。
昌幸が三成に着いたのは、家康キライ(ただしこの度の挙兵の見事さには感服)、三成にはまあ好意(ただし家康側の居城をまとも射落とせない三成川の武将たちに今後の不安を感じてはいる)、そして景勝に将来秀頼の筆頭家老として天下人の補佐役をやってもらいたい…という思いがあったようです。
す。
そして当時の武将たちの考えとしてはあくまでも豊臣家家臣として家康と三成が争うというものであり、家康が勝ったからと言ってすぐに家康の天下になるなどとは思っていなかったようです。
しかし豊臣家の家臣同士の争いと言うなら、五大老と五奉行の大半は三成側なんですよね。五大老のうち毛利、上杉、宇喜多、小早川。つまり家康以外のみなさま。
五奉行のうち三成の味方は増田、長束。他に前田玄以は両方に良い顔で、浅野長政は家康側。
この秀吉が直接「秀頼をお頼み申す~~」と遺言したメンバーの大半が三成側で、家康に味方した大名方は「徳川さまは秀頼公のために三成を討とうとしているのだ」って本当に思っていたのか?
まあそんなこんなで日本全国東軍西軍に分かれそれぞれがそれぞれの思惑を巡らせて第6巻終わり。 -
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5巻秀頼誕生
豊臣家に生まれる命と、失われる命。
昌幸は秀吉がお気に入りです。
秀吉の息子の鶴丸君が生まれますが、幼くして亡くなります。
昌幸は「惚れた男の天下は短い」と嘆き、豊臣の天下を諦め、今後は徳川に着くと真田家の意思が一致します。
秀吉の朝鮮出兵は泥沼化。
その数年後にまたしても男児、のちの秀頼が生まれます。
昌幸の秀吉贔屓心がまた首をもたげます。
しかし豊臣家を支えてきた秀吉の弟秀長、秀吉の母なか、秀吉の甥秀勝、秀保が亡くなります。
そして秀吉の跡継ぎとされていた関白秀次の自害。
秀吉はただただ秀頼の行く末に心を痛めますが…豊臣家は内部から崩れかけています。
そして秀吉も衰えて生涯を終えます。
「五人の大老たちよ
秀頼のことを、くれぐれも、たのみまいらせる。たのむ、たのむ。
自分は間もなく死ぬるが、まことに、名残おしいことじゃ。
秀頼が大きくなり、立派に豊臣家のあるじとなるよう、たのみまいらせる。
このほかには、おもい残すことはない。
八月五日
秀吉
いへやす(※家康)
ちくぜん(※前田利家)
てるもと(※毛利輝元)
かげかつ(※上杉景勝)
ひでいへ(※宇喜多秀家)
まいる」
この遺言は亡くなる直前に残したもので、
有名な辞世の句の
「つゆと落ちつゆと消えにしわが身かな なにはの事もゆめの又ゆめ」
は死の数か月前の醍醐の花見のあとに詠んだものとしています。
天下人に登りつめた秀吉が辿り着いた達観の境地としてこの辞世の句は秀吉の評価を高めていると思うのですが、
私にはどうも秀吉の最晩年の未練と怯えの様子とこの達観さが一致せず…。
事前に作っておいたとしてもやはり最晩年の様相と、この辞世の句がイマイチ一致しない。。
ある作家の考察で「祐筆の代筆だろう。秀吉はこのような句を詠める心境ではなかった」と書いていたけれどそっちの方がわかる。
さて。
この時昌幸53歳、信幸34歳、幸村33歳、向井佐平次36歳。
壺谷又五郎は50歳くらいでお江さんは41歳くらいかな。徳川からの嫁を迎えた信幸と、秀吉贔屓の昌幸の関係はそっけなくなっています。
信幸の家臣として重要な人物として鈴木右近がいます。秀吉による小田原攻めの発端となった名胡桃城城主鈴木主水の息子です。名胡桃城が真田に戻ってからは城主に推挙されますが、右近は信幸の部下となることを望みます。
鈴木右近と信幸はこの先長い長い長い主従関係を築いていきます。
そして昌幸父子のアドバイザー的存在、昌幸の叔父の矢沢頼綱が亡くなります。
年と共にさらに頑強に皮肉になって行く頼綱は病床で
