また、テクノロジーによって「こんなことができる」となると、本当にそれが「よい」のかどうか十分吟味されることなく、すぐ教育に導入すべきだという意見もしばしば聞かれます。たとえば、極端な話ではありますが、もはや教育はすべてインターネット上で可能になったのだから、学校なんてなくして構わない、といった意見も時折聞かれます。 しかしこういった時こそ、わたしたちは、序章で述べた教育の「原理」を思い起こす必要があります。いかなる教育のあり方も、わたしたちは、それがすべての子どもたちの〈自由〉を実質化し、そのことで社会における〈自由の相互承認〉を実質化しうるものとなっているかという観点から吟味する必要があるのです。そして、教育のICT(Information and Communication Technology) 化にせよ何にせよ、教育政策は、それが〈一般福祉〉に適う、あるいはこれを促進するものたりうるかという観点から、吟味・実行される必要があるのです。