中沢新一のレビュー一覧
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ポケモンがなぜ特別なコンテンツなのか知りたくて本著を手に取った。人間が持っている本質的な感性や幼年期の心の働きに大きく関連しているということは理解できた。ただ一方で、「他のコンテンツと何が決定的に違うのか」は理解できず、消化不良な感じもした。きっとGBというインフラと言っても良いくらいの共通ツールを試用しているところや、キャラクターデザイン等が複合的に影響してのことだとは思うが、ではなぜ「他の類似コンテンツ」は現在のポケモンの地位に到達できなかったのか?ポケモンよりも他のゲームに「はまっていた」自分としてはその点を明示してもらうことを期待してしまった。
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アースダイバーや大阪編は既読。
本書は、ちょっとアチコチ引っかかる処が多かった。
・弥生人を揚子江以南の苗族出身として、漢民族の支配から逃げたゾミアとしているけれど、遺伝子情報ではウラル海辺りの北方出自のはず。確かに稲作は揚子江以南から伝わったと聞くけれど。
弥生人の到来と漢民族が支配を広げた時期も合わないのでは。
・太陽神が女神になったのは、持統天皇が古事記、日本書紀を作らせたから。それ以前は男性神アマテルだったのでは?
・日光感精説話を南方系の海洋民のものとしているけれど、これは北方騎馬民族の伝承じゃないの?
・金太郎は太陽神の子供としているけれど、山の神とヤマハハの子供でしょう。後の文 -
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世界のさまざまな地域や文化に伝わるシンデレラ物語のヴァリアントを紹介しながら、「人類最古の哲学」である神話的思考の世界にせまる本です。同時に著者は、神話と哲学、宗教とのつながりを解き明かそうと試みています。
本書における著者の議論は、レヴィ=ストロースの「野生の思考」(pensee sauvage)に依拠しています。「野生の思考」とは、生のもの/腐ったもの、乾燥したもの/湿っているもの、熱いもの/冷たいものといった対立する感覚的事実を、論理を操作するための項として利用して組み立てられる思考のあり方を意味しており、著者はこのような発想にもとづいて、シンデレラ物語の中に生と死とを媒介する中間項の -
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尊敬する人のそのまた師匠がお勧めの書籍として挙げていたというので一気に通読。
勝手に哲学書だと思っていたので、徹頭徹尾神話の読み解き方に終始し、その語り口調が親が子に聞かせるような平易な説明文章であることをずっと不思議に思っていたのだが、読み終えてから「はじめに」に目を通したところこれは大学の講義の書き起こしだとのこと!しかも学部2・3年向け。納得。
本書は非常にわかりやすい「神話学入門」書であり、先に述べたように学部生向けに講義として組まれたものを書き起こしたものであるので、時にユーモアを交えながら興味深く神話を読み解ける大変親切なものになっている。
神話に出てくるキーとなる単語をひと -
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仏教におけるチベット・タントリズムと、ポスト構造主義におけるドゥルーズ的な生成の思想をつなぐ、著者の知的冒険が展開されている本です。
著者は、みずからの思索の軌跡を説明するにあたって、ヤキ・インディオの呪術師のもとで修行した体験を記述したC・カスタネダの議論を参照しています。カスタネダは学生時代、シュッツの現象学的社会学をラディカルに推し進めたガーフィンケルのエスノメソドロジーを学んでいました。エスノメソドロジーでは、この現実は相互主観的に構成されたとみなされることになります。彼らにとって社会学調査は、人びとが当然視していることを疑問に付し、そこに亀裂を入りこまる「現象学的苦行」の場だと考え -
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(01)
各章には,やや長めに神話や説話が引用されている.その多くに熊が登場する.また,その多くは,環太平洋の北半球地域で採集された話である.
モンゴロイドなどの族の環太平洋北部の大陸間移動と,熊の生態学的な分布が重ねられ,そこに生まれた人類と獣の交流の物語(*02)に,あるべき普遍の倫理を読もうとする.自然,文化,文明をめぐり企図された倫理は,しかしながら,説得力を欠くようにも読まれた.
