松下幸之助が「実業の日本」に処世雑感という範囲で、その時々の所感を
連載してきたものをまとめた、昭和38年(1963年)の発刊。
序文にある言葉が本書の中身を集約している。
「世の中とは面白いもので、一見マイナスと見えることにも、
それなりのプラスがある。(中略)そのプラスの面に目を向けて、
自
...続きを読むらの幸せ、社会の発展につながるよう努めていく。そうすれば、
苦労や悩みが消えて、ことごとく、自分の人生の糧、社会の発展の糧と
なる姿も生まれてこよう。」(P3~4)
日本人の大先輩である松下翁から「物の見方、考え方」のヒントを得られる著書。
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■特に印象に残ったエピソード
P130
自分がいいものを作ろうと努力するのも必要だが、
同時にいいものを要求する人もいなければならない。
(中略)
立派な会社にしようとしても、得意先がいつでも買ってくれるなら、
社長から幹部、社員にいたるまで、勉強をしなくなるだろう。
(中略)
誰かの監督や導きによって、仕方なく、それもやかましく怒られて、
仕方なくやってきたことが習い性になり、その人の立派な習性になって、
それが生活となる。
P165
教育のしかたについて、その国に応じたバランスをたえず考えて
いかなければならぬという、いたって当り前のことなのである。
たとえば日本の国民が一億いるとする。
そのうち何パーセントの人たちに大学教育を施すか、
何パーセントに高等教育を施すか、何パーセントを義務教育だけで
社会におくり出すか、このバランスが非常に重要である。
(中略)
その国の民度の高さなり、繁栄、国力の度合いなり、いろいろな点から
勘案して決めることが大切である。
P177
アメリカを訪れた日本人が、土産に買った品物に、「メイド・イン・ジャパン」と
書いてあったという話をよく耳にする。
(中略)
一つの商品をこれまで親会社が作っていたものを、ちょっと技術を入れて
下請け向上にまかせた方が安くつくし、下請け工場も喜ぶ。
そして親会社はもっと高度の技術を要する精密なものを作るように、
だんだんなっていゆく傾向がある。
(中略)
こういう考え方に立つと、日本の技術が進歩して、アメリカではできないものを
日本でやっているのだという考え方でいると、これは大きな間違いとなる。
P191
自分の会社(引用注:GE)にもある程度設計する能力はある。
しかしこの点について、さらによりよき設計者のいる会社がある。
しかも、そういうことを引き受けてくれる会社があるということになると、
何らちゅうちょするところなく、その会社に頼む。
しかも料金は百万ドル。前金である。そういう徹底した仕事を彼らはやっている。
いいかえると衆知を結集して事業をやっている。
ここのところが、日本の経営者と、ちょっとケタが違うと、しみじみ感じたのである。
P203
西郷隆盛が次のような遺訓をのこしている。
「国に功労がある人には禄を与えよ。功労あるからといって地位を与えてはならない。
地位を与えるには、自ずと地位を与えるにふさわしい見識がなければならない。
功労があるからといって、見識のないものに地位を与えるということは
国家崩壊のもとになる」と。