芥川龍之介のレビュー一覧
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芥川の作家としての主張が読める
芥川が羅生門を発表してから二年ほど経ってから寄稿したものです。自身の作家としての主張が書かれていますが、今日ではあまり見られない学生作家の姿が興味を惹きます。
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芥川龍之介氏の晩年の作品、3作が収録されています。
収録作は"玄鶴山房"、"歯車"、"或阿呆の一生"で、"歯車"と"或阿呆の一生"は死後に遺稿として発見されました。
そういう意味では"玄鶴山房"だけ発表時期がずれていますが、生きることの苦しさを書いた作品ということで共に収録されたものかと思います。
3作とも、強く死のイメージが出た作品です。
精神が不安定になり、心理的に追い詰められた状態で筆を執った3作は、生々しくややキツい内容でした。
教訓やユーモア、挑戦心があり、子供にもわかりやすい氏の前・中期の作品とどうしても比較してしまいますね。
晩年の作品はそもそも読まれることを前提に書かれているような感じがなく、小説の体を成していないとも感じられます。
そのため、非常に読みにくく、ドグラ・マグラのように読んだこっちの頭がおかしくなりそうな文章が続きますが、一方で、研究家には、初期より晩年の作品を評価する赴きもあり、好きな人は好きなんだろうなと思いました。
各話の感想は以下の通り。
・玄鶴山房 ...
「玄鶴」は、肺結核を患っており、"玄鶴山房"と呼ばれる自宅で療養をしています。
玄鶴は本業は画家なのですが、ゴム印の特許で財を成しており、生活は困窮していません。
妻の「お鳥」も寝たきり状態のため、玄鶴の身の回りの世話は、看護師の「甲野」が行っています。
"玄鶴山房"の離れに住む娘の「お鈴」は、家事をこなすと夫の「重吉」と共に夕食を取ります。
そんなある一般的な家庭に、「お芳」という元お手伝いさんが子供を伴って訪れます。
彼女は玄鶴の愛人として囲われており、体調の悪い玄鶴の看病を手伝うと申し入れたのですが、お鈴は財産がお芳に奪われるのではと気が気ではない、お鳥は娘たちに八つ当たりをし、甲野はそんな家庭の諍いを覗き見ることに快楽を得るようになります。
そうして家庭が崩壊していく中、病床の玄鶴は布団の上でひとりごちるという展開です。
発表されたのは「中央公論 2月号」で、"河童"や"蜃気楼"より前に発表された作品です。
20ページ強ほどの短編ですが、登場人物が多く、また、各人物の抱える負の感情が赤裸々に描かれています。
そうなるとごちゃごちゃとしそうですが、人物の動きがわかりやすく、各々の思考も伝わってきます。
晩年の作品の中では、"河童"も含めて最も読みやすい作品と思います。
・歯車 ...
芥川龍之介晩期の代表作。本作が氏の最高傑作と評価する文人も多々いるほどの作品です。
死の4ヶ月前からその直前まで執筆されたとされており、もはや死ぬ以外に道がないという追い詰められた気持ちが文章から伝わってくるようです。
果たして本書は小説なのか?と思うほど、内容は散らかっていると感じました。
はっきり言って読みにくく、話をすじをつかみにくいです。
主人公は結婚披露宴に出席するため東京のホテルへ移動する途中、乗り合わせた理髪店の店主からレイン・コオトを着た幽霊の話を聞きます。
それ以来、レイン・コオトを着た人物を頻繁に目撃するのですが、同時に街の風景がいちいち死を想起させるとともに、歯車のようなものが見え始めて、自分は狂ってしまったのだと怯え、苦しむ。
奇書とも思える作品ですが、書かれる内容は真に迫っていて恐ろしさを誘います。
・或阿呆の一生 ...