「これよりは重苦しゅう思案なさるまい。真田の家ひとつ、天下にあってもなくとも、どうでもよいと、いまこそ、それがしは分かり申した」と嘯きます。
秀吉が自分の息子による天下体制をただただ憂いてこの世に無念を残した無残な心情とは対照的となります。
しかし読者としては、たしかに「あってもなくても歴史は大きく変わらない」人物が動かした歴史というのはかなり面白いのですけれどね。 -
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真田家に仕える忍び、壺谷又五郎や、お江の父の出身は甲賀忍者です。
甲賀における忍びのあり方が描かれます。
そして物語では、秀吉に仕えていた甲賀忍びの本家と、家康に仕えていた甲賀忍び分家が手を結びます。
真田忍びのお江は甲賀に深く入り込み、脱出の際に大怪我を負います。
この四巻は、ほぼ全部を掛けてお江さんの甲賀脱出物語です。
天下人豊臣秀吉は朝鮮攻めに出ます。
上杉の人質源二郎信繁は、豊臣秀吉の元に移ります。「どうせ人質ならわしが預かろう」
真田家は海を渡り朝鮮に戦に行くことはないのですが、陣中で真田昌幸は上杉景勝、秀吉の奉行の石田三成からそれぞれ思いやりや義を受け感じ入ります。
…つまり関ヶ原でどっちに着くかこういうことで決まったんだよ~という理由づけですね(笑)
終盤で千利休が死にますが、作者の考察のようなものが記載されています。
歴史小説は、たまに作者の論文や感想みたいなものが出てくるのが楽しめます。 -
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豊臣秀吉が天下を取り、対抗するような従うような態度をとれるのは徳川家康のみ。
真田家が領土としている沼田城は、北条氏が所有権を主張し、北条の後ろには徳川、真田の後ろには上杉の構図ができます。
家康は真田家の上田城を攻めさせます。
ここは真田一族の見せ場、知略と武力、綿密な情報収集と豪胆な決断、地の利を生かし徳川の大群と互角以上の戦いを繰り広げます。
まさかの痛手に家康は徳川軍の本体を送り込もうとしますが、すると上杉景勝が真田への援軍をちらつかせ家康を牽制します。景勝の後ろには秀吉の影も見えるので、このままでは豊臣対徳川の代理戦争になりそう、さすがに家康が兵を引きます。
真田家を書く小説のため、親族たちも出てきます。
薩摩守矢沢頼綱。昌幸の叔父にあたります。信幸と信繁を一時期預かり養育して武士として育てました。まさに武士らしい武士で、昌幸もこの叔父には頭が上がりません。息子の頼康と共に真田家の親族にして重臣です。
昌幸の弟で分家している信尹(のぶただ)。武田滅亡後から徳川家に近づき配下に入りました。昌幸と家康の橋渡しを勧めています。戦国の世をどうやっても生き抜けるような目利きと交渉力を持っています。
第三巻は前半クライマックスが上田合戦、後半クライマックスは小田原城攻めです。
私は豊臣が北条を攻めたのは「再三の上洛命令を無視され堪忍袋の緒が切れた」くらいに思っていたのですが、直接の要因が真田にあったとは。
秀吉は、大名同士の勝手な戦を禁止します。
しかし北条と真田は要所にある沼田城を巡って争っていて、ある時北条は真田の名胡桃城を攻め落とします。そして怒った秀吉が北条の小田原攻めに。
この小説では、名胡桃城を北条が攻めたのは秀吉の謀略であり、真田昌幸もそれを知りながら名胡桃城主を見殺した、としています。
小田原攻めでは真田家はそこまで出番はありません。
物語としては、秀吉の奉行の石田三成が真田家にいたわりを見せてくれて昌幸が感動を覚えたり、昌幸がますます上杉景勝に感銘を受けたりするところが今後の関ヶ原での伏線となってる感じです。
