あらすじ
乳幼児は驚異的な「学ぶ力」で言語を習得できる.しかし学校では多くの子どもたちが学力不振に陥り,学ぶ意欲を失ってしまう.なぜ子どもたちはもともと持っている「学ぶ力」を,学校で発揮できないのか.「生きた知識」を身につけるにはどうしたらよいのか.躓きの原因を認知科学が明らかにして,回復への希望をひらく.
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Posted by ブクログ
面白かったです。人間とAIとの学習プロセスの比較は興味深く読みました。今後AIとどう付き合っていくのか、その見極めのためにも読んでみると面白いと思います。
仕事でAIやプログラミングを学ぶものとして、あるいは子どもを学校に通わせている親として、とても参考になりました。
Posted by ブクログ
子どもの学力回復への道筋になればと思い読みました。
内容は、著者が作成した「たつじんテスト」を基に進められ、現在ある学力テストとは、違い、学力テストだけではいけない理由、勉強で躓く理由(主に国語、算数)が書かれています。
この本で気付かされたことは、子どもが分からないところというのは、大人が想定するところとズレがあるところでした。
例えば、2分の1とは?
子ども回答 2つに分ける
大人回答 2つに均等に分ける
この均等が伝わらないと分数は伝わりません。
しかし、こんなの当たり前だろうと思うところに、子どもの誤ったオリジナルルールが設定されており話が伝わらないのです。
本を読むということは、前提として語彙、接続詞、作者が何を言いたいのか推測など予め知識が必要です。ただ、本を読むだけでは、知識になりません。
まずは、どれくらいの語彙がついているのかを判断して(足りないようならば語彙から補い)、その時点の語彙力にあった本を読むことが大切だと思いました。
うちの学校でも「たつじんテスト」やってほしいです。
Posted by ブクログ
オーディブルで
とても興味深く読んだ。
ぜひ、教育関係の方達、現場の方にも、教育行政に携わる方達にも知っていただきたいと思う内容だった。
算数文章題が解けないのは、国語力、読解力が弱いせいと思っていたが、それだけではなかった。
そもそも、数学にまつわる基本的な概念(例えば、分数であったり、1、0、マイナスなどの数の概念など)が記号接地(この言葉も今回初めて知った)できていないことにも原因がある。
ただ、闇雲に学力テストをやって、点数を出しても仕方がない。間違った問題の何が理解できていないのか、そこを明らかにしてアプローチしていかなければ根本的な解決には至らない。
そして、学習のための基本的な概念をきちんと記号接地していくために、ゲームなど遊びの要素がある中で繰り返し鍛え定着させていくのは良い方法だと思う。
この本を読んでいて、ふと思い出したのはシュタイナー教育の小学校での教育課程について書いた本(子安美智子さんのものだったと思う)
朧げな記憶なので、勘違いしていたら申し訳ないが、シュタイナーの特に低学年の課程では、園芸、美術、ダンス、手芸や工芸的なものが授業の大きな部分を占めて、実際に自分の手や体を動かしながらその中で、算数国語理科社会などの要素を合わせて学んで行ったりしていたが、あれは実体験で記号接地しているということだったのだなと改めて腑に落ちる思いであった。
Posted by ブクログ
『言語の本質』は共著であったこともあってかオノマトペについての内容が非常に多かったが、こちらは小中学生の、特に学力低位層におきている言語を通した知識が記号接地できていないことについて丁寧に書かれている。
教育者は、PBLや自由進度学習などの著書だけでなく、やはりこういった認知心理学の著書にも手を伸ばしていけるとよい。
Posted by ブクログ
『言語の本質』で一斉を風靡した今井むつみ氏による、子どもの「学力」とはなにかという根底を問うた本。
今井氏が強く推す「記号接地」という概念、ここに大きな社会課題解決があると感じます。
Posted by ブクログ
記号接地の大切さは分かった。
ってか分かってました。
それを記号接地ということは、初めて知った。
勘のいい先生なら何となく分かると思う。
言葉は車輪のようなものなんだろう。
地面についていないと進まない。
空中で回っているようじゃだめなんだ。
