苫野一徳のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ちょうど、「民主主義とは何か?」と疑問に思っていたところにこの本が出版され、すぐに購入した。
大方の議論に異論は今のところない。
改革をしていく、デモクラシーを起こしていくことはとても勇気がいることだ。教育学部生の頃は志高かったはずの私も、若手教員になり、気づけば周りに流されて「仕方ない」と思ってしまったりする。しかしそんな若手でも少しずつ変えていけるのだというメッセージには励まされた。
納得できないのは「心の教育」への批判である。
「トラブルが起きない社会」が問題なのは理解できる。しかしそれを「心の教育」のせいだとするのはクリティカルではない気がするし、「心」の軽視を感じる。
私自身「心」について語る材料をもっていないので深く議論はできないが、違和感が残る。 -
Posted by ブクログ
本を読むと、頭の中に知識のネットワークができ、僕たちをグーグルマップにしてくれる。
解決したい問題に出会ったとき、頭や目が威力を発揮して、進みたい道へ、自由に歩き出せるようになる。
本当にやさしく、でも本質を突いた、本の読み方を紹介してくれます。
今まで読んだ読書術、読書論の中で、一番良かった本です。
日本語で”教養”と言うと、実生活には大して役に立たないけれど、知っているとちょっとかっこいいたくさんの知識、というようなイメージがあるかもしれません。
でも、哲学――物事の”本質”を深く考え抜き洞察する学問――の世界では多くの場合、この言葉は、わたしたちがより「自由に生きるための知恵や知識」を意味します。ドイツ語のBildung(ビルドゥング) が、一般に”教養”と訳される言葉ですが、この言葉には、わたしたちをより自由にしてくれる、精神的、人格的成長をもたらすもの、という意味が込められています。さらに、そのことを通して、この社会もまた、より自由で幸せなものになるように、という意味も。 ー 10ページ -
Posted by ブクログ
P.16〜 落ちこぼれ 吹きこぼれ
「皆で同じことを、同じペースで、同じようなやり方で」管理・統率型のシステム
「規律とドリル」
小1problem
ルソー『エミール』
P.33〜 active learningのやり方を先生が細かく指定する問題→「一斉アクティブ・ラーニング」
P.37〜 体罰
デュルケーム『道徳教育論』
学級
柳治男『学級の歴史学』
ニーチェ『ツァラトゥストラ』
第2章 先生もつらい
授業の画一化 〇〇スタンダード
ユニバーサルデザインに基づく授業、ケアの思想
障害など
EBPMエビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング
+哲学、教育学的センス?
学力調査の方法 学力テスト?
自由の相互承認
探究型のまなびという解決法
個別化→孤独化だから個別化+協同化
テストも個別化
〇〇メソッドの党派化・派閥化
方法のパッチワーク化
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少しずつしか読み進められなかった。私にとってタイミングが合っていなかったのだろう。愛(特に性愛)を他者の言葉でしたり顔で語る季節は遠くに過ぎ去ってしまい,今はもう愛を自分の枠組みの中で収めてしまっている。基本は自己の拡張であり,対象を自分の一部であるかのように大切にする行動を導くものが愛だろう。自分が自分を大切にできないなら愛することは難しい行為。自分を大切にするためには大切にしてもらう体験,つまり愛された経験が必要だろう。愛が普遍的なものであるならば,社会装置としての愛概念ではなく,生物学的な基盤があると思う。誰かを何かを愛しているか?誰かに愛されているか?どちらの問いにも確信を持って答えられないし,答えられる時がこれから訪れるという確信もない。しかし,自分にとっての愛は何かを考えることは,生き方に大きな影響を及ぼしそうだ。愛に基づく仕事,愛に基づく人間関係,愛に基づく趣味,・・・一種の孤高の職人をイメージさせる。
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Posted by ブクログ
<目次>
はじめに
第1章 何が問題の本質なのか?
