モンゴメリのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
『可愛いエミリー』と『エミリーはのぼる』とのエミリーブック三部作の完結編。モンゴメリの作品をほとんど訳した村岡花子最後の翻訳書と解説にて知る。
このエミリーブック三部作を読み終わって思いがけなく味わってしまったことは、野心と執念。「アン」シリーズのほのぼのとしたところからは想像出来ない。
書くことに憑かれたひとが苦闘といえるまでに書きつくしているさまに驚嘆した。また出版社に送って評価されるまでの執念がなんてすごいんだろう。そのエネルギーは幼くして孤児となったモンゴメリの自活したいという思いからだろうと察するが。
もちろんこの三部作はモンゴメリのモンゴメリたるロマンチックな物語が展開している。でも自伝要素の部分にあまりに強いものがあるので、ロマンスをぶち壊しているとまでいいたくないが、それなら「アン」式ロマンチックな部分がなかったほうがよかったような。
しかし、「アン」の作者を知り、カナダの小さな島の女性が自立を目指し苦闘する姿は、いつの時代の女性も大変なことと伝える、と同時に勇気をも与えると思うけど。 -
Posted by ブクログ
「赤毛のアン」より作者の面影が色濃いということで読んだ。
やはりヒロインは孤児の10~12歳の少女。アンのように派手な底抜けに明るいのではないけれど、想像力にとみ詩や物語好き。古ノートにいつも何かを書きつけているその様子がほほえましく、作家のめばえがうかがえる。モンゴメリ自身がそうであったのだろうと。
前半のエピソードは、「アン」のあのエピソードがこのエピソードと比較想像できて興味深く読める。だが「アン」のほうが構成の卓抜、人物表現の魅力、意外な展開で多くの人を惹きつけたのだなーと思うところもある。「エミリー」もフィクションだから事実をふくらまして書かれているが、こちらを素材と思わせる落ち着きがある。
後半の章はとてもいい。想像することと書くことが好きな少女が、いかにして作家志望になっていくかということが、真摯に描いてあって感動する。
26、27章は12歳の少女に36歳の男性の出会いはちょっと妖しいものを感じるが、(といってもモンゴメリたるゆえん牧歌的であるけど)文学好きの少女がはじめて文学的に手ごたえのある人に巡り会い心の成長をとげる。「エミリーはのぼる」「エミリーの求めるもの」に続くという余韻が残るのだから。
そして28章からの「可愛いエミリー」という題名に似つかわしくない、あっと思う展開。
ところどころの今はやりのファンタジー的要素、ミステリ要素もあって楽しませる。やっぱりつぼを心得ている、ルーシー・モード・モンゴメリ、ほほえましくかつまじめに読んだ。 -
Posted by ブクログ
第1巻と比べ、第2巻はあまり面白くなかったので、第3巻を読もうか迷ったが、既に買ってあったので読んだ。
初めの『赤毛のアン』が大好きだったからこそ、これ以上見ていられない。第4巻は読まないと思う。その方がアンの将来に「空想の余地」があって楽しい。
ただ、同巻の完訳版は読んでみようと思った。
当時のカナダの文化、風俗は大変に興味深く、教育制度や移民たちの地位などにも興味を持った。解説書籍やオンライン講義などもあるようなので、調べてみようと思う。泥だらけになる描写はよくあるのに、入浴についての言及が少なくとも3巻まではなく、どうしていたのかとてもに気になる。
■追記2020.11
アンシリーズの完訳に取り組まれている松本侑子先生のオンライン講座を受け、いくらかアンの世界への造詣が深まった。カスバード家やバリー家、リンド家などアンと近しい人物はケルト系であり、パイ家はイングランド系である等の知見を得た。「ブレア」がスコットランド系のファミリーネームであるというような知識は全くなかったが、そういったことを知っていると、なぜマシューが「ブレアの店」を贔屓にしているかが分かるようになる。
