ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
3pt
幾何学の問題で、たった一本の補助線を引くことが解決への道筋をひらくように、「思考の補助線」を引くことで、一見無関係なものごとの間に脈絡がつき、そこに気づかなかった風景がみえてくる。この世界の謎に向き合う新たな視座を得ることができる―。「知のデフレ」現象が進む日本で、ときに怒りを爆発させながらも、「本当のこと」を知るために探究をつづける著者の、情熱的な思索の過程が本書である。自由軽快に、そして粘り強く考えるヒントを、自らの一身を賭して示す。
アプリ試し読みはこちら
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
思考に補助線を加えてやること。物事を画一的に捉えていては、世界を引き受けられない。世界、宇宙、人間と真摯に向き合い、考えることを教えてくれる名著。
最近、やたらと「脳科学」の本を出しまくっておられますが、この本は一般向けのわかりやすい脳科学本とはちょっと違う、哲学的な傾向の本です。予想していた内容に反して、意外と面白く、思考の肥やしになりそうな本でした。
読売新聞の日曜日の朝刊の読書欄に「ビジネス5分道場」と いうコーナーがある。そこで紹介されていた。紹介者は 梅田望夫。『ウェブ進化論』『ウェブ時代をゆく』などの 著書がある。 以下の文を読んでこの本を知り、茂木健一郎のファンという こともあってさっそく買って読んでみた。この書評を読んだ 時は、今後...続きを読むこの本をたくさんの人が読み、オフィスでの会議 などで対立意見が出たら 「ちょっと待って、補助線を引いてみようじゃないか」などと なるのかと思っていた。 【教訓】対立概念に補助線を引け 「AかBか」と問われたときの大抵の正解は、脳科学の 見地からいうと「AとBの両方」なのです。 茂木健一郎は講演などでよくこう語る。しかし、たとえ 「両方」が正解だとしても、質問者はそんな答えでは満足 しない。「A」か「B」を選べばそれ以上考えずにすみ楽に なるが、「両方」となれば、さらに深い思考を継続しなければ ならないからだ。 新著『思考の補助線』(ちくま新書)で茂木は、対立する 概念に身を挺して補助線を引くというアプローチによって、 「AとBの両方」を追及し続ける。「科学と思想」「理系と 文系」「厳密性とあいまいさ」「同化と個性化」「現実と仮想」 「総合と専門」といった現代のさまざまな問題に、鮮やかな 補助線を次々と引いていく。小林秀雄の名著『考えるヒント』 を彷彿させる。 「芸術を愛する経験的自然科学者から、現象学的経験をも 視野に含めた『自然哲学者』へと変貌した」 茂木は本書冒頭で自らの今をこう語る。彼のライフワークは 「精神と物質」の間に補助線を引き「なぜ脳に心が宿るのか」を 解明することだ。専門に閉じこもるのではなく、「この世の 森羅万象の中に飛び込み、さまざまなことに接し、感じ、涙し、 取り入れ、つかみ、整理し、開くプロセス」によって、茂木は、 「突き抜けた達成」を目指そうとしている。 本書は、多彩な関心とマルチな才能、旺盛な行動力を武器に 「現代社会の補助線」たらんと疾走する著者の生きざまが 結晶した、情熱的な好著である。 私たちを取り巻く現代ビジネス社会も、対立する概念に 満ちている。「個と組織」「競争と協力」「社会貢献と 営利重視」「長期雇用とコスト」「環境と経営」「創造性発揮と 内部統制」「情報共有と情報漏洩」・・・。 一つひとつの難題に対して私たちは、安易に「AかBか」を 選択するのではなく「AとBの両方」を追及しなければならない。 身を挺して「思考の補助線」を引く本書のような知的で真摯な 営みが、ビジネスの世界でも求められる時代なのだ。 しかして読んでみた印象は全然違った。「補助線」はあくまで 象徴の言葉で、この本にまとめられた2年間にわたる文章の ひとつひとつにはそれぞれの味がある。 本当に、実に、思いだせないほど久しぶりに線を引きながら 読んだ。書き込みもした。ついに、といった感じ。解放された 気分である。一度読みとおしたので気になるところを好きな ように読み返して赤線を引いたり書き込んだりできるわけだ。 気がねなく。よいね。 「言語の恐ろしさ」から 村上春樹の作品が、最初から翻訳可能な文体で書かれている ことは、意識されたものであるかどうかは別として高度に 戦略的である。 なぜか?ぜひ本書を。 「現実と仮想の際にて」「『みんないい』という覚悟」 どれも大変よい。 『「脳」整理法』も読み返したくなった。 この本も新書だし大いに売れることだろう。読んだ人と話して みたくなる一冊だった。読まないとピンとこないと思うが 世界全体を引き受ける概念の吟遊詩人になろうじゃないか。
理系と文系を分けて考えること自体が前世紀的。 全体を理解しつつ、知的な楽しみ=人間最大の喜びをフルに活用していこう!
