【感想・ネタバレ】日本の大転換のレビュー

あらすじ

大地震と津波、そして原発の事故により、日本は根底からの大転換をとげていかなければならないことが明らかになった。元通りの世界に「復旧」させることなどはもはや出来ない。未知の領域に踏み出してしまった我々は、これからどのような発想の転換によってこの事態に対処し、「復興」に向けて歩んでいくべきなのか。原子力という生態圏外的テクノロジーからの離脱と、「エネルゴロジー」という新しい概念を考えることで、これからの日本、そしてさらには世界を目指すべき道を指し示す。【目次】日本の大転換/1 津波と原発/2 一神教的技術/3 資本の「炉」/4 大転換へ/5 リムランド文明の再生/「日本の大転換」補遺 太陽と緑の経済/あとがき

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Posted by ブクログ

人類史が経験したエネルギー革命を段階的に整理すると、原子力の開発は第七次にあたるのだそうだ。この行き詰まりが明白である以上、それを否定的に乗り越えた第八次エネルギー革命が待望されることは論を待たない。原子力発電の棄却が誰の目にも明らかなほどに理論的かつ理性的に受容されなければならない。その始めの一歩にこそ本書がふさわしいのではないだろうか。

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2012年03月05日

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311があって書かれた本。
「原子力と資本主義」は考えてたけど、
「原子力と一神教」は気づかなかったなぁ。
ここに書かれてる通り、日本だけじゃなくて世界は転換期を迎えているはずなんだけどな。

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2012年01月22日

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新書3連発。これは出色。原発事故に対する言い様のない異常性や違和感を見事に言い当てた。まさに慧眼。反論もあろうが、わたしにとっては年末に今年一番の読書となりました。

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2011年12月18日

Posted by ブクログ

中沢新一の新著である「日本の大転換」では、この大きな転換期に基づく新しいライフスタイルがなんなのか、そしてどのうような未来図を見出さなくてはいけないのかが短めではあるが解説されている。


ところで、ぼくはこれまでブログなどで何度も主張してきたが、この原発事故はもともと人間には手に負えないモノをさも知ったふうにして取り扱った結果であり、そして取り返しのつかない状況もまた結果である。ぼくらはこの結果を踏まえ、脱原発の方向で新しい生き方を模索してくしかない。
そのことを中沢新一は肯定的にさらに具体的な可能性を導きだしてくれていることに、すこし気が楽になった。未来は明るいわけではないが、そんなに暗くもない。それはぼくらの意識次第なのだ、ということをあいかわらずの語り口でさらっと言い切る中沢新一にまたしても聞き耳をたててしまうのだ。


中沢新一は、原発というシロモノを「生態系の外部にある核の物質現象を無媒介で生態系の内部に持ち込みエネルギーを得ようとするシステム」と定義した。つまりこれは原発が太陽を創りだす装置と位置づけてもいいだろう。沢田研二が演じた「太陽を盗んだ男」はまさにこのことを伝えたかったのではないか、と勝手に解釈してみる。
第6次エネルギーまでは、太陽のエネルギーを少なくとも間接的にエネルギーとして手に入れたが、第7次エネルギーである原発は太陽のエネルギーを自ら産み出して直接利用したのである。まさに神の領域に人間は野蛮に踏み込んでしまったのである。そしてそのツケが回ってきたことに、もしくは犯すべからずの領域であったことにいまさら気づきはじめたのである。


こうなってしまっては、この第7次エネルギーを求めることはできないわけで、中沢新一は第7次エネルギーに変わる第8次エネルギーを導き出すために、エネルゴロジー(エネルギーの存在論)という知の形態を提言する。これにより原発は完全に否定される。
中沢新一は、原発や資本主義を一神教的だとし宗教的な展開で批判する。それは、アメリカの経済破綻と原発事故によるエネルギーの破綻が同一の構造を持っていると容易に想像できる。
原発は太陽から降り注ぐ光量子エネルギーの贈与を無視し、自ら太陽を作りそこからエネルギーを得ることに成功した。資本主義も貨幣の一人歩きにより、贈与という概念を捨てもっぱら交換原理だけで発達することになった。それこそが一神教的なるものの欠陥であったのだろう。