芥川龍之介の自殺後に見つかった文章。
51編の短い文章からなり、各々の文章はつながっているようなつながっていないような、一連の作品としての連続性を見出すのが難しい内容です。
芥川龍之介の自伝的な内容と言われていますが、非常に読みにくく、読んだとして理解するのもまた困難です。
序文に、芥川龍之介の友人の久米正雄に宛てて、原稿を託す文章が記されています。
以降は羅列、といってもいい死に面した奔流が書かれていて、短いですがずっしりとした重い、暗い作品でした。 -
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ネタバレ芥川の文章は無駄がなく、冬の夜みたいな冷たい美しさだと思う。
蜘蛛の糸は学生時代ぶりに読んだけど、あのころと良い意味で抱いた感想は変わらない。人によって感想がわかれそうだから読んだ感想や解釈を話し合うのも楽しいかも。
地獄変は人を魅了するものを造るには人でいることを手放さなければならないのか、いや手放さずにいたから造ることが(描くことが)できたのか自分でもこれだという考えがまとまらないけどそれが芥川作品の良さでもある。
毛利先生は心が苦しく、切なくなる。
人のことを愚かだと嘲ったあとに知るその人の本質。
誰かのことをわかった気になることほど浅はかなことはないよなあ。 -
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芥川龍之介の晩年の著書3作が収録。
"河童"、"蜃気楼"は同じ頃に脱稿した作品で、共に1927年3月号の別雑誌に掲載されました。
"三つの窓"は本書の解説によると同年7月号の文学雑誌「改造」に掲載、同年、7月24日が芥川龍之介の没月日なので、"三つの窓"に関しては死の直前に書かれたといっていいと思います。
晩年の芥川作品は、人生や死をテーマにすることが多く、一人称が"僕"である私小説のような作品も多く見られます。
本作収録の作品もそういった内容で、特に掲題にある"河童"は、人間社会のあり様を痛烈に批判したことで著名ですね。
一方で、初期のようなわかりやすさ、親しみやすさというものは失われており、そういう意味で、初期と晩年では大きく印象が異なります。
どちらが読みやすいかというと圧倒的に初期の作品だと思うので、晩年の作品は芥川龍之介という文士に興味があれば読むべきと思います。
・河童 ...
晩年の代表作。
それまで"河童"のイメージも呼び方も一定ではなかったが、本作のヒットによってkappaという発音やその容姿が固定されたという話があるほど有名な作品です。
内容は、ある精神病患者の第二十三号が語った内容を記したものということとなっています。
彼はある日、穂高山へ単独登山に赴くが、その途中で河童に出会い、追いかけているうちに河童の国に迷い込む。
そこで河童の国でいうところの「特別保護住人」として認められた彼は、この奇妙な国について見聞きしたことを語るという内容です。
河童の国は人間社会で固く信じられた常識の逆を取っていて、そしてそれは妙に納得できる内容となっています。
「子供は親の都合で生まれず、生まれるかどうかを生まれる前に確認される」、「新機械の導入で工員が解雇された際には、法律により屠殺され食卓の肉として並ぶ」、「悪い遺伝子を駆逐するため、健全な河童と不健全な河童の婚姻が奨励される」など、正気ではないがそうなれば頭を悩ませる様々が解決すると思わされるような気にさせてくれます。
精神病患者はそんな河童達をやがて清潔な存在として振り返り、人間社会に戻った後も河童の国に"帰りたい"と望むようになります。
果たして彼は精神異常者なのか、精神異常者はどちらなのか、わからなくなるような内容です。
・蜃気楼 ...
10ページほどの短編作品。
副題は"或は「続海のほとり」"で、1925年に書かれた"海のほとり"という作品の続編ともとれる作品です。
なお、"海のほとり"は未読ですが、"蜃気楼"同様、主人公が友人と海辺を歩く内容とのことです。
蜃気楼が出るということで有名な鵠沼の海岸に出かけた主人公「僕」と友人が浜辺を歩くという内容で、不気味な雰囲気、重い空気は、絵画のような写実的な印象を与えます。
二度に渡り同海岸に主人公は出かけるのですが、何が起きるわけでもなく終わります。
"流れ着いた遺体の木札"、"土左衛門の足のように見えた遊泳靴"、この頃の芥川龍之介のざわついた心が伝わってくるようですが、友人たちや妻の存在が「僕」にやすらぎを与えるような感じがあり、短い文章から受けるものは様々だと思います。
不思議な雰囲気の作品です。
・三つの窓 ...
こちらも10ページ強ほどの長さの短編作品。
最晩年の作品といっていいほど間際に書かれた作品ですが、有名作でもなく、収録されていることに違和感を感じました。
とある一等戦闘艦を舞台にした3つの短い話をまとめたものですが、なんとも感想の書きづらい内容です。
「2.三人」は、K中尉が艦内であった三人の死についてで、完成度が高く虚無感の伝わる内容でしたが、「1.鼠」に至っては正直内容の意味がよくわからず、「3.一等戦闘艦××」はまさかの艦隊擬人化で、変わった作品という印象しか持ちませんでした。
研究家は意味が見いだせる内容なのかもですが、楽しんで読めるかというとそういう感じはなかったかなと思います。 -
Posted by ブクログ
芥川龍之介の初期の名作3編が収録されています。
理想主義的な白樺派に対して、少し距離を置いた視点から近代人らしい思想を見出そうという動きが生まれました。
芥川龍之介はこのムーブメントの代表的な作家で、新現実主義や新技巧派と呼んだり、文芸雑誌「新思潮」を中心として活動をしていたため、新思潮派と呼ばれています。
本作収録の"羅生門"、"鼻"、"芋粥"は初期の代表的な芥川文学で、人のエゴイズムを克明に描き出しています。
初期は古典に構想を得た作品が多いのも特徴で、本作収録の作品は四作とも古典が題材となっています。
絵本の日本昔話のようなとっつきやすさがあり、話がわかりやすく読みやすいです。
教科書で取り上げられることも多いので知名度も高く、中高生にもおすすめできる作品集と思います。
・羅生門 ...
