苫野一徳のレビュー一覧
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ネタバレ自分の経験を過度に一般化する=一般化のワナ。有識者会議でも多い。自分の経験にすぎないことを自覚する。=議論を建設的にする方法。
問い方のマジック=二元論的な問い、どこからが砂山でどこからが砂粒か、人間は平等か不平等か、など。
帰謬法=相手を言い負かすためだけの議論。相手の主張の矛盾や例外を攻撃する方法。
超ディベート=共通了解指向型対話=勝ち負けでなく共通の了解事項を探る。
意味とは欲望のこと。欲望の前には遡れない。何が欲望を抱かせるのか、はわからない。しかし、意味を見いだすのは、ある欲望があるから。
欲望に基づく信念が生まれる。信念=欲望の別名。信念ではなく欲望で話したらどうか。理解し合えるのではないか。=超ディベートの方法。
欲望を知れば自分と折り合える。
不幸とは欲望と能力のギャップである。
欲望を変えることができる=人間の希望。
欲望がわからない場合=自分が何をしたいのか、何を欲望しているのかわからない。その場合は、1,価値観、感受性を刺激するものにたくさん触れる、2、掃除する=何でもいいから行動する、ことでほんのわずかな意味を知る。
~すべし、=当為、という。事実から当為は導かれない。事実からわかるのは解釈だけ。
客観的な事実に依拠して当為を導くのは、事実を都合よく要望の材料にしているだけ。
人を殺してはいけない、という当為は、自由の相互承認というルールを編み出したからこその当為。人間だから、という事実からではない。遺族のことを考えたら死刑を認めるべき、も成り立たない。
思考実験は問い方のマジック、であることが多い。中間の答えを探す。 -
Posted by ブクログ
哲学というより、考え方について教えてくれる本(哲学はそもそも考え方についての学問であるが)
わかりやすく、論理的で有意義なことしか書かれてないと思う。とても良かった。
書いてあったことは大体こんな感じだった。
・私達の生きる世界に絶対的真理はなく解釈があるだけ。(あったとしてわからない)
・自身の体験を一般化して語ることの危険性。
・二元論は非常に誤解を招きやすく、本質的な問題解決には繋がらない事が多い。
・所謂思考実験は問いに作者の欲望(価値観)が隠されていることが多く、二元論で答えることができない問題も多い。その為、問い方を変えた方が良い事がある。
・あらゆる原説は帰謬法によって否定可能である。例えばカラスは黒いという言説も、人間が思う黒が必ずしも絶対的な黒ではないなどと反論できる。そもそも私という存在すら疑うことができる。→だからデカルトは我思う故に我ありをすべての基本として考え出した。
・事実と主張は別である。その2つは切り分けて考えなければならない
SNS上で揚げ足取りとしか言いようのない、論争以下の言い合いを毎日のようにしている現代人の私達が、改めて学ばなければいけないことが書いてあると思った。
後半に叙述される恋の本質についての章も非常に良かった。
恋とは自己のロマンの投影と、それへの陶酔である。自分が無意識的に(あるいは意識的に)積み上げてきたロマン(理想)を相手に投影して、それに陶酔するのだ。と作者は言う。恋をした時に自分はこの人がタイプだったんだ。この人に恋するために今まで好きなタイプがあったんだと思うような瞬間はこのせい。それはその人自身ではなく、理想が好きなだけとも解釈できるから、ある意味残酷だけど、確かにそのとおりだと思う。自分も、今まで、これみよがしに自分の異性のタイプを公表する人に対して同じ事を、つまり相手にではなく、その人に投影して映し出された自分の理想に恋しているだけではないか?という疑いを持っていたから、これは自分だけではなかったのだと安心できた。
もう一つは可能性について。ハリウッドスターやアニメキャラに憧れることはあっても恋することはないだろう。それは可能性が限りなく0に近いから。恋はそんな憧れを現実世界に見いだせた時に発生する。これもたしかに納得できる。
この章で、作者の情熱的な語りもあって、恋への憧れが加速した。
物事を考える時の方法を実践的な方法で学べた。いい本。 -
Posted by ブクログ
中高生くらいの若者向けの読書論。読書をすることでどんないいことがあるのか。どのように本を見つけて読んでいけばよいのか。本から得たものをどのように残していくのか、という三つの章で展開していく。
本を読むことの意義として、最初に語られるのが「クモの巣電流流し」だ。バラバラだった知識が、ネットワークのようにつながることで、新しい閃きが生まれることを表現した比喩だ。そのため、著者は、本を読むにあたって、広く多読することを重視する。
また、知識というのは、いつでも何かための「道具としての知識」で、わたしたち自身の興味や問題意識の大切だという。ただ、この自分自身の興味や問題意識を見つけることこそが、実はけっこう難しいのではないか、とも思った。どうしても、「知のネットワーク」ができるまでの道のりは、そこそこかかるし、それまでの全く分からない期間を乗り越えるには、それなりの忍耐やこの先にもっといいことがあるという期待感が必要のように思う。
本書は、全体を通して、そうした個人の持っている知的好奇心を信じた展開だったように感じる。
面白かったのは、「信念補強型の読書」と「信念検証型の読書」のところだった。本を読むときの態度として、自分が初めから考えていたことを確認するための読書と、それを本当にそうなのか、と揺さぶるための読書があるという話だ。
どうしても、自分の考えていたことを肯定してくれる話を読むことは心地よいものだ。好きな著者の本や、好きな分野の本ばかりを読み漁ったりすることの楽しさは、自分の考えを狭めることの原因になることは、経験的にも思うことだ。だからこそ、「自分の信念や考えは本当に正しいのか、妥当性を持っているのか、自分で自分を厳しく検証しながら本を読む態度」(P87)は、大切な態度だよな、と思う。
ただ、これもけっこう高い意識を必要とする態度なのではないかとも思う。
全体を通して、本が好きな自分にとっては、うなづけることがたくさんあった一方で、本を読むこと、学ぶことに対して、ストイックになれる人向けの本であった。