【感想・ネタバレ】思考の補助線のレビュー

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Posted by ブクログ 2010年01月02日

思考に補助線を加えてやること。物事を画一的に捉えていては、世界を引き受けられない。世界、宇宙、人間と真摯に向き合い、考えることを教えてくれる名著。

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Posted by ブクログ 2009年12月23日

最近、やたらと「脳科学」の本を出しまくっておられますが、この本は一般向けのわかりやすい脳科学本とはちょっと違う、哲学的な傾向の本です。予想していた内容に反して、意外と面白く、思考の肥やしになりそうな本でした。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

読売新聞の日曜日の朝刊の読書欄に「ビジネス5分道場」と
いうコーナーがある。そこで紹介されていた。紹介者は
梅田望夫。『ウェブ進化論』『ウェブ時代をゆく』などの
著書がある。

以下の文を読んでこの本を知り、茂木健一郎のファンという
こともあってさっそく買って読んでみた。この書評を読んだ
時は、今後...続きを読むこの本をたくさんの人が読み、オフィスでの会議
などで対立意見が出たら

「ちょっと待って、補助線を引いてみようじゃないか」などと
なるのかと思っていた。

【教訓】対立概念に補助線を引け

「AかBか」と問われたときの大抵の正解は、脳科学の
見地からいうと「AとBの両方」なのです。

茂木健一郎は講演などでよくこう語る。しかし、たとえ
「両方」が正解だとしても、質問者はそんな答えでは満足
しない。「A」か「B」を選べばそれ以上考えずにすみ楽に
なるが、「両方」となれば、さらに深い思考を継続しなければ
ならないからだ。

新著『思考の補助線』(ちくま新書)で茂木は、対立する
概念に身を挺して補助線を引くというアプローチによって、
「AとBの両方」を追及し続ける。「科学と思想」「理系と
文系」「厳密性とあいまいさ」「同化と個性化」「現実と仮想」
「総合と専門」といった現代のさまざまな問題に、鮮やかな
補助線を次々と引いていく。小林秀雄の名著『考えるヒント』
を彷彿させる。

「芸術を愛する経験的自然科学者から、現象学的経験をも
視野に含めた『自然哲学者』へと変貌した」

茂木は本書冒頭で自らの今をこう語る。彼のライフワークは
「精神と物質」の間に補助線を引き「なぜ脳に心が宿るのか」を
解明することだ。専門に閉じこもるのではなく、「この世の
森羅万象の中に飛び込み、さまざまなことに接し、感じ、涙し、
取り入れ、つかみ、整理し、開くプロセス」によって、茂木は、
「突き抜けた達成」を目指そうとしている。

本書は、多彩な関心とマルチな才能、旺盛な行動力を武器に
「現代社会の補助線」たらんと疾走する著者の生きざまが
結晶した、情熱的な好著である。

私たちを取り巻く現代ビジネス社会も、対立する概念に
満ちている。「個と組織」「競争と協力」「社会貢献と
営利重視」「長期雇用とコスト」「環境と経営」「創造性発揮と
内部統制」「情報共有と情報漏洩」・・・。

一つひとつの難題に対して私たちは、安易に「AかBか」を
選択するのではなく「AとBの両方」を追及しなければならない。
身を挺して「思考の補助線」を引く本書のような知的で真摯な
営みが、ビジネスの世界でも求められる時代なのだ。

しかして読んでみた印象は全然違った。「補助線」はあくまで
象徴の言葉で、この本にまとめられた2年間にわたる文章の
ひとつひとつにはそれぞれの味がある。

本当に、実に、思いだせないほど久しぶりに線を引きながら
読んだ。書き込みもした。ついに、といった感じ。解放された
気分である。一度読みとおしたので気になるところを好きな
ように読み返して赤線を引いたり書き込んだりできるわけだ。
気がねなく。よいね。

「言語の恐ろしさ」から

村上春樹の作品が、最初から翻訳可能な文体で書かれている
ことは、意識されたものであるかどうかは別として高度に
戦略的である。

なぜか?ぜひ本書を。
「現実と仮想の際にて」「『みんないい』という覚悟」
どれも大変よい。
『「脳」整理法』も読み返したくなった。

この本も新書だし大いに売れることだろう。読んだ人と話して
みたくなる一冊だった。読まないとピンとこないと思うが

世界全体を引き受ける概念の吟遊詩人になろうじゃないか。

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Posted by ブクログ 2009年10月07日

理系と文系を分けて考えること自体が前世紀的。
全体を理解しつつ、知的な楽しみ=人間最大の喜びをフルに活用していこう!

