中沢新一のレビュー一覧
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ネタバレ奇跡の憲法。変えたくない。
良いものと言うのは合作でできたものと言うことを忘れちゃいけない。日本人はよく仏教を良い思想だと言うけれど、あれは日本人が作ったものではなく、アジア人の合作した合同作品。さまざまな価値,伝統が混じり合う。
この発想がとても大事。
私はイシである。ヤヒ族。クローバー博士
アメリカは自然と共生するネイティブアメリカン
を絶滅させたり居留地に追い込んだ,虐殺した、そのことを後悔し傷ついたアメリカ人、
が日本国憲法のその心を反映させたのでは?と太田光。個人としてのアメリカ人ならありうるのか。
大衆としての簡単に二元化二元論的な思考で虐殺や差別や偏見を撒き散らしているけど。
国家のスタンスとして現実的でない憲法九条、
人間の限界を越える挑戦,とも語られていて面白い。意味ある挑戦。そもそもみんな戦争はいけない,というのに平和憲法は限界への挑戦となってしまうのだから、激烈に挑戦した方がいい。
どっちが普通なのか。
平和憲法をやめて戦争OKにすることで普通の国になれるのか?
宮沢賢治の宗教右翼側面から始まる対話.宮沢賢治のその部分を論じたり見せたりしないまま広めている今の日本の文化的なスタンス、
これは戦争のほんとのことをあまり伝えない、こちらは侵略者植民者なのに被害者ヅラで本質をみないみせない見ようとしないところと地続き。
田中のエッセイが渾身で、
最後に必要なのは、恍惚の中で、宮沢賢治も田中智学も持てなかったもの。自分を否定する勇気だ。
と書いている。
死を表現しないことの危険性についても、、、私は桜の国はどうでも良いけど田中の論考は面白い。
女性天皇の問題も語られていてこの本は2006年の文芸誌での対談から始まったものだがとても20年前とは思えない、今でた本と読んでも違和感ない。
改めて思う、日本国憲法は稀有なもの,突然変異、ユニークな、そしてだからこそこのモヤモヤふわふわ非論理の集まりである日本には必要。、
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久しぶりに中沢新一さんの本を読んでみた。
中沢さんは、ポスト構造主義〜宗教的神秘主義のイメージが強い一方、科学主義と批判されることも多いレヴィ=ストロースについてはストレートに肯定的でもあって、ここがどう繋がっているんだろうと不思議だった。
というわけで、レヴィ=ストロースを直接的に論じた本のようなので読んでみた次第。
エピローグに記載されているところでは、中沢さんは、レヴィ=ストロースの構造主義的人類学については、世間で理解されているもの、つまり、言語論的な構造主義の人類学への応用というものとは違う感じを持っていたということ。
というわけで、いわゆる「構造主義」の奥にあるものというタイトルになって、レヴィ=ストロースの主題に基づく4つの変奏として4つの試論が入っている。
ある文化に属するその人々には分かってない深層に「構造」があるというだけで、科学主義的な本質主義と批判されるところだが、さらにその奥に何かがあるという話しになると、さてどうなるのか?
第1章は、レヴィ=ストロースの構造主義には仏教がある、というかなり大胆な議論で、やや我田引水感はあるものの、そういうところもあるかもしれないと思う。少なくとも、中沢さんの中で、レヴィ=ストロースと神秘主義がどう繋がっているかはよくわかる。
第2章は、レヴィ=ストロースの弟子のリュシアン・セバークを紹介しつつ、マルクス主義との関係、経済という下部構造と文化という上部構造との関係という観点で、構造主義の可能性を論じている。
第3章は、文化人類学でよく議論される双分制に対するレヴィ=ストロースの懐疑的な論考をベースに、やや強引に物理学の比喩を使いながら対称性という自身の考えにつなげていく。
第4章では、ブリティッシュ・コロンビアの神話と日本の神話との類似性を構造分析しつつ、地震多発地帯としての環太平洋文化圏という視点を提案する。
この本はいわゆる「選書」で、学術的な研究書ではないので、議論がやや大雑把な感じはするが(中沢さんの本は大体そうですが)、提起している問題は重要なところだと思う。
要するに、ポスト構造主義的な観点から乗り越えられたとされるレヴィ=ストロースの今日的な意味を再発見しようという試み。言語学的な人文科学としての構造主義を経済、社会、宗教、自然とリンクした革命的な思想として読み直すことへの誘いということですね。 -