使えて初めて役に立つ。
スキーマの間違いは、経験の豊富な先生なら意識して授業していることだろう。それを正そうと工夫して話しているだろう。
「繰り返しやれば、できるようになる」は間違い、には心から賛同。繰り返しやらせる無意味さは経験すれば分かる。
でもなー、
そのために遊ぶのか…。
んー、むずい。
たぶん何でもかんでも遊べばよいのではないに違いない。科学的にちゃんと裏付けのある遊びだ。
分かるんだよなー。遊ぶと覚えんだよ。それは感覚としても分かる。身に付いていることって、「お勉強」したことより遊んだことなんだよな。
むずかしいなー。
何が難しいって、このことを正確に理解して実行できる人がいないと思われること。理解が不正確だったり、あるいは都合のよいところだけを取り上げるような教育になるだろう。教育改革が行われる度に繰り返される歴史だ。
赤ちゃんは学ぶ本能をもっているのに、なぜ子供は学ぶ意欲をなくしてしまうのか、よく分かった。分からない勉強をひたすら強いるのは虐待だと思っている。
これを何とかしなくてはならない。学校が、社会が解決するために不断の努力をしなければならない、一つの答えのない問いだ。
Posted by ブクログ
「学力喪失」、すなわち「学ぶ力」の喪失ということで、学ぶことに焦点を当て、それは記号を接地することなんだ、ということ。記号接地はおそらく「腹に落ちた」とか「手足のように使える」とかそういう感覚なんだろう。子どものまなびを主題に据えているが、これは大人でも変わらない構図であり、そして大人でも遊ぶように学ぶことを意識した方がいいのかもしれないな。
Posted by ブクログ
記憶とは何か、学力とは何か、知識とは何か。
人間が生きた知識を身につけるプロセスとともに、なぜ子供が学校の授業に躓いてしまうのか、どうすれば躓きを解消して知識を身に着けていけるのか。
子どもたちがどれだけ難しいことをしているのかがよくわかる。
どうしてこんなこともわからないのか?と思うこともあるが子供からしたら「そんな事」がいかに難しいか。
Posted by ブクログ
全ページが面白くて貪るように読んだ。知育とかって言うけど目指す先はどこなんだろう、ということを考えるきっかけになったし、乳幼児が言語を習得するプロセスについても学びを得られる。去年の本なので、生成AIとの付き合い方など鮮度の高いトピックがあるのもいい。認知科学という分野が面白すぎて、心臓がバクバクしてる。今井さんの著書は全部読んでみたい。
Posted by ブクログ
子どもはなぜ文章題が読めないのか。
そもそも文字の理解とは?みたいなところから進めていってめちゃくちゃ面白かった。
後半の実践も事例が多くてとても勉強になった。
Posted by ブクログ
初年次教育に携わるようになり、「学力とは何か」「なぜ分からないのか」に直面する機会が増えた。
本書はその疑問に認知科学の視点から丁寧に応えてくれる一冊。
具体的には「どうしてわからないのか?」という問いへの解像度が上がる。
『言語の本質』でも印象的だった「記号接地」という概念が、学習における「わかる」の本質を考える手がかりとして本書でも中心に扱われている。
また、生成AIの限界やハルシネーションの話も、人間の学びと対比する形で明快に解説されており、非常に興味深かった。
「時間」の概念につまずく娘のサポートにも役立つヒントがあり、教員としても親としても気づきをもらえた点がありがたい。
アクティブラーニングや授業設計に活かせる知見も多く、監修中という知育教材も期待している。
それまでに娘が時計を克服してくれていたら…と願いつつ、折に触れて読み返したい一冊。
Posted by ブクログ
認知科学に関する見慣れない語句が頻出.しかし、人間が言葉を覚えて駆使する過程が綿密に描写されており非常に楽しめた.記号接地という語句も児童が分数を理解できていない文脈で登場したが、面白い概念だと感じた.人工知能との関連も興味深い内容だった.「たつじんテスト」「時間どりじゃんけん」「時計カルタ」「分数のたつじんトランプ」など工夫された教材の紹介も良かった.p298にある‘’子どもが基本概念に自分で接地をし、アブダクションによって知識を拡張していくことができるなら、何から何まで直接教えてもらわなくても、自分で新たな知識を、それも「生きた知識」をつくっていける‘’が核心だと思った.
