中沢新一のレビュー一覧
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借りを返すために生まれたわけじゃない。でもそういう仕組みの社会だから、洞察して、わたしが何を本当に欲していて与えたいのか、考えながら生きていきたい。
以下要約↓
金額が高いものは、果たして価値があるものなのか。逆も然り、安いものは価値が低いのか?
もちろん、金額が高いからたくさんの人の手で作られて丹念にっていう商品もあるのだろうけど、それは僅かの芸術家だけで、そういうものはタマシイが込められてる、作者によって。
ハイブランドのアクセサリーや洋服、高い車、これらはその作者の満ち満ちたエネルギーやタマシイが本当にあるのか、モノが誰かの手に入る時、作者は心から与えたいと思っているのか。
この「与えたい」という純粋な気持ちが100%あるモノって、大好きな人に誕生日プレゼントを贈るときくらいではないのか。あとは、手作り料理とか。
今や、バレンタインなども「義理チョコ」と呼ばれるわけだ。それは、「交換」であり、見返りを求めている。
労働も「賃金」によって交換されている。
交換の世界じゃなくて、贈与の世界になったらこんなにも幸福なことは無いんだろうけど、それをするのは人口がめっちゃ減らないと厳しいし、どうにもならないなあとも思ってしまうね。無念^_^ -
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中沢新一(人類学者、宗教学者ほか)著「大阪アースダイバー」を読みました。
かなり面白く、かつ、うさんくさい本。
大阪のまちの全てについて解明しているわけではなく、
上町台地、船場、ミナミ(難波~天王寺、西成)、そして渡辺村について古代、いや、それよりもっと前の時代から含めて読み解いています。
例えば、「お笑い」の始まりは上町台地「玉造」にあった、という話。
そこには初代の四天王寺が物部守屋の霊を鎮魂するために建てられ、
そこで密儀の参加者は一斉に「ワッハッハ」と笑った。
それは、生命力の一部が宿っている体の部分を安全に分離する作業であった、とのこと。
今日のヨシモトの笑いは、ミナミの焼き場や処刑場から生まれた。
近世になり、道頓堀には芝居小屋が並んだが、
その南、千日前には、広大な刑場、墓地、焼き場があった。
刑場は千日前通りのすぐ南、今のビックカメラ(旧千日デパートビル)の東あたり、
焼き場は今のNGKの少し北あたり。
道頓堀の小屋での見せ物興行より、本物の処刑を人々は楽しんだ。
そして、死者を扱い、この世とあの世の接点で仕事をする墓守は、多くの芸能を産み出したという。
そこに、吉本せいが漫才を持ってきた、というような話。
西成の釜ヶ崎がどのようにできていったかという話も、非常に勉強になりました。
もともと、今の日本橋電気屋街あたりに住んでいたドヤ街にいた人々が、
内国勧業博開催の影響で追い出されて移動したのが始まりだとのこと。
黒門市場は、そのドヤ街を狙った堺魚商人が始まり。
中沢氏の偉いところは、大阪の歴史をひもとくと当然ぶつかる差別の問題を避けて通っていない点。
墓守など人の死を扱う「黒不浄」と、動物を扱う「赤不浄」の大阪における歴史を、ちゃんと解説し、しかも、政治起源説をしっかり臭わせている点が評価できると思いました。
大阪の成り立ちを知る上で常に座右に置いておきたくなる本ですが、ただしバイブル的に、というわけにはいきません。
あまりに演繹的すぎて、それはこじつけだろ、なにを根拠に言ってるんだ、たんなる想像だな、という点もありました。
ああ、面白い本だった。今のところ、今年一番(出版は去年の秋)。 -
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釈迦が悟ったのは「縁起」であると言われる。
世の中は縁によって起こり、あらゆるものが関連し合っているという思想である。
そこから、生物との共生や自然との共生という思想にもなる。
しかし、一神教の思想は全く異なる。
縁で紡がれているはずの人間社会に、それを超越した神を持ち込んだのが一神教、すなわちユダヤ教、イスラム教、キリスト教である。
そして、宗教が力を失ったいま、拝金主義と科学信仰がはびこっている。
拝金主義の温床は資本主義だ。
