三浦綾子のレビュー一覧
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とりあえず上巻までのレビュー。
久しぶりに三浦綾子の小説読みましたが。
やっぱり私の中で三浦綾子は別格です。
他の方も書かれてますが、昼ドラばりにドロドロしてます。
しかし古き良きというか何というか。
貴乃と考介のプラトニックな恋が下巻では良い方向に進んでくれたらなぁと期待しながら下巻に入ることにします。
それはさておき。
三浦綾子と言えば。
必ず出てくるのが北海道とキリスト教。
が、本作ではまだキリスト教が出てません。
下巻でいきなり洗礼受けたりするんかな…笑
あと。
ホンマにどうでもいいことなんですが、まさかここでちびまる子ちゃんで得た知識が役立つとは思いませんでした。
(モガ=モダンガール) -
Posted by ブクログ
この頃と今。
時代は随分と進んだんだなあと感じる。
今があるのは先人達が世の中を変えようとしてくれたおかげ。食べ物や洋服が最低限得られる事。教育。離婚の自由。信仰の自由。
百年後には、いやそう遠くない未来には同性婚も"当たり前"になっているかもしれないなあ。
けれどもこんなに変わっている事もあれば、DVやアル中とか、今もよく聞くような話も伺えて人間の弱さって変わらないんだなと思った。
矢嶋楫子さんの事は初めて知った。
前半は壮絶で心痛むけれど、素晴らしい人生だな。まるで一緒に生きているかのような錯覚に陥る文。
のめり込んで読みました。
こんな風に生を全うしたい。 -
購入済み
一気読み!
親に聞いた事のある名作、くらいで何となく読み始めたが、面白くて一気に読んでしまいました。恐ろしい程ドロドロしているのに、淡々と読み進めてしまうのは作品の力なのか。全作読みたくなる。
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ネタバレ 購入済み
母心の切なさ
「蟹工船」で知られる小林多喜二の母小林せきの全生涯が印象的。秋田の貧しい小作農の家に生まれ(明治6年)、3,4歳で庄屋の赤ん坊を負ぶって子守をし、小学校にも行けず、その代わりに副業の自宅そば屋を切り盛りし、恐らく口減らしの為に僅か13歳で嫁にやられたと云うのですから。でも周りも皆貧しく、自分は女郎に売られなかっただけ、まだましだったと言うのです。海外での反響が大きかった「おしん」の映画版DVDを先日見たのですが、東北の農家の貧しさが切ない。長女を出産後直ぐに亡くし、中学入りたての長男も亡くし、多喜二が高商を卒業し、働き始めた矢先には連れ合いを亡くしと苦難の人生にも拘わらず、せきの明るさ、強さが凄い。でも多喜二の悲惨な死に様は相当応えた様子で「多喜二が死んで5年がほどは、多喜二の夢ば見ない日は一日もなかった」には、こちらも胸を塞がれます。最後に出てきたせきの書いた殆ど平仮名のどたどしい詩が、その稚拙さ故に圧倒的な力強さで私の魂をゆさぶりました。
「あーまたこの二月の月かきた
ほんとうにこの二月とゆ月か
ーーー
なきたいどこいいてもなかれ
ーーー
あーなみたかてる
めかねかくもる」
小林多喜二は昭和8年2月20日に29歳で亡くなっています(特高による虐殺)。
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ネタバレ下巻は、光秀が信長を討ったとの報せが玉子のところに入るところから始まります。
夫の忠興は実家の家族が皆亡くなった玉子を味土野の山奥へ
幽閉します。
その時にキリシタンの清原佳代という侍女が供をしますが、玉子はこの時、佳代の影響を大きく受けます。
そして多摩湖は2年の後にその時天下を取っていた秀吉に許されて帰館します。
すると忠興にはおりょうという側室がすでに居て、玉子は非常にショックを受けます。
玉子は
「男はすべて女を策略や戦の道具に、あるいは子を産む道具にしか考えていないのではあるまいか」と思います。
そして「信仰を得たならば、こうした苦しみが消えるかもしれない」と思い、佳代らの助けを得て、洗礼を受けガラシャという洗礼名を授かります。
父の謀反によって家族全員を失い、夫の忠興しかいなかった玉子にはキリシタンとして生きる以外には道はなかったのはよくわかりました。
それにしても、この作者の三浦綾子さんは秀吉を二百人の女性がいるというかなりの女好きと書かれており反吐が出そうでした。
その美貌で秀吉をも虜にした玉子は知恵をもってその毒牙からものがれます。
そして、また夫、忠興との仲を取り戻して、キリシタンとして38歳で最期を遂げます。
散りぬべき時知りてこそ世の中の
花も花なれ人も人なれ
玉子(ガラシャ)辞世の歌
そして、玉子の灰になった遺骨の側にあったという子供時代からのただ一人の家臣で玉子を陰ながら慕い、修士となっていた、初之助の遺骨。
忠興の、男泣きには涙を誘われました。 -