後世から見ると小田原攻めにおける北条家はどうしたかったんだ、と思ってしまうわけですが、北条としてはいざ戦となれば徳川、伊達は味方に付いてくれると思っていたようですね。それにしては事前の手回しした様子でもないんですが。
やっぱりプライドが高過ぎ、城が堅固すぎて過信してしまったというだけなのか…。
北条攻めを書くにあたって作者はこの当時の典型的な戦国時代の武士というものを「自分の力量を認めてくれる相手でなくては命懸けの働きをしない」「認めるというのは第一に立身出世、第二にそうした報酬がなくとも自分の働きに感謝してくれること」「自分が気に入った主人のためだったら無我夢中になって働く」という、実にはっきりとした自己主張をする、としています。
…そんなこんなで小田原攻めで北条が滅びると、秀吉は朝鮮へ出兵します。
秀吉の長男鶴松が生まれるが幼くして死に、次第に衰えていく秀吉の様相が語られます。
真田家では、次男源次郎信繁が上杉の人質から豊臣の人質になります。どちらでも気に入られる信繁。
作者は源二郎信繁の事を「かれは幸村として人口に膾炙している」として、今後は彼を「幸村」と書く、とします。
実際の真田源二郎信繁が、「幸村」と名乗ったかどうかは不明のようですね。本人は名乗っておらず後世の人が名付たとかも。
そして嫡男の源三郎信幸は婚儀が整いました。
家康の部下、本田忠勝の娘、稲姫です。結婚後は武将の妻として小松殿、と呼ばれます。そして信幸は真田本家から分家し沼田城主になります。
一時期信幸を育てた矢沢頼綱の最後の薫陶が格好良かったので記載。
(NHKドラマでも加藤嘉さんが演じていてもう格好良かった~~)
「これより、あなたさまは分家の当主にござる。それがしは本家の家臣としてあなたさまを敬わねばなりませぬし、あなた様もまたそれがしを本家の家臣として扱わねばなりませぬ。
また、分家とは申せ、当主であるあなたさまが、たとえば…たとえば、御本家に対し一分も譲ることができぬというような事態が起こりま威たるときは、それがしは御本家の家臣として、あなたさまと争わねばなりませぬ。分家とは申せ。あなたさまはご当主でござる。当主たるものは、どこまでも、わが一念を貫き通さねばなりませぬ。
それがしもそのように、あなたさまをお育てしてまいったつもりでござる」 -
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天下は豊臣秀吉の物になります。
豊臣と徳川の小牧・長久手の戦い。豊臣秀吉と、徳川家康それぞれの思惑。
真田家は周辺を大国の上杉、北条、徳川に囲まれています。
豊臣と徳川が和睦したため、真田家にまた危機が。
真田昌幸は、目に入れても痛くない次男坊の源次郎信繁を上杉の人質に出すことにします。
昌幸と信繁は上杉家当主景勝から人質以上の扱いを受け、景勝に対して強烈な印象を持ちます。
二巻副題「秘密」は、真田家の若者たちの出生のこと。
こちらの小説では、真田昌幸の長男源三郎信幸は昌幸正室山手殿の子、
一つ年下の源二郎信繁は別の女の子供となっています。
そして次男が源二郎、長男が源三郎と言うことから、実は…と場内でも囁かれています。
さらに彼らの姉の母は別の女性?…さらに物語には出てこない子供たちもいる様子。
そして小説内では重要な人物として、信幸と信繁兄弟の従兄弟樋口角兵衛がいます。角兵衛は、真田兄弟の母山手殿の妹、久野とその夫の息子。しかし本当の父親は真田昌幸です。十代の頃から体が大きく力に溢れ、怒り出すと手が付けられない。
NHKドラマでは角兵衛は榎木孝明さん。初期に自分の父は昌幸と知り「俺も大殿の息子なんだから城持ちになってもいいはずだ!それなのになぜ俺ばかり差別される!」…という理由があって暴れているのですが、小説では自分の出生を知らないのでただただ生まれ持っての性質として狂いの要素があったようです。
真田家が迎えようとする戦闘の予感を含ませて二巻終了。