【感想・ネタバレ】対称性人類学 カイエ・ソバージュ(5)のレビュー

あらすじ

カイエ・ソバージュここに完結。新たな知の営みへ! 神話、国家、経済、宗教、そして対称性人類学へ。「圧倒的な非対称」が支配する世界の根源を問う冒険、ここに堂々完結。抑圧された無意識の「自然」は甦るのか?「対称性の論理」が切り開く新たな世界とは?野生の思考としての仏教を媒介に、来たるべき形而上学革命への展望を示す。

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Posted by ブクログ

カイエ・ソバージュシリーズの第一巻を買ってから8年も経ってしまったが、ようやくいま、全五巻を読み終えた。8年の間、理解できなくなっては投げ出し、暫くして最初からまた読み直すという繰り返しであったが、不思議と途中で諦めようと思ったことは一度もなかった。
これは私だけの感覚なのだろうか。長い時間、理屈を考え続けていると、だんだん頭が熱くなってくることがないだろうか。私にはそのとき同時に、脳の表面は活発に動いて熱くなっているけれども、脳の奥の方は、実はちっとも動いていないのではないかという実感が残っている。
中沢新一が「流動的知性」だとか「対称性思考」などと定義し、言葉を尽くして説明しようとしているのは、この頭の内側に広がる脳の未開発の部分を動かすには、通常の思考パターンとはまったく別の回路を開く必要があるということだろう。
三次元の世界に住む私たちに、四次元の存在を直感的に把握することができないのと同様に、日頃、脳の表面しか使っていない私たちには、この新たな思考回路をすんなりと理解することは難しい。
中沢新一は『虹の理論』以来ずっと、私たちにこの新たな思考の姿を伝えようと努力してきた。その表現は時に難解なものとなり、論理展開についていけない自分の頭の堅さに辟易することも多々あるけれども、それでもなお諦めずに頭をフル回転させていると、ふと、これまで経験したことのないような頭の動かし方を一瞬だけ実感することがある。そのとき私は、ようやく脳の奥に一筋の光が届くのを感じるのだ。

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2014年01月12日

Posted by ブクログ

5冊シリーズ読破。5冊ともタイトルがおしゃれ。今までのまとめって感じです。講義録なので、かなり読みやすい。こういう講義を大学生の時に受けたかったな。

昔の人はまるで違う2つの異なるものをつなげていろんなモノを創り上げて生きていたんだというのがよくわかる。このへんが「対称性」に関係していて、そこらへんが崩れてきて自然の声を聞けなくなっている(想起する力が乏しくなった?)のが現代社会のよう。

ヤギと人間は夫婦でもあるのだ、だからメスと子供のヤギは狩ってはいけないのだ、とか。現代ではまったくもってぶっ飛んだ考え方だけど、良く考えてみると我々が知る現代よりもっと長い間にそういう考え方がなされていたということを思うと、馬鹿にできる考え方ではないんだと思う。

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2011年04月25日

Posted by ブクログ


#講談社選書メチエ #中沢新一 #カイエソバージュ 対称性人類学

まとめと結論の最終巻。他の巻と比べて読みやすい。この巻 読めば十分な気がする


一神教、国家、資本主義が非対称性という点において、同型の形而上学として全体化し、思考が自分の根源の場所を見失ったことを論証


著者の主張は、無意識を人間の「心」の本質とする 対称性人類学の思考実験のなかで、世界を非対称的な形而上学から対称性無意識の働きによって「自然化」するということだと思う


対称性無意識のイメージ
*分類上ちがうものの間に深い共通性のあることを見出す
*表と裏、内部と外部の区別や向きを持たない高次元の多様体


〈一〉の原理〜非対称性論理のイメージ
*〈一〉の原理が登場すると、それまでの対称性の論理が非対称な関係につくりかえられる
*〈一〉の原理が〈多〉の原理によって生きてきた精霊の世界を抑圧することにより、一神教の世界が生まれる


神話の思考は、流動的知性=無意識の働きを直接に反映してつくられたものによって、人間に深い思慮と動物や弱者に対する思いやりのある態度を生み出す〜無意識を通して、人間の「心」は、自然に、宇宙に直接的につながる


