【感想・ネタバレ】熊から王へ カイエ・ソバージュ(2)のレビュー

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Posted by ブクログ 2022年01月14日

宇多田ヒカルの「ぼくはくま」という歌が本当に謎だったけど、これは宇多田ヒカルがこの本読んで、熊に対して酷いことをしたという、謝罪、敬意の歌なのかもしれないと思ったりした。

なんか相当熊には酷いこと酷いことをしたんだと思う。まあ人間が生きていこうとすれば動物に酷いことをしてしまうのはもう摂理なのだけ...続きを読むれども。そこには感謝が必要だよねという話。
国家を持ち、権力をレベルアップすればするほど、自然は破壊され、世の中はどんどん非対称になる。そうなったら地球温暖化しても仕方ないよねって話。
マジで世界は残酷なんだって感じだな。 

神話は神様が作った話だと思ってたけど昔の人たちが口語で伝えて、もしかしたら嘘かもしれないし本当かもわからないけどきっとわたしは本当なのかなって思う。もっと動物も意思疎通できる人たちが、昔はいたんだと思う。今でもたまに動物の気持ちを理解できる人いるし。
自然に近い存在でいたから。私たちは自然からかなり遠ざかり、自然とおさらばしているから、どうしようもなく矛盾したことをしてしまい、悲しみ怒る感情に支配されることになるんだろうなと思った。これはめちゃくちゃ面白い本だ。

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Posted by ブクログ 2017年05月02日

カイエ・ソバージュの1冊目が面白かったので、早速、第2冊目にすすむ。

1冊目が、レヴィ=ストロースの「神話論理」をベースにした世界各地のシンデレラ物語分析というところで、面白いものの、どこか予定調和的な感じがしなくもなかった。

で、2冊目では、原始的な共同体から国家の誕生へと、静的な世界から...続きを読む、ダイナミックな世界に動き出す。つまり、定常社会の記述を徹底していくことを通じて、王が出現する瞬間を描き出そうとする。

王=国家の成立にとって、経済的な格差や身分の成立といった経済社会的な構造変化は必要条件としながら、十分条件として、定常社会のなかに存在する神話的思考に内在する論理を指摘する、ところがとてもスリリング。

9.11の直後になされた講義であり、なにが「野蛮」なのか、という問題提起が繰り返されなされる。特に、冒頭に引用される宮沢賢治の「氷河鼠の毛皮」のインパクトは強烈であり、この本全体のテーマを的確に示している。

最後のほうでは、「野生の思考」としての仏教思想という話がでてくる。

1冊目のレヴィ=ストロースの忠実な弟子という感じから、いよいよ中沢氏の本領発揮という展開で、面白かった。

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Posted by ブクログ 2014年11月13日

どうやって人間は「自然」から離れ、権力を奪い「国家」をつくるようになったのか、と同時に、心の奥からポッと生れ出た自然を語る神話たちは、どこかへ消えたのではなく、今も形を変えてそばにいるということを教えてくれる本……というか、説明がすごく難しい。いろんなことが広範囲で語られている。「国」や「権力」って...続きを読むなんだろうと疑問に思うなら、楽しめる本だと思う。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2011年04月09日

熊が人間にとって神であり、友人であったこと、北半球における最強動物の圧倒的な力を前に思考を巡らすことで哲学が発展していったということには驚きました。考えてみると、凶暴な熊は人を襲ったり食べたりもするので、まだ道具がそろっていない時代には、そういう力の前に哲学的に考えることもあるように思えます。今で言...続きを読むうと自然災害とか宇宙とか?

