今井むつみのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
とはいえ、何がしかの「仮説」(というより「見通し」)がなければテスト作成に着手することもできない。筆者たちは、 「思考力とは、知識を使って問題解決をする力」と定義し、 認知科学の知見をもとに、それを形づくるための鍵概念として、以下の三つの能力を設定した。
①知識を拡張し、創造するアブダクション推論能力
②推論過程を制御するための認知・情報処理機能
③思考を振り返り、知識の誤りを修正するためのメタ認知能力
これらのうち「アブダクション推論」については、なじみのない読者も多いと思う。簡単にいえば、アブダクション推論とは、演繹推論のように結論が一義的にきまる、 ず正しい答えが得られる推論ではなく、異なる分野の知識を組み合わせたり、比喩や類推を用いて新たな知識を創造する推論のことである。このように書くと、専門家にしかできない、難しいことのように思うかもしれないが、これは、私たち人間が乳幼児のときから行っている推論で、ことばの習得や概念の習得には必須のものである。この推論は知識を拡張・創造するものであるが誤りも犯し、誤ったスキーマを形成する原因にもなる。したがって、「創造的に、質の高い思考をする」とは、「質の高いアブダクション推論をしながら、つねに推論をリアルタイムで制御すると同時に、結果をモニターし、誤りを修正するサイクルを伴う思考をする」ということなのである。
たしかに図形全体を心の中で回転させていくのは認知的な負荷が高い。それを軽減するために補助線を引くことによって認知的な負荷を軽減させているのである。言い換えれば、高位層の子どもは図形の回転に認知的な負荷が高いのを見抜き、負荷を軽減するための方略を自分で考えることができたので、正解できたのである。
そして高位層の子どもたちはこのように、問題解決のために自分で方略を考えることがどの問題でもできたので、 この問題でも、他の難易度が高い問題でも、高い割合で正答することができたと考えられる。
課題に応じた方略を工夫することができる能力は、学校でのどの教科の学びにも重要である。この能力が低い子どもの多くは、様々な教科において、問題解決に必要なパーツをもっていても、少し問題が複雑になってパーツを組み合わせたり統合したりしなければならなくなると行き詰まってしまい、問題が解けない事態になってしまうのである。 言い換えれば、(逆)数唱課題のように作業記憶容量だけを測ることに特化した単純な問題を大量に与えて記憶容量や情報処理のスピードが速くなるような訓練をするよりも、 認知的な負荷を軽減できるような方法を自らの状況に合わせて見出せるようになるための支援をしたほうが、学力に必要な思考力を高めるうえでは有効であるということだ。
「記号接地」とは人工知能と認知科学における長年の未解決問題である。1990年にスティーブン・ハルナッドという認知科学者が、当時のAIを批判して、記号接地問題 (Symbol Grounding Problem) ということばでAIを特徴づけた。当時のAIは今と異なり、記号(ことば)を操作する記号アプローチが主流だった。記号の意味は人間が定義を与える。しかし、コンピュータはひとつひとつの記号(ことば)の意味を他の記号で記述しなおしているだけで、コンピュータが意味をほんとうに理解しているわけではない。
しかしどんなに流暢でも、生成AIが記号接地をしていないことには変わりはない。ChatGPT は超優秀な「次のことば予測マシン」である。ビッグデータの海を泳ぎ、単語や句が別のどの単語や句といっしょに使われるのかを計算し、この単語の次に来そうな単語や句を予測する。予測をどんどん積み重ねて文を、そして文章を作り上げていく。 それが ChatGPT をはじめとした生成AIが行っていることである。「いちご」のビジュアルの統計値をもち、いちごの画像を選ぶことはできる。「いちご」が果物であること、 「甘酸っぱい」味をもつこと、よく練乳(コンデンスミルク) といっしょに食べられることなどは、聞かれれば言語で返すことはできる。これを一般に人は「知っている」と考えてしまう。しかし、「甘酸っぱい」がどういう味なのかはわからない。リンゴなど他の「甘酸っぱい」 食べ物と区別することは(少なくとも現状の)AIにはできない。ハルナッドが30年以上前に指摘した状況とまったく変わらず、ことばの海を、ひとつのことばから別のことばへ漂流しながら、言語による言い換えで人間の質問に答えているにすぎない(図7-1)。
このように、何かを学習するときに、子どもが自分で手がかりを見つけ、洞察を得て、学習を加速させていくプロセスを、発達心理学ではブートストラッピングという。 靴(ブーツ)の履き口にあるつまみ(ストラップ)を自分の指で引くと、うまく履くことができる。そこから、「自らの力で、自身をより良くする(より高い発達段階へひき上げる)」 という意味に、比喩的に拡張された用語である。
知識は大きく育てたい。そのためにアブダクションは欠かせない。そうすると間違うことは避けられない。しかし、 間違いは修正しなければならない。けれども、大人が正解を言っても間違いは簡単に修正されないのである。こういうジレンマに多くの子どもが陥ってしまっている(図7-10)。