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

世界の本質が絶えざるダイナミクスによる世界の発展にだけあるのであれば、世界は意識を必要としない。すべては無意識に進行していればよかったはずだから。
それなのに意識は存在する不思議さ。
うーん超クール♪

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Posted by ブクログ 2009年10月07日

茂木さんの本はだいたい日常的な言葉でカジュアルに書かれているので内容はむつかしくてもスルスルスルーっと毛穴から体に入ってくるように読めるのですが、これは少し机に向ったような(それでもすごくわかりやすい)、そういうものでした。茂木さんの考え続けていることの根っこの根っこが、他の普及本(?)に比べると、...続きを読むつなぎ成分少めで書かれている本です。

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Posted by ブクログ 2017年05月27日

あらゆる分野での研究が日々進んでいて科学で説明できないことなんてないんじゃないかと思わせられる現代。
でも、いくら科学その他の学術研究が進歩したとはいえ、人間の思考や感情が完全に解明されたとは言えない。時間や空間や個人のバックボーンといった条件をどれだけ揃えても、一人ひとりの人間の感じることや思考の...続きを読む内容は同一にはならない。
これだけ科学で説明できることが多い世界で、説明のつかない人間の思考の曖昧さは、自明のものではなくむしろ驚くべきものだと茂木氏は言う。

そこから様々な思考的アプローチで人間の本質を説こうとし、しかし結局はどのアプローチをしても曖昧なところに着地する印象を受けた。
自分の理解力が著しく及んでいないこともあるが、氏はおそらく「あーでもないこーでもないと思考すること論ずることが人にとっての至上の贅沢」ということを本書を使って読者に示しているのではないだろうか。

気に入った箇所引用。
"哲学、思想、社会学、経済学、数学。あらゆる知のディシプリンにおいて、不用意に淫すると堕してしまう罠は至る所にある。ここで言う「罠」とは、つまり、世界の多様性を正しく見ることができなくなるということである。とりわけ、「普遍性」の概念を不用意に立ててしまつことの中に、人間を怠惰にするトラップが仕掛けられている。"

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個人的な話。
社会の法則を知るために、具体的な人間の行動を抽象度を上げることで一般化しようとしてきた自分にとって、抽象化・一般化された数式から人間を理解しようとする本書のアプローチは新鮮で面白く、それでも解明できない人の思考というものはやはりたまらなく魅力的だと感じた。
社会学的アプローチと数学的アプローチの違い、のようなイメージ。

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Posted by ブクログ 2016年04月15日

知のデフレからの脱却にむけて学問への情熱の補助線。
専門性と総合性のバランス。
全部をよんでぼんやりしたらつながるかなという印象、だけど、結局どういうことなんだろう?
C0200

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Posted by ブクログ 2013年02月10日

『クオリア』という問題を考える上での 茂木氏の心構えというか
クオリアへの闘争宣言 序論 というべきものなのだろう。
コンペイトウのような ゴツゴツした ツノが生えていて
そのツノのぶつかっている 部分が おもしろい。

ツノのぶつかっているのは・・
知というものの軽薄化。
科学者の制約とルールの枠...続きを読むを飛び越えない旧態依然さ。
学問に突き進むべき情熱の希薄さ。
世界を引き受ける 勇気を持たない輩たち。

クオリア問題の 『天下統一』を 成し遂げていくための
受難(passion)と情熱(passion)がほとばしり・・・・
モギ的言葉の じゅうたん爆撃みたいで・・・心地よい。
『言葉』の 縦横無尽さが まるで義経の八艘とびのようである。

モギ本をいくつか読んでいると 
おなじような 『モギ話』がでてくる・・・・
モーツアルトの明るさとは?
夏目漱石の批評性とは?
湯川秀樹の教養とは?
その 『モギ話』を うまく活用して 展開する。
茂木氏の 編集能力が うまいというべきなのだろう

茂木氏は言う
『昨今の人々は分かりやすいものばかりを求めるようになった。
難解な本を読んだり、
真剣に粘り強く本質的なことを考えたりしなくなった。
「インテリ」という言葉が死語になった。
日本におけるそんな「知のデフレ」現象に私は怒りを覚え、
不特定多数の人々が集う公の場ではともかく、
親しい知人や仲間たちの間では
「ふざけんじゃねえ」と噴火を繰り返してきた』