Posted by ブクログ
教育の本質を改めて問い直す一冊でした。認知心理学の知見をもとに、「学力とは何か」「学びとはどうあるべきか」という根源的な問いに対して、明快かつ実践的な視点を提示しています。
本書の中で特に印象的だったのは、「すべての子どもに同じように効く普遍的な方法は存在しないし、存在するべきでもない」という言葉です。教育現場では、特定の実践方法に頼りがちですが、それらはあくまで手段の一つに過ぎません。教師には、目の前の子どもに合わせて方法を柔軟に調整する力が求められます。どんな教育技術であっても、誰かの言葉を鵜呑みにするのではなく、自分自身の判断でチューニングして活用することが大切だと感じました。
また、「わからない問題を繰り返し解かせることが、理解につながるとは限らない」という指摘には、深く考えさせられました。むしろそのような指導が、学習への嫌悪感を生む可能性があるという点は、日々の授業を振り返る上で重要な視点です。漢字や計算などで、無意識に繰り返しを強いてしまっている自分に気づかされました。
さらに、「教育者の役割は、知識を伝えることではなく、子どもが知識を創造できるように導くことだ」という主張には、大きな共感を覚えました。学習内容を生活経験や他教科と結びつけることで、知識のネットワークを広げる指導が求められます。自分の実践を振り返ると、まだ十分にその視点が取り入れられていないと感じました。今後は、教科横断的な単元改革や指導計画の見直しに取り組みたいと考えています。
また、子どもがつまずく原因として「思考力」そのものよりも、「思考の制御」に関わる認知負荷の問題が大きいという指摘も新鮮でした。授業では「わかりやすく教える」ことに意識が向きがちですが、子どもが「自分で学べる」ようになるための工夫こそが重要です。
分数の理解に関する記述では、計算はできても量的な直感が伴わない中学生のふるまいが、生成AIの挙動に似ているという指摘が非常に興味深く感じられました。この「量的直感」は中学以降の数学理解に不可欠であり、小学校段階でいかにこの力を育てるかが重要です。算数の授業では、数の概念が記号接地しにくいという前提に立ち、より直感的な理解を促す工夫が求められると感じました。
教育における生成AIの活用についても、著者は短期的な成果ではなく、10年後、20年後の人間形成という長期的な視点で評価すべきだと述べています。流行に流されることなく、教育の本質を見失わないための重要な視座であり、現在執筆中の原稿にもこの視点を取り入れることで、実践の価値や危険性をより深く検討できると感じました。
最後に、生成AIの効率化に頼りすぎることで、子どもが自分の頭で考える習慣を失い、知識のかけらを求めて情報の海を漂流するだけの存在になってしまうという警鐘には強く同意します。ネット検索の危険性も同様であり、調べ学習にインターネットを活用する際には、事前指導を徹底する必要があります。情報活用に関する学習が、逆に誤った方向に進んでしまう可能性を常に意識しておきたいと思います。
なお、著者が「ChatGPTは超優秀な『次のことば予測マシン』である」と表現した一節は、生成AIの本質を端的に言い表しており、教育現場での理解を促す上でも非常に有効な表現だと感じました。今後の原稿などで、ぜひ引用させていただきたいと思います。
『学力喪失』は、教育者としての姿勢を根本から問い直す力を持った一冊です。方法論に頼るのではなく、子どもと自分自身の特性に応じた柔軟な実践を構築すること。そのためには、認知心理学の知見を踏まえた「学びの設計」が不可欠です。教育の本質を見失わないための羅針盤として、折に触れて読み返したい一冊だと感じました。
Posted by ブクログ
子どもたちのわからないがわかり、それは大人にも当てはまることだということがわかる本だと思います。
テストの点数が悪い子どもたちにドリルをやらせても学力は上がらない。そもそも学力ってなんだっけ?というところからとても丁寧に述べられています。学ぶとはなにか、子どもたちのわからないは何がわからないのか。5つ星はこれだ!という本に出会った時のためにとってあり、いつもは星4つのことが多いのですが、これは迷いなく星5つでした。
Posted by ブクログ