在留外国人は少なくないのだろうが、日本にいると、在日韓国、朝鮮人かアイヌの人くらいしか、〇〇系のとして思い浮かばない。在日の人たちも国籍をとったり、とらなかったり、日本国籍者であっても〇〇民族としてアイデンティティを持っていたり、いなかったりするのだろうが、人のルーツというものは変えられないがゆえに、本人の自意識や肯定感、否定感を規定するバックボーンにならざるを得ないと思う。異なるルーツの人々の中にあって初めて意識されるものも多いのだと思う。
自分の父祖が異国に移り、苦労しながら開墾し、職を得、家庭を築き、まわりとは違う信仰を持ち、まわりとは違う年中行事を行いながら生活してきていたらどうだろうと考えてみる。自分はすでに日本語が分からなくなるくらい同化していても、日本や日本文化に対して想い入れを持ったり、同じ日系移民と新たな移民文化を築いたりするのだろうか。
予備知識があるだけで、同じものを読んでも情報量が全く違う。適切に読解するために、より楽しく本を読むために、あらゆることを知り、考えていきたい。 -
Posted by ブクログ
第1巻が面白かったので、正直少しがっかりした。これ以降もシリーズが延々続くが、モンゴメリ自身も途中から飽き飽きしていたと聞いたことがある。出典は不確かだが、その説がさもありなんと思える第2巻だった。それなりに面白いが、第1巻からの期待が大きすぎたのかもしれない。
初対面のマシューに機関銃のようにしゃべり続けたあげく急に押し黙ったり、リンド夫人に暴言を吐いたり、クラスメイトを黒板で叩いたり、登校を拒否したり、「それが悪いことだなんて思わなかったの」と言っては突拍子のないことをするのがアンの素敵なところだった。うっとりして自説を披露するアンに鋭い突っ込みを入れるマリラが小気味よく、そこが面白いところだった。持ち前のユーモアを明るく披露することを謹んできた厳格なマリラがアンの調子に巻き込まれ、段々と変化していくのもサイドストーリーとして空想の余地があってよかった。
成長して、教師になり、そそっかしさや空想力は残るものの、天真爛漫で破天荒なアンの魅力はかなりなくなってしまった。双子の世話をしたり、皮肉屋のハリソンさんや寂しさを湛えるミス・ラベンダーの話に大人しく耳を傾けたり、改善委員として活動したり、すっかり優等生の常識人になってしまったので、小説全体もアンを規範とした人生指南のような雰囲気が出てしまったように思う。残念なことに、「楽天的に、勇気をもって、崇高な理想を掲げて人生に立ち向かうべし。嫉妬心や見栄は捨て、地道な仕事に取り組むべし」という説教物語の色が濃くなってしまった。
マシューの死で少女時代の物語は第1巻で美しく完結していた。続編はない方がよかったと思うが、ある限りはがっかりしつつ読んでしまうのが読者の悲しい性なのかもしれない。
第1巻は掛川恭子訳、第2巻は村岡花子訳で読んだ。圧倒的に掛川訳の方が好みだった。一人称が掛川訳では「わたし」、村岡訳では「あたし」である。また、村岡訳では少女たちが「〜しちまった」といった話し方をする。農村部の素朴な人々の言葉遣いを翻訳するにあたり、翻訳当時は一般的な表現だったのかもしれないが、どうも慣れなかった。終始「あんた」「あたし」「しちまった」ならまだよいが、「なのよ」「ですわ」も出てくるので、不自然に思えて気になってしまった。
村岡訳は完訳ではないそうなので、完訳の掛川版か松本版(未読)で第2巻も再読したい。 -
Posted by ブクログ
双子を預かることになったマリラとアン。
読んでるだけで白目になりそうなほどいたずらの度がすぎる、双子の片割れデイビー。彼に対する大人たちの寛容は参考にはなるが、もう一方の片割れである良い子のドーラが気の毒に思えて仕方ない。ちょうどメイがねんねすぎてサツキに同情し、まるちゃんの要領が良すぎてお姉ちゃんに同情するような具合に。
また、ポール・アービングやミスラベンダーなど、高校生の頃に読んだ時はなんとも思わなかったことが面白かった。
アンのお気に入りの生徒であるポールに、正反対の性質であるデイビーはヤキモチを焼くのだが、それについて
「デイビーはデイビーだから可愛いのよ。違う人を同じに好きにはなれないわ」
と言うアンの説明もなかなかよかった。
それにしてもよくお菓子を焼く人たち。 -
購入済み
昔、児童用に翻訳されたものを読んだのですが、一般向けになると細かい内容が省略されずに書かれていて、「そういう話だったのか」と思いました。