中沢新一がこれから進めようとする未来図は、太陽光発電など太陽から降り注ぐ光量子エネルギーを活用した第8次エネルギーの活用ではあるが、そこに日本人がこれまで切り捨ててきた第一次産業である農林水産業を基軸に据えた経済をいま一度取り戻す必要がある。太陽の贈与を経済活動に直接結びつける農業、漁業こそが基幹となり、贈与と交換の市場経済を作り上げる(作りなおす)ことが必要なのである。これを中沢新一は「太陽と緑の経済」という素敵なネーミングで語っている。太陽は自ら生み出すものではなく贈与されるべき関係でしかない。それが人間と太陽とのもっとも適した関わり方なのだ。


中沢新一は「黄色い資本論」という論文でこれらの具体的な道筋をぼくらに示してくれるはずである。そして、あわよくば日本版「緑の党」を主宰しているかもしれない。どちらにせよ、原発の破綻で生き方を大きく転換しないといけないぼくらにとっては、画期的な道標になってくれることを願うばかりである。

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2015年07月25日

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雑誌『すばる』6・7・8月号に連載されていたときから注目していた論考ですが、そのときとったレジュメとレビューの下書きが、例のたなぞうの終了騒動(!)のドサクサでどこかに紛失してしまって、途方に暮れています。

でも、もし見つからないなら、何としてももういちど再考して、かたちとして残したいと思います。

これは、3・11以降に生きる私たちの持つべき世界観として、地震学者や医療救命関係者や原子力発電所関連の専門家や精神分析家や環境学者や経済学者や企業経営者や芸能人などが、それぞれの専門分野と思い入れを持って思索し行動して問題定義されたなかでも、とりわけ、もっともすぐれて重要な人類的視点で書かれた考察です。

彼は、一面的ではない、私たちがいま現在考えられる究極の選択をしようと試みます。それは、宗教と資本主義という、人間が作り出してきたシステムを根源的に問いただすという方法で展開されます。

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2014年11月19日

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釈迦が悟ったのは「縁起」であると言われる。
世の中は縁によって起こり、あらゆるものが関連し合っているという思想である。
そこから、生物との共生や自然との共生という思想にもなる。
しかし、一神教の思想は全く異なる。
縁で紡がれているはずの人間社会に、それを超越した神を持ち込んだのが一神教、すなわちユダヤ教、イスラム教、キリスト教である。
そして、宗教が力を失ったいま、拝金主義と科学信仰がはびこっている。
拝金主義の温床は資本主義だ。
そして、資本主義は縁でつむがれていた社会に「神の見えざる手」を持ち込んだ。つまり神を持ち込んだのだ。
さらに、科学信仰の真骨頂が核エネルギーであり、これは「神の領域」である。またも、神を持ち込んだのだ。
資本主義も核エネルギーも一神教的な神を持ち込んだという意味で同じであると著者は言う。
資本主義の市場原理はいまや、人々の心の中にどっぷりと入り込んでいる。子どもの心にさえ入り込んでいる。
核エネルギーは核廃棄物が処理できない時点で人間には扱えない代物であり、事故を起こして土地を汚染し住民の故郷を奪った。
神=外部性を持ち込んだ資本主義と核エネルギーは両者ともに行き詰まっている。
これを転換するには、仏教の縁起を思い出すことであろう。世界は縁によって紡がれている。
本書の原稿が書かれたのは原発事故から3ヶ月後の2011年6月だという。中沢新一氏の慧眼に感服する。

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2020年10月07日

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東日本大震災後に著された、社会基盤であるエネルギーと資本主義の関係性、日本の社会の在り方についての本。原子力発電への依存度を低減させる必要があるが、そのためには日本社会・日本文明のあり方も根底から見直さなければならない、という提言。
甚大な被害を(特に原発事故により)被った日本だからこそ、新たな世界をリードできる。キリスト教などの一神教社会ではなく、仏教徒神道が共存する多神教の日本だからこそ新たな道を見出せる。

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2019年03月17日

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面白かった。資本主義の「次の世界」を知りたくて、読んだ本。中沢新一の本は初めてちゃんと読んだ。結局最後が「地域通貨」と「エネルギー利用のモジュール化」なら、こんなくどくど同じこと繰り返し書かなくても、もっと端的に読みやすくすればいいのに。