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今村翔吾作『じんかん』を読み、松永弾正や細川家に興味を持ち、フォロワーさんの方々が、この作品をレビューされていたのを思い出して読みました。
上巻は、玉子(ガラシャ夫人)の少女時代、及び主に玉子の父の明智光秀の人柄がよくわかりました。
明智光秀というと三日天下という悪いイメージしかなかったのですが、人徳者だったということを初めて知りました。
少女時代の玉子は非常に利発で美しい子でした。
戦国の世に生まれた玉子は、
「女はみなこのようにして、好きも嫌いもわからぬ人に嫁ぐのかと思うと、それが口惜しゅうございます」
と言って、細川忠興に16歳で嫁いでいきます。
そして、光秀は平生、茶道、短歌、俳句、花を好み、利休は明智光秀であったという言い伝えまであったそうです。
この作品を読む限りでは、信長の残忍さは常軌を逸しており、光秀の怒りはごく順当であったと思いました。
信長より、光秀の方が人格的にも優れているように思いました。 -
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数多くの三浦綾子作品を読んできたが、今回も罪なき人達に襲いかかる多くの試練とそれを耐え忍ぶことを通じて生きるとはなにか、人を愛するとはなにか、といった人生の根源的な部分を問うた作品であった。
孝介と貴乃の純な恋愛が須田原家の完治により引き裂かれることから始まるこのストーリーであるが、想像を遥かに上回る混沌とした愛憎劇で、中盤読んでいるのが辛くなるほどであった。「人を一度も傷つけずに生きてる人間なんて、ありはしない」という孝介の言葉に重みを感じつつ、完治の働いた行為によりここまでも多くの人が悲しみ・苦しみに陥れられている状況、更に完治本人の心の中には何も変化がない、その状況に読んでいる私自身も絶えず憤りを感じた。終始孝介と貴乃が結ばれることを願いながら読み進め迎えた終盤の展開は、涙をこらえることが出来なかった。どうして罪なき人がここまで苦しい思いをしなくてはならないのか、現代の自分の生き方を考え直さざるを得ない。 -
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むかし読んだ本を開いてみた。三浦綾子さんの半生記。
自分が傍線を引いた所に「あれっ」と思う。19歳の自分には未来の自分を見通す力があったのかもしれない。歳を重ねた今も同じ箇所に傍線を引く。ただ成長がないだけなのかもしれないけれど。「雲の上には太陽が輝いている」その言葉だけは新しく傍線を引いた。
忘れていた場所もあった。自殺未遂の高校生のくだり。自らも自殺しようとしたことがある三浦さんだからこそ、彼女の心も和らぎ、開かれたのだろう。婚約者だった西中一郎さんの包容力にもジーンときた。
24歳から37歳までギブスベットの上で青春を過ごした三浦綾子さん。心の人前川正さんを亡くしたときもベッドの上で涙を流すことしかできない状況だった。その現実を改めてつきつけられて,ただただ呆然とするだけだった。あまりにも過酷な運命も受け止め、生き続けた三浦綾子さん。
前川正さん、そして三浦光世さんの愛の力、信仰の力に圧倒された。
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何気なく手に取って買った本でこんなに感動するなんて・・・。小林多喜二=プロレタリア文学=『蟹工船』と昔暗記したあの小林多喜二の母の物語だ。特高につかまり,拷問を受け,亡くなった多喜二。そんな知識で彼の印象を決めつけていた自分が恥ずかしくなった。三浦綾子さんは多喜二の母になりきって,独特の口調で語りかける。学はないが,寛容で息子の選ぶことはすべて善と信じ切る母。貧乏の中で育った多喜二は,貧乏な人を救うには世の中を変えなくてはいけないと考え,小説を書き続ける。若くして女郎に売られたタミちゃんに恋心を抱いた多喜二は彼女を救おうと自分の財をなげうつ。しかし,彼は彼女に指一本ふれようとしない。自立した学ぶ者同士が結びつこうと理想を語り,読んでいていらいらするほど,実直に生きる。いたわりあう二人があまりにいじらしく,いつしか「母」と同じ視点で彼ら2人を見守っている自分に気づく。彼の死はあまりにむごかった。母は牧師と出会い,息子の多喜二の死とキリストの死をだぶらせる。それでも命日が近づくたびに,哀しみが打ち寄せてくる。その哀しみは限りなく深い。
私はこの本を読んで多喜二が好きになった。タミちゃんという女性を好きになった。時代がもう少しずれていたら,彼ら二人はきっと結ばれていたにちがいない。
読み終わった後,もう一度多喜二が小さい頃書いた夢を読み返した。
「うちの母さんの手は,いつもひびがきれて痛そうです。着物も年がら年中,おんなじ着物を着ています。・・・ぼくは,ぼくのお母さんにも,よい着物を着せて,小樽の町中,人力車に乗せてやりたいです。これがぼくの夢です。」
こんな多喜二が好きになった。