知識層なるものが 特権ではなくなってきている。
インターネットの急速な進展による 
知識を取り入れる方法が簡便になったことによって
『知のデフレ』が起こっている。
クオリアというような問題も 
ブログやこのような『新書』で 
入り口までは入れるようになったことはありがたいことである。


茂木氏は言う
『大切なのは、「何が正しいか」ということではなく、
「何がしたいか」という情熱のほうなのではないか
と思うようになった。
難しいことに取り組む「インテリ」になること自体が
重要なのではない。
問題は、それがどのような情熱によって
支えられているかということである。』

『まえがき』の 1ページの中に 十分に 
知へいざなう 地雷の仕掛けができている。

茂木氏は言う
『子どものように問いかける気持ちが学問から失われている』

なぜ その問題に取り組むのか?
なぜ そのことを考えるのか?

そのような素朴な質問が 専門性や科学性 のなかで
拒絶され 窒息させられている 現実を 素直に見つめる。
それを突き破るには・・・
『学問への情熱』に他ならない。

茂木氏は言う
『情熱は、結局は生きるということに由来する。
生きるとは 行き交うことである。
出会うことである。
幅広く眺めることである。
そして、ときには ルールを無視することである。』

情熱の源泉が ニンゲンが生きることである・・・
うれしいこと、たのしいこと、あいすること、不条理なこと
それをすべて 引き受けながら 生きていくこと。
『わからないこと』に どう 自分の補助線を引くのか?
ニンゲンだけの 楽しみである。

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Posted by ブクログ 2012年04月29日

100年間、特にこの50年間に学問の領域は理系とされる分野に於いて細分化され深化した。それゆえにかつてなら科学や知の全領域を専門性を以て見通すことが可能であったが、今ではほぼ不可能になった。

 しかし、現在世間一般の知のレベルはその専門性の細分化と深化では説明できないほどの低下を見せている。それは...続きを読むいろいろな娯楽が増えたこともあろうし、それに伴いそもそも知の顎が柔になったこともあるだろう。

 それに加えて、一般大衆のうすぼんやりした人生に対する呑気さは日本人に於いて顕著であるという。確かに日本では人生や哲学等のテーマは話題に上りにくい。たまに上がったとしても、たいていは酒席でのからみであったり、反論を待たない捨て台詞の形でしかない。到底討論、対話にはならない。

 生活のない哲学は無意味だが、哲学のない生活は空虚である。それは動物が本能で生きるだけの一生と変わりない。金のために働き、子を育て、飯を喰らい、たまに旅行をする。それは人間風の動物的生き方である。動物は生きているが、それは身体を生きているだけである。

 五木寛之のように「生きてるだけで正しい」は人生に絶望し、自殺するひと向けには一時的なモルヒネの効用もあるだろう。だが息を吸って吐くだけの「生きる」に人としての価値はそれほど認めることは出来ない。日本は特に額に汗して働き、真面目に生活を送ることを至上の生き方と考える。だが、それは思考の怠惰を是認することであり、そのうすらぼんやりした生活が有象無象の害悪を自己にも他者にもまき散らしていることを忘れてはいけない。それは語弊を恐れずに言うならば、原発の放射能に勝るとも劣らない害悪である。

 問題にしたいのは、生活が生きるだけの思考に留まっている点である。生活は重要である。生活の思考は生活それ自体以上に重要である。しかし、それは動物でもそこそこやっている。キリストは「人はパンのみに生くるに非ず」と言った。キリストは戯れ言も多いが、ごくたまにいいことも言う。パンのみに生きない日本人は、娯楽を楽しんでいるがそれはパンである。テレビ、映画、音楽、劇、絵画などこれはパンである。パンを得る労働の癒しとしての存在であるからパンである。

 パンに関する集合に属さない知をそろそろ真剣に求めるべきではないか。ボランティアを単位に認定する大学があるという。もちろんそこは「大学」ではない。

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Posted by ブクログ 2010年01月12日

なんかこう・・・一人の人間のスケールに対して世界は果てしないなあ、と、思って途方にくれていたようなときに、少しヒントをもらえるような。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

読書会で読む。
その後マインドマップ化するときに「なぜ補助線」なのか?といったことが分かる。
マインドマップで理解が進んだ一冊。
なぜ茂木さんが小津安二郎の映画を好むのか分かった。
静止的印象と「唯一の真理」を求める時に、ダイナミズムがぶつかるのが面白かった。

