あらすじ
ことばが世界をつくるのか。世界がことばをつくるのか。
元オリンピアンで著作も多く、「走る哲学者」とも呼ばれる為末大氏。
為末氏が現役時代から興味をもっていたというこの問いを、言語習得研究の第一人者である今井むつみ氏が受け止める。
私たちが意識せず使いこなしている「ことば」とは何だろうか。
「言語能力が高い」、「運動神経がいい」とはどういう状態を指すのだろうか。
スポーツでも言語の習得でも、繰り返しながらやさしいことから難しいことへ、段階をふんだ「学び」が必要になる。しかし、「学び」とは単なる知識の獲得ではなく、新しい知識を生み出す「発見と創造」こそが本質であると今井氏は言う。その究極のかたちを為末氏は、調整力の高さ、すなわち「熟達」と呼ぶ。
私たちはどのように学ぶのか、そこに身体がどのようにかかわってくるのか。
「ことばと身体」を専門にする話題のふたりが、異なる立場から「学び」にアプローチする。
◆目次案
1章 ことばは世界をカテゴライズする
2章 ことばと身体
3章 言語能力が高いとは何か
4章 熟達とは
5章 学びの過程は直線ではない
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
言語とランニング両方の上達に興味がある自分にはドンピシャな本だった。為末さんの陸上経験から来る様々な気づきからの質問に今井先生が答える形式なのだが、共通点が多すぎて驚きだった。
Posted by ブクログ
運動能力と頭の良さは関係がないと思っていた考えを覆された。ある程度の筋力的な強さは頭を使わずに手に入れられるとしても、その先のアスリートの世界には構成主義的な学びが不可欠である。得た情報を反映させて試行錯誤を繰り返しながら自分の身体に新しい動きを取り入れていく試みは、学びそのものだと感じた。オノマトペや例えなど、言葉を使いながらイメージをつけることは、より直感的に理解することを促進する。
また、早く多く学ぶことが最適ではない、という内容が印象に残った。いまは図解した本やYouTubeで視覚的に表現した動画がたくさん出ているが、本来自分でやらなくてはいけないactive, constructiveの段階をpassiveに受容できてしまうことが問題だと感じた。理解したつもりではなく、自分の言葉で説明できるところ、ひいては他人と議論できるところまでをゴールとした学習をしたい。
本を読んで唸っている時間も大事なのかもしれないな。
Posted by ブクログ
為末さんと今井むつみさんという言語化の達人二人の対談。
非常にハイレベルな言語化能力を駆使して、かゆいところに手が届くような表現で、上達に関することなど様々なことを説明してくれている。
基本的な概念が接地していることが大切。それさえできていれば、具体的なイメージを離れて抽象的な操作が自然とできるようになる。
逆に設置していないと「記号から記号へ漂流してしまう」事になるのだ。
上記はとても納得がいく。一つ一つの具体的なレベルでしか理解できていない人は、他に類推して考えることができないので、複数の経験を積んでも、一向にその人の中で積み上がりが起こらない。
言葉が身体につながっていることはとても大事、
「今ここでの経験」を、ことばというものにパッケージ化することができるからこそ、その場を離れて、自分が直接経験していないことを、過去のことでも未来のことでも、離れた場所にいる人に伝えることができる。
Posted by ブクログ
哲学者のように言葉に厳密で、教育の実践者である為末大さんと、認知心理学・言語発達心理学の専門家である今井むつみさんの対談は非常に面白く、新たな気づきを多く得られた。付箋を多く貼った。