教員として「どれだけわかりやすく伝えられるか」と日々悩んでいたが、スキーマの構築過程と、知識は「教えてもらうことが当たり前」と子どもたちに感じさせてしまっていることが定着に至らない原因と考える新しい視点をもらえた。
Posted by ブクログ
知識詰め込み型教育の終焉は、もはや議論の余地がない。そこで今問われるのはスキームの確立とその修正能力だ。生成AIの台頭で、よりこれらの力が人間の強みであることが明白となった。
分数の概念的な理解がこれほどまでにできていない実態に、正直目を疑った。低位層と中高位層にこれほどまでの差があると、社会のルールは頭のいい奴の都合の良いように作られているという、ドラゴン桜の作中のセリフがより説得力を持つ。
低位層で行われる思考は速い思考、いわゆるヒューリスティックしか用いられない。遅い思考を利かすことができない。
Posted by ブクログ
とはいえ、何がしかの「仮説」(というより「見通し」)がなければテスト作成に着手することもできない。筆者たちは、 「思考力とは、知識を使って問題解決をする力」と定義し、 認知科学の知見をもとに、それを形づくるための鍵概念として、以下の三つの能力を設定した。
①知識を拡張し、創造するアブダクション推論能力
②推論過程を制御するための認知・情報処理機能
③思考を振り返り、知識の誤りを修正するためのメタ認知能力
これらのうち「アブダクション推論」については、なじみのない読者も多いと思う。簡単にいえば、アブダクション推論とは、演繹推論のように結論が一義的にきまる、 ず正しい答えが得られる推論ではなく、異なる分野の知識を組み合わせたり、比喩や類推を用いて新たな知識を創造する推論のことである。このように書くと、専門家にしかできない、難しいことのように思うかもしれないが、これは、私たち人間が乳幼児のときから行っている推論で、ことばの習得や概念の習得には必須のものである。この推論は知識を拡張・創造するものであるが誤りも犯し、誤ったスキーマを形成する原因にもなる。したがって、「創造的に、質の高い思考をする」とは、「質の高いアブダクション推論をしながら、つねに推論をリアルタイムで制御すると同時に、結果をモニターし、誤りを修正するサイクルを伴う思考をする」ということなのである。
たしかに図形全体を心の中で回転させていくのは認知的な負荷が高い。それを軽減するために補助線を引くことによって認知的な負荷を軽減させているのである。言い換えれば、高位層の子どもは図形の回転に認知的な負荷が高いのを見抜き、負荷を軽減するための方略を自分で考えることができたので、正解できたのである。
そして高位層の子どもたちはこのように、問題解決のために自分で方略を考えることがどの問題でもできたので、 この問題でも、他の難易度が高い問題でも、高い割合で正答することができたと考えられる。
課題に応じた方略を工夫することができる能力は、学校でのどの教科の学びにも重要である。この能力が低い子どもの多くは、様々な教科において、問題解決に必要なパーツをもっていても、少し問題が複雑になってパーツを組み合わせたり統合したりしなければならなくなると行き詰まってしまい、問題が解けない事態になってしまうのである。 言い換えれば、(逆)数唱課題のように作業記憶容量だけを測ることに特化した単純な問題を大量に与えて記憶容量や情報処理のスピードが速くなるような訓練をするよりも、 認知的な負荷を軽減できるような方法を自らの状況に合わせて見出せるようになるための支援をしたほうが、学力に必要な思考力を高めるうえでは有効であるということだ。
「記号接地」とは人工知能と認知科学における長年の未解決問題である。1990年にスティーブン・ハルナッドという認知科学者が、当時のAIを批判して、記号接地問題 (Symbol Grounding Problem) ということばでAIを特徴づけた。当時のAIは今と異なり、記号(ことば)を操作する記号アプローチが主流だった。記号の意味は人間が定義を与える。しかし、コンピュータはひとつひとつの記号(ことば)の意味を他の記号で記述しなおしているだけで、コンピュータが意味をほんとうに理解しているわけではない。
