よしもとばななのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
よしもとばななさんの小説を読むの結構久しぶりかも。読みやすいし染みるなぁと改めて思いました。
この本はとくに短めだしわりと平坦というか、大きな事件はあまり起きない内容で、だけど大切な人の死と多少のオカルト的な要素というばななワールドは確かに存在していて、人が死ぬ小説とかオカルト的なものは嫌いという人も多いから好き嫌いは分かれると思うけれど、それだからこそ唯一無二の世界観なのだろうか、と考えたりした。
痛いからこそ傷ついている人に優しいし、登場人物たちも当然完璧ではないから作中でもがいたり苦しんだりしていて、それを読みながら読み手も再生していける感覚があるのだと思う。
幼い頃に両親をなくした姉妹は預けられた先で苦しい思いをしながら育ち、とくに妹のぐり子は思春期に死にかけるほどのどん底を味わったのだけど、大人になった2人を見るとより闇が深そうなのは姉のどん子かもなと思う。
すべて見て感じて落ちる時は落ちる妹と比べて、姉は見えていても感じないように紛らわすような生き方をしている。すべてにおいて、予防線を張っているので、恋愛も多くするわりにいつも最後を見ていて刹那的だ。
最初妹のぐり子は自分には姉という存在が必要だと思っていたけれど、もしかしたら逆なのでは?と気づくくだりにとても頷いた。
経験から受けた対処の仕方はそれぞれだ、と思う。似たような経験をしていても、全く違う風に出てしまう。
どんぐり姉妹という相談サイトを開設して、人からのメールを受けて返信をするという日々。内容はたわいのないものから、重たいものまで様々。
感受性の強いぐり子は読んだメールから影響を受けておかしな夢を見たりもするけれど、これもまた彼女の再生のための大切な要素なのだろうと思う。
よしもとばななさんの小説には「再生」というキーワードが欠かせない。だから優しいのだと、改めて感じた。 -
Posted by ブクログ
よしもとばななは甘くて明るい。上質な砂糖菓子みたいに、甘いんだけど、くどくない。
既読作品でも感じましたが、今作は特にそんなばななカラーを強く感じました。
薄明るいピンク色の世界に、キラキラ輝く金色の粒子が舞ってるような世界でした…。
のっけから不穏なセンテンスで物語は始まって、これは…重いやつや……と覚悟を持って読み進めたら、なんのなんの。失ったある人との記憶や温もりを糧に、軽やかに日々を過ごす主人公の姿が、ただただ眩しい。
大切な人を失った人間は、失うことの悲しみを知る人間は、その分優しく、強くなれる。
そうでありたい。
そうであってほしい。
そんな祈りのようなメッセージを優しく伝えてくれる物語でした。
大人のためのお伽話かもしれないな。
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Posted by ブクログ
ネタバレ吉本ばななの紡ぐ世界はいつも優しくて理解のある人たちが溢れていて、ちょっと非日常な状況でも主人公の考えそのものはあまり突拍子のないものじゃなく、ただただ「ああ、そうかもなあ」と思わされる。そして最後に無理矢理じゃなく、それなりの穏やかなエンディングが待っている。そういうところが好きです。下北沢って一度行ったことあるくらいだけど美味しいものがたくさんありそうだなあという印象。そこにキッチン感はある、かも?
ただ、最後本当にちゃんとお母さん、家にいたのかな…?っていうよく分かんない不安が…。
尚、序盤で共感できないお母さんのご意見がありました。
「一日の時間の流れって、夕方になる前にぐうっと長くなって、日が沈むと急に早くなるじゃない?」(p.53)とのことですが、どっちかというと私は逆。夕方が一番時間の流れが早い。この人、ちゃんと主婦としての活動してたのかな?っていうw私だけかな…? -
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ネタバレよしもとばななさん、初めてよみました。
有名な方なのに なんとなく御縁がなかったのか、特に避けていたわけでもなく、食わず嫌いのような感じだった…のかなぁ?不思議。それがいま、こうして触れているのも不思議です。
たまたま、10年くらい前の雑誌のインタビューをみて、そのまま流れるように読んでみました。
自分であること、そこには世界があること、誰のものでもなくて、急かされていなくて、卑屈になることはなくて、大事なものを大事にしていられるしあわせ。
生き方、言葉にならない寂しさ、仕事をするということ、自分とも重なったり違ったり、悩みながら生きている人はどこかしらにひっかかるところがあるのではと感じました。
物語を読んでいるのだけれど、自分の中の自分に会いにいくような感覚。
カオリさんは自分の中にダイブできるのがすごい。自分は浅瀬で潜りかたがわからなくてじたばたしているところでもあるし、ある程度自分も歳を重ねてきて、感じることがあるんだろうなと思いながら読めました。空気感が心地よかったです。文章の感じはクセもあるのでしょうか。他のも読んでみたいと思います。 -
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突然の交通事故で最愛の婚約者を失った女性が、臨死体験から恢復し、周囲から見守られ周囲を見守りながら、「大切なひとを失った自分」を受け入れ、自らの生を肯定していく、というストーリー。
