あらすじ
大地震と津波、そして原発の事故により、日本は根底からの大転換をとげていかなければならないことが明らかになった。元通りの世界に「復旧」させることなどはもはや出来ない。未知の領域に踏み出してしまった我々は、これからどのような発想の転換によってこの事態に対処し、「復興」に向けて歩んでいくべきなのか。原子力という生態圏外的テクノロジーからの離脱と、「エネルゴロジー」という新しい概念を考えることで、これからの日本、そしてさらには世界を目指すべき道を指し示す。【目次】日本の大転換/1 津波と原発/2 一神教的技術/3 資本の「炉」/4 大転換へ/5 リムランド文明の再生/「日本の大転換」補遺 太陽と緑の経済/あとがき
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Posted by ブクログ
本書は福島原発事故後のエネルギー政策、経済システムへの転換について述べている。エネルギー政策についてはちまたで騒がれている「再生可能エネルギーの推進」論を宗教的な立場から論じているように思えた。
著者は、原子力発電のシステムにおいて、原子炉とその外の生態系とを媒介するインターフェース装置が、きわめて脆弱につくられている、という事実を、「生態系の外部に属する核反応の現象を、無媒介的に生態圏の内部に持ち込んだシステム」として表現している。
Fukushimaの大事故は、人類のエネルゴロジー=エネルギーの存在論(著者の造語:地球科学と生態学と経済学と産業工学と哲学とを一つに結合した、新しい知の形態の呼称)の歴史にとって、ひとつの重大な転換点となていくにちがいない、と説く。
原核生物の「発見した」光合成こそ、来るべき時代の「中庸なエネルギー技術」のひながたとなるものである(68ページ)。
原子力発電とコンピュータに代表される第七次エネルギー革命に次ぐ、第八次エネルギー革命の初期の段階で、重要な働きをすることがきたいされている「太陽光発電」こそは、電子技術で模倣された植物光合成のメカニズムにほかならない。
太陽光発電では、植物が酵素の働きによって実現していたエネルギー変換が、半導体の働きによって行われる、というところだけがちがう、と述べている(73ページ)。
光を受けるたびに原核生物であるハロバクテリウムの体には電位差が発生し、光エネルギーが電気・化学エネルギーに変換される。あとは、酵素と、このとき生まれた電気・化学エネルギーを使ってATPという生命活動にとって最も重要な物質を合成する。こうして、この最近は太陽の核融合反応から放出されたエネルギーを、たくみに媒介的に変換しながら、生態圏に持ち込んで固定することに成功したのである。
第八次エネルギーに共通しているのは、太陽エネルギーを媒介的に取り込んで変換するインターフェース(媒介)の働きそのものによって、発電をおこなう点である(76ページ)。
第八次エネルギー革命をリードしていく技術は、いずれも「太陽エネルギーを生態圏のなかに媒介的に変換するシステム」となるであろう。しかも、石炭や石油の場合とは異なって、地球に降り注ぐ太陽エネルギーを、大きな遅延なく、電気・化学エネルギーに変換できるシステムが、その主力となっていくことになる(77ページ)。
著者は第八次エネルギー革命に対応する来るべき経済システムとして、第七次エネルギー革命に対応する資本主義と比較して以下のようにまとめている。
第七次エネルギー革命
・過激な無媒介性(生態圏外部的エネルギー)
・内閉性(太陽からの、生態系からの)
資本主義
・過激な無媒介性(社会生態系外部的システム)
・内閉性(社会からの、生態系からの)
第八次エネルギー革命
・太陽エネルギーの媒介的変換
・中庸
・贈与性(太陽という生態圏外部からの贈与)
・キアスム(交差)構造
来るべき経済システム
・外部性に開かれた経済
・中庸
・贈与性
・キアスム構造
Posted by ブクログ
3.11をきっかけに「生き方や考え方を変えようとしている人々は、誰もがエネルゴロジストになれる」と中沢新一は言う。
エネルゴロジストとは、「地球科学と生態学と経済学と産業工学と社会学と哲学とをひとつの結合した、新しい知の形態」としてのエネルゴロジーを理解しようというひとのことであり、そうした視点から「この先」を見ようとするひとのことである。
そこで、まずこの本の前半では、いわゆる石炭や石油といった「化石燃料」と「原子力」との「ちがい」について語られる。太陽の恵みを、あくまでも生態圏の範囲内で長い時間とたくさんの媒介を経てつくられる化石燃料に対して、原子力は、ほんらい太陽圏の活動である核反応の過程をなんの媒介も経ずにそのまま生態圏のなかに持ち込んでしまう技術である。
石炭や石油について、限りある資源を大切にしよう、電気は大切に使おう、といわれるのは、それが自然によって与えてもらったものだというリスペクトがはたらいているからである。ところが、人間が科学技術によって自力でつくっている(と思い込んでいる)原子力については、オール電化を例に出すまでもなく「電気はどんどん使って、どんどんつくろう」ということになる。資本主義と原子力が「セット」であるゆえんだ。
それに対してエネルゴロジーは「第8次エネルギー革命」だと、中沢新一は言う。そのことは、補遺として収められた「太陽と緑の経済」でより具体的に説明が試みられている。
そこでは、原子力+資本主義から、自然の理法に則ってつくられるエネルギー+「つぎのかたち」の経済(ケネー=ラカン・モジュール)へと大きく舵を切ることの必要が、「贈与」「農業」「カタラテイン=交換」「地域通貨」「キアスム構造」といったキーワードとともに宣言される。
もし、このマニフェストがぼくら日本人に勇気をあたえてくれるとしたら、それは、今回の悲惨な災禍を体験したぼくらだからこそ、この大きな「使命」を成し遂げることができるのだと信じさせてくれる点にあるように思う。具体的な動きとして、著者が提唱する「緑の党のようなもの」が近々リアルな活動として始動し、この本はいわばその「マニフェスト」にもなるようだ。ぼく自身、よく考え、自分にできるかたちで積極的に関わっていこうと思っている。