しかしどんなに流暢でも、生成AIが記号接地をしていないことには変わりはない。ChatGPT は超優秀な「次のことば予測マシン」である。ビッグデータの海を泳ぎ、単語や句が別のどの単語や句といっしょに使われるのかを計算し、この単語の次に来そうな単語や句を予測する。予測をどんどん積み重ねて文を、そして文章を作り上げていく。 それが ChatGPT をはじめとした生成AIが行っていることである。「いちご」のビジュアルの統計値をもち、いちごの画像を選ぶことはできる。「いちご」が果物であること、 「甘酸っぱい」味をもつこと、よく練乳(コンデンスミルク) といっしょに食べられることなどは、聞かれれば言語で返すことはできる。これを一般に人は「知っている」と考えてしまう。しかし、「甘酸っぱい」がどういう味なのかはわからない。リンゴなど他の「甘酸っぱい」 食べ物と区別することは(少なくとも現状の)AIにはできない。ハルナッドが30年以上前に指摘した状況とまったく変わらず、ことばの海を、ひとつのことばから別のことばへ漂流しながら、言語による言い換えで人間の質問に答えているにすぎない(図7-1)。
このように、何かを学習するときに、子どもが自分で手がかりを見つけ、洞察を得て、学習を加速させていくプロセスを、発達心理学ではブートストラッピングという。 靴(ブーツ)の履き口にあるつまみ(ストラップ)を自分の指で引くと、うまく履くことができる。そこから、「自らの力で、自身をより良くする(より高い発達段階へひき上げる)」 という意味に、比喩的に拡張された用語である。
知識は大きく育てたい。そのためにアブダクションは欠かせない。そうすると間違うことは避けられない。しかし、 間違いは修正しなければならない。けれども、大人が正解を言っても間違いは簡単に修正されないのである。こういうジレンマに多くの子どもが陥ってしまっている(図7-10)。
どうしたらこの穴から抜け出すことができるのか。二つの大事なポイントがある。
①子どもが自分のスキーマの誤りを修正することに自分で納得できるような状況をつくり、子どもがスキーマの誤りを認めること。これはいわば記号接地をしなおすことである。
②システム1の思考をシステム2で監視する習慣を育てること。
第7章では、「生きた知識」を生むために必要なことを理論的な観点から述べた。おおまかには以下の5点に集約できるだろう。
1 基本概念の記号接地をすること。
2 ブートストラッピング・サイクルによって事例からの一般化、抽象化を自分で行うこと。その際、質の高いアブダクションを行うこと。
3 基本概念のスキーマが誤っている場合には修正できること。
4 「システム2思考」で「システム1思考」をコントロールすること。
5 知識が身体の一部になっていて、様々な状況で自在に使えること。
分散学習と多様学習
ドリルでないとしたら、何をしたらよいのか。時間を使った別の遊びをするのだ。学習科学で、有効性が確立した学習法がある。分散学習と多様学習だ。分散学習は、あることを学習するのに、同じことを一気に集中して学習するより、少し間を置きながら分散して繰り返し学習するほうが記憶の定着がよいという理論である。多様学習は、あることを学習して定着させるのに、同じことを繰り返すより、 多様な環境で学ぶほうが定着がよい、という理論である。 どちらの学習法も、人間の記憶や学習の仕組みの観点から、 理に適っている。
同じことを続けていると、身体は慣れていく半面、気持ちが緩んできて、集中がしにくくなる(もちろん学習者のモゆるチベーションによるので、一般的にはということで理解してほしい)。子どもはとくに飽きやすい。だから同じことを短期間に集中して勉強するより、少しずつ時間を空けながらしたほうが記憶の定着はよい。その意味で、一夜漬けは効果がうすい。というより、試験が終わったらすぐに忘れてしまう。効果的なのは、練習の時間が長くなりすぎないように、一定の時間集中したらその後休むか、別メニューで練習するというやり方だ。
