芥川龍之介のレビュー一覧
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「秋」
理想とは手に入れた瞬間から色あせてしまうものだと
直観的に知っていたのであろう彼女は
あえてそれに背を向けるのだが
そのことが果たして正しかったのか間違っていたのか
誰にもわからない
後悔することもできず彼女は呆然と「秋ーー」なんて
「黒衣聖母」
黒の聖母は残忍かもしれないが
祈りを強制はしないし
少なくとも祈ってるあいだ救われてるんだよねぇ
「或敵打の話」
苦しい者こそ救われる
苦しみの無い者には救いも無い
救われたいという欲求はそれほどにも切実だが
切実ゆえに嘘の救いであっさりだまされてしまうんだねぇ
「女」
芥川に最初の子供ができた直後の作品
ちょうど「狂人の娘」に悩まされた時期にも重なっている
「素戔嗚尊」
題はスサノオノミコトと読みます
力にすぐれたスサノオだったが、お人よしゆえに
自分が嫉妬されて嫌われてるという現実を受け入れられず
そこにつけこまれてこっぴどくだまされて
怒りに任せて暴れたあげく、神の国を追放されてしまうのだった
「老いたる素戔嗚尊」
天孫降臨でニ二ギを迎え入れるまでは
スサノオの血筋が日本を治めていたのであり
天皇がアマテラスの末裔ならば
庶民にはスサノオの血が混じっているとも言えよう
…出雲国での大蛇退治の後、クシナダ姫を娶ったスサノオは
部族の長となっておおいに栄えた
アメノムラクモを高天原に送って、故郷に錦を飾ることもできた
日本人好みの立身出世ストーリーは
あんがいこんなところに原型があるのかもしれない
しかしそんなスサノオも老いには勝てなかった
かつて自分を陥れた者たちと同じように
娘のボーイフレンドに嫉妬したりするのであった
「南京の基督」
思い込みにすがりついてもたらされた偽りの救済であれ
それによって生きる力を得られるのならば
人間というのはせつない生き物だ
「杜子春」
親子の情愛を、儒教的価値から切り離す形で書いている
その意味ではやや描写が弱いか
しかし物語としては十分におもしろい
「捨子」
物語とはペテンであるが
ペテンが人を動かして幸せに導くこともたしかにあるんだねぇ
「影」
自分の分身に嫉妬してひきおこされる悲劇
ドッペルゲンガーは芥川にとっての
本質部分から発したモチーフであると思う
晩年の「歯車」にも登場するが
ここではやや唐突な扱いである
あまり成功してるとはいえないだろう
「お律と子らと」
近親者が死ぬということを一口に言えば
その人の世界に決定的な変化がもたらされるということだ
チェンジザワールドだ
その悲しみはもちろんのことだが
それゆえに、そこにはある種の高揚感も生じてしまう
芥川が同様のモチーフを書いた作品には
「枯野抄」や「玄鶴山房」などあるけれども
それらの中で、この作品がいちばん面白いんじゃないか
個人的にはそう思う
藪医者の診察に一喜一憂する展開は
「南京の基督」をそのまま裏返しにしたものと言えるだろう -
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「或日の大石内蔵之助」
坪内逍遥の「小説神髄」から
近代日本文学は始まったとされるのだが
それにおいてまず批判されたのは
江戸期の戯作文学
その中でも、「勧善懲悪」と呼ばれた
読んで字のごとく、いいもんがわるもんをやっつける
単純なお話だったという
武家社会においては、特に「忠義」というものが
善きこととして人々にすすめられたのだけど
これは、日本人のナショナリズム・ナルシズムにも
密接にかかわる重大な問題である
「信じられるもの」のために、命をかけたいのだ
しかし、そのような物語になんの疑問もなく熱狂することは
あまりに信用ならない
あまりに軽薄なことではないだろうか
「戯作三昧」
滝沢馬琴のスランプ時代を書いている
日和見主義や二枚舌や
浅はかな反骨精神の発露にあてられて
すっかり人間がわからなくなってしまった馬琴は
大長編「南総里見八犬伝」を
書き進めることができなくなってしまう
しかし、孫のからかい言葉にヒントを得て
危機を脱するのだった
ちなみに、芥川龍之介じしんもそれを欲していたのだが
ついに手にすることはかなわなかった
「開化の殺人」
文明開化によって、義憤と嫉妬は明確に区別されるものとなった
それは、西洋文明が、その流入初期において
日本の風土に対するアンチテーゼとなりえたことを意味する
それと同時に
グローバリゼーションの本質こそ知にありと
進歩的な人々には信じられるようになったのだろう
この四年後、「神神の微笑」は書かれるのだが
「枯野抄」
松尾芭蕉の臨終を書いたもの
芭蕉に、芥川の師匠(夏目漱石)を重ねていると言われる
「開化の良人」
理想とは、直観的に認識されるものである
価値とは、具体的に計量されるものである
進歩的な人々には、むしろこの両者を混同する傾向があった
「舞踏会」
社会的な二面性を使い分けなくてはならない人の
ある種の悲哀である
三島由紀夫は絶賛したが
ピエール・ロティの日本評を知らなければ
ちょっとよくわからない作品となるだろう
「秋」「庭」「お富の貞操」「雛」
明治時代、かわりゆく世の中でむかしを懐かしむ人々の群像である
「あばばばば」
世の中も変わるが人間だって変わる
娘じみた雑貨屋の奥さんは、ずうずうしい母親に変わりました
「一塊の土」
ワーカーホリックの嫁に振り回される姑のはなし
女の独立を書こうとしたのか
「年末の一日」
夏目漱石の墓を訪問する話
墓参の帰り、箱車を押して坂道を登ってゆく芥川の姿は
「トロッコ」の子供たちに重ねて読むことも可能であろう