どうしたらこの穴から抜け出すことができるのか。二つの大事なポイントがある。
①子どもが自分のスキーマの誤りを修正することに自分で納得できるような状況をつくり、子どもがスキーマの誤りを認めること。これはいわば記号接地をしなおすことである。
②システム1の思考をシステム2で監視する習慣を育てること。
第7章では、「生きた知識」を生むために必要なことを理論的な観点から述べた。おおまかには以下の5点に集約できるだろう。
1 基本概念の記号接地をすること。
2 ブートストラッピング・サイクルによって事例からの一般化、抽象化を自分で行うこと。その際、質の高いアブダクションを行うこと。
3 基本概念のスキーマが誤っている場合には修正できること。
4 「システム2思考」で「システム1思考」をコントロールすること。
5 知識が身体の一部になっていて、様々な状況で自在に使えること。
分散学習と多様学習
ドリルでないとしたら、何をしたらよいのか。時間を使った別の遊びをするのだ。学習科学で、有効性が確立した学習法がある。分散学習と多様学習だ。分散学習は、あることを学習するのに、同じことを一気に集中して学習するより、少し間を置きながら分散して繰り返し学習するほうが記憶の定着がよいという理論である。多様学習は、あることを学習して定着させるのに、同じことを繰り返すより、 多様な環境で学ぶほうが定着がよい、という理論である。 どちらの学習法も、人間の記憶や学習の仕組みの観点から、 理に適っている。
同じことを続けていると、身体は慣れていく半面、気持ちが緩んできて、集中がしにくくなる(もちろん学習者のモゆるチベーションによるので、一般的にはということで理解してほしい)。子どもはとくに飽きやすい。だから同じことを短期間に集中して勉強するより、少しずつ時間を空けながらしたほうが記憶の定着はよい。その意味で、一夜漬けは効果がうすい。というより、試験が終わったらすぐに忘れてしまう。効果的なのは、練習の時間が長くなりすぎないように、一定の時間集中したらその後休むか、別メニューで練習するというやり方だ。
多様学習というのは、その意味で、たいへん効果的だ。 多様学習は違うことをしていくので学び手は飽きにくく、 学びの集中力が持続できる。さらに、同じ概念(あるいは同じ技)を異なる文脈で使う練習をするので、応用がききやすくなる。言い換えれば「生きた知識」を習得しやすくなるということだ。例えば、バスケットボールで3点取れる長距離シュートを練習するとき、同じ場所から打ち続ける練習をするより、距離や角度を少しずつ変えながら打ったほうがよい。同じ地点からばかりシュートを打つ練習を続けていると、その場所からのシュートの成功率は上がるだろう。しかし、実際の試合では、状況に応じて様々な地点からシュートを打たなければならないので、多様な状況での練習こそ必要なのだ。同じ地点、同じ環境で同じ練習を続けていると、頭(脳)も身体もその環境のもとで順応し、 最適化を図ろうとする。すると、ちょっと環境が変わると適応できなくなるリスクが生まれる。臨機応変にパフォーマンスができるようになるには多様学習を心がけなければならないのである。
フレーム問題と乳幼児の言語習得
言語の習得も究極のオープンエンドな課題である。一つの単語の意味を推論するには、乳幼児は、少ないながらも自分のもつ、分野をまたがるありとあらゆる知識と推論能力を統合して、その状況でもっともよい推論をする。まさにアブダクション推論である。その推論を素早く、精度よくできるようになるために、語彙全体を見渡し、パターンを分析して、洞察を得る。これは、よりメタなレベルのアブダクション推論だ。洞察によって、自分の知識を自分で引き上げ、ブートストラップすることで、知識の量と質を向上させる。間違えれば、それを修正する。
では、AIは修正をするだろうか。目標達成への確率の数値はつねにアップデートされる。それを「修正」と言うならイエスだ。しかし、「人間と同じような知識の修正」、 特にスキーマの修正はしないと言ってもよいだろう。AI はそもそも「知識」をもつのだろうか? これを考え出すと、深淵な哲学の領域に突入してしまうので、ここではやめておく。しかし、これだけは言える。AIがもっとも不得意とするのは、「知識を使うこと」である。人間が知識を与えても、AIはそれをいつ、どこで、どのように使うのかがわからない。複数の分野の知識を自在に組み合わせて新しい知識を創造することも、自分からはしない。 -
Posted by ブクログ
・相互排他の推論 「Aではないから、Bだ」と考える。→アブダクション推論
・アナロジーの推論 「関係の同じ」を見つけ出す。→アブダクション推論
・帰納推論 数ある事例を参考にして考える。
◆思考をコントロールする能力実行機能
もうひとつ、「考える力」に含まれる大事な能力に、「思考をコントロールする力」があります。これは「実行機能」と呼ばれるものです。「思考のコントロール」には次のようなステップが必要です。
1 | 必要な情報に注意を向け、情報を取り入れる。
2 | 複数の情報を一時的な記憶の貯蔵庫にためておき、取り出せるようにする。
3 | 不必要な情報に注意が向かないようにする。
詰め込んだ知識も、取り出さなければ意味がない