多様学習というのは、その意味で、たいへん効果的だ。 多様学習は違うことをしていくので学び手は飽きにくく、 学びの集中力が持続できる。さらに、同じ概念(あるいは同じ技)を異なる文脈で使う練習をするので、応用がききやすくなる。言い換えれば「生きた知識」を習得しやすくなるということだ。例えば、バスケットボールで3点取れる長距離シュートを練習するとき、同じ場所から打ち続ける練習をするより、距離や角度を少しずつ変えながら打ったほうがよい。同じ地点からばかりシュートを打つ練習を続けていると、その場所からのシュートの成功率は上がるだろう。しかし、実際の試合では、状況に応じて様々な地点からシュートを打たなければならないので、多様な状況での練習こそ必要なのだ。同じ地点、同じ環境で同じ練習を続けていると、頭(脳)も身体もその環境のもとで順応し、 最適化を図ろうとする。すると、ちょっと環境が変わると適応できなくなるリスクが生まれる。臨機応変にパフォーマンスができるようになるには多様学習を心がけなければならないのである。
フレーム問題と乳幼児の言語習得
言語の習得も究極のオープンエンドな課題である。一つの単語の意味を推論するには、乳幼児は、少ないながらも自分のもつ、分野をまたがるありとあらゆる知識と推論能力を統合して、その状況でもっともよい推論をする。まさにアブダクション推論である。その推論を素早く、精度よくできるようになるために、語彙全体を見渡し、パターンを分析して、洞察を得る。これは、よりメタなレベルのアブダクション推論だ。洞察によって、自分の知識を自分で引き上げ、ブートストラップすることで、知識の量と質を向上させる。間違えれば、それを修正する。
では、AIは修正をするだろうか。目標達成への確率の数値はつねにアップデートされる。それを「修正」と言うならイエスだ。しかし、「人間と同じような知識の修正」、 特にスキーマの修正はしないと言ってもよいだろう。AI はそもそも「知識」をもつのだろうか? これを考え出すと、深淵な哲学の領域に突入してしまうので、ここではやめておく。しかし、これだけは言える。AIがもっとも不得意とするのは、「知識を使うこと」である。人間が知識を与えても、AIはそれをいつ、どこで、どのように使うのかがわからない。複数の分野の知識を自在に組み合わせて新しい知識を創造することも、自分からはしない。
Posted by ブクログ
子どもの学力(学ぶ力)を引き出す教育とはどのようなものか。語彙の少なさや間違ったスキーマではすぐに壁に当たってしまう。抽象的な概念を記号接地し、生きた知識を得ることが大切。わかった!という経験をすることでこの先自分の学びを進める力がつく。
Posted by ブクログ
塾講師をしている傍ら、中学生の学力向上にはワークなどを何度も解くことが根本的な解決にはなっていないのでは(?)、という薄っすらとした疑問が解決された。
一般的な学力低層の学生たちが、どういう理由で問題に詰まっているのかがよく理解できた。
Posted by ブクログ
数や言葉の概念において、大人と子どもで共通認識があると思わないことが大事だと感じた。
子どもがそれらの概念を理解できているか注意深くみていくことが必要。
そして遊びの中で概念の感覚を培い、大人が指摘するのではなく子どもたちが指摘しあったり、気づきあう中で学ぶことが大事。遊びの中であれば間違えを指摘されても失敗したと緊張することもない。
分数や少数のカードで大きい数字を出して行くゲーム、時計カルタ、時間取りゲームなどとても良いなと思った。
子どもが小学生に上がったらぜひやってみたい。
Posted by ブクログ
スキーマとは言語化できない直感的な理解。暗黙の知識。今までの経験から学習者が無意識のうちに作り上げた「知識の塊」これがスキーマ。概念を理解するための枠組みとなる知識。
スキーマは情報を選択する。スキーマに合わない情報はすぐ目の前にあっても、丁寧に説明されても頭に入ってくることはない。学び手のスキーマと合致していなければ、内容はスルーされるか捻じ曲げられてしまう。誤ったスキーマを持っている場合、それを修正するところから始めないと、理解に結びつかない。
読解の中身
①文字の認識→単語の認識→単語の音声変換
②脳内の意味貯蔵庫にアクセスし、言語の意味を想起
③文法の知識と単語の知識を組み合わせ、文としての意味を解釈。しばしば文脈に合わせて単語の意味を拡張したり変えたりする必要あり。
④テキストの内容に関するスキーマを想起。スキーマによって行間を補いながら文章を理解していく。
⑤テキストの字面の意味、解釈を超えて書き手の意図や意見、感情などを推測。
壮大ですな。
子供が本を読むには?
