中沢新一のレビュー一覧
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ネタバレ朝日新聞で紹介されていたのと、爆笑問題の太田光と「アースダイバー」を書いた中沢新一の対談というのが面白そうで読んでみました。
私は珍しい組み合わせだな~とおもったけど、この二人はもともとメル友だったと書いてありました。
内容は、対談に初めと終わりに中沢新一の文章、中程に太田光の文章が入っていました。
九条を中心に憲法改正問題が出てきていますが、タイトルどおり九条についてあれこれを話しています。非常にいろいろな方面の話がひきあいに出されています。対談のためか、引き合いに出されても「○○の××という部分が△△だよね」といったくらいにしか触れられていないので、その○○を知らないと何を言っているか分からない部分もあるようです。幸いにして、私の場合は8~9割は分かったので議論についていけたのですが、母には、分からないものばかりだったようで、「何を言っているのかさっぱり」という感想でした。
その上で、この本で語られているのは、九条(と日本国憲法)の実務的な成り立ちや方法論ではなく、もっと根元にあるだろう思想の部分だと感じました。根元をつきつめないと、表層だけの議論になってしまうということなのですが。では、実際どうなの?ということを考える人には、理想論もしくは精神論だけ語っているように見えてしまうかもしれません。
でも、やっぱり精神論も必要だと思います。…というか、私の場合、憲法って実務的な法律というよりも(いや、法律なんですけど)、法律の上にあるスローガンというかモットーみたいなものなのじゃないかと思っているので…。そういうのを憲法と言っていいのか?と言われると、一般的な世界(国)では違うでしょうねと答えるしかないです。この本でもそのように話されています。そして、その一般的でないところが日本国憲法の大切な部分だと。
この本を読んで、「何を言っているんだ」と感じる人もいるだろうし、「そういう考え方もあるのか」と感じる人もいると思います。私は、とりあえず、話に引き合いに出されたもので、まだ読んでいなかったりするもの…とくに、『ゲド戦記』の作者、アーシュラ・K・ル=グゥインの両親が関わった最後の野生のアメリカ原住民についての本「イシ 北米最後の野生インディアン」を読んでみたいと思いました。 -
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お金では買えない価値がある。これこそが、資本主義が見失ってきたものの一つだろう。友達が、「コンビニには愛は売っていない」と嘆いていた一面を思いだした。この文章には、現代の資本主義が見失ってきた、根本が表現されていると思った。人と人が繋がるためには、相手を想いやる心が大切である。しかし、現代の世界で起こっているのは、関係性の「物化」だ。今や親友までもが、自分のステータスの指標にまで成り下がってしまった。いわゆる、親友とは「ブランド」と同じということだ。つまり、親友という存在を持って関係していくという意志ではなく、持って喜んだという完結である。労働者が汗水垂らして生み出すのが、人への想いではなく、あくまでも商品であるという、こういうことが資本主義の問題を増やし、人を病ませていく。ここで大切なのは、給料をもらうことではなくて、給料をもらうことによって、必要とされ、人と繋がっているという充足感である。
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中沢新一さんが何故か日本の哲学者田邊元について書いた本だが、これ自体がひとつの哲学書であり、中沢さんの本はいつも非常にわかりやすいのに、今回は抜群に読み応えがあり、難解な部分もあった。
田邊元の「種の論理」が、なぜ中沢さんの興味をひいたのだろう、とずっと不思議だったのだが、これを読んだら納得がいった。田邊元「種の論理」(岩波文庫)を読んだときにはイメージしていなかったような解釈が施され、「ああ、そういうことだったのか」という感じだ。