・情報量が正確すぎて多すぎる映像に対して、ことばは受け手に合わせて編集し、ポイントだけを切り取って提示できる。受けてが解釈する余白を残せる。
→自分で考え解釈した情報は知識となり、身体の一部になりやすい。
→基本的な概念が身体や経験につながっているから、その先の抽象的な概念を理解できる(=「今ここ」を離れて想像により拡張できる)
Posted by ブクログ
この本を読んで、改めて言葉というものはすごいものだと思った。言葉の言い方、伝え方によって、こんなにも身体の動きに影響がでて、上手く動けるということにびっくりしました。わたしは語彙力がなく、人に伝えるのがとても苦手なのだが、自分でしっかり想像して、身近なものに例えて説明することで、理解してもらえるかもと自信がついた。また、語彙力を増やすにはたくさん本を読むことが大切だと、改めて気付かされたので、これからたくさん本を読んで、語彙力を増やし、自分で思考できるようにし、的確に他人へ自分の気持ちを伝えられるようにしたいと思いました。
Posted by ブクログ
為末さんは言わずと知れた元陸上選手。
今井さんは言語心理学専門の教授。
この2人の対談を元にした本。
この本を読んだあとだと自分の言語化能力、具体化能力の低さにがっかりするのですが、とても面白かったです。
もともと、具体と抽象の行き来には興味があったのですが、それに加えて為末さんが体の動きを言語化してくれるのがずっとスポーツ(バレーボール、テニス、ランニング、今はフィットネス系キックボクシング)をやってきた私には体感的に腑に落ちる表現がたくさんありました。
教える時に情報量の多い映像を見せると処理しきれないけれど、熱いフライパンの上を走るように、というとできるようになる、とか、すごくわかる!と思っていました。
今井さんのお話は'ケーキの切れない非行少年たち(でしたっけ?)'の本にも通じるところがあります。
わかるとはなんなのか?相手と同じ世界を見られているのか?私も仕事で専門知識の深い上司との会話で悩むことが多いです。
怒られてもわからないものはわからない。
スポーツは無意識にできるまでまずは練習が必要、それから工夫していく、というのも、スポーツだけでなく、仕事でも当てはまる部分はあるわけで。
バスケの3ポイントシュートはあの枠外から打つよりもいろんなところからシュートを打ったほうが入る確率が上がる、とかは、スラムダンクの三井さんをイメージしながら、確かにここって時に決めてくれるあの頼もしさ、相手のファールを誘いながら、決めてしまう所なんて、あの一瞬にいろんな技術が込められてるに違いない、一本として同じ姿勢や環境でうっているシュートなんてないだろうな、でも、自分の身体をどう動かしたら、リングに入るのか調整力がすごいんだろうな、と。
ちなみに、無意識にできるまでの練習では、スラムダンクの主人公花道がバスケ素人ながら、特訓をして、庶民シュートや左手は添えるだけ、と呟きながら、基本のシュート決められるようになったことを思い出す。
並外れた運動能力をバスケで活かすために、どう調整していくのか、安西先生や仲間の助けを借りながら、感覚を掴んでいく。
やられたプレーを素人なのにやり返すセンスみたいなものはすごいのだと思う。
(すみません.大好きなスラムダンク、つい熱くなる)
コーチの役目も考えさせられたし、またスラムダンクで申し訳ないけれど、試合前のイレギュラーな緊張した状況で、一人ひとりにあった声かけをしていく安西先生みたいな人のやり方はわかりやすいし、フィジカルから攻める人と動きから攻める人、そのバランスというところも面白かったし、何よりコーチをつけずに、自分をメタ認知して1人でやっていた為末さんがすごいなと思います。
スポーツやってきた人なら、何かしら表現されていることを体感していることあるんじゃないでしょうか?
