池波正太郎のレビュー一覧
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ネタバレ関ヶ原なのでこの巻では真田はあまり出てこず、草の者と関ヶ原本戦の話がメイン。
すごく面白かった。
戦の手に汗握る臨場感があって先が気になってどんどん読めた。
草の者たちの活躍もすごかったが、戦死者も多く悲しい。
島津の退却戦も逃げてるだけなのにあんなかっこいいとは…。
大谷吉継があの位置に展開したのはやはり小早川を抑えるためだったのかなぁとか、負けるだろう裏切られるだろうと思いながら参戦してのあの最後を思うとどうしても胸が痛くなる。
石田三成は真面目で筋の通った人で根が悪い人なわけではないと思うが、どうしても人情にかけるというか人との駆け引きや決断力がないと思う。
もしそこが家康ほどでないにしろもっとあれば関ヶ原は勝てていたと思う。
なんだか損をする性格なんだなと思うとやりきれない。
戦に向く性格ではなかったんだろうなあ…。
こっちにつけば有利だろうとわかっていて行動するのは賢いと思うし、それが結局我が身や領地を守ることにつながるからそれが間違ってるとは言わないし私ならそうするだろうとも思うんだけど、だからこそ自分の信じたものや義のために不利だとわかってても突き進もうとする人に感動しちゃうんだと思う。 -
購入済み
最高です!
今の世の中にも悪いことをして、懲らしめなければならない人がいっぱいいると思いますが、梅安先生みたいな方が今の世の中にも居られたらもう少しましな世の中になるんだろうかと思いつつ拝見いたしております。私にとっては最高の時代劇コミックと思っております。
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最終巻十二巻「雲の峰」
豊臣は滅び徳川の天下となり、家康も死去。
二代将軍秀忠の時代となります。
さて、時代劇などにおいて、大阪の陣での豊臣家家臣たちは「数年籠城して、家康が死んだら、有利な状況で和睦、千姫の父である秀忠は家康より交渉しやすいだろう」と考えていた…ように描かれますが、
あくまでも「後世からみると」ですが、
大名家も公家も押さえつけ取り潰し、風紀が乱れたと朝廷の女官たちも処罰させるような秀忠のほうがよっぽど怖い。
やっぱり”大阪の陣”というものを起こした時点で豊臣家に行く末はなかっただろう…。
…とまあ、こんなコワい秀忠政権下で、真田信之は真田家の行く末に暗いものを感じ、ますます身体を引き締めます。
そして草の者のなかでただ一人生き残った女忍びのお江さん。
上田に戻り信之の元で真田家を守るための忍び働きを行います。
信之54歳、お江さん65歳くらい?
まだまだ草の者としての腕前は超一流。
真田家を取り潰そうとする幕府との駆け引き。
このへんの描写は著者も実に楽しそうです。歴史に大きな流れは描いたのでこの長期小説をどう絞めるか、描きたい人の描きたいことを描くぞーという状態か(笑)
そして最終巻らしく、生き残った者たちの”その後”が静かに語られます。
穏やかな晩年を過ごす者、失脚する者、飼殺される者、失意のうちに消える者…。
そんな姿が静かに描かれます。
この長期連載のラストは、真田家が上田から松代に転封となるところで終わります。
これからは実直な昔ながらの武士のままでは生きられない政治の世界となります。そんな中古い時代を生き抜いた誠の武士である信之、古い時代の卓越された忍びの術を持つお江さんは老境に入ってもまだまだ隠居などしていられないようです。
お江さんについては…後書きで作者は「お江のその後を私は知らない」と書いています。「しかし彼女のことだからきっと長寿を保っただろう」。あとは読者の想像にお任せということなので、信之の裏で忍び働きしながら穏やかに老後を過ごしたと思っておきましょう。信之さんは94歳で亡くなるのだからこの先まだ人生は長い、身分を超えて良い茶飲み友達は必要だろう(笑)
そして後書では、真田家のその後が描かれて…終幕。 -
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十一巻「大坂夏の陣」
子供の頃大坂の陣の順番が夏の陣⇒冬の陣の順番のような気がしていました。あくまでも季節の順番のイメージですが、冬が先ってなんか馴染まないんですよね。
さて。