元々は「すばる」に掲載されたものだそうですが、その元は恐らく講演録?なんですかね?だからこんなダラダラしてるのかな。

頭の良さそうな人が頭の良さそうな人の本を読んで満足するための本、みたいで気持ち悪い部分もあった。

何かに引用が載っていたのがきっかけで読んだんだけど、忘れた…

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2013年06月12日

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原子力と資本主義という「炉」は、本来の生態系から外れているおかしいものだ、もとに戻すのではなく、新しい思考のチャンスだ、と。今この時点では、この本を読んでそれに気づく、という段階ではなく、「踏み絵」ではなくて、踏み絵の先にある階段、それもピッチがあっていないもので、進むのは快適ではないのだけど、という印象です。
新しい気づきや行動のヒントがあるわけではなかったけど、うまく言えないことを、代わりに言ってもらっているような本だなあ、と思う一方で、やはり改めて転換する気のない「炉」の人たちとは交差点が持てないのだろうなあということも。出版されてすぐなら、また違う印象だったのだろう、とも強く思うのです。

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2012年10月24日

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ネタバレ

 本書は福島原発事故後のエネルギー政策、経済システムへの転換について述べている。エネルギー政策についてはちまたで騒がれている「再生可能エネルギーの推進」論を宗教的な立場から論じているように思えた。
 著者は、原子力発電のシステムにおいて、原子炉とその外の生態系とを媒介するインターフェース装置が、きわめて脆弱につくられている、という事実を、「生態系の外部に属する核反応の現象を、無媒介的に生態圏の内部に持ち込んだシステム」として表現している。
 Fukushimaの大事故は、人類のエネルゴロジー=エネルギーの存在論(著者の造語:地球科学と生態学と経済学と産業工学と哲学とを一つに結合した、新しい知の形態の呼称)の歴史にとって、ひとつの重大な転換点となていくにちがいない、と説く。
 原核生物の「発見した」光合成こそ、来るべき時代の「中庸なエネルギー技術」のひながたとなるものである(68ページ)。
 原子力発電とコンピュータに代表される第七次エネルギー革命に次ぐ、第八次エネルギー革命の初期の段階で、重要な働きをすることがきたいされている「太陽光発電」こそは、電子技術で模倣された植物光合成のメカニズムにほかならない。
 太陽光発電では、植物が酵素の働きによって実現していたエネルギー変換が、半導体の働きによって行われる、というところだけがちがう、と述べている(73ページ)。
 光を受けるたびに原核生物であるハロバクテリウムの体には電位差が発生し、光エネルギーが電気・化学エネルギーに変換される。あとは、酵素と、このとき生まれた電気・化学エネルギーを使ってATPという生命活動にとって最も重要な物質を合成する。こうして、この最近は太陽の核融合反応から放出されたエネルギーを、たくみに媒介的に変換しながら、生態圏に持ち込んで固定することに成功したのである。
 第八次エネルギーに共通しているのは、太陽エネルギーを媒介的に取り込んで変換するインターフェース(媒介)の働きそのものによって、発電をおこなう点である(76ページ)。
第八次エネルギー革命をリードしていく技術は、いずれも「太陽エネルギーを生態圏のなかに媒介的に変換するシステム」となるであろう。しかも、石炭や石油の場合とは異なって、地球に降り注ぐ太陽エネルギーを、大きな遅延なく、電気・化学エネルギーに変換できるシステムが、その主力となっていくことになる(77ページ)。
著者は第八次エネルギー革命に対応する来るべき経済システムとして、第七次エネルギー革命に対応する資本主義と比較して以下のようにまとめている。
第七次エネルギー革命
 ・過激な無媒介性(生態圏外部的エネルギー)
 ・内閉性(太陽からの、生態系からの)
資本主義
 ・過激な無媒介性(社会生態系外部的システム)
 ・内閉性(社会からの、生態系からの)

第八次エネルギー革命
 ・太陽エネルギーの媒介的変換
 ・中庸
 ・贈与性(太陽という生態圏外部からの贈与)
 ・キアスム(交差)構造
来るべき経済システム
 ・外部性に開かれた経済
 ・中庸
 ・贈与性
 ・キアスム構造