また、国ができ、王が生まれるという過程についても驚かされました。

知的興奮を感じさせてくれる本でした。

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Posted by ブクログ 2010年02月09日

神話の生きていた「対称性社会」の崩壊から、クニの始まり、
そして産業革命後の宗教がもたらした「第一次形而上学革命」による国家成立の過程。
現代とは、文明という名を持つ、歴史上最も野蛮な世界だ—

太古より、先住民たちに共通して神としてあがめられてきた熊と、
人との関係の変遷に沿って歴史を読み解き、
...続きを読む現代が失って久しいもの、今意識しなければならないことが
わかりやすく解説された、人類学の入門書。
人類学に限らずだが、学問や思想は現代の闇をするどく看破する力を持っている。
自分で新しい目線を育てる指南書として一読の価値あり。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

中沢新一さんの<カイエ・ソバージュ>第2弾です。<熊>をキーワードにして、神話と人間の思考様式を考えていく。世界のどこか、じゃなくて、世界中普遍な物語。素敵です

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Posted by ブクログ 2009年10月07日

クニ(国)ができる前は人々はどういう風に考えていたのか、という話。クニができる要素はあるのになかなかクニができなかった地域もあって、それは未開とか未熟とか野蛮とかではなく、別の価値観・知恵をもって暮らしていたのでは、というお話。おもしろい。

『チベットの・・・』で思考停止に陥った「トポロジー」とい...続きを読むう言葉の説明が出てきました。いわく、
”トポロジーという学問は、具体的な空間や図形の性質を調べるのではなく、それをひっぱったり伸ばしたりしても、変わらない性質を調べようとするものです。”
なんとなくですが、少しわかったような気がしました。

宮沢賢治の作品を、ちゃんと読みたくなりました。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

すばらしい!読み終わった後、拍手です。すてきなショウのようなでした。
すべてのクリエイターに読んでもらいたい。
「人類の思考のすべての領域を踏破する」試みの全5シリーズの2冊目。(KOBA)

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2024年03月19日

引き続き面白いです。

…スサノオは「人食い」であった大蛇を倒すことができました。すると大蛇の持ち物であった「人食い」の特性は、スサノオの所有に移ることになり…古代人の思考では、食べることとセックスすることは一つです。スサノオは土地の首長の娘を性的に食べることによって、二重の意味で「人食い」としての...続きを読む王の特質をあらわしてみせています。…このとき剣は、社会の内部に自然の権力が組み込まれるプロセスをあらわすものとして、王権の象徴となります。(p.197-198)

原初、神は熊であった
というのも面白かった。し、アイヌに「熊送り(イオマンテ)」という儀式があるんだなあ…テディベアが大好きな私もそういうことなの…?って思ってしまいました笑

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Posted by ブクログ 2018年07月07日

中沢新一 「 カイエソバージュ 2 」神話研究から 近代文明の構造を明らかにした本。人類学ならではの構造の抽出だと思う。テクノロジーと 王権による国家概念を 近代文明の非対称性の特徴として 共通分類した点は面白い。未開社会から学ぶことは多い

終章「野生の思考としての仏教」は、仏教の空概念に 神話...続きを読む的思考を見出している点、ブッダが首長を理想としている点が 興味深い

タイトル 熊から王へ の意味
*対称性の社会から非対称性の社会へ
*動物と人間の共生社会から 動物と人間の分離社会へ
*自然か所有していた権利を 王が所有する王権へ
*王、国家の成立

対称性の社会=神話的思考
*人間と動物が対称的関係
*熊と人間の共生→人間と熊はお互い変容できる
*首長はいても、王はいない、国家はない
*首長は 弁舌、歌、踊り、気前の良さで 社会を調和し、権力(政治権力、軍事力、神秘的権力)はもたない

対称性のない世界(非対称性な世界)
*人間と動物を分離する思考
*富の配分が非対称性
*野蛮を内部に組み込んだ社会→野蛮を排除できない
*王=人間の社会の権力をもつ者+首長

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Posted by ブクログ 2014年11月22日

国家「クニ」が野蛮であることは不可避であり、自然・動物に敬意を払う精神構造を捨てた「文明」は野蛮を土台にして発生している。
何故、現代文明を我々はこれほど歪に感じるのか。文化的に遅れていると言われる原始宗教に惹かれるのか。それは遠い昔、縄文まで遡る頃に、そのような、真に文明的な社会が存在していたから...続きを読むである。
首長・将軍・秘密結社・シャーマン。
首長は「集団の緊張を和らげるもの」「自分の財物を惜しみなく与えるもの」「弁舌さわやかなもの」。さらに歌・踊りの能力も重要であり、現代のミュージシャン(の語り)が若者の心をつかむことの共通性。

