茂木健一郎のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
英語を学習する目的を改めて感じさせてくれる。英語を楽しむフローの状態をどうやって作るかがKSFである。
英語を勉強するには、英語と恋に落ちないといけない。
そしてモチベーションは、危機感からも発生。
■英語に対する誤解は?
①翻訳すること=英語の理解ではない。翻訳はとても難しい。
②スピーキングは出来なくて当たり前。ブロークンでも自分なりでしゃべる。『フローの状態』(チンセントミハイ)へ。
③PRETTY GOODは“まあまあ”の意味。
■どういった勉強法が良いの?
①鶴の恩返し。『読む』『書く』『聞く』『話す』の動作を総動員。
②継続学習。
③赤毛のアンを英語で読む(茂木流)
④英語を -
Posted by ブクログ
ネタバレ[ 内容 ]
創造力、独創性、個性とは、天賦のもの。
そして、日本人には乏しいもの。
―そんな「思い込み」を消し去るところから、すべては始まる。
天才やスーパースターに頼る必要はない。
あらゆる人に開かれた、思考と発想の力を飛躍的に向上させる方法とは?一見かけ離れたかのように思える「トヨタ」と「ノーベル賞」の共通点に、ヒントは隠されていた。
閃光のように偉大な創造や発明はいつも、日々の小さなひらめきを共有し積み重ねた先に生まれる。
知の現場を駆けめぐる著者が照らす、新たな可能性の地平。
[ 目次 ]
第1章 ひらめきはだれもが持っている―「点火」を妨げるものはなにか(ひらめきはみんなのもの -
Posted by ブクログ
脳科学者と中国文学者の対談。
欧米を追いかけてきた日本をあっさり抜き去った中国は、独自の進化を遂げた国だ。独特のバランス感覚で55の他民族をまとめ上げる中国のリーダーは尋常ではない力量と度量を持っている。
いま世界が中国に注目するのは、欧米とは異なる普遍を持っているからだ。
科学は一神教の宗教観が根底にある。20世紀、科学の進歩とともに欧米の文化が世界を席巻したのは偶然ではない。アジアは多神教だ。そのアジア的宗教観を根底にしたもう一つの普遍が中国にはある。
そして、日本は古来より中国の文化を取り入れ、そして20世紀は欧米の文化を取り入れた。いわば東洋と西洋のハイブリッドになる可能性を秘めている -
Posted by ブクログ
筆者の音楽(クラシック)に対する偽りのない愛がひしひしと感じられる。カジュアルな服装をした者や学生風な者が集まり、ただ静かに流れてくる音楽に耳を傾けた楽友教会、「ラ・フォル・ジュルネ」で聴いた≪田園≫、そこでは「未知の自分」を新たに発見することができ、自分の生きる現実世界を再構築してくれた。また、NHKホールで聴いたシノーポリの≪未完成≫、高校時代に学園祭で上演した≪魔弾の射手≫から得た言い表すことのできないような感動は、記憶を成長させ、まるで目に見えない「道路」や「空港」のようなインフラを脳内に作り、感受性に磨きをかけてくれた。
こうした音楽体験を茂木はふんだんに語り、その音楽の持つ強力な -
Posted by ブクログ
不確実性を感じる脳はドーパミンを堕している。
ひらめくには、周りの環境に脳が退屈していることが多い。
科学は、わからないことに注意目する醍醐味がある。わかっていることに注目するよりは。
わかりやすさを科学に求めすぎている。
適度な時間のゲームは脳に悪くない。
記憶はエピソードと共に覚えるのがよい。
英語は、単語ではなく文として、エピソードとして覚えると良い。
ど忘れを思い出すのと、創造力働かせるのとでは、脳の働きがにている。
一つのことに打ち込む変人がいても良い。
国語入試問題は、メタ認識を鍛える。
たまに突飛なことをするもの良い。
たまにゆったりするのも良い。
わかりやすいだけでは駄目。わか -
Posted by ブクログ
コンピューターにはかなわない様な気がしていますが、やはり、人間の脳には無限の力があるようです。
そして、究極にその力を発揮した時、トップギアで考えている時、時間の観念がなくその時間がどのくらい続いているのかわからないという羽生さんの言葉にジーンときました。
棋士、という仕事は間違いなく贅沢品でしょう。
社会にとっての贅沢品。
衣食住に貢献しない仕事という意味でですが、棋士が食っていける社会ってすばらしいなと思います。
たぶん、谷川さんだって山崎さんだって・・・・ひふみんは将棋やっていた方がいいかもしれませんが・・・何の仕事についても最高の仕事をなさるでしょう。
でも、将棋をしていてくれて良か -
Posted by ブクログ
音楽を聞く喜びは、その成り立ちを一般化、普遍化してこそはじめて、その本質をとらえることができる。
音楽において大切なリズムやメロディ、イントネーションといった要素は、つまり、音がお互いに結ぶ関係性に由来する。
音楽の本質を理解することは、生命なるものの芯を見据えることと同じである。音楽の本質を考える作業は、常に未完成に終わる運命にある。
どのようにしたところで、目に見えない。目に映らず、触ることもできないからこそわからない。
しかしこの目に見えない何かが、脳に喜びをもたらし心身を健やかにし、生命を積極的に全うさせてくれるということが、底しれぬ音楽の可能性と相通じる生命の不思議さである。
目には