あらすじ
2020年の東京オリンピックを錦の御旗に東京は大改造をされようとしています。レガシーを作ると言って、本物のレガシーを破壊していいのでしょうか? 築地市場の豊洲への移転が、決定しました。しかしアースダイバーは言っておきたいことがあります。なぜ、築地でなくてはならないのか? 日本人と海の関係、古代から連綿と続く、市場の特別な機能、江戸時代から紆余曲折を経て現代に繋がる歴史……。築地という場所が孕んでいる聖地性が見えてきます。仲卸の果たす重要な役割、博物館に匹敵する海産物に対する深い知の体系。効率だけを考えた豊洲市場への移転はこの国の文化の大切な暗黙知を消滅させてしまいます。2014年には新国立競技場のデザインと費用について、大論争が巻き起こり、最終的にはザハ・ハディッド案は廃案に追い込まれました。独創的なデザインの新国立競技場に、無意識的になんかおかしいぞと感じたのはなぜでしょうか? アースダイバー的視点から、その理由をあらためて解き明かしてみると、外苑と明治神宮との不可分な関係があったことに気づかされます。アースダイバーの号外として、静かだが重要な提言をします。/【目次】序文 聖地の条件/第一部 アースダイバー築地市場/はじめに 海と日本人/1 神々の空間/2 魚河岸の原型/3 江戸の魚河岸へ/4 日本橋から築地へ/5 築地--新しい魚河岸文化/地図1/東京の聖地1【写真】大森克己/《対談》 みんなの市場を目指して 伊東豊雄×中沢新一/第二部 アースダイバー明治神宮/はじめに 二つの森/1 森に包まれた神社/2 内苑-外苑の二部構成/コラム 日本の相撲/地図2/東京の聖地2【写真】大森克己/《対談》 B案の思想 伊東豊雄×中沢新一/謝辞
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
築地市場と明治神宮。人工的に作り出された場所でありながら(前者は埋立地、後者は練兵場の跡地に植林)、「そこにほかのどんな場所にもまして、日本人の伝統的思考が凝縮されて表現されている」(序文より)、と著者は主張する。
海の民は、古より天皇家に海産物を届けるという役割を担って来た。その流れを汲む魚河岸の気風は、関東大震災を機に日本橋から移転した築地においても受け継がれた。戦前建築の代表作ともいうべきカーブを描いた建屋の中で味の目利きとしての仲買人が立ち回るさまは、「制御された混沌(Controlled chaos)」と外国の人類学者に言わしめた。豊洲は幹線道路によって敷地を4つに分断し、この類まれな秩序をズタズタにしていると著者は憤る。
私の感想では、つまるところ市場における「仲買」の機能をどう評価するかで解釈は変わる気がした。著者が言うような味覚の目利きだとすればその機能が豊洲では制限される、という意見にも一理ありそう。一方で、時代遅れの中間流通だと考える人にとっては豊洲は物流効率化の第一歩となるだろう。著者の立場は最終的には「アンチ市場至上主義」ながら、「市場そのもの」を論じていることで若干の錯綜は感じざるを得ない。
その点、明治神宮についての著者の筆はいっそう冴え渡る。内苑と外苑との二元構造は、「閉ざされた見えない空間から、神々があらわれ出ようとする」ときに生まれる聖なる力(ミアレ)が無意識に表現されており、それは古くは前方後円墳にも見られると言う。「自然が人間に拘束を課し、その拘束を人間が受け入れながら仕事をおこなうとき、そこには軽やかな自由の感覚が漂うようになる。・・・ここには人間的欲望を解放しきろうとする資本主義にたいする、見えない『結界』が張られてきた。」(p197)。
ザハ・ハディドの新国立競技場案がこの聖性に反しているとの著者の主張には今ひとつ裏付けが感じられないものの、ともあれ著者ならではのイマジネーションの洪水には唸らされる。写真も美しく、建築家伊東豊雄氏との対談も必読。