移動中の飛行機の中で一気に読んで、一気に感想を書いてみました。
あー面白かった。
この中で紹介されている本も読んでみようと思います。
Posted by ブクログ
本書を読んで、言葉の力を改めて実感することができました。言語になっていることで、思考や行動に変化を生み出せることや、言葉の使い方次第で体の挙動を理想の形に近づけることができることがすごく良く分かります。
このお二人の会話は、とても興味深く、私はいつまでも聞いていたい。
為末さんは、みなさんご存知の陸上ハードル競技で日本の代表選手として活躍した方です。アスリートの多くは専属のコーチをつけて、自らの技をより高みに押し上げるスタイルをとってますが、為末さんはコーチをつけずにセルフコーチングで自らの体を鍛錬してきた人です。言葉の選び方、使い方を意識して活用することの大切さを語ってくれています。運動のできない私にもとてもわかりやすく語ってくれています。とても面白く、小説で得られるような高揚感も不思議と感じた一冊です。
Posted by ブクログ
動きを描写する方法でいちばんいいのはことばなのです。
気になるのは、以下です。
■ことば
・同じことばでも、学習者のレベルによって有効である場合と、ない場合があります。
・コーチングのうまい人は、学習者のレベルによってどのようなことばが的確かを直観的に判断し、巧みにことばを使う人が多い。
・映像では情報量が多く正確すぎ、人間の処理できる能力を超えてしまっている。ことばは、いちばん大事なところをスポットライトを当てることができるので、表現方法としては、いちばん適しているのではないか。
・人間の認識や認知にはくせがあり、同じものを見たり、同じアドバイスを受けても、受け取り方が人によって異なると感じるようになりました。
・受け取る人の認識を想像しながらことばを選ばないと、同じ動きを引き出せない。
・ブレイクスルーは、体験によって、このことか!と分かった瞬間に起きます。
■ことばと身体
・リズムは身体の動きに不可欠です。なぜなら、動きは、身体の部位が連動していくことだからです。
・スポーツの世界では、身体の連動のイメージには音声のほうが向いていて、方向性や軌道のような視覚的イメージはことばのほうがふさわしい
・システムを自分で考えて構築していくという過程があるからこそ、仮に実体がない概念的なことばを聞いても、実体のあることばとの関係の中で理解することができるのです。
・そのように理解したことばこそ、自分の知識の一部となり、身体の一部になります。
・ことばには余白があるから、伝えやすい。余白がたんさんある。つまり聞き手が自分で考え、解釈する余地がたくさんあるということです。自分で考え、解釈した情報は知識となり、身体の一部となりやすいのです。
■言語能力
・言語化するというのは、見たものそのままを言語で表現することではなさそうです。
・相手に、自分が見たものとまったく同じものを思いうかべてもらうことを目的としているとしても、実際には見たものそのままをことばで表現しているとは限りません。
・そもそもことばというのは2つの種類がある
1つは、認知的な意味合いで情報を伝える役割をもったもの
もう1つは、感情を伝えることば
・ことばというのは、おもしろくて、抽象度の階層があるわけです。
・あることを細かい粒度でいうこともできるし、それよりももっと粒度を粗くして、抽象的にいうこともできる。
・言語能力とは、「どのように伝えれば相手がこちらの意図を理解できるか」を推論する力だと思います。
・おなじことばを話していても、コモングラウンドが違うと伝わらない
・コモングラウンドとは、ある単語を行ったり、聞いたりしたときに、同じ対象、同じ意味を思いうかべることができたり、同じ文を行ったり聞いたりした時に同じシチュエーションをイメージできるかという認識の共通の枠組です。
・文章を読んでわかる、理解するということは、結局、このメンタルモデルをつくるということでそれができない子どもが非常に多い。メンタルモデルとは、状況を心の中で組み立てたイメージのこと
■熟達
・客観的に動きを眺めるということは、連続する動きの中で、ある点を捕らえて言語化するというプロセスが必要となるのですが、それができるには別の能力が必要となります。
・身体はすべて関係しあっているので、起こしたい動きを間接的に狙ったほうがうまくいくこともある
・毎回異なる状況に対して、同じ結果を出せる。つまり状況への対応能力、調整力が高いということが、熟達したということではないでしょうか。
・ことばはきっかけづくりとして使用されますが、技術習得の過程への影響はあまり大きくはありません。
・コーチの役割は4つ
教える
そのまま伝える
揺さぶる
気づかせる
・できるようになるとは、同じ事が繰り返してできるようになるということではなく、違う条件に対応できるということです