旧石器から新石器へと技術(テクネー)が変化した際に,象徴操作や流動的知性というアビリティが備わったと,著者はいう.ニューロン組織の進化があったとする.脳科学的にこの理解が正しいのか検証されているのかは分から -
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カイエ・ソバージュの第2巻。第1巻からだいぶ時間を空けてしまった。講義録なので読みやすく、説明や引用も丁寧で難なく読み進められた。やはりテーマは自然と人間の「対称性」。現代は人間が力を持ちすぎた「非対称性」の時代。しかし古代、まだ人間がクニをもつ前は自然と人間は対等であり、力は自然より与えられる者だった。人間と自然の中間として象徴されていた存在が「熊」だという。神話の中では、クマは人間になり、人間はクマになる。熊は人を襲うこともあるが、自身を捧げ毛皮になり肉になる。
今の時代の危機を対称性の喪失として語る。かなり神秘的な思想だが、先祖が尊んできた一つの宗教的感覚を無価値なものと断じる気持ちに -
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1巻で定常社会、2巻で定常社会から王、すなわち国家の誕生と進んできたカイエ・ソバージュ、3巻目は、資本主義の誕生ということになる。
2巻から、話が進みすぎじゃないの、という気もするが、とりあえず読んでみる。
モースの「贈与論」を起点に、ケネー、マルクスと進んでいく流れは、人類学側から経済にアプローチする場合、「まあ、そうだろうな」という展開だろうか。と、偉そうなことを言うほど、その辺の本を読んだ訳ではないが、栗本慎一郎や今村 仁司を昔読んだときと同じような感じの議論である。
中沢氏は、さらにそこにラカンを援用しながら、資本主義の精神とキリスト教の三味一体説との類似性を指摘する。この -
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カイエ・ソバージュの最終巻。
結構、評判らしい本シリーズであるが、この最終巻まで、たどり着けた読者は、何%くらいだろうか。
第4巻までで、論じられてきた神話、国家、経済、宗教の起源をこの5巻では、統合し、理論化し、その今後の展開を展望していく。
のだが。。。。
書いてあること自体、それほど違和感があるわけでないし、大筋において賛成というか、自分もおおむね同様のことを考えていた。
が、なんだか読後感はよくない。
なんでだろう。
言葉の使い方とか、定義の仕方とか、議論の進め方のファジーさ、とそれを覆い隠すようなレトリックかな。
例えば、キーコンセプトとなる「対称性」 -
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中沢新一といえば中学校くらいで虹の理論を読んで
こういうモノを書いて見たいと思わせつつも、
あまりにも胡散臭すぎて直視するのが恥ずかしいそんな作家であった。
今回もポケモンの神話学ということで
胡散臭さは満載ではありますが、
率直に言って氏がポケモンを満喫しているのがよく分かってわりとなごむ。
おおむねフロイトの話で目新しさはないものの、
ゲームとデータで構築された世界に文化としての意味を与えたのは
ひとつの道しるべとして評価できるかもしれない。
消費される対象というだけではなく、
生産される場としてインベーダーゲームから辿っていくのは、
いかにもアカデミズムの手つきだが、
この人は根が -
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福島の原発事故以降の日本がとるべき道筋について、宗教哲学者の著者が語った本です。
著者は、一神教と多神教の違いを文明論的な原理に拡張し、また、これからの日本に必要なエネルギー政策を生態圏の原理から導こうとしています。中沢新一といえば、浅田彰と並ぶニューアカデミズムの旗手であり、フランス現代思想を自在に駆使しつつチベット仏教について論じる思想家として知られていますが、本書での著者の語り口はまるで梅原猛です。もっとも、アカデミズムの枠を飛び出す存在であるという意味では、はじめから両者は近かったといえるのでしょうけれども。
梅原に関していえば、アカデミズムではとうてい許容されないであろう、文明論 -
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学びには師を求めて教えを請う急ぎ足で旅をする方法や
出合いを拾いながら自分流に真理を求めて歩む
緩やかな道もある
いずれにしても
無限の学びだからどちらが近道ということもなさそうだ
中沢新一は悟りの境地を求め僧侶に憧れて師を求めたが
ラマに諭されたように結局研究者の道を選ぶことになる
それは瞑想によってヒラメキを求めるニンマ派に惹かれながらも
学識を重んじるカギュ派の道を選んだことになるのだろうか
それとも学識派に感覚派であるニンマ派による悟りの世界を
持ち込もうとしているのだろうか・・・
中沢新一による多作な本からかなり読み込んできたけれども
そろそろ行き詰まりを感じてきたように思えてき -
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爆笑問題の太田氏と文化人類学者の中沢氏が憲法九条について語り合った内容の議事録。2006年という今とはやや状況の異なる時代に書かれたものだが、刺激的。宮沢賢治や落語、武士道を引き合いに出して九条にアプローチしているのは面白い。我々含む「戦後の日本人」は、戦前の思想を危険思想としてタブーにしてきたきらいがある。見たらそこに戻ってしまうんじゃないかという恐怖で蓋をし、未だに見ないようにしている部分。その蓋を恐怖に負けずに開ける作業が、九条を語る上で必要ではないか。
本編とはずれるが、感受性は失われたものとの対話から生まれるっていう文言も、読んでハッとした。同時代に生きてるということは、似た様な思想 -
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「妹の力」のように沢山の採取したフォークロアの披露で脱線気味ということはなく、読み易い。
それでも、え、あの話まだ続いていたんですか、ってまるで落語の崇徳院のような感想を持った処もあったけれど。
地道に証拠を積み上げ、結論を急いで出すことがない。最後に仮説を提示するする姿勢は、プロの論考というべきもの。
ミミラク、ミ―ラクというあの世に繋がる海の彼方のイメージがあったのではとしている。美々良久の島、肥前の三井楽の崎、紀州の補陀落渡海、鹿島踊りのみろく船についての論考。刺激的な話だけれど、証拠が少ないのでは。
死後の魂が向かう「根の国」は地下の世界ではない、黄泉の国のイメージは中国から伝えら