「考える力」というのは、「知識を使って、推論し、問題を解決する力」であるといえます。問題の解決には、推論が必要です。推論をするためには、脳に記憶されている必要な知識に素早くアクセスして取り出す「情報処理能力」と、必要な知識や情報に注目し、不必要な情報へ注目しないように思考をコントロールする「実行機能」が欠かせません。この2つの力に支えられてはじめて、推論が可能になり問題解決ができるのです。
…大事なのは、抽象的な意味のことばを「死んだ知識」としてたくさん持つことではありません。今持っている知識と結びつけることができることばをたくさん持ち、「生きた知識」にすることです。
AIの特徴は、「意味を理解しないこと」。そしてこのような「直観を持たないこと」です。そしてそれはそのまま、人間の考える力との違いになります。
人間は学びの過程で、考え、間違え、それを自ら修正することで、技を身につけると同時に、直観を磨きます。
人間は学びの過程で、考え、間違え、それを自ら修正することで、技を身につけると同時に、直観を磨きます。この直観こそが、この先みなさんが学ぶうえで非常に大切なものです。
もし無自覚なまま、考えることを放棄して生成AIを活用すれば、みなさんの知性に大きなダメージを及ぼしかねません。なぜなら私たちの学びにとって必要不可欠な「意味」 を見つけ、「直観」を育む機会がその分だけ減ってしまうからです。うどんの達人が、うどんをこねる機械を使いだしたら、自ら微調整をしながらうどんをこねることはできなくなってしまうでしょう。
小さいころから生成AIに頼り、生成AIに「答えを教えてもらう」ことに慣れてしまうと、本来人間が持っていた「意味の理解」が失われ、「直観」を働かせて新しい知識を創造していくことができなくなる。私はそのことを懸念しています。
赤ちゃんはことばを学ぶとき、未知の音を外界の対象に結びつけて意味を探し、身体に落とし込みます。そこから推論をして、自分の力で知識の体系をつくり上げていきます。
その過程で、たくさんの間違いを繰り返しながら、ことばの枠や知識を修正していきます。 このような試行錯誤を繰り返すことで、ことばや知識が、いつどのように使えるのかが感覚的にわかってくるのです。そしてそれは「生きた知識」となります。このことは1、2 章でくわしく述べてきた通りです。
一方AIは、「すでに存在している知識を再生産する」ことしかできません。それどころか、AIを使った要約的文章が大量に生成され、それが学習データに使われていくことを考えると、ChatGPTがつくる文章は出回っている文章の縮小再生産になっていく可能性があります。もし、人間がそれを「正しい」と信じ規範とするようになったら、創造的な発展はなくなっていくでしょう。
もちろん「AIを使うな」と言っているわけではありません。むしろ、うまく使う練習をすることが大事です。ChatGPTが間違った答えを返すことを経験し、うのみにしてはいけないと納得すること。その上で、どのように使ったら便利で、どのように使ったら良くない結果をもたらすかを考え続け、試行錯誤することです。
そしてそれ以上に求められることは、学校で学ぶ抽象的な概念を、どれだけ生活の経験に結びつけられるかどうかです。ランナーが抽象的な「速さ」という概念を身体で感じ取りその意味を把握しているように、日々の体験を抽象的な概念に結びつけていくことです。 これが、「記号接地」するということです。この記号接地の学びを通じて、ことばの意味を獲得し、学びの直観を得ることができるようになるからです。
このように考えていくと、私たち人間に残された道は、熟練のうどん職人のように身体や経験を通じて学び、直観力を磨いていくしかないように思えるのです。
そのためには、「間違う」ことも大事です。
アブダクション推論のことをお話ししましたね (60ページ)。アブダクション推論は、 知識を拡張させ、発展させる推論です。しかし、誤った推論も生みます。人間は多くの誤った推論をするのに、なぜ、文明を進化させ、芸術や科学を進化させてくることができたのでしょうか? それは、誤りを修正する能力があるからです。
そして誤りの修正をするのもまた、アブダクション推論です。人間は失敗から多くを学ぶことができる生き物です。実際、「学習科学」の研究では、まだ習っていない問題を、 自分の持っている知識でなんとか考え間違ったときのほうが、難なく解答したときよりも、 学びが深まり定着するということがわかっています。
生成AIを使い、簡単に答えを出してしまうことを「あたりまえ」と思ってしまうと、 「直観」が育たないだけでなく、自分で難しい問題を考え、チャレンジして失敗をすることを避けるようになるでしょう。「早く答えを出して宿題を終わらせられたらラッキー」と思うようになるかもしれません。そのような勉強法では、知識を「記号接地」することはできません。結局、どうしてそういう答えになるのか、その意味がわからないからです。 手早く答えを出すことばかりがうまくなっても、学びは深まりません。
みなさんが将来扱う問題は、答えが簡単に決まる問題だけということはまずありません。
世の中の仕組みも、技術も、ますます複雑になっていき、答えが単純には決まらない問題が多くなるはずです。そういう状況で活躍できる人は、抽象的な概念を自分に接地させ、 身体の一部にすることができる人です。つまり「生きた知識」を、身体や経験を通じて学ぶことで自ら作ることができる人なのです。