中沢新一のレビュー一覧
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ネタバレ本書は、週刊現代に連載されたエッセイの中で、現代の日常に現れるミトロジー(神話的要素)を紹介しています。例えば、東京オリンピックのスケートボード競技での「ゴン攻め」などの新しいタイプの解説や、『進撃の巨人』における人肉を食する描写が取り上げられており、後者はレヴィ=ストロースの『われらみな食人種(カニバル)』へのオマージュとして示唆されています。
中沢新一さんの卓越した洞察力により、このようなミトロジーとの共鳴を見出すことは容易です。しかし、それが中沢新一さん独自の力技に過ぎないのか、それとも現代において本当に不可欠な作業なのか、という疑問が残ります。つまり、こうしたミトロジー的思考が、今の -
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ネタバレ坂本龍一強化月間でこちらを。
面白かったし、ちょくちょく入る坂本龍一の写真が格好良いし、取り上げられている場所に旅行で行ってみたいなあという気持ちがわいています。
中沢「…死の問題をいろんなかたちで世界のなかに取り入れていくことが戦略上、重要なんですよね。生きている人間の世界は、「ある」か「ない」かっていうバイナリ思考に陥りがち。でも「ある」でも「ない」でもない、もっと根源的な「生命力に満ちた死」があるわけで、それを組み込むと3の世界になっていく。世界はバイナリではなくトリニティの構造に変わっていく…」(p.51)
中沢「神話の想像力と、資本主義や科学技術へと分かれていく原点は。エコロジス -
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ネタバレ引き続き面白いです。
…スサノオは「人食い」であった大蛇を倒すことができました。すると大蛇の持ち物であった「人食い」の特性は、スサノオの所有に移ることになり…古代人の思考では、食べることとセックスすることは一つです。スサノオは土地の首長の娘を性的に食べることによって、二重の意味で「人食い」としての王の特質をあらわしてみせています。…このとき剣は、社会の内部に自然の権力が組み込まれるプロセスをあらわすものとして、王権の象徴となります。(p.197-198)
原初、神は熊であった
というのも面白かった。し、アイヌに「熊送り(イオマンテ)」という儀式があるんだなあ…テディベアが大好きな私もそうい -
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ネタバレこちらも今更ながら読みだしている中沢新一のカイエ・ソバージュ!学生時代に『野生の思考』やら『生のものと火を通したもの』やらを読んだはずなのだけど、正直あまり覚えていないんだよなあ、いつかそちらも再読せねばなりません。
さて本作、講義の内容の書き起こしということもあって、とても読み易かったし、そういわれてみたら確かに?ということの連続が面白いということ、もし人間が既にそこまで物事を考えて何かに意味を持たせられている・見いだせているのなら、創作できる余地など少なくない…?と思うなどしていました。
豆の神話学(p67~)
豆というものが、男性の中の女性的なものと、女性の中の男性的なものを表し、男 -
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ネタバレ<微分的人間>-とは? -2012.04.26記
パスカルは、
未熟な人間だけが旅を好むのであって、
成熟した人間は、部屋の中にじっとしていて、
そこに無上の幸福を感じることができるのだと考えていたから、めったに旅をしなかった。
微分は曲線上の接線の方向と大きさを切り出してくる。
しかしそれは運動の根源ないし予料をしめすものではあっても、
まだ空間の中に実現される運動や移動そのものではない。
部屋の中でじっとしていることの好きな成熟した人間は、
この微分の状態を、無上の幸福感を持って生きることができるのだ。
それはこの微分には欠如というものがなく、方向と大きさを持った力がすきまなく充 -
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借りを返すために生まれたわけじゃない。でもそういう仕組みの社会だから、洞察して、わたしが何を本当に欲していて与えたいのか、考えながら生きていきたい。
以下要約↓
金額が高いものは、果たして価値があるものなのか。逆も然り、安いものは価値が低いのか?
もちろん、金額が高いからたくさんの人の手で作られて丹念にっていう商品もあるのだろうけど、それは僅かの芸術家だけで、そういうものはタマシイが込められてる、作者によって。
ハイブランドのアクセサリーや洋服、高い車、これらはその作者の満ち満ちたエネルギーやタマシイが本当にあるのか、モノが誰かの手に入る時、作者は心から与えたいと思っているのか。
この「 -
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中沢新一(人類学者、宗教学者ほか)著「大阪アースダイバー」を読みました。
かなり面白く、かつ、うさんくさい本。
大阪のまちの全てについて解明しているわけではなく、
上町台地、船場、ミナミ(難波~天王寺、西成)、そして渡辺村について古代、いや、それよりもっと前の時代から含めて読み解いています。
例えば、「お笑い」の始まりは上町台地「玉造」にあった、という話。
そこには初代の四天王寺が物部守屋の霊を鎮魂するために建てられ、
そこで密儀の参加者は一斉に「ワッハッハ」と笑った。
それは、生命力の一部が宿っている体の部分を安全に分離する作業であった、とのこと。
今日のヨシモトの笑いは、ミナミの焼き -
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釈迦が悟ったのは「縁起」であると言われる。
世の中は縁によって起こり、あらゆるものが関連し合っているという思想である。
そこから、生物との共生や自然との共生という思想にもなる。
しかし、一神教の思想は全く異なる。
縁で紡がれているはずの人間社会に、それを超越した神を持ち込んだのが一神教、すなわちユダヤ教、イスラム教、キリスト教である。
そして、宗教が力を失ったいま、拝金主義と科学信仰がはびこっている。
拝金主義の温床は資本主義だ。
そして、資本主義は縁でつむがれていた社会に「神の見えざる手」を持ち込んだ。つまり神を持ち込んだのだ。
さらに、科学信仰の真骨頂が核エネルギーであり、これは「神の領域 -
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東京の地形と暮らしの歴史と人々の心の有り様をリンクさせて縦横無尽に論じた「アースダイバー」(2005年)の増補改訂版です。当時、「縄文の大地を裸足で感じる」みたいな中沢新一っぽい言い回しに痺れて、東京散歩が新鮮になりました。洪積層と沖積層、山の手と下町、水の記憶と性産業、都市を見つめる目線に、出来事ベースの歴史だけではなく、人の潜在意識への妄想が加わりディープになったのを覚えています。考えてみれば、「ブラタモリ」のヒットとか、地形マニアとか、「せんべろ」などの下町巡礼とか、そんなこんなのきっかけが「アースダイバー」だったのかもしれません。今回の増補改訂には下町周りが補強されています。洪積層と沖