無意識は秩序を持った巨大な大陸〜現世人類の「心」の本質をかたちづくる原初的な基体であり、現実世界で通用している論理とは別の論理によって作動している
























































































































































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2018年10月19日

Posted by ブクログ

5冊のシリーズの中で、話口調が少なく一番読みやすかった。
昔、中学校の頃に自分の中に仏教が流行っていたことを思い出した。ちょっと、内容にノスタルジー。
自分は分裂症気質なため、意図的に非対称的な考え方をするように心がけて、秩序を保っているとことがあると思う。

音楽でいえば、
ロック=非対称的 ヒップホップ=対照的かな。

それにしても、人間は無意識においても2項対立からは逃れられないのか。

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2015年03月21日

Posted by ブクログ

中沢新一さんが大学で行った講義を本にまとめた「カイエ・ソバージュ」シリーズの第5巻、最終巻であり、総集編のような一冊です。
5冊読むのが大変な方はこれだけどうぞ。。。とヨコシマなレビューですみません。

本書は911以後の世界の価値観再構築のためにかかれいますが、311以後、ますます重要になっていると思います。

「レヴィ・ストロースの神話論、クラストルの国家論、マルクスの経済学批判、バタイユの普遍経済学、ラカンによる無意識のトポロジー論、ドゥールズの多様体哲学、などで示された思想の今日的な再構成を試みている」野心的なシリーズです。

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2012年07月25日

Posted by ブクログ

ネタバレ

中沢新一カイエ・ソバージュの最終巻。
唱えてきた今のところの対称性人類学のまとめだ。

以下は気になるところをつらつらと。


序章より
・神話に登場する動物は「気まぐれ」では選ばれない。
・ガンギエイが神話に登場するのは、ある側面から見るか他の側面から見るかによって、イエスかノーか一つの答えのみを与えうる動物だから。
いわばその答えを積み重ねることによって非常に難しい問題を解く現代のコンピューターと同じである。


第三章より
・キリスト教と結びついた資本主義が発達した理由は三位一体にある。
・グアラニ族の預言者たちは<一>を恐れていた。
・私たちは<一>の魔力にとりつかれている。


第四章より
・レレ族は自分たちの動物分類学に属さないアリクイを例外者として怪物的な存在と捉えて、秘密の儀式で食べる。
・迷宮の概念。
・女性は初めから「自然智」を持っている。男性の手にする「秘密智」は厳しいイニシエーションの試練を乗り越えなければならない。女性はその男性を温かく迎えることで結びつく。


第七章より
・「さち」は贈与論的な思考が働いている。「さ」は動物霊の領域と人間の領域の境界面を現している。その境界面に満ちている霊力が「ち」。
「海の幸」も「山の幸」もそうやってやってきた贈与物。
・全てを性に還元するのは間違い。性的体験も宗教的体験もよく似たタイプの異なる悦楽のあらわれにほかならないと思うべき。


第八章より
・経済活動にはなにかを生み出そうとする「生の衝動(エロス)」だけで動いているのではなく、その根底には破壊や死を目指す「死の衝動(タナトス)」が潜んでいる。


終章より
・無意識の行う対称性=高次元性=流動性=無限性をひめた潜在能力は形而上学化された世界で自由を奪われているように見えるが、確かに存在し、発達しようという可能性はまったく損傷をうけていない。



カイエ・ソバージュを読破して本当に良かったと思っている。
丁寧に一巻ずつ五巻にたどりつくまで語られている。
とてもわかりやすかった。
このタイミングでこの本に出会えたことに感謝している。

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2010年12月04日

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[ 内容 ]
神話、国家、経済、宗教、そして対称性人類学へ。
「圧倒的な非対称」が支配する世界の根源を問う冒険、ここに堂々完結。
抑圧された無意識の「自然」は甦るのか?
「対称性の論理」が切り開く新たな世界とは?
野生の思考としての仏教を媒介に、来るべき形而上学革命への展望を示す。

