中沢新一のレビュー一覧
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久しぶりに中沢新一さんの本を読んでみた。
中沢さんは、ポスト構造主義〜宗教的神秘主義のイメージが強い一方、科学主義と批判されることも多いレヴィ=ストロースについてはストレートに肯定的でもあって、ここがどう繋がっているんだろうと不思議だった。
というわけで、レヴィ=ストロースを直接的に論じた本のようなので読んでみた次第。
エピローグに記載されているところでは、中沢さんは、レヴィ=ストロースの構造主義的人類学については、世間で理解されているもの、つまり、言語論的な構造主義の人類学への応用というものとは違う感じを持っていたということ。
というわけで、いわゆる「構造主義」の奥にあるものというタ -
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宇多田ヒカルの「ぼくはくま」という歌が本当に謎だったけど、これは宇多田ヒカルがこの本読んで、熊に対して酷いことをしたという、謝罪、敬意の歌なのかもしれないと思ったりした。
なんか相当熊には酷いこと酷いことをしたんだと思う。まあ人間が生きていこうとすれば動物に酷いことをしてしまうのはもう摂理なのだけれども。そこには感謝が必要だよねという話。
国家を持ち、権力をレベルアップすればするほど、自然は破壊され、世の中はどんどん非対称になる。そうなったら地球温暖化しても仕方ないよねって話。
マジで世界は残酷なんだって感じだな。
神話は神様が作った話だと思ってたけど昔の人たちが口語で伝えて、もしかした -
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日本人のルーツを探り、古い地層の中に潜っていくアースダイバーの旅。
今回は、縄文と弥生。
私なりに読み解くならば、今回のポイントは、ともに南洋の海からやってきた縄文人と弥生人は、前者がポリネシア系、後者が漢民族の支配に抵抗した中国南部(ベトナムとの国境付近)の少数民族の特徴を色濃く残す(つまり、漢民族や朝鮮半島人ではない)、ということ。
学校の授業で習う渡来人が日本の外来文化の全てと思うとまちがえる、ということだ。
彼らは、稲作の知識の有無、という決定的な違いこそあったが、海洋民としての共通性も持っていた。
このことが、縄文系聖地と弥生系聖地との複雑な変遷の原因となる。
農業生産物という -
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下火になっている憲法改正論議をよそ目に日本国憲法、日本人論、天皇制について中沢新一と太田光が
議論。切り口が新鮮でとても良かった。
そもそも、安倍晋三はなぜ自衛隊を9条3項で位置付ける案に後退したのか、これなら面白い議論にならないじゃないか、いっそのこと交戦権を肯定して自衛隊を国防軍くらいにするくらいじゃないとちゃんも議論が出来ないなんてことから始まる。
また、日本人論として、元々縄文と弥生のファジーな一体化で、天皇陛下もその間の中空にいるような存在として位置付けられ、そういう曖昧な存在で何とかやってきたのに、明治の天皇制度が西洋や中韓型によった変な制度であったことから、変なことになってし -
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カイエ・ソバージュの1冊目が面白かったので、早速、第2冊目にすすむ。
1冊目が、レヴィ=ストロースの「神話論理」をベースにした世界各地のシンデレラ物語分析というところで、面白いものの、どこか予定調和的な感じがしなくもなかった。
で、2冊目では、原始的な共同体から国家の誕生へと、静的な世界から、ダイナミックな世界に動き出す。つまり、定常社会の記述を徹底していくことを通じて、王が出現する瞬間を描き出そうとする。
王=国家の成立にとって、経済的な格差や身分の成立といった経済社会的な構造変化は必要条件としながら、十分条件として、定常社会のなかに存在する神話的思考に内在する論理を指摘する、と -
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以下の文章はぼくが大学でゼミの卒論として記した「心身二元論の未来~その多様的現実の可能性」からの抜粋だ。そこでぼくは「チベットのモーツァルト」の中でも特にお気に入りの箇所を引用しているので紹介したい。ちなみにこれはただ引用したいがために記された論評だったと述懐する。
以下、抜粋
ところで、心身二元論においては精神と身体は区別されるのだが、では精神はどこにあるのだろうか。身体を構成する器官のなかに精神の器官は現出しない。では、非物質的に精神は身体とシンクロしていることになる。ここで、精神の具現化を図るときぼくたちは宗教にその方法を求めるかもしれない。デカルトもキリスト教的神の存在によって精神