読むことを始める前に、文字を覚えることを始める前にどれだけ耳から聞いた単語をたくさん知っているかが読めるようになるには必要。
意味を汲み取れない原因は語彙が足りないこと。
算数ができるようになるには
単位、時間、空間などの算数概念の言葉と比較、分ける、などの動詞の理解、割合、比率、等しい、曲線、直線などを理解しないといけない。
語彙力だけでない。視点を柔軟に変えることができること。自分以外の視点で物事を見る力。
読むのが上手い人は、まず自分の想定している単語の意味がその単語の前後の文脈に合うかどうか考える。合わない時は文全体の意味あるいは文章の流れを優先し文章の意味を解釈する。同時にそれまで自分が認識していた単語の意味を修正したり、拡張したりする。そのようにして、文脈から単語の意味の知識を広げ、単語の種を理解して自分の知識を豊かにしていく。
言葉の習得と概念の習得は「比較」に仲介されながら共に発達していくのである。このことも、学校で抽象的な概念の学習に苦労する子供たちに、大人が何をするべきなのかについて、貴重なヒントを与えてくれる。
知識を大きく育てたい。そのためにアブダクションは欠かせない。そうすると間違うことを避けられない。しかし間違いは修正しなければならない。大人が正解を言っても間違いは簡単に修正されない。子供が自分のスキーマの誤りを修正することに自分で納得できるような状況を作り、子供自身がスキーマの誤りを認めること。これは言わば、記号接地をして直すことである。これが習慣化されると、アブダクションがどんどん洗練され直感が磨かれる。学力向上に役立つ力。
記号接地、概念を生活経験に紐付けることから始める。人間の知識を拡張させる推論がアブダクションだと言うことに立脚すれば、遊びが学びになると言うことは自然なことである。
子供たちに必要なのは、頭でなんとなくわかりかけた、つまり接地しかけている概念を何度も使い、体の1部にすること。いろいろな遊びをして接地を確実にする。記号接地をするためには演繹推論ではなく、アブダクション推論が必要。身体化された生きた知識になること。
Posted by ブクログ
内田洋行さんのプロモーション案件。というのは冗談だけれど、小学生の保護者向けというより学校向けの内容でした。今井むつみ先生の開発した『達人テスト』はぜひ我が子に受けさせてみたい〜と思ったけれど、個人利用は想定されていないようでちょっと残念でした。(いくつか例題は載っているので参考にさせてもらっています)
「(子供たちがどう間違えているか、どういうスキーマを形成しているか、を観察することなく)わかりやすく問題解説しただけで満足していないか」という指摘には親としてドキッとしました。これからの家庭学習(宿題の丸付け)に活かせそうです(^o^)
Posted by ブクログ
ノリと雰囲気で語られがちな、「学力が追いつかないとはどういうことか?」を、構造的に言語化してくれた良書。という意味で、学校教育にかぎらず、むしろ仕事における「日々学んでいくために何をどうすべきか?」の補助線を示してくれる一冊でもある。
ただ、AIと人間の差分についての語りが、既に古びて見えてやしないか?それこそ「AIは自ら思考できない」というスキーマに入れ過ぎじゃないか?と思える主張が目立った点は気になった。
Posted by ブクログ
子供が算数などの義務教育についていけないメカニズムを、認知科学の視点で興味深く解説してくれる本です。一方で、大人になっても物事を理解できずに仕事で困るケースはあるもので、子供の話だけではないな、と感じる面もありました。社会に出て仕事を始めると、いろんな業界用語を使ってかかれた文章を目にすることになります。それらを「記号接地」せずになんとなく使って、なんとなく議論に入ることもできてしまいます。その結果どこかで行き詰まって、最終的に失敗するということが少なくありません。子供の教育の話ですが、大人としても考えさせられる部分が多かったです。
AIが記号接地できていないこと、算数の問題が解けない子供がChatGPTに似ているという話が目から鱗でした。生成AIの進歩はすごいので、いつかそれも克服してしまいそうです。そうなった時に、著者にはぜひ人間とAIについての議論を更新していってほしいな、と思いました。
Posted by ブクログ
今井むつみ著『学力喪失―認知科学による回復への道筋』は、子どもたちの学力低下問題を認知科学の視点から深く掘り下げ、その原因と回復の方法を示した重要な教育書です。本書の核心は、単なる知識不足や暗記の問題にとどまらず、「記号接地」と呼ばれる言葉や数式と実際の経験や身体感覚が結びついていないことが、学びの本質的な低迷につながっているという点にあります。
まず、算数や数学の学習は単純な暗記や計算だけでなく、前の学びが積み重なってできている体系的な構造です。一部分でつまずくと、そのあとに続く学習全体が理解できなくなります。さらに、文章題の理解には文章を正しく読み解く語彙力や時間・空間の理解、論理的な推論力が不可欠です。そこにおいては、言葉の意味が単なる記号として頭の中にあるだけでは不十分で、実体験や身体感覚と結びつく「記号接地」が必要であると本書は説きます。
