あらすじ
「みんなで同じことを、同じペースで、同じようなやり方で」……何かおかしいと思われながら、長らくそのままの教育システムをひっくり返し、学校への絶望を希望へと変える方法を提言する。
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学校で学ぶ目的はペーパーテストのため?のこだわりをなくす。そんな事いいの?と思うが、子どもは、子どもに限らず先生も大人も興味あることは多種多様、ダイバーシティ。自分の好きを探究することで、視野が変わる気がする。
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長男、小1プロブレム…の時に読んだ本。長野に行く〜?なんて、話題にしたり、学校変えられるものなら変えてみろって言われた母は、春から大学院生になります。本格始動です。
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前にも読んだけど、再読。
モヤモヤしていた気持ちがスッキリした。
何のために学ぶのか?
どういう教師でありたいのか?
目の前の子どもに付けたい力って?
などなど、自問自答しながら読むことができた。
学校のスタンダード化が著しい今。自分のどうしたいのかを明確にしないと、本当に楽しんで仕事ができない。原点に立ち返れる本だったので、また悩んだ時に読みたい一冊。
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学校の当たり前を無条件に受け入れて、「みんなで同じことを同じペースで学ぶこと」の危うさが述べられている。
だけど、必ずしも学校の当たり前やみんな同じが間違っている訳でもない。
だからこそ、それぞれがまずは知りよく検討して正解なき答えを模索することが大切なんだと思う。
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毎週聞いているラジオ番組でゲスト出演していた苫野先生のお話を聞き、感銘して購入した一冊。現行の「みんな一緒」型の教育が様々な問題を引き起こし始めていることを指摘し、教育の「個別化・共同化・プロジェクト化」の融合を提案した書。教育の本質から問う哲学的な態度は案外この手の本には多くなく、相当学びを得られたし、希望が持てた本だった。
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教育改革の必要性と方向性について具体的に知ることができる本。大変素晴らしい内容でした。今の教育課題を把握し、解決を図りたいという思いを新たにしました。この本の中で挙げられていた関連書も読みたい。
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「より良い」教育とは何か、その問いを投げかける著書。その考えの中核はこれまでにも述べてこられましたが、今回はそれを更に世間に広めるためのガイドライン的な位置づけの書籍と言えます。
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30年後の教育の在り方を提言された「教育の力」より5年。さらに具体的でパワーアップされた近未来教育への提言。「みんなで同じことを同じようなやり方で同じペースで」という現在の教育の在り方を、「学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合」に改革していく。そのためには、子どもや教員を「信頼し任せ支えること」
大きな教育システムを変えないと難しいと思うのだが、できるところからできる人から始めてほしいと筆者は言う。
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本当に思う。
今のままでいいのだろうか。
小学校教諭をやって7年、日々の業務に揉まれながら感じた違和感。この本に出会って少し光が見えた。
スタンダードの横行。個別最適化とは真逆の流れ。
学校に来れないこの学習。
何をしても悲観しかできない保護者。
教育者として何を目指していけばいいのかわからなくなってきた今日この頃。目指すべきは自由を獲得し、自分なりの幸福を追求することができる探求者の育成。その支援者としての役割。
150年間の歴史は捨て去るのではなく、新しく変革していかなければならない。
しかし一教員に何ができる?実際の現場でどう変えていく?いずれにしてもまだまだ自分の力が足りないな。
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筆者の本に度々現われる「本質」「対話」
この言葉に出会う度に、その重みを知る。
私たちは言葉を大切に、言葉を紡いでいくことで、より自由に生きることができるようになるんだ。
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共感につぐ共感。
ぼくも勉強は嫌いだけど学ぶことは好き。そしてそのことを誇りに思ってる。
学ぶことはおもしろいということに気づけるきっかけ作りをしたい。
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「自分が心から通いたいと思える学校がない」
学生時代からずっと思っていたことでした。
視野の狭い自分にも原因はあったと思いますが、今となっては、こう思うのです。
「自分の子どもを心から入れたいと思える学校が(近くに)ない」