この本に先立って、梅田さんの『5つの...続きを読む定理』を読んでいて、
「茂木さんと対談して、怒りについて話をした」というのを読んだ後に、
この本で
「梅田さんと対談して、ビジョナリーについて話した」とあって、リンクした。

次に『国家の罠』を読んだら、
「魂は沖縄では6つあるとされている。○○(エスキモー?)では36(?)あるといわれて
納得した」とあった。

「思考の補助線」では唯一のものを求めいているがそれ自体が、ヨーロッパ的だなとおもった。

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Posted by ブクログ 2009年11月04日

なかなか興味深い本だった。
今の時代に語られる、専門細分化と文化の細分化に対して、それらが硬直した状態に補助線を引くことで新たな視点と思考を獲得するべきだという。
個々の分化に対して、クロスオーバーしながら包括的に物事を考えるのは、それ自体の強度を低くしてしまう恐れがあるし、結局は抽象的なままにとど...続きを読むまってしまう可能性がある。
ましてや専門とするものに長けていない者がそんなことをしようとすれば、思想はとても脆弱になる。
ヒエラルキーを取り払い、等価な関係のもと物事を扱い、様々なことを相対化していくことに対して、筆者と同様一矢の希望を見出しつつも自分自身はその先がまだ見えない。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

脳の仕組みとは・・・とかいう人類のブラックボックスの解明みたいな難解なことは特に書いてません。
それよりも、茂木さんの学問に向き合う姿勢を我々は真似するべきです。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

物質である脳からなぜ意識が生まれるのか?言われてみればわからない。そこを研究している脳科学者。我々が意識していない部分に題名の通り「補助線」を引いてくれるので、読者はそれについて意識して考えることができる。一年後に読めばもっと色々感じられる。そしてその一年後、その一年後・・・

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

熱い人。
わけわからん横文字がいっぱいで、辛かった面もある。
それでも、文章自体はしっかりはっきりすっきりしていたから、読みやすかった。

“村上春樹の作品が、最初から翻訳可能な文体で書かれていることは、意識されたものであるかどうかは別として、高度に戦略的である。”

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Posted by ブクログ 2009年10月07日

注目していた脳科学者の著書。タイトルに魅かれて購入。

人の話を聞けた感じがしたので☆4つ

本が溜まってきたから、つまみ読みみたいな感じになってしまった。


最後の一説は良かった。
『今の私たちにできることは、時代の制約をわがこととして引き受けて、ささやかな貧者の知の一灯を点すことであろう。』
...続きを読む
考える上で、一種の考え方が述べられていた気がする。
ただ、中身から考えると、タイトルが必ずしもマッチしていないような気がしないでもない。

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Posted by ブクログ 2018年10月09日

すこし重めのエッセイという感じ。脳科学者の茂木氏がこの世界を見つめる視点への補助線を示してくれる。

まえがきの中の文章が一つ印象に残った。
「大事なのは、「何が正しいか」ということではなく、「何がしたいか」という情熱のほうなのではないかと思うようになった。」
まさに今の日本では「何が正しいか」を表...続きを読む面的に追い求めるばかりで、じゃああなたは一体何がしたいのか、ということに対して明確に答えを出せない人が増えてきている気がする。
単に知識を増やせばこの世界を知った気になれるかも知れない、しかしその先が無い。そんな人生は気を抜けば一瞬でまっさかさまに落ち込んでしまう気がする。

とまあ、そういった感想がでてくるかどうかは知らないが、茂木さんの文章が好きならば読んでみてもよいだろう。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2015年02月17日

本書は1つの事がまとめられたわけではなくPR誌「ちくま」への2年間の投稿作を集めた作品なのでひどい言い方をすればまとまりはない。また思想家とその考えの例、著者名とその代表作など人物+例が非常に多く時々わかるものがあったが、人物や実績を知らないがため内容が全く頭に入ってこないことが多かった。

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Posted by ブクログ 2014年12月24日

多分に叙情的な表現があって新鮮。熱意と試みについての著者の決意表明であって、私にすぐ何がどうというのではないが、知性に刺激を受けたと思う。所々、ぐっと感動したところもあった。私は要は、人の熱意と知性の鋭さと希望的な可能性に心を打たれるらしい。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2012年11月08日

 茂木 健一郎 氏は、「脳は他人に褒められるように変化する」の章で、
脳内報酬物質を放出させるきっかけになる外部からの刺激のうち、
最も強力なのは、他人からの 承認である。何かをやって、それが
周囲に認められたり、ほめられたりしたときに、そのことが 脳内の
ドーパミンをはじめとする報酬物質を放出させ...続きを読むるのである。と
書いています。