[ 目次 ]
序章 対称性の方へ
第1章 夢と神話と分裂症
第2章 はじめに無意識ありき
第3章 “一”の魔力
第4章 隠された知恵の系譜
第5章 完成された無意識―仏教(1)
第6章 原初的抑圧の彼方へ―仏教(2)
第7章 ホモサピエンスの幸福
第8章 よみがえる普遍経済学
終章 形而上学革命への道案内

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2010年07月14日

Posted by ブクログ

神話と科学、哲学の意外な繋がり。人間の、思考する、という行為の奥底には一体どのような力が働いているのか、思考の原点を突き詰めています。

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2010年07月09日

Posted by ブクログ

これは、かなりすごい本だった。
この本を読むと、何故、神話や夢というのは、冷静な思考からしてみたら不可思議な形をとって表現されることが多いのかということが、とてもよくわかる。
もう、世界の見え方がすっかり変わってしまうぐらいに衝撃的な内容が、当たり前のように整然とまとめられた上で、語られている。

アリストテレス式の論理学や、コンピュータの演算では、「人間である」と「ヤギである」は同時には満たされることはない。それが、あらゆる論証をおこなう上での、大前提であり決まり事であるけれども、神話の論理というのは、その点を完全に無視して、「AでありBである」を矛盾なく受け入れる。同じ場所に、複数のものが同時に存在するということが可能になっている。

前に「パラレルワールド」という最新宇宙論の本を読んだ時に、「3次元を2次元の中に封じ込めるホログラムと同じ原理で、4次元以上のn次元空間は(n-1)次元の中に圧縮して封じ込めることが出来るという理論が、今では常識として考えられている」というような話しがあったけれど、この「対称性人類学」で説明されている、「対称性を持った神話」の構造というのは、ほとんどまったくそれと同じことを言っているのだと思った。

般若経や華厳経の仏教思想を、宗教ではなく、対称性をベースとして考えぬかれた知恵なのだととらえる見方はとても面白かった。今後、重要性を増すのは、交換にもとづいた経済ではなく、贈与による経済だと語られているけれど、WikipediaやLinuxのようなボランタリーな活動というのは、まさに対称性への揺り戻しが起ころうとしている、一つの顕れである気がする。

【特に面白かった話し】
・中央アフリカのレレ族では、イニシエーションとしてアリクイを食べる。レレ族はあらゆるものを「右=男=人間性」と「左=女=動物性」の2種類のいずれかの分類に分ける。アリクイ(穿山甲)は、全身が鱗でおおわれた哺乳動物で、鱗は魚を思わせるが、木によじ登り、くるくる体を丸めて木にぶらさがって眠ることもある。形は哺乳類というよりも、卵生のトカゲに似ている。ほかの哺乳類は一度にたくさんの子供を生むが、このアリクイは一度に一匹しか生まない。人間を襲うことも、逃げることもなく、狩人が通り過ぎるのをじっと聖者のように待つ。この動物はレレ族の動物分類学のどこにも所属しない「例外者、怪物」である。この怪物的な動物を、許された少数の男だけが、儀式の中で食べることで、その力を取り込むことをおこなう。(p.124)

現実の世界を支配している思考では、生きていることと死んでいることは同じではありません。生と死のあいだには、およそ考えられる限りでもっとも深刻な非対称性がある、といっても言い過ぎではありません。しかし、神話はそんなにも異質な生と死のあいだにさえ、同質性と対称性を見出そうと努力するのです。(p.31)

同じ場所に複数の存在が同時にいても、ちっともおかしくないような世界のことを、神話は語ろうとしています。ひとつの椅子に私が座ってしまえば、もうそこにあなたが座ることはできません。二人が同時に座れるようにするためには、どうすればいいのでしょう?こういう場合に数学では、どう考えるかというと、二人の人間を四次元とかもっと上の次元をもった空間に埋め込んでしまえばよい、と言うのです。こういうことは、数学者の考え出した知的なお遊びのようにも思えます。ところが、こういう三次元よりも高い次元が実在していることを、神話を語っていた人々はごく当然のこととして認めていたようなのです。(p.39)

