織守きょうやのレビュー一覧
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素敵なお話だったな、と総括して思う。
この作品を通して、辛かった記憶とどのようにして向き合うかを問われていたような感覚がずっとあったし、やはり真摯に向き合って生きていくことが大切だと感じるが、私が一番心に残っているのは夏生と芽衣子の対話シーンだった。
芽衣子は夏生が受け入れてくれていたから正しくあれたと言うし、夏生は芽衣子を守りたい一心でいじめられていた芽衣子を救い出していた。正しく有る、ということの根源には大切な人を護りたいという気持ちがある。寧ろ、護りたい人がいるからこそ正しく、強くなれるのかもしれない。
沢山好きな場面が多かったので、ここには書ききれないと頭を悩ませているが、そう思える作品に出逢えたことが嬉しいので贅沢な悩みだと噛み締めている。自分のこれからの生き方に良い影響を与えてくれた、良い作品だったと振り返って思う。 -
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「わたし綺麗?」、「これでも?」とマスクを外す。逃げても高速走行が可能で追いつかれる。子供の頃の夕暮れには、近くに居たら?と疑念を抱き恐怖心を煽られた。
幾多の都市伝説は見聞きするが、記憶を消せる人がいるとの話はこの本で初めて出会った。突如、身近な人が痴呆が発症した状態に出くわすことを想像すると、呆気に取られる自分が見える。しかし、記憶が抹消され負の経験を無かったことにできるのは好都合かもしれない。
「記憶にございません」「覚えている訳がない」と平然と述べる先生方は記憶屋が実在したら厚みのある札束と引き換えにメモリー消去を依頼するのかな? -
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ネタバレ遼一が事実を知った後に真希が今後力を使わないような未来が揶揄され終わるものかと思っていたので最後の結末に驚いた。真希なりのこれまで背負ってきた事への償い方なのだろうか。だとしたら真希がどうしようもなく救われない独りぼっちの存在になってしまうので悲しい。
記憶を消すことは逃げの選択であり苦しい思い出も抱えて生きていく事こそ美徳だと私は思う。辛い経験があったときに、記憶屋に頼らずとも忘れようとする選択肢を取りがちな自分に対し後ろ指を刺されている気持ちになった。これからそういう経験があった際に忘れる選択肢を早計に取らず、向き合おうとする人間でいたいと思う。 -
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記憶という厄介なものを考える時、そこにはどうしてもその人の感情が含まれる。記憶が厄介なのは他人の感情、ましてや自分の感情ですら分からない故なのかもしれない。
人の記憶を消す「記憶屋」を通して、何が正しく何が罪でという判断がすごく難しく描かれていた。きっとあの人の為になる、だって周りもそう思ってるし、あの人もそう思ってるに違いない、それは真実なのかもしれない。しかし、実はそうでないかもしれない。その善意が必ずしも正しいこととは限らない。善意の行動をとった後にも、どこかで本当に良かったのだろうかと少しの後悔が残る。そんな居た堪れなさや喪失感を感じる物語であった。
誰しもが持ち得る、忘れたくても忘れられないこと、それがすごく共感できるものだからこそ、改めて「記憶」について深く考えさせる作品であった。とても切なく、面白い。 -
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ネタバレ「椿と悠」
女の子同士のありがちな、勝手に勘違いして、勝手に妄想して、勝手に傷つく。大好き。女の不器用な部分がきれいに描かれている。お母さんかよ、のセリフには思わず笑っちゃったね。
「馬鹿者の恋」
若いなぁ。愛は無償じゃない事に気づけなかったんだよね。
「百合である値打ちもない」
隣に歩くのに見合う自分でありたい。好きなのに、それでももっと美しくあってほしい。相手のことが好き、ってそれだけでいいはずなのに。他者の評価が気になってしまう。悲しいね。
「微笑の対価」
タイトルが秀逸。自分の知らない彼女がいる。私に見せてくれない彼女の内面。知りたいけど、知りたくない、気持ちがぐらつく描写が好き。
「恋澤姉妹、917円、うまくなるまで」
は百合というか、なんというか。お話としてはうまくなるまでは好きだけど、百合とは?という気持ち。 -
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正しいというだけでは救えないものと、傲慢さが大切なものを見落としていくことを改めて感じた作品でした。
忘れたい記憶を消してくれるという都市伝説『記憶屋』。大学生の遼一の身近な人たちがその記憶屋によって記憶を失い、さらに遼一は望んでいないのにも関わらず記憶を消されてしまう。物語は遼一が記憶屋の正体に迫っていく過程で出会う記憶を失った人々とその周縁人物たちの話で構成されています。
遼一のスタンスは「どんな記憶でもその人を構成するかけがえのない一部」だからこそ、忘れてしまうことで周囲の人が寂しいと感じたり当人も忘れたと知ったら辛いから消すのは反対というものです。たしかにそれは正しいなと思い、読み始めた自分もやっぱりそのスタンスに近かったです。
ただ、物語が進む中で登場する記憶を消してもらった人々やその周縁人物たちの語りを聞くとこの正しいなと思えるスタンスが常に良いとは思えなくなります。その記憶がトラウマになったりしてその人の今後の人生を失うようなものに繋がったり、心の支えとなるような日常が崩壊してしまうようなものもあります。そう考えると辛い過去を乗り越えるというのはとても耳障りが良く正しいことではありますが、それができない人にとってさらなる追い打ちをかけるような言葉でもあります。
とくにそれが目立つのが、遼一が想いを寄せている杏子の夜道恐怖症を治そうとする場面です。杏子は過去に痴漢にあったトラウマで夜道を出歩けなくなっています。そんな杏子の問題を治そうと遼一が奮闘をするのですがうまくいかず、杏子は記憶屋を頼ります。遼一は記憶を消さずとも自分が一生懸命協力するから消さないように頼みますが、これは遼一の傲慢であるように思います。人は白馬の王子様やヒーローではないので、奇跡の力で問題を解決できるわけがない。だけどもこのときの遼一は本気で自分の力でなんとかできるという思いが強いように感じました。そのことを遼一は『頼られて嬉しいなんて、ただの自己満足だった。結局何もわかっていなかったのだ。無神経なナイト気取りを、今さら後悔する。』という風に悔いています。
現実でも悩んでる人にやたらアドバイスをする人がいますし、自分もそういう経験があるのでわかるのですが、遼一のように後悔します。本当に悩んでる人にとって自分たちができる大切なことはただ傾聴するだけだったりしますし、逆に傍にいないことだったりします。こうしてあのときはこうすればと振り返れるのも記憶あってのことですが、なによりも精神的に少し成長するまで年月を重ねたからかもしれません。この成長するまで先延ばしすることの必要性も高原弁護士という登場人物のパートで感じられます。
時が解決してくれるというよりも時を経て解決できるようになるが、記憶屋のいない現実では大切なのかもしれないと思いました。傲慢さで誰かを傷付けるよりも、成長するまで生命を延長できるように寄り添うのが肝要なのかもしれないと読後の感想でした。