そして、資本主義は縁でつむがれていた社会に「神の見えざる手」を持ち込んだ。つまり神を持ち込んだのだ。
さらに、科学信仰の真骨頂が核エネルギーであり、これは「神の領域」である。またも、神を持ち込んだのだ。
資本主義も核エネルギーも一神教的な神を持ち込んだという意味で同じであると著者は言う。
資本主義の市場原理はいまや、人々の心の中にどっぷりと入り込んでいる。子どもの心にさえ入り込んでいる。
核エネルギーは核廃棄物が処理できない時点で人間には扱えない代物であり、事故を起こして土地を汚染し住民の故郷を奪った。
神=外部性を持ち込んだ資本主義と核エネルギーは両者ともに行き詰まっている。
これを転換するには、仏教の縁起を思い出すことであろう。世界は縁によって紡がれている。
本書の原稿が書かれたのは原発事故から3ヶ月後の2011年6月だという。中沢新一氏の慧眼に感服する。 -
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東京の地形と暮らしの歴史と人々の心の有り様をリンクさせて縦横無尽に論じた「アースダイバー」(2005年)の増補改訂版です。当時、「縄文の大地を裸足で感じる」みたいな中沢新一っぽい言い回しに痺れて、東京散歩が新鮮になりました。洪積層と沖積層、山の手と下町、水の記憶と性産業、都市を見つめる目線に、出来事ベースの歴史だけではなく、人の潜在意識への妄想が加わりディープになったのを覚えています。考えてみれば、「ブラタモリ」のヒットとか、地形マニアとか、「せんべろ」などの下町巡礼とか、そんなこんなのきっかけが「アースダイバー」だったのかもしれません。今回の増補改訂には下町周りが補強されています。洪積層と沖積層の境界の物語から、沖積層の物語へ。それは、伊勢湾から東海地方を経て東京湾にたどり着いた「海民」の物語です。そこで熱く語られるのが「海民」の末裔としての吉本隆明。山の手の論理に対する異議申し立て力としての再評価を「足の下は海」という「海民」の意識に求めているのは現在のグローバル経済時代への違和感なのかもしれません。また資本主義の及ばないエリアとしての皇居という指摘も、時代的たと思いました。「森番の天皇」が変わるタイミングで、東京という都市の意味を考える材料になりました。
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築地市場と明治神宮。人工的に作り出された場所でありながら(前者は埋立地、後者は練兵場の跡地に植林)、「そこにほかのどんな場所にもまして、日本人の伝統的思考が凝縮されて表現されている」(序文より)、と著者は主張する。
海の民は、古より天皇家に海産物を届けるという役割を担って来た。その流れを汲む魚河岸の気風は、関東大震災を機に日本橋から移転した築地においても受け継がれた。戦前建築の代表作ともいうべきカーブを描いた建屋の中で味の目利きとしての仲買人が立ち回るさまは、「制御された混沌(Controlled chaos)」と外国の人類学者に言わしめた。豊洲は幹線道路によって敷地を4つに分断し、この類まれな秩序をズタズタにしていると著者は憤る。
私の感想では、つまるところ市場における「仲買」の機能をどう評価するかで解釈は変わる気がした。著者が言うような味覚の目利きだとすればその機能が豊洲では制限される、という意見にも一理ありそう。一方で、時代遅れの中間流通だと考える人にとっては豊洲は物流効率化の第一歩となるだろう。著者の立場は最終的には「アンチ市場至上主義」ながら、「市場そのもの」を論じていることで若干の錯綜は感じざるを得ない。
その点、明治神宮についての著者の筆はいっそう冴え渡る。内苑と外苑との二元構造は、「閉ざされた見えない空間から、神々があらわれ出ようとする」ときに生まれる聖なる力(ミアレ)が無意識に表現されており、それは古くは前方後円墳にも見られると言う。「自然が人間に拘束を課し、その拘束を人間が受け入れながら仕事をおこなうとき、そこには軽やかな自由の感覚が漂うようになる。・・・ここには人間的欲望を解放しきろうとする資本主義にたいする、見えない『結界』が張られてきた。」(p197)。
ザハ・ハディドの新国立競技場案がこの聖性に反しているとの著者の主張には今ひとつ裏付けが感じられないものの、ともあれ著者ならではのイマジネーションの洪水には唸らされる。写真も美しく、建築家伊東豊雄氏との対談も必読。 -