作者お得意の「喪失→再生」もの。ここまで千篇一律に同じテーマを繰り返していること自体に敬服させられる。視点人物がこの世界の輝きと人間のあたたかさを改めて見出していく様子を描く表現はほとんど職人芸的で、掛け値なしで「うまいな」と思わせられる。欠落を抱えた人物どうしが出会い、スピリチュアルなものも含めて交歓を経て、互いが互いをケアしあっている様子をさりげなく描き取っていくさまもさすがの筆づかいである。
問題は、これが東日本大震災の被災者を意識して書かれている、という新しい言葉をどう受け止めるかだろう。作者は何ひとつ新しいことはしていない、というのは簡単だが、「3・11」という出来事は、作者にどんな課題意識をもたらし、どんな種類のモチベーションをもたらしたのか。作者自身の発言とあわせ、慎重に吟味する必要があるのだろう。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ双子の母親を持ちいとこ同士の昇一と由美子が、昇一の母の遺言をもとに双子である母たちにまつわる過去の悲惨な思い出をひとつずつ紐解いてまわる物語(夢の中の話で、由美子はその事件の時にすでに死んでいた)
はじめてよしもとばななの小説を読んだ。ここの登場人物の感性がよしもとさんの内側から生まれ出てきたものならば、少年少女時代の感性をここまで緻密に言葉で表現できるものだろうかと驚嘆した。自分自身の原体験を再現するには、記憶の鮮明さだけではなく、子供時代の少ない語彙では言葉にできなかった感情を、あらためて言語化して、可能な限り自然に適合する言葉を選ばなければならない。その際にかかるフィルターはきっと、年を重ねれば重ねるほど分厚いものになっていくが、いかにそれを取り除いてありのままの記憶を言語化できるかが重要になることは想像に難くない。それを、すっと理解できる言葉で表現されているこの小説は、ふと少年時代を思い出したくなった時にはうってつけだと思った。
また、この小説に出てくる死生観は、今の自分にとって共感できる部分が大きかった。
「子供を持つって、自分は素直にもう席を譲っていいな、というこんな気持ちなのかもしれないな」って、感じた由美子にめちゃくちゃ同意。自分の席を譲るって表現が割としっくりきて、まさに子供はその席に座ってくれると信じることのできる存在になるのだと思う。別に子供がいなかったとしても、その席に座ってくれる誰かが見つかった時点で、(託せそうな人はすでにいるが)自分の生を捨てる覚悟も然り、その生を楽しむ喜びを素直に掴みにいくこともできるようになると個人的には思われる。
その生の楽しみ方の一つが、自分の身の回りを大切にし、その小さな世界を観察したり触れ合ったりすることなのだとこの小説を読んで感じた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレダライ・ラマも、素晴らしいのではないかとは思うけど、私にはよくわからない。それよりも印象に残ったのは、よしもとばななの人間観。
以下、引用。
人ひとりひとりは、歯車ではなく細胞のひとつひとつと考えるといいのではないか。人間ひとりひとりが細胞で、皆で大きなな「人類」という人間を、作っているのだと思うと、いろんなことがよくわかるようになります。
髪の毛の細胞の人、お尻の細胞の人、まぶたの人、唇の人、心臓の人、各部位の人にそれぞれ不満があり、それぞれの自負心があります。自分の部署でない機能に対して憧れを抱いたり、妬んだり、自分の部署の仕事をおろそかにしたり、それもすべてそんなふうに説明できると思います。お尻の人には頭の人のことがよくわからないくらい遠いが、確実につながっている。そんなところもよく理解できるような気がします。それから、異様な罪を犯したり、人を殺すのに心底喜びを覚えるような人たちに関しては、がん細胞のような異形の細胞だととらえると、しっくりきます。だとすると、その細胞全部が集まった人間という存在をひとつにつなぎとめているもの、それこそが魂と呼ばれるものであり、特定の宗教ではなく、生命への畏怖心を呼び覚ます、大きな物を、思うときの感覚ではないでしょうか。
目の前の人を自分の一部だと思うことができれば、その弱さを理解することも、人を攻撃することはすなわち自分に対する攻撃だと言うことも分かり、相手に対する怒りもなくなるはずです。
人類は全員で一人の人間であるという考え方になりました。人は皆根本のところでは同じ物を共有していて、それぞれに得意なことと不得意なことがあり、できることとできないことがあり、小さな細胞が集まって支え合って、人類という一つの大きな生き物を有機的に機能させている。たったひとつの共通項は、魂なのです。
自分が持って生まれた物を十全に全うすることが大切なことだと理解しています。私が自分の役割を、放棄してしまったら、私には細胞の代わりができる人はいないのです。
それを皆が身体的に、精神的ではなく身体的に、生活の感覚の中で真に理解できたら、この世は随分変わって行くと思います。
ただ自分を十全に生ききるとき、それぞれの個人は初めて元々持って生まれた自分の枠を超え、他の人と本当に同じになることができます。仏教的に言うなら、カルマを解消し、越えるということなのかもしれません。