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Posted by ブクログ 2013年12月29日

このカイエ・ソバージュの5冊セットは買ってしましました。

(抜き書き)

 ――神話と哲学
 ハイデッガーは近代の技術の本質を明らかにするために、技術というものが、古代ギリシャ人たちのもとでどう考えられていたのか、と問うことからはじめました。テクノロジーの語源は、ギリシャ語の「テクネー」という言葉...続きを読むでしたが、この言葉は「ポイエーシス」という言葉と対比される意味を持っていました。「ポイエーシス」は自然に花が咲き出すように、自然が自分の中に隠している豊かなものを、外に持ち出してくることを言います。そういう「豊かなもの」に出会った人間は、それをまるで自然からの贈り物のように、少しも無理をすることなく手に入れることができます。
 「テクネー」の方は、それとは違って、自然の中に隠れている豊かなものを、「挑発」によって立ち上がらせた上で、外に引っ張り出してこようとする行為のことを言います。
 岩山を砕いて、その中から鉄鉱石を取り出したり、その鉄鉱石に熱を加えて、純度の高い鉄を作ろうとする行為などが、その典型です。どちらの場合も、自然の内部に隠されている豊かなものが、外に出てくるようにする、という意味では同じなのですが、やり方が根本的に異なっています。「ポイエーシス」は自発的で贈与的ですが「テクネー」は挑発的で、相手に義務を課すという意味では交換的です。
 ハイデッガーは、近代に入ると技術が一気に「テクネー」としての性格を強めて、自然をコミュニケーションの相手ではなく、「開発」のための対象物としてみるようになってしまったことに、強い危機感を表明したのでした。科学的理解や産業開発のための対象物である限り、自然は口を閉ざしたまま、人間に向かって自分を開いてくれません。

 ――王にならなかった首長と、環太平洋神話学から
 新石器的な社会では四つの種類のリーダーを二つに分けて機能させようとしている。つまり、首長(実質的な権力は長老会議にあるため権力は持たず、全員一致を目標として調停を行う。自分の持ち物を気前よく人に与え、時にはその上で二人以上の妻の面倒を見、歌や踊りをよくし、弁舌が立たねばならない。)と、秘密結社(家族から離れたクランであり、年功序列でイニシエーション、入団儀礼が行なわれる。特に最上位の結社はカニバリズムの儀式を持つこともあり、狩における力関係において人間を超えた、または同等の存在と一体化しようとする。狩のない冬の間の社会形態であることが多い)+戦士+シャーマンのリーダーである。夏の季節には人間の社会と動物の社会は、「文化」と「自然」として対立しあい、人間の社会は首長が指導する。理性的な首長には権力がなく、権力=力の源泉はもっぱら動物の世界に潜んでいる。だが、冬の季節になると(または戦争時)この区別が無化されてしまう。

 この「人食い」たちが、世俗的な時間のリーダーである首長と合体したときに、首長はまぎれもない王となります。ところが、北西海岸インディアンの場合にも、日本列島の縄文社会の場合にも、また多くの「少数民族」の社会でも、首長と「人食い」の合体は起こりませんでした。王が生まれれば、クニ=国家が発生します。これらの社会は、豊富な備蓄経済を実現し、階層性を発達させ、国家がいつ生まれてもおかしくないような条件を十分に備えていながら、自分の内部からは決してそれを作り出さなかったわけです。「国家を持たない社会の臨界形態」が、まさにここにあると言えます。
 「ふゆ」はなんと偉大で、そして危険な季節なのでしょう。