 つまり、話を聞いてくれて、その話に共感してくれて、自分自身の
存在を認めてくれて、 最後に褒めてくれる人は、最高の報酬を
くれる人なのです。

読み終わって・・・
茂木健一郎さんに本は、そもそも何が言いたかったの?と分からなくなってしまう内容のものが多いような気がするが、この本も、ご自身が葛藤し逡巡し、立ち直ろうとするプロセスが記述されているような気がしました。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2012年05月11日

文系、理系と区別をする考え方自体に問題がある。
科学的、論理的な思考と、文学的、感覚的思考の融合を
著者は考えているようだ。
今の僕にはすこし難解だった。
「分かった!」という感じはしない。
しかしそこここに「これかな?」と思える箇所があり、
線を引きながら読んでみた。
じわじわと理解できるのかもし...続きを読むれない。
しばらく眺めてみよう。

...茂木さんは理系だけど文系の素養もあるよー的なちょっとレトリックを使いすぎるような気がして、やや読みにくいのかな。もっとすっきり書いてくれたらいいのに。

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Posted by ブクログ 2011年08月16日

★専門性のタコツボに陥ることなく、知の全体を見渡したい。物理学の論文だけでもすべて読むことはできない時代にそれは不可能な願いなのか。それでも真摯な感情を忘れずにいたい。
というようなことだと思うけれど、私には難しかった。

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Posted by ブクログ 2011年07月13日

このエッセイがなにかヒントに、そして思考の補助線になればいいという思いと、このエッセイ自体が、思考の補助線の使い方をレクチャーするものとして機能しているように思いましたが、あんまり覚えていません。

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Posted by ブクログ 2014年06月08日

意識と物理世界との間の非連続性を、クオリアという概念をカギに越えようとする決意表明の書。「世界全体を引き受ける」という真摯さこそが必要と主張する。ただし本書では、そのきっかけを掴めずに、意識の側の疑問点を多様な論点で思索するにとどまっている。そこがおしい。

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Posted by ブクログ 2011年04月04日

■思考
1.情熱(Passion)という言葉は、キリストの「受難「」(Passion)と同じ語源を持つ。この世で難を受けるからこそ、困ったことがあるからこそ、情熱は生まれる。
2.他者とのコミュニケーションには、お互いを同質化する契機がある。
3.想像することは思い出すことと似ている。(ロジャー・ペ...続きを読むンローズ教授)
4.日本では「世間のしがらみ」という何とも言えないリアリティがある。だからといって、価値や論理を外に「丸投げ」してしまうのでは、本当の意味で生きているとはいえない。
5.考えることが人間にとって最大の快楽である。

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Posted by ブクログ 2011年01月17日

若干ブームの落ち着いた感じがする脳科学者、茂木健一郎氏が自らの思想体系を語ったもの。なかなか簡潔にコメントするのが難しい。新書というよりエッセイ集として読むと楽しめる。もともと月刊誌連載の文を新書にまとめているため若干まとまりのない構成にはなっているが、茂木氏の「学問」観や情熱が伝わってくることには...続きを読む間違いない。タイトル的にハウツーものを期待して読むと痛い目にあうことだけは注意。(特に、最近の茂木氏はハウツーものも多く書いているので)

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Posted by ブクログ 2013年04月16日

茂木さんがどんな人か興味があったので読んでみた。
とにかく頭のいい人だ。知識の貪欲さには感心させられる。思考が多岐に渡り過ぎているため、読む方の思考が追いついていかない。
私の頭が悪いせいなのだが、小難しくて最初は読むのが辛くて『ノルウェイの森』に逃げたのだが、途中からが慣れてきて読めるようになった...続きを読む
全編に渡って社会などへの不満や怒りを感じる熱い文章だった。
もっと「知」について探求せねばと感じる一冊。

正直あまり理解できなかったので、再読が必要だろう。

■この本を知ったきっかけ
 本屋でみつけて
■読もうと思ったわけ
 著者の本を読んでみたくて

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

タイトルや帯と中身の相互性は感じられなかったが、豊かな人生を送るための指針を与えてくれている。世界全体を引き受ける覚悟、無限と向き合う真摯な態度が問われている。

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Posted by ブクログ 2011年07月25日

茂木健一郎は、最近随分と多くの本を書いているし、テレビにも出ているな。この本は、少し茂木健一郎自身の思索がプレマチュアな段階での考えを述べた、という印象が残る。

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