世界の本質が絶えざるダイナミクスによる世界の発展にだけあるのであれば、世界は意識を必要としない。すべては無意識に進行していればよかったはずだから。 それなのに意識は存在する不思議さ。 うーん超クール♪
茂木さんの本はだいたい日常的な言葉でカジュアルに書かれているので内容はむつかしくてもスルスルスルーっと毛穴から体に入ってくるように読めるのですが、これは少し机に向ったような(それでもすごくわかりやすい)、そういうものでした。茂木さんの考え続けていることの根っこの根っこが、他の普及本(?)に比べると、...続きを読むつなぎ成分少めで書かれている本です。
あらゆる分野での研究が日々進んでいて科学で説明できないことなんてないんじゃないかと思わせられる現代。 でも、いくら科学その他の学術研究が進歩したとはいえ、人間の思考や感情が完全に解明されたとは言えない。時間や空間や個人のバックボーンといった条件をどれだけ揃えても、一人ひとりの人間の感じることや思考の...続きを読む内容は同一にはならない。 これだけ科学で説明できることが多い世界で、説明のつかない人間の思考の曖昧さは、自明のものではなくむしろ驚くべきものだと茂木氏は言う。 そこから様々な思考的アプローチで人間の本質を説こうとし、しかし結局はどのアプローチをしても曖昧なところに着地する印象を受けた。 自分の理解力が著しく及んでいないこともあるが、氏はおそらく「あーでもないこーでもないと思考すること論ずることが人にとっての至上の贅沢」ということを本書を使って読者に示しているのではないだろうか。 気に入った箇所引用。 "哲学、思想、社会学、経済学、数学。あらゆる知のディシプリンにおいて、不用意に淫すると堕してしまう罠は至る所にある。ここで言う「罠」とは、つまり、世界の多様性を正しく見ることができなくなるということである。とりわけ、「普遍性」の概念を不用意に立ててしまつことの中に、人間を怠惰にするトラップが仕掛けられている。" ===== 個人的な話。 社会の法則を知るために、具体的な人間の行動を抽象度を上げることで一般化しようとしてきた自分にとって、抽象化・一般化された数式から人間を理解しようとする本書のアプローチは新鮮で面白く、それでも解明できない人の思考というものはやはりたまらなく魅力的だと感じた。 社会学的アプローチと数学的アプローチの違い、のようなイメージ。
知のデフレからの脱却にむけて学問への情熱の補助線。 専門性と総合性のバランス。 全部をよんでぼんやりしたらつながるかなという印象、だけど、結局どういうことなんだろう? C0200
『クオリア』という問題を考える上での 茂木氏の心構えというか クオリアへの闘争宣言 序論 というべきものなのだろう。 コンペイトウのような ゴツゴツした ツノが生えていて そのツノのぶつかっている 部分が おもしろい。 ツノのぶつかっているのは・・ 知というものの軽薄化。 科学者の制約とルールの枠...続きを読むを飛び越えない旧態依然さ。 学問に突き進むべき情熱の希薄さ。 世界を引き受ける 勇気を持たない輩たち。 クオリア問題の 『天下統一』を 成し遂げていくための 受難(passion)と情熱(passion)がほとばしり・・・・ モギ的言葉の じゅうたん爆撃みたいで・・・心地よい。 『言葉』の 縦横無尽さが まるで義経の八艘とびのようである。 モギ本をいくつか読んでいると おなじような 『モギ話』がでてくる・・・・ モーツアルトの明るさとは? 夏目漱石の批評性とは? 湯川秀樹の教養とは? その 『モギ話』を うまく活用して 展開する。 茂木氏の 編集能力が うまいというべきなのだろう 茂木氏は言う 『昨今の人々は分かりやすいものばかりを求めるようになった。 難解な本を読んだり、 真剣に粘り強く本質的なことを考えたりしなくなった。 「インテリ」という言葉が死語になった。 日本におけるそんな「知のデフレ」現象に私は怒りを覚え、 不特定多数の人々が集う公の場ではともかく、 親しい知人や仲間たちの間では 「ふざけんじゃねえ」と噴火を繰り返してきた』 知識層なるものが 特権ではなくなってきている。 インターネットの急速な進展による 知識を取り入れる方法が簡便になったことによって 『知のデフレ』が起こっている。 クオリアというような問題も ブログやこのような『新書』で 入り口までは入れるようになったことはありがたいことである。 