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#講談社選書メチエ #中沢新一 #カイエソバージュ 対称性人類学
まとめと結論の最終巻。他の巻と比べて読みやすい。この巻 読めば十分な気がする
一神教、国家、資本主義が非対称性という点において、同型の形而上学として全体化し、思考が自分の根源の場所を見失ったことを論証
著者の主張は、無意識を人間の「心」の本質とする 対称性人類学の思考実験のなかで、世界を非対称的な形而上学から対称性無意識の働きによって「自然化」するということだと思う
対称性無意識のイメージ
*分類上ちがうものの間に深い共通性のあることを見出す
*表と裏、内部と外部の区別や向きを持たない高次元の多様体
〈一〉の原理〜非対称性論理のイメージ
*〈一〉の原理が登場すると、それまでの対称性の論理が非対称な関係につくりかえられる
*〈一〉の原理が〈多〉の原理によって生きてきた精霊の世界を抑圧することにより、一神教の世界が生まれる
神話の思考は、流動的知性=無意識の働きを直接に反映してつくられたものによって、人間に深い思慮と動物や弱者に対する思いやりのある態度を生み出す〜無意識を通して、人間の「心」は、自然に、宇宙に直接的につながる
無意識は秩序を持った巨大な大陸〜現世人類の「心」の本質をかたちづくる原初的な基体であり、現実世界で通用している論理とは別の論理によって作動している
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#講談社選書メチエ #中沢新一 #カイエソバージュ 神の発明
スピリットという概念を用いて、キリスト教の資本主義的性格と弊害について講義した本
スピリットの意味を「人間の心の中」と捉えた。当初のスピリットは「超越性」や思考外に導く能力を持っていたが、神(ゴッド)の出現により、スピリットが物質化し、現在は その能力を失っているとのこと
王と国家の発生により、高い対称性を保つスピリット世界が解体し、低い対称性の「神の世界」が出現し、多神教な宇宙が形成される、という流れ
さらに、モーセ思想やトーラス型の宗教的思考(一神教の神(ゴッド)だけがみたすことができる)により、多神教が一神教に作り変えられたという論考
「人間の心が神を発明するのである」
「ことばの形成によって、私たちの心が作られた」
神(ゴッド)の二類形
*高神〜非対称、いと高きところ(天空)にいる神、純粋な光
*来訪神〜低次対称、海上冥界、物質性
スピリット世界がつぶれて低次対称性に姿を変え、脳の同じ場所に多神教の宇宙がつくられる
多神教宇宙
*非対称の高神、低次対称の来訪神が共存
*来訪神が、壊れた対称性を一部保存する存在
高神から唯一神へ
*モーセ思想〜神ヤハウェを人間との絶対的な距離で隔絶された非対称性の神とし、多神教の信仰を禁止
*高神は人間との間に絶対的な距離を保ち、他の神々を拒絶する「唯一神」に変貌した
*トーラス型の宗教的思考(一神教の神(ゴッド)だけがみたすことができる)によって、「メビウスの帯」のような心の働きを維持しようとしてきた心の機構全体が抑圧されたことによって、多神教は一神教に作り変えられた
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#講談社選書メチエ #中沢新一 #カイエソバージュ 熊から王へ
対称性社会を破壊して、野蛮な国家に至った人間の思考の変化を論じた講義録。神話世界へのノスタルジーや人間の思考変化を批判したのではなく、現代国家の野蛮性を明らかにしたいのだと思う
超越的な存在(=人食い)が、熊(自然)から 王に変化したことにより 国家が生まれ、その国家が 野蛮(=人間の思い上がり)と結びついているという論考
「対称性社会に危険を導いたのは、あまりによく切れる鋭利な剣」から考えると、「よく切れる剣」が 人間の思考を変え、自然や動物を軽視し、自らを超越への野心に導いたという意味に捉えた
メインテーマではないが、日本の東北地方からアムール川、アリューシャン列島、北米大陸までを「東北」と捉えて、縄文文化とカルフォルニアインディアンの文化との関係を見出そうとした論考は興味深い。別の本を読んでみたい