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2012年08月18日

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東日本大震災以後の日本を第8次エネルギーの時代にしようという思想的冒険の書。
では、これを現実化するために「緑の党のようなもの」は何をするのか、それがいまだに見えないのが残念。

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2012年05月18日

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グリーンアクティブ代表、中沢新一が提唱するマニフェスト。脱原発・脱資本主義のために「エネルゴロジー(=エネルギーの存在論)」という概念の必要性を説く。木ではなく森を見ている視点に賛同しました。

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2012年03月27日

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人類のエネルギー利用を地球の生態圏との関係から論じる「エネルゴロジー」という概念を提唱し、その視点から「自然」でも「人工」でもない太陽エネルギーの直接的な利用を「第8のエネルギー革命」として大きなパラダイム転換とみなす。中沢氏が突然「緑の党」設立なんて報道されたときは何かと思ったが、ここにはその意図が明確に書かれている。表現は抽象的だけど考え方そのものには賛成。

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2011年11月23日

Posted by ブクログ

中沢新一の文章は、いつもこちらをハッと気づかせてくれるものがある。
哲学や宗教からから物理、エネルギー論、経済学まで非常に切れ味が鋭い。 大震災後3ヶ月間、思索を重ねた彼の著作がこれ。

内容を要約すると、脱原発によるエネルギー転換から、現在の閉塞した資本主義経済の在り方そのものの転換につながり、今こそ日本からその変化を起こしていくべきだという至極真っ当なものなのだが、そこに至る過程がすごい。


エネルギーの存在論=エネルゴロジー という概念を定義する。エネルゴロジーの原則として、太陽のエネルギーが生態圏の内部に取り込まれるためには、石油や石炭のような化石燃料にしても、光合成にしても、生態圏のなかで何段階にも媒介されることが必要である。ところが、原子炉は、媒介を経る事なく生態圏外の現象を圏内に持ち込んだ点で異質である。そのような無媒介の状態には、「安全」などの神話的思考は意味をなさない。
 さらに、このような原子力技術に対応する宗教的思想こそ「一神教」であると筆者はいう。もともとは、自然や動物や植物にも宿っていた神が、モーゼの思想革命により、絶対的な超越神への信仰が生まれた。そのような超生態圏的思考が、その後の人の思想や経済にも決定的な影響を及ぼしているという。
 そして、そのような状況で成長した資本主義も、社会というサブ生態圏の内部に、異質な原理で作動する市場メカニズムをもちこんで、社会そのものを変質させたというのだ。

 社会は本質的に、人間同士を結びつけるキアスム(交差)の構造を内在していて、与え、与えられる「贈与」の関係が組み込まれている。市場経済は、このような関係性がリセットされて、商品交換の価値として「お金」がでてくる。市場は自分の原理だけで作動する自己調節能を獲得してしまうのであり、これが、表向きは、エコでクリーンエネルギーといわれた「原子炉」と同じ構造であるというのだ。その「原子力」の行き着いた先は、もはや言わずもがなのカタストロフィーである。

 エネルギー理論を変えるという事は、もはや、その価値を市場原理の「お金=ビジネス」で語らない(語れない)ということである。TPPの問題もしかり、日本人は価値観の根本を問い直す時期に来ており、おそらく潜在的には多くの人が感じ取っているのだと思う。放射能に汚染された肉、野菜、魚を前に、我が身の安全に躍起になるだけではなく、脱原発を声高に叫ぶだけではなく、自分の価値判断の基準、優先順位を一人一人が問い直すべきだと思う。筆者のいう「太陽と緑の経済」を目指して。

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2011年11月17日

Posted by ブクログ

原発問題を宗教論や経済学と絡めて論評してた。
こういう見方がある事を知って、目からうろこが落ちた。
これから日本が進むべき道についていろいろ考えさせられた。

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2011年10月23日

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ネタバレ

3.11をきっかけに「生き方や考え方を変えようとしている人々は、誰もがエネルゴロジストになれる」と中沢新一は言う。

エネルゴロジストとは、「地球科学と生態学と経済学と産業工学と社会学と哲学とをひとつの結合した、新しい知の形態」としてのエネルゴロジーを理解しようというひとのことであり、そうした視点から「この先」を見ようとするひとのことである。

