苫野一徳のレビュー一覧
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今後の教育に必要な点を2人の対話を通して論じている。本質を突き詰めていくと哲学的で理想論になりがちだが、教育現場から実践的に進めてきた工藤さんの意見だと説得力がある。
一般企業での仕事の進め方にも通じるところが多く、学びが多かった。
一章 民主主義の土台としての学校
多数決の問題点とは
少数派を切り捨て、多数派に強制的に合わせる
=ファシズム思想
多数決は「どちらの案になっても誰の利益を損ねることがないとき」につかう
目指すべき姿
・誰1人置き去りにしない社会
一般意志=みんながOKと言える最上位目標を探す
自由の相互承認=他者の自由を侵害しない限り、何を考えても何をしても自由
・自分たちでルールを作るという当事者意識を持つ
・対話を通して利害関係を調整し、
みんなにとって生きやすい社会を作る
問題はあなたが行動を起こすかどうかだ
二章 日本の学校の大問題
①思いやりでは対立は解消できない
感情ではなく理性的に物事を考える
美しい心ではなく、対話を重ねる
②いじめ撲滅の発想がいじめを増やす
子供の自律を奪わない
大人が介入しすぎると
自分の問題は自分で解決するもの、という
当事者意識を失ってしまう
③教員への同質性と従順性の要求
本質観取:テーマの共通了解可能な本質を
みんなで考え、言葉にして書き合っていく対話
④ルールは守るもの、とだけ教える学校教育
クリティカルシンキングが出来る人が少ない
⑤学級王国の問題
自分のクラスだけ良ければ良い
教育のサービス化による弊害。環境が悪ければ自ら変えて学ぶアクティブラーニングがあるべき
3つの問いかけ
1.どうしたの?(何か困ったことあるの
?)
2.どうしたいの?(どれからどうしようと考えているの?)
3.何か手伝えることはある?(私に何か支援できることはある?)
⑥先生の技量を上げれば問題は解決するという幻想
教える技術の向上ではなく
自律を支援する技術の向上が必要
三章 学校は対話で変わる
学校運営を子供に託す
合意は超ディベートで目指す
A案とB案の対立があったら、もっといいC案をみんなで考えていく
生徒会も定期的にスクラップ&ビルド
プレゼン3つのチェックポイント
1.僕は何のためにプレゼンしているのか
2.誰に対してプレゼンしているのか
3.話した言葉が相手にはどう伝わっているのか
意識改革が進む3つのステップ
1.自己矛盾が起きる
目的は何かなど本質的な問いがきっかけ
2.優先すべきものを自問自答する
手段は何か、手段として優先すべきものは何か
3.矛盾しない自分に変わっていくプロセスを考える
現実的に実行するステップを考える
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ネタバレ「誰かが決めてくれるそんな“当事者意識”を失った従順な子を育てる教育は終わりにしよう」という一節から始まる本書。
工藤氏は
学校とは子どもたちが「社会の中でよりよく生きていけるようにする」ためにある。だからこそ、子どもたちに「自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する資質」すなわち自律する力を身につけさせていく必要がある。そして、自律を支援することを教師に求めている。
また、学校を「民主主義の土台をつくる場」と考え、「誰一人置き去りにしない社会」の作り方を多数決ではなく、対話の中から作ることを生徒や保護者、教員に体験させてきた実践を語っている。
最上位の目標を設定し、まずは戦わなくてよさそうなところから学校を変えていき、やる以上は成果につなげていく。
その時に意識するべきことは「誰が気分を害するか」ではなく、「誰の利益を損ねるか」であり、感情と切り分けて、理性的に物事を考えること。これが唯一の方法だとしている。
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ネタバレ読書を続けていると、脳内の知識のネットワークの点と線が増えていく。増やせば増やすほど、複利のように指数関数的に発達していく。
→「クモの巣電流流し」(13)
→・・・ネットワークに一筋の電流がほとばしり、泡緩知恵や知識や思考が一つにまとまり、人生の難題を解決するための最適解が見出されることがある(14)
学びたい内容を自分の興味関心に合わせていくのは無理がある気がする。
逆の方がうまくいきそう。自分の興味関心に合わせて、学ぶ内容をくっつけていくようにする。
確証バイアスを強くするような読み方(考え方)になりがち。
それよりもクリティカルシンキングを入れて、中立で複数の立場方読む方が、知識や思考のネットワークが広がる。
学ぶことを目的にするなら、後者の方がよりよい。実行するには承認欲求や自己肯定からは距離を取らないと多分難しい。自分を証明することは一旦棚上げマインドを身につけよう。
→「信念補強型の読書」自分の信念に都合のいいように本を読んでいくこと(86)
→「信念検証型の読書」自分の信念や考えは本当に正しいのか、妥当性を持っているのか、自分で自分を厳しく検証しながら本を読む態度(87)
→「欲望・関心相関性の原理」竹田青嗣(91)
人は自分の興味関心、考え方、立場によって、同じ事実やデータでも解釈が異なる。
別に悪いことではない。解釈が異なるからこその多角的な視点が出来上がる。
同じ事実、データの異なる解釈を、それも一理あるなと受け入れられると、多角的な視点ができるようなる。
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ネタバレなぜ本を読むのか?
