いとうあつきのレビュー一覧
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『あなたが、最後に会いたい人は誰ですか?』
私が最後に会いたい人は誰だろう?
ただ、ここでいう最後に会いたい人というのは、自分が死んだ場合で、自分の死を知らない人に限る。そうなると会いたい人なんているのだろうか?
この物語は、現実にはあり得ない話である。3章からなる連作短編集で、それぞれの登場人物が死んだ時に案内人が現れ、最後に会いたい人は誰かと問う。そして、最後の1日に会いたい人に会わせてくれるのだ。
どれもこれも素敵な物語。案内人の谷口に、後輩の佐久間が『ハッピーエンドとアンハッピーエンドの物語、どちらが好きですか?』と問うのだが、私はやっぱりハッピーエンドの物語が好きだ -
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『ルドルフとイッパイアッテナ』の斎藤洋さんの著書。
都合の良い話や、たいしてドキドキしない事件など、盛り上がりに欠ける印象が後半まで続いていましたが、ラストで全てが伏線だったことがわかり感心しました。
帯の「見えること、見えないこと そのはざまでもの思う少年の日々」という一文に、目に見えるものが全てではないというテーマを期待しましたが、まさかの心霊が見える友達が出てきて、見えるってそっち?と少し期待はずれ。
でもそれも含めて、最後に色んなことがつながる楽しさがあります。
ミステリーとまではいかないけど、児童書としては子どもにはよいかも。
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桜子と、義母と、夫の前妻の娘。三世代の血のつながらない3人で暮らす花守家。
血縁という確かな繋がりがないが故に遠慮したり気負ったり、最初はぎくしゃくしながら始まる生活だけれども、徐々に家族という輪郭が作られていく。
家族は心休まる温かな居場所。
「おかえり」「ただいま」
毎日帰る場所があり、毎日迎えてくれる人がいる。そんな場所が家族というものなのだ。
季節めぐり様相を変えていく花守家のハナミズキと共に、穏やかな生活が営まれていくのだろうと感じられた。
「自分の中にほんの少しでも好きって思える部分があるだけで、ちゃんと背筋を伸ばせるようなきがするから」
このお守りのような素敵な言葉が心に残 -
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「翔の四季」シリーズ 春
翔の耳に遅れて届くようになった音によって、同級生の会話を詳細に聞き取れてしまう。
知里が「トイレの花子さん」のふりをして同級生をおどかしたということから、自分のかわった「力」を言い、杏も怒りを感じた相手に危害を加えてしまう特殊な能力を気にしている。
涼も霊が視えることから近隣でも噂のある首なし女とみんなといっしょに立ち向かう。
「見えるもの」「見えないもの」について考えていた翔も見えたものだけで判断するのではなく、見えないもののなかにも大切なものがあり、いつでも見れる思い出もあることことがわかったのではと思う。
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「翔の四季」シリーズ 秋
もの思う少年・翔をとりまく1年間〜夏を読んでから少し間が空いてしまったが、読みだしてから翔の家族や涼のことを思いだした。
今回は、翔がスポーツカーを見たあとで、その音が何十秒かずれて聞こえることに気がつく。
近所で起きた不審火は、カラスが線香を咥えて飛んでいたことに関係するのか…
学校内での同級生が持ってきたレアカードの盗難事件は、友だちの涼が犯人を見つけるが…
前作は、「見えていないこと」にきづいた翔だったが、今回は「きこえていないこと」に思いがむく。
小学生にしては、涼の考え方が大人で盗難犯を公にすることもなくおさめたことは、正しいこととは何かを考えさせ -
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中学2年の野々歩は、学校でボッチになる怖さからストレスを溜めていた。
祖母の葬式のあと、実家に残ったまま帰らぬ母のことを思い、学校へ登校せずに祖母の家のある田舎に向かった。
田舎の家は誰も居ず、町で見かけた「森のようちえん コロボックル」のポスターと同じ文字が書いてあるクリーム色のバンが目の前を横切り、思わず走り出した野々歩。
広場に着いたバンから次々と幼稚園児が飛び出してきて…
最後に降りてきたのは、なんと母である。
ボランティアをしているという母といっしょに翌日から森のようちえんに行く野々歩。
滞在している1週間で野々歩が体験したことは、自然に囲まれて自由に自分たちだけで楽しむ子どもたち