基となったのは"今昔物語集 巻第二十九 本朝付悪行"収録の一篇。
相次いだ天変地異位の影響で衰退していた平安の都・羅生門を舞台に、行き詰まった若い下人が、"生きるための悪"に手を染める物語です。
羅生門は無名作家時代に"芥川龍之介"の名で雑誌・帝国文学に文学に発表され、同時期に新思潮に発表された"鼻"と共に、後に短編集「羅生門」に収録されます。
結びの文章は度々変更されていて、本書収録のものは雑誌・帝国文学収録時でも短編集「羅生門」でも無く、その後出た短編集に収録されていたバージョンで、最も有名な文句「下人の行方は、誰も知らない。」で締めくくられています。
"生きるため"という、ある意味でエゴイズムの究極を迫られる状況で、目まぐるしく変わる感情的な変化が描かれる様は鮮やかともいえます。
装飾せずに言えば、下人の手のひら返しがすごいと感じました。
このあたりも本作で"エゴイズム"を感じさせる一因かと思います。
短編で読みやすく、芥川龍之介、新現実主義を強く感じさせる(初出は新思潮ではないですが)一作です。
・鼻 ...
題材になっているのは"今昔物語集"及び"宇治拾遺物語"の一作。
新思潮の創刊号で発表され、夏目漱石に絶賛されたことで有名です。
京都のある長い鼻を持つ僧が主人公です。
滑稽な鼻故に人に笑われ、弟子に迷惑をかけるが、人前では鼻を気にかけていない風を装っていた。
ある日、弟子を通して、鼻を短くする方法を知り、その方法で鼻を人並みに短くすることに成功するのだが、という展開です。
おとぎ話っぽいストーリーで、ライトに楽しめる文学作品と思います。
一方で描かれているのはしっかりとエゴイズムとなっています。
鼻が短くなった僧を見る人々の感情は、羅生門で描かれたエゴイズムと同様、人の本質をついたものであると思います。
・芋粥 ...
宇治拾遺物語の一篇を題材とした短編。
なお、タイトルの芋粥は、さつまいもの入ったお粥などではなく、山の芋を甘葛で煮て作ったデザートで、平安時代によく食べられていました。
主人公の五位は、風采の揚がらない小役人で、いつも馬鹿にされていたのですが、そんな彼には年に一度、臨時の席で出される少量の芋粥という楽しみがあり、また、腹いっぱい芋粥を食べてみたいという渇望がありました。
ある日不意にそれをつぶやいてしまい、それを聞いた藤原利仁が、「それなら飽くまで芋粥をご馳走しよう」と申し出るという展開。
ふとしたことで、願いが叶ってしまうストーリーです。
ただ、五位には何もなく、唯一、年の一度の芋粥を食べる機会を楽しみにしていたのですが、そんな希望すらも半ば強制的に叶えさせられてしまう。
極端に言えば、五位のすべてを踏みにじられてしまう、残酷な物語とも取れます。
・偸盗 ...
他の三作に比較すると知名度が落ちます。
中央公論に掲載されましたが、芥川龍之介生前、短編集には収録されませんでした。
偸盗とは盗人のことで、タイトルの通り、盗人の集団の物語となっています。
平安の世が舞台で、日照り続きに疫病が流行り、荒れ果てた時代で生きる盗賊の兄弟「太郎」と「次郎」が主人公。
太郎は、自分の肉体を武器にあちこちと関係を持ち、人々を翻弄する女性「沙金」を想っているが、沙金は次郎と関係があり、太郎と次郎の関係性は良くないです。
沙金には母の「猪熊の婆」がいて、猪熊の婆は「猪熊の爺」と連れ添っているのですが、沙金から見て継父となる猪熊の爺と沙金は肉体関係にあります。
また、「阿濃」という身ごもっている白痴に近い女性がおり、お腹の子供の父は次郎であると思い込んでいます。
そんな人間模様の盗賊団が、沙金の差し金で警戒態勢の屋敷に盗賊に入るというストーリー。
作中には象徴的に"羅生門"が登場します。
舞台設定も羅生門に類似していますが、キャラ等は異なっていて、思わせぶりですが"羅生門"との関連は無いのかなと思いました。
書かれた時期、古典を題材とした点に加え、羅生門との対比ができるため、本書に収録されたものと思います。
短編ですがやや長めです。
ただ、展開は早く、内容がドロドロしていて読み応えがあり面白かったです。
芥川龍之介自身の評価は非常に低かったそうですが、芥川龍之介らしいエゴイズムが書かれた、魅力ある作品だと思いました。 -
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うまい言い回しのこなれた文章と
芥川龍之介らしいこなれた文章で、徒然草の現代語訳みたいな味わいがあるように思いました。鼻の長いor大きい人シリーズでもあるのかしら?