茂木氏は言う 『大切なのは、「何が正しいか」ということではなく、 「何がしたいか」という情熱のほうなのではないか と思うようになった。 難しいことに取り組む「インテリ」になること自体が 重要なのではない。 問題は、それがどのような情熱によって 支えられているかということである。』 『まえがき』の 1ページの中に 十分に 知へいざなう 地雷の仕掛けができている。 茂木氏は言う 『子どものように問いかける気持ちが学問から失われている』 なぜ その問題に取り組むのか? なぜ そのことを考えるのか? そのような素朴な質問が 専門性や科学性 のなかで 拒絶され 窒息させられている 現実を 素直に見つめる。 それを突き破るには・・・ 『学問への情熱』に他ならない。 茂木氏は言う 『情熱は、結局は生きるということに由来する。 生きるとは 行き交うことである。 出会うことである。 幅広く眺めることである。 そして、ときには ルールを無視することである。』 情熱の源泉が ニンゲンが生きることである・・・ うれしいこと、たのしいこと、あいすること、不条理なこと それをすべて 引き受けながら 生きていくこと。 『わからないこと』に どう 自分の補助線を引くのか? ニンゲンだけの 楽しみである。
100年間、特にこの50年間に学問の領域は理系とされる分野に於いて細分化され深化した。それゆえにかつてなら科学や知の全領域を専門性を以て見通すことが可能であったが、今ではほぼ不可能になった。 しかし、現在世間一般の知のレベルはその専門性の細分化と深化では説明できないほどの低下を見せている。それは...続きを読むいろいろな娯楽が増えたこともあろうし、それに伴いそもそも知の顎が柔になったこともあるだろう。 それに加えて、一般大衆のうすぼんやりした人生に対する呑気さは日本人に於いて顕著であるという。確かに日本では人生や哲学等のテーマは話題に上りにくい。たまに上がったとしても、たいていは酒席でのからみであったり、反論を待たない捨て台詞の形でしかない。到底討論、対話にはならない。 生活のない哲学は無意味だが、哲学のない生活は空虚である。それは動物が本能で生きるだけの一生と変わりない。金のために働き、子を育て、飯を喰らい、たまに旅行をする。それは人間風の動物的生き方である。動物は生きているが、それは身体を生きているだけである。 五木寛之のように「生きてるだけで正しい」は人生に絶望し、自殺するひと向けには一時的なモルヒネの効用もあるだろう。だが息を吸って吐くだけの「生きる」に人としての価値はそれほど認めることは出来ない。日本は特に額に汗して働き、真面目に生活を送ることを至上の生き方と考える。だが、それは思考の怠惰を是認することであり、そのうすらぼんやりした生活が有象無象の害悪を自己にも他者にもまき散らしていることを忘れてはいけない。それは語弊を恐れずに言うならば、原発の放射能に勝るとも劣らない害悪である。 問題にしたいのは、生活が生きるだけの思考に留まっている点である。生活は重要である。生活の思考は生活それ自体以上に重要である。しかし、それは動物でもそこそこやっている。キリストは「人はパンのみに生くるに非ず」と言った。キリストは戯れ言も多いが、ごくたまにいいことも言う。パンのみに生きない日本人は、娯楽を楽しんでいるがそれはパンである。テレビ、映画、音楽、劇、絵画などこれはパンである。パンを得る労働の癒しとしての存在であるからパンである。 パンに関する集合に属さない知をそろそろ真剣に求めるべきではないか。ボランティアを単位に認定する大学があるという。もちろんそこは「大学」ではない。
レビューをもっと見る
新刊やセール情報をお知らせします。
思考の補助線
新刊情報をお知らせします。
茂木健一郎
フォロー機能について
「ちくま新書」の最新刊一覧へ
「学術・語学」無料一覧へ
「学術・語学」ランキングの一覧へ
強運脳
頭は「本の読み方」で磨かれる 見えてくるものが変わる70冊
いつもパフォーマンスが高い人の 脳を自在に操る習慣
最強メンタルをつくる前頭葉トレーニング
結果を出せる人になる!「すぐやる脳」のつくり方
最高の結果を引き出す質問力 その問い方が、脳を変える! 試し読み増量版
試し読み
「すぐやる」語録 特別編集版
IQも才能もぶっとばせ!やり抜く脳の鍛え方
「茂木健一郎」のこれもおすすめ一覧へ
一覧 >>
▲思考の補助線 ページトップヘ