西田幾多郎に関しても章を割いて記述されているが、そのへんがさすがに難しい。田邊元は数学の話題が出てこない限り、さほど難解な印象はないが、西田は最初から最後まで難しい。
中沢さんはここで、西田哲学を浮き彫りにするためにラカンを引っ張り出してくるのだが、その辺はどうも腑に落ちない気がした。
ちょっとすっきりしない部分もあったが、この本は中沢さんの著書としてはずいぶん濃密に「哲学」であり、ラカンだのドゥルーズだのマラルメだの、多様な知識を一挙に放出するかのような、息をのむ鮮烈さを有していた。 -
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中沢新一の文章は、いつもこちらをハッと気づかせてくれるものがある。
哲学や宗教からから物理、エネルギー論、経済学まで非常に切れ味が鋭い。 大震災後3ヶ月間、思索を重ねた彼の著作がこれ。
内容を要約すると、脱原発によるエネルギー転換から、現在の閉塞した資本主義経済の在り方そのものの転換につながり、今こそ日本からその変化を起こしていくべきだという至極真っ当なものなのだが、そこに至る過程がすごい。
エネルギーの存在論=エネルゴロジー という概念を定義する。エネルゴロジーの原則として、太陽のエネルギーが生態圏の内部に取り込まれるためには、石油や石炭のような化石燃料にしても、光合成にしても、生態圏のなかで何段階にも媒介されることが必要である。ところが、原子炉は、媒介を経る事なく生態圏外の現象を圏内に持ち込んだ点で異質である。そのような無媒介の状態には、「安全」などの神話的思考は意味をなさない。
さらに、このような原子力技術に対応する宗教的思想こそ「一神教」であると筆者はいう。もともとは、自然や動物や植物にも宿っていた神が、モーゼの思想革命により、絶対的な超越神への信仰が生まれた。そのような超生態圏的思考が、その後の人の思想や経済にも決定的な影響を及ぼしているという。
そして、そのような状況で成長した資本主義も、社会というサブ生態圏の内部に、異質な原理で作動する市場メカニズムをもちこんで、社会そのものを変質させたというのだ。
社会は本質的に、人間同士を結びつけるキアスム(交差)の構造を内在していて、与え、与えられる「贈与」の関係が組み込まれている。市場経済は、このような関係性がリセットされて、商品交換の価値として「お金」がでてくる。市場は自分の原理だけで作動する自己調節能を獲得してしまうのであり、これが、表向きは、エコでクリーンエネルギーといわれた「原子炉」と同じ構造であるというのだ。その「原子力」の行き着いた先は、もはや言わずもがなのカタストロフィーである。
エネルギー理論を変えるという事は、もはや、その価値を市場原理の「お金=ビジネス」で語らない(語れない)ということである。TPPの問題もしかり、日本人は価値観の根本を問い直す時期に来ており、おそらく潜在的には多くの人が感じ取っているのだと思う。放射能に汚染された肉、野菜、魚を前に、我が身の安全に躍起になるだけではなく、脱原発を声高に叫ぶだけではなく、自分の価値判断の基準、優先順位を一人一人が問い直すべきだと思う。筆者のいう「太陽と緑の経済」を目指して。 -
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ネタバレ二項対立というものが持つ胡散臭さがどうにも気に食わんくて、
「この世」と「あの世」の間に「その世」とかを導入したらどうか、
なぞと考えていたんだけれど、
この本を読んでなんとなく見えてきたような気がする。
(気がするだけのような気もひしひしと感じはする)
境界が発生する前の渾沌を保つ。
天使が男女の両方であり同時に両方でないように。
けれども、言葉はなにもかもを分節してしまう。
だからたぶん言葉が概念を創る手前で留まる、
あるいは意味が生成される手前で横すべりし続けることが必要になる。
それは本書でいうところの「意味の微分=差異化」ってこと。
「点」という存在しない空間(0次元)に居座るってこと。
う~ん、
自分で書いててよく分からん。
つうかこのテクストは誰向けなのだろう。
なんだか難し過ぎて、かなり踏み込まないと意味すら分からなかったのだが。