面白い学校は全国に増えてきていると思います。
ただそこに通わせるために親が相当な苦労をしなければならないのは、なんとかならないものかと感じます。
学ぶことが大好きな自分が、大人も子どもも入りたいと思えるような学校を構想できないだろうか。
そんな妄想を抱きながら、手に取ったのが本書です。
苫野さんは、学校は何のために行くかというと、「自由に生きる力を育むため」、またそのために、「「自由の相互承認」の感度を育むことが学校の責務である」と説くのです。
なんと面白い発想。
しばらく苫野さんの教育哲学を探究することにしました。
Posted by ブクログ
・今の教育政策には「哲学」が欠けている
・「自由の相互承認」の感度を育む
・「力」をめぐる言説の氾濫
・スタンダード化はAIに
取って代わってくれと言っているようなもの
・「学びのコントローラー」を子どもたちに
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探求を中心としたカリキュラムづくり憧れる。
学び
自由の相互承認があって、全ての子どもが生きたいように生きる教育を目指す
学びのコントローラーを手にした時やる気になる
幼少期の遊び浸りがその後の学び浸りに
To do
サークル対話
教室リフォーム
自分の経験を過度に一般化しない
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「探究」的なものを学校教育の核にするという発想は、戦後何度も説かれてきた。問題解決学習、ゆとり教育、アクティブラーニング…。しかしそれらはいずれも学校教育の現場に定着しなかった。教育予算をケチり、そのツケを現場教員に押しつけ、それでも教員が言う事をきくように教員管理を強くしてきた。そうした政治の力に抗えないできた文科省が、人手のかかる「探究」を上位下達で唱えても、疲弊した現場は日々を乗り切るために「探究」をも「スタンダード化」してしまう。「探究」を提唱するならば、それ以上の熱量で学校予算・人手の大幅増を唱え、そちらを先ず実現しなければ、結局これまでのムーブメントと同様、いくつかの「成功例」を残して終わるのだろう。著者がこうした声があることを承知した上で書いていることはわかるのだが、それでも意気込み先行でなく職場環境先行でなければ、著者の思うようにはならないと思う。
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■ひとことで言うと?
子どもたちの「探求する力」を伸ばす学校をつくる
■キーポイント
・画一的な学習スタイルからの脱却
→スタンダード化は「自分で考える力」を奪う
・「探求する力」の育成
→自分なりに問いを立て、自分なりの方法で、自分なりの答えにたどり着く力
→子どもたちの学びたい欲求を活かす
→教師は探求をサポートする「共同探究者」「探究支援者」
・探究型教育
→学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合を核とする
→探究の方法論
→1.テーマ:探求するテーマを決める
→2.問い:解決したい問いを立てる
→3.方法:問いの解決方法を検討し実践する
→4.発表:成果を発表する
→1 - 4を行きつ戻りつしながらすすめる
→学び≒遊びに思いっきり浸る
・より「よい」教育の実現に向けて
→学びの再ネットワーク化
→さまざまな教育機会をつなぐ仕組みをつくる
→安心安全な空間づくり
→「自由の相互承認」の感度が育まれる場をつくる
→教師支援の拡充
→行政・地域・個人として、教師の活動をサポートする
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教育の力を読んでいたので、基本的な部分はおさえつつ、時代の変遷によりさらなる議論が追加されている。
プロジェクトの三類系は見直しを行うのに参考になる。課題解決型、知的発見型、創造型。
低次の忍耐力ではなく、自分が探究したいことのために粘り強く探究する能動的忍耐力が必要。この議論はとても重要。やらされやただの理不尽を押し付ける意見に対して、目的を見た上で議論することができる。
また、義務教育学校では指導要領の何学年で何を学ぶかの規定が緩いというのは知らなかった。小中学園構想で行うのと、義務教育学校として行うことでは、進め方がかわりそうだ。
Posted by ブクログ
教職,教職志望者,教員養成に関わる大学教員にお勧め。
当たり前(みんなと同じ内容を同じペースで同じくらいできるようになる)が当たり前なのか,当たり前でないならどうするのか考えて実行することでしか「変わらない」と説く。
いろいろな大人の事情はある。制度運用者は制度が悲鳴を上げなければ変えようとは思わない。であるならば,現場に一番近い者が信念を持って主張し実行していくしかない。それをする価値があると思うならば。
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一言で言うと、一斉画一授業改革の提案である。これまで教育改革が何度も行われてきたものの、ずっと課題が山積してきたのは、エビデンスに「哲学」が加わらなかったからだとしている。そもそも、子どもはもとより学ぼうとしている存在であると言う教育観のもと、これからの教育は行われなければならないことやさらには探究的な学習(探求プロジェクト)を学校教育の中心に今よりさらに位置付けていくことで、子どもたちはより能動的に学んでいくとの主張がわかりやすく書かれていた。
Posted by ブクログ
今の学校の問題点はどこにあるのか?