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Posted by ブクログ 2010年09月05日

我々は"敢て"「国」を創らなかった優雅な民族の末裔なのか? なぜこうも人はティディベアが好きなのか?「権力」の対抗としての「文化」の意味とは?
第一巻では思考の滑走路を十分加速しながら走り抜け、第二巻では浮遊する・・・そんな錯覚を起こすような知の遊戯本。
「遊戯」とはいうものの、...続きを読むこの遊戯は実に人間誰もが持っているsomethingを揺らす力がある。
大学生への講義だけれど、「有用」なことを追求して生きている社会人にぜひ読んでほしいシリーズ。

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Posted by ブクログ 2018年06月12日

(01)
各章には,やや長めに神話や説話が引用されている.その多くに熊が登場する.また,その多くは,環太平洋の北半球地域で採集された話である.
モンゴロイドなどの族の環太平洋北部の大陸間移動と,熊の生態学的な分布が重ねられ,そこに生まれた人類と獣の交流の物語(*02)に,あるべき普遍の倫理を読もうと...続きを読むする.自然,文化,文明をめぐり企図された倫理は,しかしながら,説得力を欠くようにも読まれた.
旧石器から新石器へと技術(テクネー)が変化した際に,象徴操作や流動的知性というアビリティが備わったと,著者はいう.ニューロン組織の進化があったとする.脳科学的にこの理解が正しいのか検証されているのかは分からないが,留保も必要な議論のように感じた.

(02)
インディアンやエスキモーが語る個別の神話や続けられてきた儀式の細部は,楽しい.著者による一次的な解説は,うなずける点も多い.種族のルーツ,動物との婚姻譚,自然と文化の間の贈与,鉄などの武器の聖性,季節と学年制度の関係など,示唆的である.

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Posted by ブクログ 2018年01月23日

カイエ・ソバージュの第2巻。第1巻からだいぶ時間を空けてしまった。講義録なので読みやすく、説明や引用も丁寧で難なく読み進められた。やはりテーマは自然と人間の「対称性」。現代は人間が力を持ちすぎた「非対称性」の時代。しかし古代、まだ人間がクニをもつ前は自然と人間は対等であり、力は自然より与えられる者だ...続きを読むった。人間と自然の中間として象徴されていた存在が「熊」だという。神話の中では、クマは人間になり、人間はクマになる。熊は人を襲うこともあるが、自身を捧げ毛皮になり肉になる。

今の時代の危機を対称性の喪失として語る。かなり神秘的な思想だが、先祖が尊んできた一つの宗教的感覚を無価値なものと断じる気持ちにもなれない。ゆっくりとした良い学びになった。

18.1.23

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Posted by ブクログ 2011年03月27日

《ブックレビュー》
第一巻が、自然と人工との間に対称性を取り戻そうとする神話の試みを読み解くものならば、この第二巻は、国家の誕生によって、自然ー人間間の対称性が失われた世界、たとえば自然を支配したり、征服したりといった思想が出てきた後の世界について、分析の射程を広げていく。

自然とともに暮らし、神...続きを読む話を法として生きていた者達は、自然との関係において、どちらかが大きな力を持つとか、どちらがどちらを支配するとかいった非対称な関係ではなく、お互いが大きな自然の中の一部となるべく、暮らしていた。たとえば狩猟民族でも、必要以上の動物を狩ることは固く禁じ、殺した動物の身体を丁寧に尊敬を込めて扱っていた。
しかし、その対称性が崩れた世界では、動物は贅沢のために必要以上に殺され、また養殖などによって異常なまでに商品として量産されたりした。そういった世界では、神話が法として機能していた世界と異なり、自然との間に対称性が失われてしまっていると著者はいう。

そういった対象性の失われた世界では、やがて「王」生まれることになる。自然界に対して圧倒的に非対象な権力を持つ存在である王が。
こういった非対象な社会のあり方と対比しながら、著者は対象性社会の中に存在してた神話的思考を分析していく。そして、その分析のためのツールとして対象性社会の中で人間社会と自然とを仲介する存在として信仰されていた「熊」を用いる。