死の一年半まえに発表された作品である -
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芥川龍之介さん、ものすごい口悪い。
例えば、「小児」の項(言葉遣いは意訳)――
軍人は子どもに近い。英雄らしい身振りで喜んだり、栄光を好んだりするのは特に。機械的な訓練を大事にしたり、動物的な勇気を重んじたりするのも小学校だけに見られるこの。殺戮を何とも思わないところなんかはもう子どもとしか言いようがない。特に子どもにそっくりなのは、ラッパとか軍歌とかに鼓舞されれば、なんのために戦うかも考えずに喜んで敵に挑むところ。
だから、軍人が誇っているものだって必ず子どものおもちゃにそっくりだ。派手に飾った鎧兜なんて成人の趣味にあうものじゃない。勲章だって・・・本当に不思議だと思う。酔ってるわけでもないのに、どうして勲章なんかを付けて歩けるんだろう? -
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芥川龍之介の王朝物。
「運」…仏のご利益についての短編
「道祖問答」…道命阿闍梨と翁の短編
「袈裟と盛遠」…袈裟と盛遠の独白からなる短編
「地獄変」…地獄変を描く絵師の短編
「邪宗門」…異形な沙門をめぐる短編(未完結)
「竜」…源隆国と思われる人が双紙を編む短編
「往生絵巻」…多度の五位という人物が出家した短編
「好色」…平貞文の短編
「藪の中」…今昔物語の『妻ヲ具シテ丹波ノ国ニ行ク男大江山ニ於テ縛ラルル』を題材にした短編
「六の宮の姫君」…身寄りのない姫と、姫を残して京を去る男の短編
「二人小町」…小野小町と玉造小町の短編
「運」の題材も今昔物語『貧女清水観音値盗人夫語第三十三』だそう。
「地獄変」、「邪宗門」の堀河の大殿とその若殿は、
藤原基経と藤原時平のことだろうかと思いつつ読み進めていたけど、
実際の人物に定められるものではないようでした。
モチーフにはしているのかもしれません。
「邪宗門」は、本当に良い所で未完となっており、続きが気になります。
「袈裟と盛遠」は、ちょうど吉川英治の「新・平家物語」で、
このエピソードを読んだところだったので、また違った趣を楽しみました。
「六の宮の姫君」の最後に、慶滋保胤が出てきます。
この話は小泉八雲の「和解」と少し似ています。
単純な感想ですが、どの短編も、「すごく面白い」です。 -
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羅生門 有名な作品をやっと読んだ。漫画なので細かいところははぶいているのかもしれないが、漫画なので、死体のところとか、おばあの怖さとかが描かれていたように思う。人間のエゴってなんだろう?生きるためだから、仕方がないから、といって、何でも許されるのだろうかと考えた。蛇を魚だといってうるのは、産地偽装とか最近のに置き換えらえるだろうか。おいはぎもしていいのだろうか?下人も、盗人の濡れ衣を着せられて、首になった。家族がいないからいだろうといわれて。人間のエゴって、どこまで深いんだろうと思った。
偸盗(ちゅうとう)愛するが故に、許せないというのがあるのだろうか。他に人にとられるくらいなら、殺してもいいですかみたいな曲もあったように思う。愛するがゆえに、その人のために冒す罪って、綺麗なのか、汚いのか。殺しは絶対だめだと思うけど。
藪の中 三人全員が、自分のせいだという。そして、死罪をも覚悟している。これは、愛するが故?通りすがりなんだから、愛するとか関係ないんだろうな。自分のせいじゃないのに、されるのっていやだけれど、自分のせいじゃないのに、いうなんて、私には絶対できないだろうな。 -
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これは作家・芥川龍之介が最晩年に著した『或阿呆の一生』と『歯車』の2編を漫画化したものです。この当時の筆者の取り巻く状況や、肉体・精神がぼろぼろになっていく過程を見つめていて、ひさしぶりに読みました。
この小説をはじめて読んだのは、確か中学生くらいの頃だったと思います。内容はというと心身ともに病み、疲れ果てた作家の芥川龍之介が自身の作家人生のいわば『白鳥の歌』として残した『或阿呆の一生』と『歯車』―2編を漫画化したものです。
改めて読んでみて、彼はやっぱり神経が繊細だったんだなと。そういう彼に降りかかったものは『死』もしくは『人生は生きるに値するか?』という根源的な問いを読者に、また自分自身に突きつけたのかな、ということを思いながらページをめくっておりました。
幼い頃より勉強のよくできた筆者は長じて大学生となり、憧れの『先生』の賞賛で一気に分断のスターダムに躍り出ることになります、しかし、結婚をし、二足のわらじでやっていた英語教官の仕事をやめて著述一本に絞った後、彼の運命に変化が訪れます。妻以外に関係を持った女性の一人が今で言うところの『ストーカー』になってしまい。彼女の存在に心身ともに疲れ果てた彼は中国へ仕事に行くということで『渡りに船』とばかりに日本を離れますが、体調を崩して帰国。
さらに自分の親族が多額の借金を残して自殺し、彼はその後始末に追われることとなります。作家としての行き詰まり、身体を蝕むいくつもの病魔。そして女性問題…。それらを抱えて生まれた2編の小説世界は間違いなく現代的でもあります。物語の中で関東大震災で被災した筆者の思うところは、そのまま東日本大震災の惨禍に遭った我々にも重なるものが少なからずあるのではなかろうかと思っております。久しぶりにマンガで読み返してみて、そんなことを考えました。