現場で,同時に起こるたくさんのできごと(それは教育研究も不登校対策もいじめ対策も…)にいちいち対応することで,教師は多忙になり,精神的にしんどくなり,そしてそれだけしてがんばっても,子どもたちにとっては決していい環境とはいえない学級でしかできない空しさ。
著者は,それらの事柄はシステムにあると言います。
今学校が抱えている問題の本質は,一人ひとりの先生や個々の学校にあるというより,むしろもっと構造的なこと,つまりシステムにこそあるのです。ー中略ー一見,別々に見えるこれらの問題も,その根っこはすべてつながっています。だから,個々の問題状況にだけ目を向けても,抜本的な解決策を見出すことはできません。根っこの問題,教育のシステムそれ自体の問題を解決しなければならないのです。(4ぺ)
さて,具体的な学校の問題の指摘についても,けっこううなづきながら読めます。
「落ちこぼれ」については,
多くの人は「落ちこぼれ」は,その子の理解力が低いから生まれるものだと思っているのではないかと思います。でも,実は,これはシステムによって構造的に引き起こされている側面が非常に大きいのです。/考えてみれば当然のことです。みんなで同じことを,同じペースで勉強していれば,一度つまづくと,そのまま取り残されるということがどうしても起こってしまうからです。(19ぺ)
一方その反対の「吹きこぼれ」については,
すでに分かっていることを,何度もくり返し勉強させられることで,勉強がいやになってしまう子どもたちのことです。-中略ー今日の「めあて」をみんなで一斉に唱和するのに始まって,教科書の決められたページをみんなで繰り返し読んだり,すでに分かっていることを一方的に教えられたり。四五分もの間,なぜみんなと同じことをやり続けなければならないのか。そう思っている子どもたちはたくさんいます。(23ぺ)
これらの問題は,いずれも,150年来続いている「みんなで,同じことを,同じペースで,同じようなやり方で」やってきたから起きることだといいます。だから,その根本を変えないと,こういう子どもたちはドンドンできるわけです。そして,子どもたちに「同じことを」もとめる教師たちの指導もまた,当然のように「同じことを」求められるられます。それが昨今のスタンダードと言われるものです。
このような学校現場に浸透するスタンダード化については,次のような例を挙げて批判しています。
マリア・モンテッソーリは,すでに二〇世紀初頭にこんなことを言っています。子どもたちを,大人が決めた規律で縛りつけること,管理し統率すること,それは,子どもたちを規律正しくしているように見えて,実は命令されたことしかできない「無力」な存在にしてしまっているだけなのだ,と(25ぺ)
教育学の多くの研究が明らかにしているのは,過度のマニュアル化,スタンダード化は,かえって教師の力,そして子どもたちの力を著しく奪ってしまうと言うことです。ー中略-教師にとっても子どもにとっても,成長のために必要なのは,言われたことを言われたとおりにさせられることではなく,自分の頭でしっかり考え,試行錯誤し,たっぷり失敗し,その失敗から学んでいく経験であるはずです。(56ぺ)
このように,画一的な指導法がまかり通っている今の教育界は,だからこそ,もう先が見えている(限界が来ている)とも言えます。画一的にすればするほど,自分の頭で考える教師はいなくなり,自分の頭で考える子どもたちもいなくなる。それは,同時に,教育というものを放棄したような現場だけが残るという荒廃した未来しか見えません。これでは,日本だって立ちゆかないし,それこそグローバルなんてことに対応できないでしょう。
われわれはだから原点に戻る必要があります。モッテッソーリに…です。