和議と相成った豊臣と徳川ですが、家康はすぐにでも戦に持ち込み豊臣を滅ぼすように計ります。
豊臣側は「これまでも何とかなってきたのだから、これからも何とかなるのではないだろうか。先のことは希望だけを見ていたい」しかし「何とかなる」ために有益な動きを取らない…という性質のため、幼いころから苦労と忍耐の末生き残った家康にかかればまさに赤子の手を捻るようなもの。
しかし著者はこの強引な開戦に関して家康の言い分も書いています。「自分はこれまでずっと耐えながらここまで来た。生き残るために情報網を張り巡らし、あらゆる手段を講じてきた。豊臣家だってそのようにして来れば、もう天下が自分たちの者ではないと分かり、その上で家を存続させるために何をするかわかるだろう、それを何の手段も講ぜずただ天下人のつもりでいるもんじゃない」
ついに大阪夏の陣が始まります。
この期に及んで豊臣直属家臣と、牢人たちとの齟齬。
連携の取りようのない戦。
大阪城内に数多入り込んでいる徳川の間者。
そんな中、信之に家康の密命が下ります。
密かに弟幸村と会い、徳川に寝返らせるように。
お互いに無駄と分かりつつ再会する兄弟。そして別れ。
この対面が行われたのは、京都に屋敷を構える小野お通という女性の屋敷。
お通さんは、美女で才女で文化人(浄瑠璃はお通の書いた草紙に節を付けた物が始まりらしい)、朝廷にも豊臣にも徳川にも信頼されあらゆる人脈を持つという女性。
お通さんを書くだけで相当な物語になりそうですが、ここではすでに50を超えた信之が60近いであろうお通さんに痛烈な慕情を抱き、これから彼らの交流が続く…ということを示唆しています。
夏の陣では作者はこの時代の人たちの死に向かう様相を描写します。
幸村は大阪城に入った時からこの戦は豊臣には勝ち目はない、しかしそんなことは問題ではない、関ヶ原の合戦の時には上田城で徳川本隊を遅延させたものの、自分たちは関ヶ原に参戦できずわけのわからない負け戦になった。今度は天下の元でただ一度の決戦にすべてをつぎ込み正々堂々と家康と闘いたい、と戦に向かいます。
幸村の下働き向井佐平次は、30年前に幸村(当時は源二郎信繁)と出会ってから自分は幸村と死ぬものと定めてここまで身を置いてきた。「左衛門佐様のようなお人は二度とこの世には表れまい。明日はどうやら、己のささやかな一生をうまく終えることができそうじゃ」
佐平次の息子で草の者の向井佐助(おそらく猿飛佐助から名前を取ってる)は草の者として育てられた。「人間は必ず死ぬる者じゃ、死ぬる日に向かって生きているのじゃ、そのことを片時も忘れるな。迷えば迷うほどに草の者の『生』は充実をせぬ」という生き方が完全に身に付き、真田の草の者として命を燃え尽くします。
幸村の息子の大助も、実に見事な若武者として描かれます。「大助の心は決まっていて微塵も動かぬ。今の天下に初一念を貫く漢たちがどれほどいようか。漢が武士が思い惑い、迷いぬいて、ふらふらと何度でも己の初一念を我から覆す世とはなった」「周囲の状況がどのように転変しようとも初一念を崩さぬ武士の本分を真田大助は十四歳にして体得していたことになる」
父の代から豊臣譜代の毛利勝永は、関ヶ原後の蟄居先からすべてを捨てて駆けつけてきました。「それがしの意地は他人に対して張り通すものではなく、われとわが身に立て抜くものでござる」
そして家康も、「いざとなったら儂と秀頼が組合い、上になった方が勝ちじゃ!」と気力充満、戦に対する意気込みを示すため、自分の親族や直属の家臣たちをもっとも過酷な戦場に配置します。
それに対して豊臣家の家臣たちは、秀頼に何かあったら困る~豊臣家が潰れるようなことになったら困る~ウジウジグダグダで思い切った決断も行動もできません。
後世から見れば、裸城で日本中全員敵で自分たちを殺すために囲まれていて、城内スパイだらけで、味方の主だった武将たちも次々死んでいき…と言う状況で、
今更「牢人は信用できない」「秀頼公が怪我したら困る」なんて言ってる場合かと思ってしまうのですが、
大阪城陥落の後を出た侍女の証言によると「城の南方で両軍の血戦が始まっても、なかなか落城などとは思いもよらず」とのこと。
大阪城を完全に取り囲まれた状態でも落城するわけないと思っていたというから、本当に完全に堅固な城だったんですね…。
時代劇などで大坂の陣を撮ると、だだっ広い平原で「わー」「わー」やってるだけで、大阪軍の「後藤がおびきだし、毛利が崩し家康本隊を孤立させ、真田が家康を討つ」というのがどうもピンとこなかったのですが、