そのため読む時間は普段の3倍くらい掛かったと思う。
とはいえ、理解できたとは到底言い難く、甚だ悔しいのである。 -
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「人類最古の哲学」とは神話である。神話は感覚の論理を駆使することで、宇宙における人間の生の意味を見出そうとする始祖の創造的活動であり、ゆえに最古の哲学だ。
神話の臨界点とその役割は、空間や時間の中に散逸して、おおもとのつながりを失ってしまっているように見えるものに、そのつながりを修復し、崩れてしまったバランスを均衡状態に戻すことだ。非対称性となってしまった事象に本来ある対象性を取り戻し、現実の中で両立不能になっている対立項に共生の可能性を論理的に探り出す、決して空想ではない実際的な営みである。
「もはや存在せず、恐らく決して存在しなかったし、これからも多分永久に存在しないであろうが、それについて正確な観念をもつことは、われわれの現在の状態をよく判断するために必要であるような一つの状態をよく知る」(ジャン=ジャック・ルソー)
人間の進むべき正しい道とはなにか、神話には人の根源的な願いが込められているのだ。
太古よりの神話の思考は連綿と続き、物語として現代にも継承されている。本書では神話としてのシンデレラを扱っている。さまざまな民族にまたがるその異文としてのシンデレラ(サンドリヨン)の構造分析から見出すことができる深淵には野生の思考があることに気づく。 -
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ネタバレ3.11をきっかけに「生き方や考え方を変えようとしている人々は、誰もがエネルゴロジストになれる」と中沢新一は言う。
エネルゴロジストとは、「地球科学と生態学と経済学と産業工学と社会学と哲学とをひとつの結合した、新しい知の形態」としてのエネルゴロジーを理解しようというひとのことであり、そうした視点から「この先」を見ようとするひとのことである。
そこで、まずこの本の前半では、いわゆる石炭や石油といった「化石燃料」と「原子力」との「ちがい」について語られる。太陽の恵みを、あくまでも生態圏の範囲内で長い時間とたくさんの媒介を経てつくられる化石燃料に対して、原子力は、ほんらい太陽圏の活動である核反応の過程をなんの媒介も経ずにそのまま生態圏のなかに持ち込んでしまう技術である。
石炭や石油について、限りある資源を大切にしよう、電気は大切に使おう、といわれるのは、それが自然によって与えてもらったものだというリスペクトがはたらいているからである。ところが、人間が科学技術によって自力でつくっている(と思い込んでいる)原子力については、オール電化を例に出すまでもなく「電気はどんどん使って、どんどんつくろう」ということになる。資本主義と原子力が「セット」であるゆえんだ。
それに対してエネルゴロジーは「第8次エネルギー革命」だと、中沢新一は言う。そのことは、補遺として収められた「太陽と緑の経済」でより具体的に説明が試みられている。
そこでは、原子力+資本主義から、自然の理法に則ってつくられるエネルギー+「つぎのかたち」の経済(ケネー=ラカン・モジュール)へと大きく舵を切ることの必要が、「贈与」「農業」「カタラテイン=交換」「地域通貨」「キアスム構造」といったキーワードとともに宣言される。
もし、このマニフェストがぼくら日本人に勇気をあたえてくれるとしたら、それは、今回の悲惨な災禍を体験したぼくらだからこそ、この大きな「使命」を成し遂げることができるのだと信じさせてくれる点にあるように思う。具体的な動きとして、著者が提唱する「緑の党のようなもの」が近々リアルな活動として始動し、この本はいわばその「マニフェスト」にもなるようだ。ぼく自身、よく考え、自分にできるかたちで積極的に関わっていこうと思っている。 -
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このカイエ・ソバージュの5冊セットは買ってしましました。
(抜き書き)
――神話と哲学