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Posted by ブクログ 2010年08月19日

中沢新一のカイエ・ソバージュシリーズの第二巻。

ここで特に語られていることは、「熊」をカミとして万物の生物との「対象性の思考」、そこからの「野蛮」の介入によるクニ、国家の誕生についてである。
第一巻同様にたくさんの神話(今回は部族の言い伝えかな)がふんだんに盛り込まれていて大変に興味をそそられた。...続きを読む

様々なつながりの知識が入ってきて感動する。知らなきゃ、知らないまま。でも知らないではもったいない。

とりあえずつらつらと気になるところをあげていく。

序章より
・相手が動物であれ、人間であれ、相手を「野蛮」だと決め付けて、自分は文明的だとうっとりするということは容易には崩れない非対称の関係がある。それは「正義」であるという先入観がないと生まれない。そしてそれは神話的思考では生まれず、国家が誕生したために生まれたのであろう。

・9.11では「文明」と「野蛮」の戦いだといわれている。
それは現代世界の深刻な思考停止からくるもの。「安全な球体」。

・弱者のテロリズム。かつては対称性な関係が成り立っていた。技術に差があるのだから一方が上に立つのは当たり前だが儀礼などを通して関係を保とうとしていた。しかし今ではそれが崩れてしまった。だからその関係の復活を要求する。しかし会議をして話し合おうにも悲鳴をあげても耳を貸してくれない。そこでテロを行うことにする。よくないことは知っているが、許しがたい「野蛮」に陥っているために行動を起こすしかない。


第一章より
・神話的思考は対象性を回復しようとする社会でしか機能しない。そうじゃないと権力者によって都合のいいように歪められてしまう。

・神話はいまある秩序はかりそめで、いつかは滅び、権力は束の間で、それははかないものだと教えてくれる。

・トンプソン・インディアンの神話。山羊と人が番って、山羊の扱いや尊さを知る話。


第四章より
・ウリチの神話。カレイと交わった男の子がシャチに出会い、剣を手に入れて熊を殺す話。


第五章より
・シャーマンは熊とよく似た存在。孤独であり、冬眠によって「ドリームタイム」で遊んでいる。


第七章より
・夏は狩猟の季節で人間は動物を殺す。だから冬には人食いに人間が食べられる。首長は森を住処とする自然の王である。これは人間だけが優位ではないという考えからくるもの。熊を毛皮を脱げば人になるとされていた。


第八章より
・熊が人間世界と最良の友であると同時に人食いの部分を兼ね備えているのは「野生の思考」と「宗教的思考」を同時に生まれることを孕んだ絶妙のバランスである。

・古代では食べることとセックスすることはひとつ。スサノオ神話では首長の娘を性的に食べることによって二重の意味で「人食い」の王の性質を現している。


終章より
・仏教のサンガは国家の中に国家を否定する共同体をセットしようとした。それはブラックユーモアだ。

・チベットの仏教徒たちは動物を見て自分の母親や兄弟であると思えるまで瞑想を繰り返す。そうすることで慈悲の心を養おうとしている。


補論より
・熊の冬眠は大地に深い関係のあるとされ、「死」を身近に感じさせる。



「熊」の存在。そこから見えてくるクニ・国家の発生。
対称性の世界の抗う姿が目に浮かぶ。
「自然」を重んじて対称性の思考を養ってきた人類は自然に「野蛮」が入り込んでしまった。
かといって私たち(日本人であるのも多いに意味はあるが)は非対称性の社会にあぐらを組んで座っている。
そんな私たちが対称性の思考から学ぶことはたくさんあるだろうが、それを実践するまでのプロセスが一番難しい。
感じることはたくさんあるが実践するとなると私にはまだ学ぶことがたくさんある気がした。
次は第三巻を読もう。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

「首長」と「王」の違い。それは野蛮を取り込んだ存在であるかどうかの違い。首長は理性的な存在であるが、王は自然から力を奪い取った(気になっている)不敬な存在なのである。人類は進化している、と言うのは思い上がった考えなのかもしれない。新石器時代の思考の方が、よっぽど平和的で文化的かも。
2006.01....続きを読む28-02.20

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