歴史検証番組で当時の地形説明や撮影で、森や狭い道や遺跡等がある物を見て、やっと「これなら孤立させる作戦が立てられるね」とわかった。
できれば合戦ロケはちゃんと山あり谷あり川ありで撮ってもらいたいもんです(笑)。
しかし現実はそのようにならず…
真田幸村最期の日、最期の時。
大阪城落城。
幸村の妻と娘たちは、罪を問われることなくそれぞれの引き取り先が決まります。
幸村は、真田丸での守備、撤退時の殿、家康本隊への突撃、と守・退・攻、すべてに見事な働きをしたので、
敵軍の将とはいえ武士としての敬意を勝ち得ました。
幸村の妻は家康から「あの大谷行部の娘で、あの真田幸村の妻ならば」と助命し、
幸村の娘たちは「あの日の本一の兵真田左衛門助幸村の娘ならば」望まれての嫁ぎ先が決まります。
関ヶ原の巻の記述でもそうでしたが、
思いっきり闘った敵は敗将でも認められ、中途半端な裏切りをした敵や、宜しくない振る舞いをした味方のほうが侮蔑される、だからこそ自分の決断が一族郎党の命運を決める武将たちは、負け戦だろうと精一杯目いっぱい戦うのですね。 -
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第10巻「大阪入城」
徳川と豊臣の橋渡したらんとしていた加藤清正、浅野幸長が亡くなり、いよいよ両家は抜き差しならなくなります。
そして「鐘の文言に呪詛が」という例のいちゃもんで強引に開戦に持ち込む家康。
秀頼の重臣の片桐且元の苦悩が描かれます。
豊臣家の代表として徳川と交渉にあたっていた且元は、「賤ヶ岳七本槍」の一人でありながら、武芸しか知らず政治にも文化にも疎く、豊臣と徳川の間を右往左往するだけ。
大阪城の意思決定は秀頼の母淀殿とその取り巻き立ちで行われます。
希望を信じたい、嫌なものは見たくない、未来の見通しを持って策を練ったりしない、いままで何とかなってきたのだからこれからも何とかなるだろう、しかし何とかなるための努力はしない…。
大阪側は且元が徳川へ内通していると疑い、且元の命を狙います。
これだけ両家の平穏を願った自分に刃を向けるとは!且元は武装して屋敷に篭ります。
さすがに騒ぎが大きくなったと、且元たちは命の保証をされ大阪城から出ることになるのですが…
且元暗殺計画を立てながら、騒ぎは大きくしたくないという豊臣家臣団と、何年も前から周到に用意を積み重ね人の心を読み操ってきた家康では、闘う前から勝負がついています。
且元が大阪城を出た理由も時代劇ではさまざまに描かれていますね。
命を狙われ苦悩の末の決断と言うものもあれば、
「俺を疑いやがって やってらんねー!!」と飛び出たという描写も(笑)。
しかしこの後且元は大阪の様子を家康に知らせるという「見苦しき武将」になるということで「苦しみながら」という言い訳は通じないのかもしれない。
さて。
ただ徳川への忠節を尽くすことにより真田家を存続させてきた信之(信幸から改名)は、未だ紀州九度山にいる弟幸村のことを考えます。
もしこのまま大人しくしていれば今度こそ幸村は許され自分の元で臣下として暮らせるだろう。
しかし一生徳川の目を恐れ小さくなっていなければいけないだろう。
それが弟に耐えられるか。
弟は必ず大阪城に入り家康の首を狙うだろう。
関ヶ原の合戦はあまりにもあっけなさすぎた、負けるにしても納得できない負け方だったのだ。
そして幸村は紀州九度山を抜け出して大阪城に入ります。
妻子の行く末は気にしません。戦いたいから戦います。
それでも妻子は(どこかに逃がしてもらうのでなく)幸村と命運を共にすることを明言します。
大阪城での戦い方を考える幸村は、故昌幸の言葉を思い出します。
そして現実的な戦い方は、自分だけの砦を持つことだと考えます。
大阪城に入った幸村はさっそく失望します。
秀頼は淀殿により世間から隔離され、
大阪城内を取り仕切る大野治長は机上の戦のみを唱える、
そしてなんといっても城全体に覚悟がない。負けたくない、城を出たくない、戦なんて籠城してればいい、秀頼にちょっとでも何かがあったら困る。
今までも何とかなってきたから今度も何とかなるんじゃないか?という甘い考え、しかしその何とかするための具体的積極的手段はなにも講じない…。
こんな様相ではとても勝てないと思った幸村は、さっそく自分が思う存分指揮をとれる砦”真田丸”を作りにかかります。