「信頼して,任せて,支える」。これは一つの教育の秘訣です。いや,秘訣なんて大層なものではなく,本来は教育の基本中の基本です。でも,わたしたちは時にこの基本を忘れてしまいます。「信頼して,任せて,支える」ことは,ある意味とても怖いことだからです。/でもやっぱり,それこそが教育というものの本当は基本であるはずなのです。(216ぺ)
窮屈な教育界を脱却するには,教育の基本にもどれば良いのです。なんだ,それならできそうだとは思えませんか? ただ,それをやろうとすると,「きちんとさせろ」「指導しろ」「見映えを良く」…という同調圧力を感じるかもしれません。でも,そこで負けていてはいけない。やはり,基本は基本。大切にしていきたいものです。
子どもたちの姿こそ,実践者にとっては最大の説得力なのだと思います。(223ぺ)
子どもの方を向く教師でありたい。これもまた教育の原点であるはずです。
著者は,自信が考えるある程度理想的な学校として,幼小中「混在」校,「軽井沢風越学園」という学校の設立準備をしているそうです。2020年に長野県軽井沢で開講予定だとか。どんな学校ができるのか注目していきたいです。
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Twitter社の多くの社員が解雇されたニュースが現代社会の不安定さをよく表している。そんな社会の中では自分が、「自由にそして幸せに生きるためにはどうするべきか?」についての問いを立て課題を解決する『探求の力』が求められる。
知識を詰め込むだけの学校教育は既に終わった
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蓋を開けてみれば総合探究の回し者の本でした。 共感出来る部分は多々ありますが プロパガンダ的なところも多々あります。 探究だけやっていれば読み書きそろばんも全てできるというのは暴論かなと。
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P.16〜 落ちこぼれ 吹きこぼれ
「皆で同じことを、同じペースで、同じようなやり方で」管理・統率型のシステム
「規律とドリル」
小1problem
ルソー『エミール』
P.33〜 active learningのやり方を先生が細かく指定する問題→「一斉アクティブ・ラーニング」
P.37〜 体罰
デュルケーム『道徳教育論』
学級
柳治男『学級の歴史学』
ニーチェ『ツァラトゥストラ』
第2章 先生もつらい
授業の画一化 〇〇スタンダード
ユニバーサルデザインに基づく授業、ケアの思想
障害など
EBPMエビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング
+哲学、教育学的センス?
学力調査の方法 学力テスト?
自由の相互承認
探究型のまなびという解決法
個別化→孤独化だから個別化+協同化
テストも個別化
〇〇メソッドの党派化・派閥化
方法のパッチワーク化
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<目次>
はじめに
第1章 何が問題の本質なのか?
第2章 先生もつらい
第3章 学校をこう変える①~「探究」をカリキュラムの中核に
第4章 学校をこう変える②~「ゆるやかな協同性」に支えられた「個」の学び
第5章 私たちに何ができるか?
<内容>
隔靴掻痒な感じの本。「わかっているが、それができるのか?」。学校現場にいると、問題点はわかり、変えていきたいが、日々の活動の中になかなか落とし込めない。毎日どんどん進んでいくし、こうしたことに気づかない(気づかないふりをしている)同僚を口説く労力も浮かばないし…。理論はわかっているが、実践の効果が数年後だろう、という感じがまた行動を遅らせる原因。教育の難しさですね。