この「記号接地」という考え方は、生成AIと人間の理解の違いを説明する重要な鍵になっています。生成AIは大量のテキストデータを学習し、言葉同士の関係やパターンを抽象的に処理することができますが、実際の世界や身体の感覚と結びつけることができません。これが算数・数学に弱い理由だとされています。一方、人間の学習は身体や感覚を伴う体験をもとに記号を理解し、これが「腹落ち」として感じられる深い納得感につながります。
また、本書は教育現場の現状として、こうした記号接地が十分に行われていないことを指摘し、その原因の一つに保護者や教育者の理解不足、そして遊びや体験を通した「コンテキスト・リッチな学び」の欠如を挙げています。遊びは、子どもが言葉や記号を実体験に結びつける重要な機会であり、これが学力向上に欠かせないという点も強調されています。
さらに、学習者の発達段階には大きな個人差があり、一人ひとりの接地の状態や能力に応じた教育が必要です。単にカリキュラムを消化するだけではなく、子どもの内面の動機づけや学習意欲も向上させることが、学力回復には不可欠です。
本書はまた、生成AIの進展を認めつつも、AIには本当の意味での「理解」や「意味の把握」が伴わないことを冷静に分析しています。AIと人間の認知の違いを明確に示しつつ、AIの教育利用の可能性と倫理面の課題にも丁寧に触れています。
総じて、『学力喪失』は学力低下の問題を多面的に捉え、認知科学の理論と実証に基づく具体的な教育改善の方向性を示した良書です。知識の「死活問題」である記号接地の重要性、遊びを通じた体験学習の価値、個別の発達差に対応した教育の必要性など、本書の示唆は現代の教育現場や家庭、さらにはAI時代の学びの在り方を考える上で非常に示唆に富んでいます。背景知識がない人にも理解しやすく、教育関係者だけでなく広く一般の読者にも読んでほしい内容と言えるでしょう。
Posted by ブクログ
言葉の習得、数字や記号の理解について、すごく丁寧に解説されていて面白い。
大人が社会で教養を身につけるには、、というような流れを想像していたけれどそんなことはなく、
子育ての前に一読しておきたいと思うような本だった。
とはいえ子供の教育だけでなく、日常のいろんな未知のことについて学ぶ場面でアブダクション推論とブートストラッピングはキーワードになりそうだし、
その一例としてAIの活用への問題提起がされている。
安易なAIの利用、デジタル教材化をして満足するのではなくて、うまく付き合っていけるように、人間らしく思考し続けられるように、必要な学ぶ力を意識して育てていきたい。
Posted by ブクログ
9月に購入して以来、積ん読になっていた、本書を少しだけ読んでみた。
小中学生の学びの躓きの原因が認知科学によって明らかにされていく。そんなところに原因があったのかという気付きが心地よく読み進められる。
例に取られているのは、小学校の算数が主なようだが、英語の場合はどうなのだろうかと興味を持った。今井氏には、同じ岩波新書から『英語独習法』という著書もあるのだから、そちらにも少し目配りがあってもよかったのでは。英語教育学者の研究も待たれる。
索引はないが、各章の末尾にまとめがあり、詳細な参考文献表や読書案内も付いているので、大変親切なつくりになっている。
Posted by ブクログ
「たつじんテスト」とっても面白かった
言葉をしっかりと理解していないと
算数の問題が解けないって思ってたけど
やっぱりそうだよねって感じた
子どもが自分で抽象化することの大切さを感じた
以下本文抜粋
様々な分野でブーストラッピングのサイクルを繰り返し異なる分野の知識が関連付けられていく。それによって大きな知識の体系ができる。それが必要な時にすぐに使うことができる「生きた知識」を生む。「生きた知識」が新しい知識を生み、広くて深い知識の体系を作っていくのである。同時に学び手は学び方を学んでいき、精度の高いアブダクションができるようになる。言い換えれば、将来自走できる学び手に成長していく。このスパイラルを作れるように、子供を支援し、足場かけをしてあげること。それが教師の役割であり、親のあるいはすべての大人の役割なのである。
Posted by ブクログ
今井先生は著名な認知心理学の大家。でも著書は初めて。全部しっかり読んだと言えるかは自信が無いが、学習障害について講演をするのに参考図書として。
感想としては、タイトルが間違っていないかということ。本書でわかるのは、小学校低学年のときには、特に算数を解くのに必要な論理が多くの子どもに身についていないという事実があり、著者たちの教え方が効率的に身につけることを可能にしているということ。学力喪失というと、あたかも今の生徒たちが昔の生徒たちに比べて、学力を著しく低下させているようなナラティブを含意しているように感じられるが、特にそんな記述は無かった気がする。また、学習障害に対する言及は少ないのは私にとってはやや残念ではあった。まあ成長とともに、著者が懸念する論理のなさも多くの子どもは身につけていくわけで。出版社が扇情的なタイトルにしてないかと思ったりする。