「教養を積むため」
この本を読んで
教養とは
「物事を色々な見方ができること」
という答えを見つけました。
苫野さんの文が唸るほどに説得力があり美しい文で。
表現の仕方が正に教養のある人のそれ。
言葉が芸術であるなんて表現私には思いつかない。
驚いたのは苫野さんに鬱病を抱えていた過去があること。
聡明な方のイメージがありそのような経験があるとは思いもしなかった。
その頃、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」に助けられたのだとか。
誰しも苦しさや抱えているものがあり、それがあるからこそ、その人の魅力にも繋がるのですね。 -
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ネタバレ苫野先生のvoicyにて知り、予約注文し読破。
本書の主たるテーマ「本質観取」について、著者と子どもで行われた実際の例をもとに紹介されている。
本質観取とは、「わたしに訪れた確信」をもちよることで、みんなが納得できる"共通了解"を見出しあう営みである。(本書P.45)
個人的には、対話を通して絶対解ではなく納得解を見つけるというイメージである。
本書には、民主主義社会について、多様な人々が対話を通した合意に基づいてつくりあう社会であるという説明もあり、強く共感した。
本書を読んで、自身の経験とつながると感じたこと2つある。
1つ目は、先日職場で受けた、探究をテーマにした研修だ。この時、本書にある流れの通り、それぞれの経験・考えを伝え合い、「つまり〜と言うことかな?」といった納得解をつくりだした。この研修を通して、他者についてより深く理解ができたという実感を持つことができた。本書では、親子で行われているが、親子以外の関係でも十分理解し合えるきっかけになると思う。
2つ目は、本「教師のための非認知能力の育て方/中山芳一」の内容である。子供の非認知能力を育てるにあたって、たしか初期の段階に「教育とは何か」といったそもそもについて、学校の先生たちで話し合うといったステップがあったように思う。このステップがあることで、集団としての方向性・足並みが揃うと思う。
最近、個人的にも◯◯とは何かといったことについて、考えることが増えたように思う。つまり哲学的思考ができるようになったきた…というと、かっこいいのでちょっと嬉しい。いえい。
本書の読書会にも参加してみたくなった。 -
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一般意志は個別意志の総和から衝突し合う私的な利益を差し引いて、みんなの利益になるものとして見出された合意。p.90
一般意志はそれがみんなの利益をめざすものであるというその概念の定義上、常に正しい。みんなの利益をめざすものは政治的に正しい。一般意志はみんなの利益をめざすものだから政治的に正しい。p.87
一般意志はすべての人の利益になる合意なので、誰かの自由を犠牲にする全体主義と同一視できない。p.67 ※アーレントは「同一視」しているのではなく、全体主義への道が潜んでいると指摘しているのでは。
一般意志は実現しなければ意味のない原理ではなく、政治権力や法の正当性をはかる基準として意味をもつ。p.66
国が滅ぼされると、せっかく手に入れた安全や自由を根こそぎ奪われるから、これを守るためには命をかける必要がある。自分たち以外にこの国を守ってくれる人はどこにもいない。「統治者が市民に《汝、国家のために死なねばならぬ》と言うときは、市民は死ななければならない(ルソー)」p.92
ルソーが提示したのは哲学原理であり、ロベスピエールがやったのは原理主義。だから(独裁・恐怖政治の)ロベスピエールはルソーの後継者とはいえない。p.109 -
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ネタバレ苫野先生のVoicyを聴いて、興味が湧き読破。
この本を買ったのは、何年か前。
その時は、パラパラと中身を見て「なんか小難しそうだな…」と思い、読んでいなかった。
読んでみると思ったよりも読みやすく、最後まで興味を持って読むことができた。
哲学的な難しい話も少し出てくるので、その部分は軽く読み流すところもあった。
子どもに学び続ける力(学力)をつけるという点は大賛成で、私が目指している教育の姿でもある。
絶えず自己更新をしていく必要があるのは、子どもだけでなく教師も同じであり、省察的実践家として在るべきというのも納得。
自由になるために学び、教育の土台には「自由の相互承認」があるという点も確かにそうだと思う。知り合いの先生は、学級開きをする際に「自由」と「勝手」の違いについて話をするとお聞きしたことがある。これにも通ずる気がする。
問い方のマジック、絶対的に正しいものはないという話題も出てきており、絶対解はないからその場に応じた適切解を創り出す、見出す力が教師には不可欠だと感じた。
10年前の本ではあるが、教育の不易の部分について論じられており、多くの学びがあった。
どう在るかというマインドの部分を、今後も大切にしていきたい。