無意識は、非対称的な関係をまるで対照的であるかのように扱おうとします。分裂症にしめす一例では、「ジョンはピーターの父である、だからピーターはジョンの父である」というタイプの思考を進めていきます。私たちの生きている「正常な世界」では、息子と父とは非対称的関係の最たるものですが、無意識は三位一体説を唱えるキリスト教神学のように、息子と父の同質性を強く主張してゆずりません。(p.54)

高次元のなりたちをした流動的知性の活動は、たえまなく三次元的な構成をした通常の論理への「翻訳」がおこなわれていく。次元数を下げて、ふつうの思考にも理解のしやすい形へ「翻訳」されるたびに、そこには圧縮や置き換えの現象がおきることになる。夢はそうやって製造される。(p.75)

私が「本物の知恵」と呼んでいるのは、私たち現生人類の「心」の原初の働きについての正確な知識を人々に伝えるために、巧みに案出され、創造されてきた知識の体系のことです。つまり、「心」の基体である流動的知性=対称性無意識の働きがどいうものであるのかを、人々の前に具体的にあらわにしめしてくれる特別な知識の体系を、私は「知恵」と呼ぼうとしているのです。(p.121)

「男たちは、ああやって貴重な知恵を求めて冒険に出ていきます。ところが、女の人たちは村でそれを待つだけです。なにか不公平ではありませんか。女性はそういう知恵に近づくことを許されていないわけですから、差別があるのではないですか」。これにたいして村の女性が笑いながら、こう答えたそうです。「男たちはかわいそうに、あんなにでもしなければ、知恵に近づくことはできないんだよ。ところが、女は自然のままにそれを知っているのさ」。(p.143)

対称性人類学は「抑圧されていない無意識」の働きを、できるだけ純粋な形で取り出してこようとする試みですが、仏教はすでに二千数百年も前から同じ試みに取り組んで、その思想を哲学や共同体の形として、現実世界の中に表現し、実践しようとしてきました。(p.146)

仏教以外の大宗教はどれも、新石器型の野生の思考を否定することによって、新しい文明型の宗教をつくりだしてきました。とくに一神教の場合、野生の思考にたいする否定は徹底していたために、そこに発達した文明はどれも手のつけられないほどに頑固な「非対称性」と特徴をおびることになりました。ところが仏教だけは、そうした大宗教の中にあってただ一人、野生の思考との共通地盤に立つ対称性の思考の可能性を、最後の帰結にまで発達させるという試みに挑戦してきました。(p.163)

すべてのものが無「自性」で、それら相互の間には「自性」的差異がないのに、しかもそれらが個々別々であるということは、すべてのものが全体的関連においてのみ存在しているということ。つまり、存在は相互関連性そのものなのです。根源的に無「自性」である一切の事物の存在は、相互関連的でしかあり得ない。(p.191)

死の衝動のことを、本質的な部分に組み込んである経済学は、まだつくられたことがありません。世の中で通用している経済学のほとんどすべてのものが、ただ「生の衝動」のあらわれ方を、手を替え、品を替えて理論的に表現しているにすぎないようにも思えます。そういう経済学を土台から「転倒」するものとして、バタイユの「普遍経済学」は構想されました。その意味でも、対称性人類学と普遍経済学とは仲のよい兄弟なのです。(p.238)

数学の不思議さは、それが無意識の領域の出来事まで記号(シニフィアン)にしてしまうことができるところにあります。しかもその記号は厳密な論理の規則にしたがわなければならない、というのが数学のルールです。それによって、対称性の論理で動いている無意識の領域の出来事が、厳密に非対称的な論理で表現されるという、希有のことがおこるわけです。音楽にもそういうところがあります。また、神話的思考もそれとよく似た動作をおこないます。夢もそうです。「超実数」の考え方には、数学の持つそういう特徴がみごとに発揮されています。(p.252)

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2020年07月15日

Posted by ブクログ

全5巻の最終巻。「人間/自然」「精神/肉体」「理性/感情」のような二項対立的思考の機能不全ぶりを突く。
「至高性」は「彼岸」にあるのではない。わたしたちは常にそれにアクセスしている。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