■学びの過程
・学びの過程
①最初は反復しかありません
②無意識にできるようになる
③無意識にしまい込んでいた身体の動きを改めて引き出し、意識的に改善する
⇒細かい動きを意識しすぎると、過剰に動きを意識してしまいへたになってしまいます
⇒意識するとギクシャクし、意識しなければ、動きが改善されない
④意識的に練習するときと、無意識に練習するときに、分けていた
⇒局部だけに集中すると全体が見えない
⑤局所で技術を改善すると、それによって変化した全体のバランスを取り直す
・新しいことを学ぶと、これまでできていたことができなくなる、あるいは混乱する
・達人になれる人というのは、自分が、何をわかって、何をわかっていないかを明確に判断できるということが非常におおきい
・ICAPモデル:情報を深くする
① Passive 受動的 聞いているだけ
② Active 能動的 メモや付箋をつける
③ Constructive 構成的 新しい情報と既存の知識が関係づけられる
④ Interractive 双方向的 対話によって複数の人と新しい知識を構築する
学びで大事なことは、学び方の学び
もくじ
はじめに 為末大
1章 ことばは世界をカテゴライズする
2章 ことばと身体
3章 言語能力が高いとは何か
4章 熟達とは
5章 学びの過程は直線ではない
おわりに 今井むつみ
ISBN:9784594095796
出版社:扶桑社
判型:新書
ページ数:240ページ
定価:950円(本体)
発行年月日:2023年09月
発売日:2023年09月01日
Posted by ブクログ
それぞれの『言語の本質』と『熟達論』への読みやすいガイドになっている。為末さんの時々のちょっと間抜け目な返しが効果的でもある。学習とか向上ということに興味がある人はぜひ。
Posted by ブクログ
ことばによって身体は作られる。
身体によってことばは作られる。
深遠な内容で非常に興味深かった。
理論や理屈と身体の感覚が調和していくとものすごく研ぎ澄まされた感覚になるんだろうなと想像できる。
自分は見えない世界が見えているのだろう。
人間の身体とことばは深く深く繋がっていることを感じさせられる一冊。
Posted by ブクログ
「ことば」の持つ力。
「ことば」の使い方。
記号接地問題。その概念は身体に設置しているか。
「ことば」の余白。映像では情報量が多すぎるので、ことばで焦点化すること。大事なところにスポットライトを当てること。
言葉に関するお2人の会話が胸熱!でした。
明確で、具体的で、イメージが浮かびやすかったです。
Posted by ブクログ
人として成長していくために大切なこととは何なのかが述べられている。
情報が錯綜する現代において、学びを得るためにはどういったアプローチが必要であるか、本当に学んでいるとはいったい何なのかを考えさせられた。
Posted by ブクログ
アスリートの為末大と言語学者の今井むつみによる、身体感覚の言語化についての対談集。
身体感覚も言語化もどちらも興味ある自分にとっては、とても面白かった。
Posted by ブクログ
「学習においてなぜ身体性がなぜ大切なのか」という問いのヒントになるかと思い本書を手に取った。読み終えて振り返ると、答えは大きく2つに整理できると思われる。
ひとつは記号接地。抽象的な概念を生活や経験と結びつけ、実感を伴って理解することで、初めてその概念を自由に操作できるようになるという視点である。
もうひとつは熟達のあり方。熟達とは多様な状況にほぼ無意識に対応できる力であり、熟達するためには、言語的な学びだけでなく、身体化していく必要があるからだろう。
どちらも結局は「身体で学ぶこと」が、学びを柔軟に応用できる土台になる、という話なのかもしれない。
今井むつみさんの著作はこれまでも読んできたが、改めてその考え方の重要性を実感した。授業をつくる上でとても大事になる。
Posted by ブクログ
「できるようになる」ということについて言葉・言語の専門家である今井むつみさんと、アスリートという身体の学びの専門家である為末さんの対談書。身体の学びには言葉が、言葉をはじめ学問的な学びには身体がそれぞれどのように関わっているのか、お互いの専門領域や経験を踏まえた解説、比喩、そして問いかけが絶妙なバランスで知的刺激が大変心地良い対談でした。為末さんの『熟達論』も続けて読むつもりですが、私が考えたいのは「コンサルティングなどの組織支援、組織開発等を適切にできるようになる・育成する」であり(アスリート的な文脈とは異なる仕方だが)身体もことばも両方使う職種なので、本書の横断的な視点が重要なのかなと思う。『熟達論』が終わったらもう一度戻ってこよう。
Posted by ブクログ