ハイデッガーは近代の技術の本質を明らかにするために、技術というものが、古代ギリシャ人たちのもとでどう考えられていたのか、と問うことからはじめました。テクノロジーの語源は、ギリシャ語の「テクネー」という言葉でしたが、この言葉は「ポイエーシス」という言葉と対比される意味を持っていました。「ポイエーシス」は自然に花が咲き出すように、自然が自分の中に隠している豊かなものを、外に持ち出してくることを言います。そういう「豊かなもの」に出会った人間は、それをまるで自然からの贈り物のように、少しも無理をすることなく手に入れることができます。
「テクネー」の方は、それとは違って、自然の中に隠れている豊かなものを、「挑発」によって立ち上がらせた上で、外に引っ張り出してこようとする行為のことを言います。
岩山を砕いて、その中から鉄鉱石を取り出したり、その鉄鉱石に熱を加えて、純度の高い鉄を作ろうとする行為などが、その典型です。どちらの場合も、自然の内部に隠されている豊かなものが、外に出てくるようにする、という意味では同じなのですが、やり方が根本的に異なっています。「ポイエーシス」は自発的で贈与的ですが「テクネー」は挑発的で、相手に義務を課すという意味では交換的です。
ハイデッガーは、近代に入ると技術が一気に「テクネー」としての性格を強めて、自然をコミュニケーションの相手ではなく、「開発」のための対象物としてみるようになってしまったことに、強い危機感を表明したのでした。科学的理解や産業開発のための対象物である限り、自然は口を閉ざしたまま、人間に向かって自分を開いてくれません。
――王にならなかった首長と、環太平洋神話学から
新石器的な社会では四つの種類のリーダーを二つに分けて機能させようとしている。つまり、首長(実質的な権力は長老会議にあるため権力は持たず、全員一致を目標として調停を行う。自分の持ち物を気前よく人に与え、時にはその上で二人以上の妻の面倒を見、歌や踊りをよくし、弁舌が立たねばならない。)と、秘密結社(家族から離れたクランであり、年功序列でイニシエーション、入団儀礼が行なわれる。特に最上位の結社はカニバリズムの儀式を持つこともあり、狩における力関係において人間を超えた、または同等の存在と一体化しようとする。狩のない冬の間の社会形態であることが多い)+戦士+シャーマンのリーダーである。夏の季節には人間の社会と動物の社会は、「文化」と「自然」として対立しあい、人間の社会は首長が指導する。理性的な首長には権力がなく、権力=力の源泉はもっぱら動物の世界に潜んでいる。だが、冬の季節になると(または戦争時)この区別が無化されてしまう。
この「人食い」たちが、世俗的な時間のリーダーである首長と合体したときに、首長はまぎれもない王となります。ところが、北西海岸インディアンの場合にも、日本列島の縄文社会の場合にも、また多くの「少数民族」の社会でも、首長と「人食い」の合体は起こりませんでした。王が生まれれば、クニ=国家が発生します。これらの社会は、豊富な備蓄経済を実現し、階層性を発達させ、国家がいつ生まれてもおかしくないような条件を十分に備えていながら、自分の内部からは決してそれを作り出さなかったわけです。「国家を持たない社会の臨界形態」が、まさにここにあると言えます。
「ふゆ」はなんと偉大で、そして危険な季節なのでしょう。 -
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冒頭の「序曲」に、この本の主旨はほとんど語り尽くされている。
人類学で有名な「贈与の循環」を「ものを結びつけるエロスの力」と位置づけ、これに対し「「もの」と「ひと」、「人」と「人」の間に距離をつくりだし、分離する」という「売買」のシステムを対置させる。
後者の市場の論理は、網野善彦さん(中沢新一氏の「おじさん」らしい)の、「市場」を「日常の世界での関係の切れた「無縁の場所」」とする指摘(『日本の歴史をよみなおす』)から敷衍されたものだろう。
本書では特に「贈与」をめぐって思考がおしすすめられる。
『カイエ・ソバージュ』の前に書かれたものらしいが、ひとつの考え方として、「思考」の冒険記として、おもしろかった。 -
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<ブックレビュー>