第2章 先生もつらい
第3章 学校をこう変える①~「探究」をカリキュラムの中核に
第4章 学校をこう変える②~「ゆるやかな協同性」に支えられた「個」の学び
第5章 私たちに何ができるか?
<内容>
隔靴掻痒な感じの本。「わかっているが、それができるのか?」。学校現場にいると、問題点はわかり、変えていきたいが、日々の活動の中になかなか落とし込めない。毎日どんどん進んでいくし、こうしたことに気づかない(気づかないふりをしている)同僚を口説く労力も浮かばないし…。理論はわかっているが、実践の効果が数年後だろう、という感じがまた行動を遅らせる原因。教育の難しさですね。 -
Posted by ブクログ
入門書的に書かれていることもあって、平易な言葉とシンプルな文章で大変読みやすかった。
哲学アレルギーの人でもおそらく読み終えることができるはず。
教育をとりまく多くの疑似問題を俯瞰するかのように、哲学的な観点から、「よい」教育とは何か、教育の本質とは何かについて問い直す。
さんざん論理の欠陥を指摘されてきた、教育問題に対する理想・当為主義および相対主義に対し、現象学を援用した欲望論を展開する。
自らが「よい」「悪い」と感じたことを疑いも否定もせず、「~したい」「~でありたい」という欲望(関心)を基本とする。
この純朴な根拠は斬新で非常に興味深い概念だと思う。
書いてあることはおおよそ賛成できることばかりであったが、半ば机上論だなと感じてしまう部分も多々あった。
それが哲学というものなのだろうが…。
愚問かもしれない、
私の未熟さに原因があるのかもしれないが、
読んでいて引っかかったところを列挙しておく。
・〈自由〉を求めることと、〈自由の相互承認〉が人々の本質をなすという話であったが、それを意識して生きている、または意識して教育に携わる人がどれだけいるか。どれだけ期待されるか。
と考えると、〈一般意思〉、〈一般福祉〉に表れる「一般」がぼやけてしまい、筆者の理論の根拠そのものが不安定なものになってしまわないか。
・「社会における〈自由の相互承認〉の実質化」とあるが、ここでいう「社会」はどういった定義なのか。他者のこと?一般社会のこと?主体の集合のこと?
社会が〈自由の相互承認〉を求めているとあるが、本当か?
(社会を、「主体同士の自由の相互承認によって秩序をもちうるもの」と考えるならば納得がいくけど。)
・著者の考える「社会」からはみ出た人はどうなる?無気力人などなど。
「わがまま」「犯罪者」扱いになるのだろうか。
そんなこと言ってたらキリがないが。
・義務教育段階後の教育の在り方の「選抜」→「選択」化について。
現実味がなさすぎる。ことはもちろん筆者も分かっているが、そのための具体的な話が何もなく、必要なのは確かだが、いかんせん理想を語っているに過ぎず説得力に欠ける(おそらく筆者も研究中なのであろうが)。
・「目的・状況相関的方法選択」に関して。
大変重要なことであるし、おそらく大部分の人が考えていたことではあると思う。
たとえ教師が自分のやり方をメタ認知でき、改善に取り組もうとしても、
個人の尊重と全体の秩序の維持の両立は困難であると予想される。
というのも教師自身の問題だけでなく、子どもの問題、学校風土の問題、社会の問題、親の問題など、様々な要因を孕んでいるからだ。
それを「教師の力量」で言いきってしまうのはいかがなものか。
哲学的な、抽象的な論に関しては、説得力があるしうなずける。
しかし、だからといってそれが教育に係る諸問題にきっちり適用できるかと言えばそれは困難だろう。
理由として、一つは教育現場に生きる者がその理論を理解意識した上での実践が困難であること、
二つ目は、理解していてもさまざまな要因によりそれが実践できない、という現実があるからだ。
筆者の論をさらに深め、能書きで終わらせてしまわない為にも、
この論を土台にしたより現実と教育現場に活きるような方策を模索していくべきだろう。