為末さんの実践経験に基づく疑問を、今井さんが学問的に表現していく。対談形式は読みやすくわかりやすい。
人的資本と言われ、人財に注目が集まる昨今。わかる、熟練するということはどういうことで、そこを目指すためには何をどうすればよいのか、考えている組織が多いと思います。この本、とても示唆的です。
リスキリングとして、野放図に雑多な動画コンテンツを揃える。これはだめだと確信しました。役割期待と目指すべき到達点を明示し、必要となるスキルを可視化し一覧性を高める。一方で、情報が多くなりすぎないようスキルは絞る。実践を前提として。実践は、復習要素も入れて段階的に高度化していき、目指すべき水準まで様々に経験させる。この一連のプログラムまで揃えて、リスキリングですね。
実践を科学する時代で、ビジネスもスポーツも根っこは同じなんですね。
Posted by ブクログ
身体化。何かを理解すること。学ぶということ。
学び方を学ぶ。わかったつもりを脱却する。
認知科学の今井むつみと元陸上選手の為末大。この2人の考えが違うレイヤーだけど同じことを言っている。
自分の問題意識にすごく共通していて読んでいて楽しかった。
Posted by ブクログ
■評価
★★★✬☆
■感想
◯両著者ともファンであるので、面白く読めた。
◯為末氏が問いを投げかけて、それに対しての対談形式で進行。
◯「言葉の本質」・「熟達論」で言われている内容はベースになっており、それが深堀りされている。
◯時間がなく所感のみになった。再度読み返すと新しい発見があるかもしれない。
Posted by ブクログ
この書籍は言語学者今井むつみ氏とアスリート為末大氏の心温まる対話を通じて、学びの本質に深く迫っています。為末氏の博学ぶりと今井氏の平易な説明は、まさに心を打ち、教育者やコーチにとっては非常に有益な洞察に満ち溢れていました。特に、「オノマトペ」の話や運動と言葉の関係、そして読書の重要性についての議論は、目を見張るものがあり、教育現場での応用に大いに期待が寄せられます。言葉と身体の相互作用を深く理解し、それを教育や指導に生かすヒントが得られることは、まさに感動的でした。さらに、学びのプロセスを多角的に考察し、知識のアウトプットの重要性を強調する点も、学び手と教え手双方にとって非常に刺激的で、心に残る内容でした。
Posted by ブクログ
言葉が世界を作るのか?世界が言葉を作るのか?の問いからスタート。要は言葉があるから物事を認識できるのか、その逆なのか的な。例えば色の識別は言葉によって出来るので言語による分類なんだろうな。蛾とかも名前を付ければ別の種と認識されるわけで。
体の動きをうまく言語化するとかの他にも学習に絡む内容とか、普段は考えないような考察が多数。
Posted by ブクログ
面白い対談だった。この本の中で話題にのぼった本は読みたいと思ったので読みながら別にメモをしておいた。今後の楽しみにする。私自身スポーツをやってきて、ここで語られるほどの領域に到達できなかったけれども、確かにことばと、身体と、学びというのは関連し合っていると、これは実感として腑に落ちる。
Posted by ブクログ
学びというものは深い、ということを再認識させられた。言われた通りやればそれなりにできるが、平均値を超えることは難しい。頭を使ってトライアンドエラーを繰り返していくこと、これに尽きる。頭を使うにもことばが必要であり、現状のままでなく変化し続けなければならない。一流の人々はそれができるのだからすごい。
Posted by ブクログ
対談なのでそれほど深掘りした内容ではなく、さらにそれぞれみてる部分が微妙に違いながら会話が続いていくところ自体が言葉の持つ力であり、完全に分かり合えなくてもわかった気になる効果を鮮やかに描き出しているようにも見える。
「これはこういうことですよね」とまとめようとする時点でそこにはズレが生まれてしまうように見えるのは厳格すぎる見方なのかもしれないけど。この人のこれとあのひとのこれが完全に一致することはなかなかない。
為末大の身体感覚の経験をベースにした話と今井むつみの言語研究ベースの話は違うレイヤーにいるように感じてしまうところがある。
Posted by ブクログ
スポーツでは、実際にデモンストレーションや、映像を見せ、よく見ればわかる、なんて指導が行われているかもしれない。でも映像は人が理解するにはあまりにも情報量が多すぎる。人が理解できるのはせいぜいのその中の一つ。熟練した人ならば自然に見るべきポイントがわかるが、経験の浅い人はそのポイントがわからず、いくら見ても向上しない。
だからこそ、ことばが大切になる。ことばというのは、視覚や聴覚や触覚など、あまたある外界の刺激のある部分をぎゅっと抜き出して表現します。
そして、すぐれたコーチは受け取る人の理解できることばを適切に使える人。
そのためには言語能力を高めること