2月の読書会の課題図書。
昔々、絵本で読んだ覚えのある作品。寓話だ。
大人になっての解像度で読むと、教訓めいた寓話の他に、当時の経済主義、拝金主義、あるいは無節操な西洋礼賛、自然の軽視、さらには自意識の無さ、迎合の批判など、いろんな風刺が読み取れる。
が、それをどこまで作者が意識して文章に落とし込んでいたかは、やや疑問だが、策を弄そうともせず、感覚や感性で、この作品を生み出したのだとしたら、そこに宮沢賢治の真骨頂が見いだせるのかもしれない。
表面上は、表記の揺れや、中途半端な知識による記述かと思わせる個所もあり、編集や校正の入っていない、いかにも自費出版の作品だと思えなくもないが、読書会の討論を通し、実は、拙い表現すらも宮沢賢治の計算があったのかもしれないと思わされた。それを、計算と思って書いてない、純粋な魂による所作としたら、尚、賢治恐るべしなのだが。
今回読んでみて、改めて怪談の類だと読めた。なかなかのホラーである。どこまでも続く洋館の廊下などは、なんなら映画『シャイニング』を彷彿させる。映像に落とし込むなら、あのシンメトリーの画角を使って、表現したくなる。
扉を開けても開けても、繰り返される廊下の映像は、恐怖を煽る舞台装置として完璧だ。
文中に出てくる色に注目する読み方も読書会での気づきであった。白→水色→黄→赤→黒と、まだ三色の信号機が日本にはない時代に(導入は1930年代だ)、青→黄→赤と、危険度を表現した賢治の感性にも脱帽。
表現の揺れや(鉄砲打ち→猟師)、死んだはずの犬の蘇生など、序盤と終盤、それは別のものではなかったか? と、よりホラーな読みもあると披露してみたが、どうだろうか。
いろんな読解ができるのが古典の素晴らしさだ。
今月の読書会の学びも実に実のあるものだった。
※ 角川文庫にて読んだが、新潮文庫版や児童向けの本など、いくつもVer.がある(読書会参加者がそれぞれ持っていた)。 中でも、この角川文庫版は、初版の作品ラインナップに加え、当時のイラストなどが採用されているほか、後半には実弟による記述、年表なども付録されており、なかなか史料価値も高いと思った。