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宇多田ヒカルの「ぼくはくま」という歌が本当に謎だったけど、これは宇多田ヒカルがこの本読んで、熊に対して酷いことをしたという、謝罪、敬意の歌なのかもしれないと思ったりした。
なんか相当熊には酷いこと酷いことをしたんだと思う。まあ人間が生きていこうとすれば動物に酷いことをしてしまうのはもう摂理なのだけれども。そこには感謝が必要だよねという話。
国家を持ち、権力をレベルアップすればするほど、自然は破壊され、世の中はどんどん非対称になる。そうなったら地球温暖化しても仕方ないよねって話。
マジで世界は残酷なんだって感じだな。
神話は神様が作った話だと思ってたけど昔の人たちが口語で伝えて、もしかしたら嘘かもしれないし本当かもわからないけどきっとわたしは本当なのかなって思う。もっと動物も意思疎通できる人たちが、昔はいたんだと思う。今でもたまに動物の気持ちを理解できる人いるし。
自然に近い存在でいたから。私たちは自然からかなり遠ざかり、自然とおさらばしているから、どうしようもなく矛盾したことをしてしまい、悲しみ怒る感情に支配されることになるんだろうなと思った。これはめちゃくちゃ面白い本だ。 -
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日本人のルーツを探り、古い地層の中に潜っていくアースダイバーの旅。
今回は、縄文と弥生。
私なりに読み解くならば、今回のポイントは、ともに南洋の海からやってきた縄文人と弥生人は、前者がポリネシア系、後者が漢民族の支配に抵抗した中国南部(ベトナムとの国境付近)の少数民族の特徴を色濃く残す(つまり、漢民族や朝鮮半島人ではない)、ということ。
学校の授業で習う渡来人が日本の外来文化の全てと思うとまちがえる、ということだ。
彼らは、稲作の知識の有無、という決定的な違いこそあったが、海洋民としての共通性も持っていた。
このことが、縄文系聖地と弥生系聖地との複雑な変遷の原因となる。
農業生産物という蓄積可能な財産が生まれたことにより、資源循環型のアニミズムが変革されたこと。環太平洋に起源を持つ太陽信仰。中国南部で古来から行われてきた鵜飼の日本での分布。
いわゆる縄文人は、シベリア経由で当時陸続きだった列島に入ってきた、という説も有力らしいので本書の考察(というよりイマジネーション)がすべて正しいかはわからないが、古来からの祭りや信仰の中に、日本人の源流についての知識がまるでDNAのように埋め込まれていることへの興味は尽きない。
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下火になっている憲法改正論議をよそ目に日本国憲法、日本人論、天皇制について中沢新一と太田光が
議論。切り口が新鮮でとても良かった。
そもそも、安倍晋三はなぜ自衛隊を9条3項で位置付ける案に後退したのか、これなら面白い議論にならないじゃないか、いっそのこと交戦権を肯定して自衛隊を国防軍くらいにするくらいじゃないとちゃんも議論が出来ないなんてことから始まる。
また、日本人論として、元々縄文と弥生のファジーな一体化で、天皇陛下もその間の中空にいるような存在として位置付けられ、そういう曖昧な存在で何とかやってきたのに、明治の天皇制度が西洋や中韓型によった変な制度であったことから、変なことになってしまった。
戦後は、日米ともハイテンションの中で理想論を高く掲げて作った日本国憲法は元より矛盾だらけ、それが日本人の感覚ともあっている。軍隊無しで乗り気るのなんてそもそも無理筋で、それを自衛隊という存在で政治の智慧で乗り切ったんだろうと。
一番納得したのが、中沢先生の次の発言、
「日本人、嫌なこと強制されたら適当なこと言っているうちにもとに戻しちゃいますから。だいたい、そんな立派な国軍にされちゃったら自衛隊自身がイヤでしょう。曖昧な存在であるからこそ、彼らだって家族の理解を得て自衛官をやっている訳だろうし。その点、改憲派もリベラルも良くない。「はっきりしろ、白黒つけて変えろ」でも「一字も変えるな」でもなくて、「言ってることは矛盾したしているのかも。だけど、役に立つんだからいいじゃないですか」っていうのが、一段階上に立った考え方なんじゃないでしょうか」(154頁)
そのような面白い憲法を、自衛隊を書くだけという至極つまらないことで直して良いのかね。楽しくなるように議論しないとというもの。
現状回っているし、無理して理屈に合わせなくても良いと思うようになってきた。