圧倒的非対称が支配するこの世界で、対称性が支配する神話や古代宗教について考えることは、とても有意義なことです。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

カイエ・ソバージュの最終巻。

結構、評判らしい本シリーズであるが、この最終巻まで、たどり着けた読者は、何%くらいだろうか。

第4巻までで、論じられてきた神話、国家、経済、宗教の起源をこの5巻では、統合し、理論化し、その今後の展開を展望していく。

のだが。。。。

書いてあること自体、それほど違和感があるわけでないし、大筋において賛成というか、自分もおおむね同様のことを考えていた。

が、なんだか読後感はよくない。

なんでだろう。

言葉の使い方とか、定義の仕方とか、議論の進め方のファジーさ、とそれを覆い隠すようなレトリックかな。

例えば、キーコンセプトとなる「対称性」という言葉の定義が、今ひとつはっきりしないまま、進んでいく。しっかり定義してあるというかもしれないが、いわゆる物理学とかでの定義とは違うので、読んでいて混乱してしまう。

また、現人類となったときの脳の構造変化が、しばしば言及されるにもかかわらず、その辺の生物学的、進化論的な説明はほとんどない。(意識と無意識の進化の説明についても、違うのではないかと思う)

で、中沢氏は、レヴィ=ストロースの構造人類学をベースとした「対象性人類学」を宣言するわけなんだけど、それって、新たに名前をつけるほど、新しいのか?と思ってしまう。

レヴィ=ストロースに、経済人類学の議論やポスト構造主義の議論を足したものという以上のものがあるのだろうか。

一神教と資本主義と国家の構造が同様であるみたいな議論とか、20年くらい前に、ニューアカがはやっていたときには常識に属することだったのではないかな?

ニューアカとか知らない若者向けの温故知新か?

それをさも新しいものかのように提示するあざとさとか、主語がいつのまにか「私」から「私たち」になってしまう不気味さとか、つまらないことが気になった。

このシリーズも4冊までにして、4冊目に全体のまとめを最後につければ、良かったんじゃないかな。。。

まあ、そこまで悪い本ではないけど。4冊めまでが結構面白かったので、残念。

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2017年05月02日

Posted by ブクログ

河合隼雄さん、あるいは茂木健一郎さん、からのつながりで、本書を知ることになり、読んでみた。
中沢新一さんに対しては、正直言ってあまりいい印象をもっていなかった。
なんだか、節操なくいろんなことをしている人、という気がして。といっても、それってずいぶん昔、90年代か?、のことだけど。

対称性とか非対称性って、時々耳にするけど、ものごとって、抽象化していくと、対象が少なくなっていって、ひとつまで抽象化するといろんなものを無視しなくてはいけないけど、2つなら、対立関係とか、類似性とか、相互依存関係とか、表現できるので、そのへんにしておくと、いろんな考え方ができるという意味で。

本の中では、さまざまな例示をもとに、対称性について述べています。

抽象化作業の使命は、いったん抽象化したものは、今度は、それを目の前の個別具体的な事象に当てはめて、何かしら物事を変化させることにあるんじゃないか、と僕は思うのだけど、本の最後で中沢新一さんも、「対称性人類学を想像する仕事は、まだ端緒についたばかりです」とおっしゃっています。

期待したいところです。

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2014年08月03日

Posted by ブクログ

その純粋な形式としての科学は、徹底的に非対称性の論理を駆使して、再現性を確保しようとする。そこでは「同一律」「矛盾律」「排中律」といったアリストテレス的論理学の原則に忠実に、防衛的に、瑕疵なきよう推論や証明が行われる。他方、『人類最古の哲学』で検証してみたように神話は「二項操作」によって「対称性の論理」を働かせている。この神話的思考によって現実の非対称性を補完しようとする実際的な取り組みであるとしたのだった。

 対称性の思考を統一しようとする野心的なカイエ・ソバージュシリーズの最終回は神話的思考から始まって、無意識、<1>の魔力、仏教、幸福、経済といったラジカルな人間的活動にその領域を広げながら展開されていく。対称性の人類学が未知の形而上革命の試金石たりえるのか。これから楽しみである。

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2011年11月01日

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