「人食い」の概念
*人間の力をはるかに超えたもの
*超越=人食い
*具体的な形態をもっているものを呑み込んで破壊し、抽象的な流動体に変えてしまう働きをもったもの
野蛮とは
*動物が人間より劣った存在と考えたり、自分たちが生きていくのに必要な分を超えて殺戮したり、殺した動物の死体に敬意を払わない〜人間の思い上がり
*「自然」から一方的に奪うだけの搾取者としての人間
*野蛮を生んだのは文明であり、国家は 野蛮の発生を土台にして作られている
人間的な心
人間と熊はお互いに変容しあうことができ、熊の立場になって想像する〜他者に対する共感にみちた理解
象徴思考とは、異なるものの共通点を見出し、異なるものを一つに重ねて理解しようとすること
流動的知性こそ人間の徴
異質な領域の間を自由に動き回れる「流動的知性」の発生によって、人類はものごとを「記号」でなく「意味」として理解できるようになった
対称性の社会に危険を導き入れたのは、あまりによく切れる鋭利な剣
現生人類の脳に流動的知性が発生し、象徴能力を獲得した。それによって「言語」や「象徴」を使えると同時に、超越的な存在を直感するようになった
人類の知的能力は、「野生の思考」と超越をめぐる宗教的思考を同時に発生させる
王とクニの発生
*自然のものであった権力が、特別な人間に属するものであると主張される
*「人食い」のような超越的存在が、人間の身体として、いつも社会の中にいる〜首長と「人食い」が合体し王が発生した
*権力を自らのうちに体現すると主張する王が出現すると、人々は社会を超越した権力(クニ)のもとで、個体性を失って、クニに所属する民に変化する
*王は自分の権力の内部に、シャーマンと戦士を組み込み、首長の地位を奪って、「社会の内部に取り込まれた自然権力=王権」を体現するものとしての王が生まれる
対称性社会では、人間は理性の表現である「文化」を生きる動物であり、権力は理性を超越するものとして、「自然」の領域にあるもの
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講談社選書メチエ 中沢新一 カイエソバージュ 人類最古の哲学
「シンデレラ」をテキストとした神話学講義録
神話とは、人間の考え出した哲学であり、現実の矛盾を思考的に解決する具体的なもの。宗教の抽象性と距離を置いている
神話において、人間はバランスや対称性が欠落した弱い存在。人間のあるべき姿は、自然や文化の一定の距離を保つことであり、神話により対称性を取り戻し、一定の距離を保ちつつ共生を探り出すという論調
神話とは
*人間が最初に考え出した最古の哲学である
*「感覚の論理」を駆使して、宇宙の中で人間の生の意味を語る
*神話は、現実と幻想のあいだにたって 二つを仲介する
「神話の考えるところによると、人間は、他のすべての生き物と同様、この地球を仮の住まいとしているだけで〜消滅することもありえる弱い存在にすぎない」
言語や地域が異なっても、神話の構造が同じという事象は、人間の生の意味や本質の部分は、そう変わらないと解釈した。神話の差異の探究が 民俗学の面白さなのかと思う
シンデレラの脱ぎ落とした片方の靴について、オイディプス神話との関係性を見出し、人間の対称性やバランスの欠落や人間の矛盾を表しているという論考には驚いた
父殺し、近親相姦、盲目になるなどオイディプスの一連の行動の神話的意味は、オイディプスの不自由な片足に起因した左右の対称性やバランスの欠落によるものであり、人間の矛盾さを表しているとのこと
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〜というようなことが言えるんじゃないかな。みたいな本。柳田国男だとか荒俣宏、澁澤龍彦の仕事に近い。アカデミックではなくセンスで書いてある。様々な事実を踏まえて感性で融合させている。中沢新一氏が博学で勉強熱心だと認めた上で読み方を間違えなければ面白い読み物。こういう風に歴史を眺めるのは素敵なことではある。歴史の事実の話と言われると疑問符が沢山つく。が、このような試み、読み、知的統合、考察といったものは失われつつある感性の賜物だとも思う。大阪が違って見えてくるという意味では面白い。事実と感性の比重が通常と違うことを注意して読めば面白いと言える。