【日本の学校の大問題】(「子どもたちに民主主義を教えよう」)
⒈「思いやり」で対立は解消できない
・民主主義の成熟を妨げてきたのは、これまで日本でよいとされてきた「心の教育」。
対立を解きほぐすために何が必要かというと、どんな対立があるのかを明確にしなければいけない。そして対立を平和的に解決するには
...続きを読む、お互いの利益を損ねないためにはどうしたらいいか対話を重ねないといけない。
そうした一連のプロセスを飛ばして、「思いやり」「美しい心」で解決しようとするのはあまりに乱暴。
・日本の道徳の指導方法:「忖度」や「空気の読み方」を教えている。
それができないと排除するのが日本。
学校は本来道徳教育をすべきではない。やるべきは市民教育。
道徳は国や時代や宗教によって大きく変わる。
「黄金律」でさえも大きく異なる。
これまで人類は異なる道徳をめぐって争ってきた。
もうそんな戦いはやめにしましょうということで人類が辿り着いたルールが「自由の相互承認」。
どんなモラルの持ち主もそれが他者の自由を侵害しない限りお互いに認め合うことをルールにすること。
モラル教育ではなく、自由の相互承認のルールを教え、実践できるようになるための市民教育が必要。
・教員志望「素敵な先生と出会いまして」が多いが、それを聞いていると「最悪な気分」(工藤)
子どもたちを見ている言葉には聞こえないから。
「私が受けてきた教育はこういうところが問題と感じますので現場に入ってこういうところを変えたいんです。それが子どもたちと日本の未来のためになると思います。」という若い人が切望されている。
⒉「いじめ撲滅」の発想がいじめを増やす
・いじめは心の教育で改善しようとする限り問題は改善しない。
・9割の生徒が加害者かつ被害者。
件数を減らすことが目的になると、大人による過度の介入か隠蔽。
・トルストイ「子供が喧嘩をすると、すぐに大人が割って入って仲裁しようとするけれども、緊急性が高くないならまずはそっと見守っていなさい。子供は人間関係を自分で築き直す力を持っている。
にもかかわらず、大人がすぐに介入すると人間関係を自力で修復する機会を失われて、かえって恨みを募らせる。」
⒊同質性と従順さの要求
・大空小学校初代校長木村泰子「教師の仮面を被らない」
・そもそも教師とは一体何なのか。
「自由の相互承認」をこそ教えるべき存在。
・学生は免許を取得するために、黙って従わなければならない。
問題は、民主主義の担い手であるはずの先生が理不尽に声を上げずに「何とかやり過ごせばいい」マインドを持ってしまうこと。
建前が慣習化すると、おかしいと思っても声を上げられなくなり、自分自身も染まってゆく
⒋ルールは守るもの、とだけ教える学校教育
・学校でルールを作り合う経験をもっとしてもいい。
やり方は、ルール作りの権限を子供に委ね、誰一人置き去りにしない状態を目指して知恵を奮ってもらう。
⒌学級王国の問題点
「クラスを家族のような場所にしていこう」となった日本のクラス制度。
家族モデルは子供も先生も苦しめる。
子どもは、「何で赤の他人と一致団結しなきゃいけないんだ」
教師は「子どもを愛せない自分や問題が起こったらは、「親」である自分のせい」真面目な先生ほど苦しむ。
・学級崩壊の原因は、「学級崩壊を起こしていないダントツに素晴らしい先生」の存在。
1人の先生の肩に学級の全ての責任が背負わされることの典型的な問題。
これは心の教育と似ていてできないことを背負わされているから。
・教員の技量がでこぼこであっても、ちゃんと子どもたちを支援できるチーム制に変えた。
・「毅然として叱れ」は大きな間違い。
叱ることは、効果がない上に弊害が大きい。
「叱る」は「怒る」と違っていい意味で捉えられがちだが、ネガティブな感情を与えることで操作する行為で、叱られた側は何かを学ぼうとするよりもネガティブから逃れることを優先する。
「叱る依存」が止まらなくなる。
・三つの問いかけ
「どうした?」「どうしたい?」「何か手伝えることはある?」
子供が教室を飛び出して見つかったら、怒らず、
「おお、ようやく見つけたよ。おう、どうした」
「この先生って今までの先生と全然違う!」となる。
人間として尊重してくれていると感じる。
⒍先生の技量を上げれば問題は解決するという幻想。
・教える技術の向上よりも、自律を支援する技術。
・一般的なリーダー「何をどのようにするか」
優れたリーダー「それは一体何のため?」
・信念のぶつけ合いではなく、
その奥にある欲望に目を向けて、互いの欲望を満たし合う第三のアイデアを考えてゆく。