児童用よりも現実的というか、ドロドロしたり(とは言ってもアンのドロドロは綺麗なものですが)、鬱々したり、駆け引きがあったり…でも、そういう、苦悩する所も含めてアンという少女も、その物語も素敵だなと改めて思いました。
特にイメージ変わったのがジョシー・パイ。そこまで嫌な奴だったのね…(笑) -
Posted by ブクログ
ネタバレアンとその家族が第一次世界大戦下を
どう生きたのかを一番下の娘である
リラの目線で描いた物語である。
今回久々に読み返したが、新型コロナによる
予想だにしない生活を強いられている今
読み返すと実感できる部分は多かった。
しかし、新型コロナは戦争ではない。
戦争と比べてはいけない気がした。
全てを読み比べているわけではないが、
改訂版として追加になっている部分の
多くは戦況についてのやりとりで、
もっと詳細に描かれている。
カナダは戦場になることはなかったが、
家族や親しい人々を離れた戦地に送り出し、
新聞などで戦況を知っては気持ちを
浮き沈みさせる日々。
その一方で、戦争のさなかにあっても、
日々の暮らしの中にささやかなおかしみや
笑いもあるということを個性豊かな登場人物を
通してユーモアたっぷりに描いている。
そして誰もが心労を抱えながら、気持ちを
奮い立たせて日々の暮らしを守ろうとする。
その言葉や行動は勇敢で力強く、読んでいて
心底励まされる思いだった。
10代のリラが精神的に成長してゆく様は
実に頼もしい。
辛い思いをしただけの価値があると言って、
その日々を面白いことがぎっしり詰まっている日々と
取り替えたいようとは思わないとキッパリ断言するリラ。
それは人生の真理だ。
昔から一番好きなシーンは決まっている。
リラが戦死したウォルターの手紙をユナに手渡すところ。
何度繰り返し読んでもそれは変わらない。
『「ありがとう」ユナはこれだけしか言わなかったが、
その声を聞いてリラは自分のささやかな犠牲が
報われたことを感じた。』
込められている深い意味、言い尽くせない多くの感情で
重たくなっているにもかかわらず、どこか軽やかで
清々しいこの一文はしなやかな名文だと思う。
リラの目を通して描かれている本作だが、
私はアンの目線で描かれた物語も読んでみたい。
年齢も50代となったアンは今の私と同年代。
感受性の豊かなアンが母として、一人の女性として
どんなことを思いながら戦時下の日々を過ごしたのか
知りたくなった。
戦争から帰還したジェムは言う。
「古い精神を追い出すだけでは足りない
ー 新しい精神を導入しなくてはならないのだよ」
まさしく今に通じる言葉だと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレギルバートと結婚したアンが、フォアウィングスの小さな夢の家で過ごす、新婚生活を描いた作品である。
幸せいっぱいのアン。夢の家には幸せがあふれている。
フォアウィングスでも、陽気で実に豊かな冒険譚を語るジム船長、男の悪口をいわせたら右に出るものはないミス・コーネリア、そして美しく悲哀にみちた女性レスリー。素敵な人々、美しく輝く景色に囲まれて、アンは蜜月を過ごす。
ただ、驚いたのは幸せばかりではない、ということ。
アンがあんなにも悲嘆に暮れ、嘆き悲しんだことがあっただろうか。幸せに満ちたアンシリーズで、最大の悲しい出来事であったに違いない。
ここから先はネタバレです。
そう、ジョイの死。
まさか、あんなにも幸せに満ちたアンの赤ちゃんが亡くなるなんてストーリーがありうるのかと。ある意味、なんてリアリティのあることか。
あとは、レスリー。
ちょっとわかる。幸せなアン夫婦には近づいては傷つくだけとわかっていても…寂しいのだ。でも、羨んでしまう。そりゃそうだろうなあ。でも、かといって見捨てることもできない…。アンとの友情は悲しみや切なさをともなった、今までと少し異なる大人の友情といったところ。
夢の家を離れる。これもちょっと現実的。
アンは嘆くけれど、でも、案外すんなりとギルバートに従う。意外と現実的。ちょっとこれも驚き。
なんだか、アンも大人になっているんだな、と。
夢の家は甘くて、でも切なくて。
今読んでみて良かったと思う作品でした。