…どうもこの大阪城のみなさんはみんなが勝手気ままに作戦を立てて決行していたようで、”真田丸”作りも勝手に始めています。
ここで先に砦を作ろうとしていた牢人の後藤又兵衛元次と縄張り争いを経て、互いを認め合います。
しかし大阪城の指令系統はまるで滅茶苦茶です。
牢人たちは勝手にやりたい戦をやる準備して、豊臣家臣たちは籠城で時間稼ぎしか考えず、男女の風紀は乱れ、徳川側の忍者出入り放題、作戦会議もまとまらず…。
幸村の心情を通して著者もイラついているようです(笑)
いや、豊臣家が「籠城!」と決めているならそれを正式に牢人たちに通告したうえでそれに向かって一丸とならなければいけないだろうに、各自がてんでんばらばらやりたいことを勝手にやってるんじゃ話にならんん…。
幸村とともに大阪に出入りしている草の者お江さんは(すでに50歳後半!)「思い切って闘うためには、今のうちに秀頼公のご母堂淀殿と、側近大野治長を暗殺いたしましょう」と提言するくらい。
しかし幸村は、この戦には勝ち目はない、ならば望むのは堂々と徳川家康と決戦すること…と心を決めています。
著者の大阪の冬の陣の描き方は、軍記資料や人物伝から戦の状況を構築していきます。この人物はこういう話が残っている、この時はこういう心情で戦に及んだのだろう。
大阪の将たち、後藤又兵衛基次、薄田隼人正兼相(ススキダハヤトノショウカネスケ、別名岩見重太郎)、木村長門守重成たちのエピソードが語られます。
そして真田幸村についてはその明るさ、他人への心遣い、極め細やかさと大胆さを優秀な上官だとして、「著者は太平洋戦争時代に海軍にいたが、”この人となら一緒に死ねる”という上官には二人しか出会っていない。兵は直属の上官次第で、愚劣な上司のもとでは喜んで死ねないのである」と書いています。
ラストでは真田丸での幸村の大活躍を描き、しかしその裏で進められる和睦を書いて十巻終わり。 -
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第九巻「二条城」
関ヶ原敗戦後、命を取り留め流刑地紀州で大人しく暮らす真田昌幸・幸村親子。
幸村は子供も増えました。
便宜上この小説では娘二人と息子一人を子供としていますが…もっと沢山いたようですね。暇だったんだろうなあ(苦笑)
さて、作者はこの時代の武将では加藤清正を評価しています。
若いころは武力だけの人だったのが、その後の経験が彼を育てた、知力、交渉力、築城に経済、すべてにおいて才能を磨いていった…と褒めています。
そして加藤清正は、自分こそが豊臣と徳川の橋渡しになると覚悟を持ちます。
豊臣の主は大阪城にいる秀吉の遺児の豊臣秀頼。
作者は「母の淀殿が秀頼が家康に暗殺されるのではないかと心配するがあまり広大な大阪城敷地内から出さず、そのために若いのに肥満気味なのが残念だが、
顔立ちは端正、体格は立派で、立ち居振る舞いは貴公子、書物の才能も優れている」としています。
それまで大阪城に引き籠りだった秀頼ですが、清正が強引に対面すると、天下の情勢を悟ります。
加藤清正や浅野幸長の必死の仲立ちにより、二条城にて家康と秀頼の対面が叶います。
京都に入った秀頼は、民衆から熱烈な歓迎を受けます!
もともとの秀吉人気のうえに、秀頼の立派な風貌にすっかり民衆は大喜び!
…それなら大阪城に引き籠らせてなくて、民衆に自己アピールしておけば民衆を味方につけられただろうに…。
家康は威風堂々たる豊臣に危機感を募らせます。
九度山の昌幸・幸村は、いつか大阪と関東の戦が起こる、その時は九度山を抜けて駆けつけよう…それを励みに生きていますが…
ほぼ立て続けに加藤清正、真田昌幸、浅野幸長が死去。
こうなると豊臣秀頼を世間と結ぶ者たちがいなくなり、そして結局大阪城引き籠りに。
真田の草の者たちも、家康を暗殺するか、戦場での正面対決を待つか意見が分かれ…
全国の忍びたちの在り方も変わりつつあります。
真田の草の者たちは息を潜めつつ力は蓄えていますが、他国には時代遅れになって老いていく忍びたちも。
この巻では料理人として入り込んでいる忍びたちが暗躍します。
普段は完全に料理人となり主君に仕えているけれど、実際の主君はまた他家の武将であり、命令がくれば忍びとして働きます。
そしてその命令を果たした後はまた料理人としての日々を過ごします。
この時代のいくつかの不審な死を作者は「忍びの仕業」としてうまく物語化しています。