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なるほど、芥川龍之介の人柄、作風がよくわかる一冊だった。
初期の作品が18編収録されているが、やはり代表作の「羅生門」、「鼻」、「芋粥」は印象的だった。芥川龍之介の作品は基本的に暗く、寂しい。
人生への諦め、妥協が感じられる作品が多く、芥川龍之介が自ら生涯に終止符を打ったのも納得できる。
個人的に好きだったのは「MENSURA ZOILI」。ショートストーリーのような、エッセイのような不思議な形式で書かれ、芥川龍之介にしては珍しくファンタジックな雰囲気が漂っている。それと、「葬儀記」。注釈に、夏目漱石の葬儀の記録と書いてあって驚いた。凡人は参列した葬儀の記録を残しておこうなどとは思わない。対象が夏目漱石なだけに、貴重な歴史的資料とも言えると思う。 -
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罪
せっかく地獄から抜け出せる蜘蛛の糸を見つけたのに,独り占めしようとしたせいで,台無しになってしまった。
きっと彼は,糸が切れてしまったのは,後から上ってきた多くの罪人のせいだと思っているだろう。
やはり,地獄にいるべき人である。 -
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現実的な生々しい小説を読んでいて、目を背けたいぐらい頭が混乱していたので、河童のようなある意味、設定が人間世界と逆の話を読むと、風刺とは思えないぐらいホッとした気分だった。勿論意味を全てわかって読んでいたわけではないが、河童と言う、人間世界に似ても似つかない、不合理な世界が日本でも何となく起こっていたことが垣間見えた。河童の世界でも、色んな小説家や哲学者が頻用されていたのが面白い。
或る阿呆の一生、歯車と3作品全て読んだ。
河童を読むと、そこまで辛い描写は出てこなくて、児童が読んでも飲み込めるような作品だと思う、
或る阿呆の一生から自伝的要素が強くなっていき、
歯車では最後のシーンで下界から夭折してしまいたい、というような彼の思いがヒシヒシと伝わってきて、幻覚や妄想が多く出てくる。
彼の義理の兄が自殺したことがかなり尾を引いている気がする。何もかも全てを背負い込んで作ったような。 -
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芥川龍之介は「鼻」や「羅生門」など平安に材を取った作品が知られているけれど、江戸から明治を舞台にした作品も魅力的です。
「或日の大石内蔵助」は討入後、肥後細川家にお預かりになった大石の心理に新しい解釈を与えるもの。「枯野抄」は芭蕉臨終の場に集まった弟子たちの心理を丹念に描いた作品。
いずれも松本清張の初期犯罪小説を読むように人間心理の複雑さ、玄妙さに触れ得た気持ちにしてくれます。
表題作の「戯作三昧」は、江戸天保期に活躍した戯作者、南総里見八犬伝の作者で知られる滝沢馬琴が主人公。日々の社交、自作への世間の毀誉褒貶、生活にまつわる様々な気がかりを描き出しながら、創作に打ち込む主人公に、芥川自身を重ね合わせています。
夜半、芸術のインスピレーションが馬琴に降りてくる場面のスピード感と迫真は鬼気迫るものがあります。
「始め筆を下ろした時、彼の頭の中には、かすかな光のようなものが動いていた。が、十行二十行と、筆が進むのに従って、その光のようなものは、次第に大きさを増して来る。
(中略)
頭の中にはもうさっきの星を砕いたようなものが、川よりも早く流れている。そうしてそれが刻々に力を加えて来て、否応なしに彼を押しやってしまう。
(中略)
光の靄に似た流れは、少しもその速力を緩めない。反って目まぐるしい飛躍の中に、あらゆるものを溺らせながら、澎湃として彼を襲って来る。彼は遂に全くその虜になった。そうして一切を忘れながら、その流の方向に、嵐のような勢で筆を駆った」
これは芥川の創作体験そのものでしょう。
芸術のミューズが降りてくる一瞬を捉えて離さない。「それ」が来た瞬間、その奔流に心身を預けきる。
生来の文学的センスを背景にさらりと書かれたかのように見える彼の作品の舞台裏で、このような心身を焼き尽くす時間があったことに驚きを禁じえません。芸術のもつデモーニッシュな側面。
だからこそ、時代を超えて人を惹きつけてやまない何かがあるのだと思います。