そこで、まずこの本の前半では、いわゆる石炭や石油といった「化石燃料」と「原子力」との「ちがい」について語られる。太陽の恵みを、あくまでも生態圏の範囲内で長い時間とたくさんの媒介を経てつくられる化石燃料に対して、原子力は、ほんらい太陽圏の活動である核反応の過程をなんの媒介も経ずにそのまま生態圏のなかに持ち込んでしまう技術である。

石炭や石油について、限りある資源を大切にしよう、電気は大切に使おう、といわれるのは、それが自然によって与えてもらったものだというリスペクトがはたらいているからである。ところが、人間が科学技術によって自力でつくっている(と思い込んでいる)原子力については、オール電化を例に出すまでもなく「電気はどんどん使って、どんどんつくろう」ということになる。資本主義と原子力が「セット」であるゆえんだ。

それに対してエネルゴロジーは「第8次エネルギー革命」だと、中沢新一は言う。そのことは、補遺として収められた「太陽と緑の経済」でより具体的に説明が試みられている。

そこでは、原子力+資本主義から、自然の理法に則ってつくられるエネルギー+「つぎのかたち」の経済(ケネー=ラカン・モジュール)へと大きく舵を切ることの必要が、「贈与」「農業」「カタラテイン=交換」「地域通貨」「キアスム構造」といったキーワードとともに宣言される。

もし、このマニフェストがぼくら日本人に勇気をあたえてくれるとしたら、それは、今回の悲惨な災禍を体験したぼくらだからこそ、この大きな「使命」を成し遂げることができるのだと信じさせてくれる点にあるように思う。具体的な動きとして、著者が提唱する「緑の党のようなもの」が近々リアルな活動として始動し、この本はいわばその「マニフェスト」にもなるようだ。ぼく自身、よく考え、自分にできるかたちで積極的に関わっていこうと思っている。

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2011年10月10日

Posted by ブクログ

太陽光発電を中心とする自然エネルギーへの転換をいっているが、ストック(化石燃料)ではなくフローの利用となると、量的に足りるのか、また無理にでも多く利用しようとすると自然破壊が進むのではないか(自然エネルギーは、自然から直接エネルギーを収奪することなのだから、最も自然破壊的である)。

原子力だけが太陽圏のエネルギーだというのは認めるが、ウランという地球からの贈り物を燃やしているのだから、贈与の次元はあるのではないか。

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2011年09月05日

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福島の原発事故以降の日本がとるべき道筋について、宗教哲学者の著者が語った本です。

著者は、一神教と多神教の違いを文明論的な原理に拡張し、また、これからの日本に必要なエネルギー政策を生態圏の原理から導こうとしています。中沢新一といえば、浅田彰と並ぶニューアカデミズムの旗手であり、フランス現代思想を自在に駆使しつつチベット仏教について論じる思想家として知られていますが、本書での著者の語り口はまるで梅原猛です。もっとも、アカデミズムの枠を飛び出す存在であるという意味では、はじめから両者は近かったといえるのでしょうけれども。

梅原に関していえば、アカデミズムではとうてい許容されないであろう、文明論的な大風呂敷の議論に対する多くの批判を浴びながらも、現実に中曽根内閣の政策決定にかかわろうとし、国際日本文化研究センターの設立に漕ぎつけるだけの「胆力」がありました。一方著者は今のところ、批判的知識人という、ある意味で気楽なポーズを崩してはいないようですが、もし今後著者が本書の示すような方向へと進んでいくのであれば、梅原のように生臭い現実の政治に積極的にかかわっていくことをいとわないでほしいと思います。

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2017年11月29日

Posted by ブクログ

中沢さんの対談などを最近まとめて読んだせいもあり、本書の内容には目新しさはなかった。交換から贈与へ、一神教と原発といったトピック。

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2013年10月05日

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核反応がその他のエネルギーとはかなり違うというのは、改めて指摘されてみるとなるほどと納得のいく話だった。そしてなぜに人が原子力開発に手を付けるのかと思いめぐらすと、そこには資本主義のいきわたった地上でなんとなく感じている貧富のゼロサム感が大きいんじゃないだろうか。結局貧しき者があって富める者がいる、全体でここからのレベルアップがまだあるのか、と人類が思う先行き感の不安がそこにあると思う。
そこで再認識させられたのが太陽の存在。この無限の闇広がる宇宙空間に燦々と降り注ぐ贈与。結局、化石燃料も生命の源泉も太陽光輻射があたえるエネルギーに依る。今後テクノロジーの発展が人にとって相対的に無尽蔵で対価を必要としない熱源から効率的にエネルギーを取り出せるとしたら、確かに資本主義とはちがうスキームが生まれるかもしれない。
でも一神教と原子力開発を結びつけるのはちょっと...と思うだけど。