人類の歴史や文化、思想といったものを、「神話」という観点から大胆に読み解いていく書。講義形式なので、口語調だし、難解な言い回しもなく、学術書なのにすらすら読める。
著者は、新石器時代に起こった人類の変化を、人類史上最大の革命的な出来事であるとし、それ以来、人類は根本的な変化や進化を迎えていないという(8千~1万年前から人間の脳味噌は根本的に進化していないのだ)。
そして、その新石器時代の大変化が生み出したものこそ、神話的な思考であり、その神話的思考の原型は世界に散らばる様々な神話やおとぎ話の中に見いだせるのだとし、実際に様々なおとぎ話や神話を題材にし、その中に神話的思考を読みとり、解説していく。
本著で大きく取り上げられているのはシンデレラの物語だ。今ではディズニーのアニメが有名だが、シンデレラと同型の構造を持った物語は、世界中に存在し、中国のシンデレラやインディアンのシンデレラ、日本のシンデレラなど、ヨーロッパのシンデレラと非常によく似たシンデレラの物語が世界各地に存在するのだという。そして著者は、その物語の類似性の中に、人類の中に眠る神話的思考を見いだしていく。そのことで、人間が無意識のレベルで自然に対してどういった思想を持っていたのかを明らかにしようとする。(別にユングのいう普遍的無意識云々の影響で物語が類似した形を取るとかそういう議論はしてなくて、ちゃんと人類学的理由でその類似については説明している)
最終章では、著者による神話的思考による分析の射程は、現代日本のヴァーチャルな文化にまで及んでいる。
近現代の日本で大きな発展を遂げたアニメやゲームといった文化の分析だ。こういったサブカル的なものを、文化人類学的思想や神話によって読み解く本は他に見たことがなかったので、新鮮だった。
ただ、本書ではそれはまだまだきちんと理論化され十分に分析されているとはいいがたく、ある種の予見というか、試論とか準備論の段階にとどまっている。
(著者によると日本のゲームやアニメの文化の根底には、古くから日本人の思想の中に生き残っていた神話的思考が生きている。しかし、ゲームやアニメが古来の神話と異なるのは、神話が現実的なものとのつながりや五感が捉える現実とのつながりを保持しようとしていたのに対して、ゲームやアニメはヴァーチャルな領域だけで完結してしまっている点だ。だからゲームやアニメの体験は、現実的なものや具体的なものとの接触の中で弁証法的関係を築けない。つまり、それは快楽原則の充足のためだけに、ヴァーチャルな部分だけが肥大化した思想であり、自然の根底に触れ、それを理解しようとする神話の思想から離れてしまっている。そのことで具体的な自然的世界への深い理解やつながりは失われてしまう。と、現代のヴァーチャル文化に対して軽い警告を発している。あまり深いレベルにまで分析が達しているとは正直言い難いなと)
全体として刺激に満ちた本だし、教養としてもすばらしい体験をもたらしてくれるので、興味ある人は手にとって読んでみてもいいのではないかと思う。 -
Posted by ブクログ
本書は、文化人類学や宗教学をはじめとして様々な分野・領域の成果を利用しながら、「神」という存在が人類の心のなかにどのようにして成立したのかを論じる。
「神(God)」とは、本書ではキリスト教など唯一神を奉ずる宗教における神を指す。しかし原初的なアミニズムやグレート・スピリットなど、また多神教における神的存在やスピリット(精霊)といった存在をどう考えればよいか。人類が当初思い描いた数多くのスピリット集団を説明し、そのなかからグレート・スピリットといわれる特に重要な精霊が分化・発生し「来訪神」と呼ばれる存在になる段階を説く。そして、そこから人類の思考がさらに変化して「高神」と呼ばれる、いわゆる唯一神が発生する。このように本書では、精神考古学的な検討で人類の宗教的思考を原初から辿り、最終的には唯一神的神観念が成立する人類の心の様相の変化を、順序立てて論じる。
日本におけるカミ観念も交えながら、横断的に「超越」の思考を語る本書は、大学での講義録を元にしており、難解な説明に陥りやすい本書内容を理解しやすくしている。