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2012年11月21日

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思想家、中沢新一さんによる脱原発、新エネルギー社会論。
いわく、元来、生物の活動は、生態系内で太陽エネルギーをエネルギーに変換することにより営まれてきた。原発はこれに反し、生態系外から太陽と同じ核反応を直接生態系内に持ち込んだもので、もともと無理がある。また、全てを経済的価値に置き換えて評価する資本主義と、エネルギーを外部から持ち込む原発は親和性が高い。また、生態系内の事象の相互連携ではなく、絶対的なエネルギー源を志向する点で一神教的発想に近いという。
今回の震災を契機に、日本は率先して生態系内でのエネルギー循環型社会に変換すべきで、それとともに行き過ぎた資本主義も人々のつながりや贈与、交換をベースにしたものに置き換わって行くという。
思想としてはとても刺激的だし、面白い。自然と親和性を取り戻した自然エネルギー循環型社会に対して異論は誰もないだろう。しかし、問題は実現性と時間である。既に現実として目の前に高度資本主義社会が存在し、人々が生きている。氏は従来の経済的価値観で考えてはいけないというが、もう少し現実と擦り合わせながら実際には物事を進めていかないことにはどうにもならないだろう。

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2012年09月17日

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経済学やらエネルギー学やらで最初はとっつきにくかったが、エネルゴロジーが目指すところも第八次エネルギー革命も贈与とキアスムの概念も理解できた。
筆者の言を借りるならば、今こそ日本の大転換が必要なのは間違いないと思う。

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2011年12月04日

Posted by ブクログ

震災後、原発を機に、日本は変化しなければならないと。今までのエネルギーは太陽のエネルギーが地球にもたらされ、それが、時間を経て石油になり何になりしているが、原子力は、太陽自身の中で起きていることを直接地球に持ち込んでしまった。「エネルゴロジー」という観点からとらえて、これからの日本を説く。

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2011年11月10日

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第八次エネルギーは太陽エネルギーの贈与を受けてまるで光合成のようにエネルギー変換を行うこと。太陽さえも作り出してしまおうとする贈与抜きの原子力エネルギーからの脱却。

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2011年11月06日

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内田樹氏らとの対談で、「緑の党みたいなもの」構想を立ち上げた中沢新一氏の著作。ご本人は荒削りのマニフェスト(脱原発の)とあとがきに書いている。言わんとしていることは何となく理解できるが、具体性に乏しく、私のような凡人には「先にあるもの」をイメージしにくい。これからに期待。

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2011年10月19日

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『イカの哲学』以来の中沢新一の本だが、やはりこの人の言説は全て「宗教」ががかっている。思考の抽出の仕方が特殊であり、懐かしくもあり、今は遠い世界の話のようにも思える。3・11以後の日本文明のあり方が、これまでのあり方は変わるという意見には納得するが、「贈与」という思考手段にこだわり演繹的に自論を提示していく方法は、回りくどくもったいぶった生活とかけ離れた世界である。
エネルギーを8つの段階に分け、原子力エネルギーは当然第7段階ととらえ、これからのエネルギー政策を第8段階として遂行していくという意志は認める。現在も小型原子炉開発は先端技術として研究されるべき技術である。それを完全否定するのではなく、原子力発電という技術自体が自然界にあるまじき姿であり、それを勇気をもって捨てていくための思想的バックボーンであろうと心がけているのだろう。それには大いに賛成する。
本書が、あらゆる具体的な事象を通り越して形而上の「思想」として、完成させるための第一歩であるのならば、巷でまかり通るインチキ思想をもここに収斂されていくだろう。中沢新一はいろいろな意味であやしさもあるのだが、こういう立ち位置で世界と対峙する日本人がいてもいいと思う。

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2011年09月29日

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