苫野一徳のレビュー一覧
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「俺の考えは正しい。
お前は絶対に間違っている!」の乗り越え方。
みんなが「そうだ」と言える本質を見出していくということ。
なるほどーーー!と思うことばかりです。
哲学教育や哲学イベントに関わる者として、
苫野さんと、
故・池田晶子さんに負うところは大きいです。
●理性がある限り、絶対的に正しいことはわからない(!)
●自分の体験を普遍化しない。
●自分の「信念」に気をつける!
●「偽の問題」に騙されないこと。
●相手を言い負かすための方法:例外を出す。
→でもむなしい。
→共通了解しながら第三の道を建設的に志向していく対話。
●絶対に疑えない原理
デカルト「我思う故に我あり」
フッサール「感 -
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ネタバレ絶対的な答えのない哲学を敬遠し、あまり面白くないと思ってきたが、哲学的思考は魅力的かつ人間にとって非常に重要なものであるということを認識することができた。誰かと議論をするとき、建設的ではない議論になってしまうことが度々あった。そのようなとき、「なぜ自分の考えを理解してくれないのか」「自分の意見の方が圧倒的に正しい」などという考えを持ってしまっていた。しかし、自分の主張を全面的に押し出すのではなく、自分の主張の根底にある欲望と、相手の主張の根底にある欲望それぞれをすり合わせることが必要であるということに気づかされた。本書にあるような考え方、議論の仕方を実践していき、より良い第3の意見を創り上げら
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忘備録 ? 僕らは世界を、僕たちの欲望や関心に応じて認識している。
? 僕らは事実の世界に先立って、意味の世界を生きている。この意味の世界というのは、言葉を変えれば欲望の世界だと言っていい。
? 世界は常に、僕たちの欲望の色を帯びている。
竹田はこれを欲望相関性の原理と呼んだ。
欲望の前には遡れない。何故、そんな欲望をもっているか、それは確実なことが途端に言えなくなる。
因果関係は永遠にわからない、そうかもしれないが、そうじゃないかもしれない。
けれども、欲望は確実に感じている。
? 欲望は確かめ可能な最後の地点。
疑える可能性があるものを、思考の始発点には決してしてはならない。それが哲学 -
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超お勧めです!
哲学対話、本質観取をやってみたいと思いました。
答えの出ないもやもや、そもそも答えはあるのは、私たちが知ることが出来るのか。
なぜ人を殺してはならないのか、生きる意味とは何だろうか、人生に関するものから社会の難問までを解き明かす、哲学の考え方を知ることができます。
一般化の罠、問い方のマジックなどにも注意が必要です。
サンデル教授の白熱教室に意味が見いだせなかった理由も、本書を読むとよく分かり、整理され、納得しました。
「あったのいっていることは絶対に正しいといえるの? それって絶対なの?ぜぇぇぇったいなの?」
と。
こういわれれば、どんな人でも「い、いや、絶対かっていわれた -
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「ほんとう」の愛とは?
それはいかにして可能か?
友愛、性欲、性愛、恋、恋愛、キリスト教の無償の愛などとの違いは何か。
それぞれの言葉の使い方や自らの体験を道具に、考え抜いていきます。
著者20年の思索の結果が解き明かす、愛のすがたとは?
深いところまで徹底的に考えていく哲学書ですが、難しすぎず、分かりやすく、丁寧に書かれています。
お勧めです。
確かに、わたしたちは、“真の愛”と呼びうるような「愛」に浸されている時、それが無 条件の「愛」であることを感じる。わたしは、この人が美しいからとか、才能があるからとか、わたしを愛してくれているからとかいった理由によって愛しているわけではない。わたし -
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AIとの共存がこれからの時代のテーマの一つである中、今は人間にしかできない仕事の価値がどんどん高まっている。
日本は、知識詰め込み型の教育やいかに早く正確に問題を解くかという能力を問うセンター試験のような入試対策向けの授業がこれまで一般的であり、そこでは計算力や暗記力、スピードが重視されてきた。しかし、これらの能力は全てAIが人間より優れた部分である。
よって、これからの教育はAIにはできず人間にしかできない創造力や思考力、課題解決力などの能力を育んでいく教育が行われるべきだし、まさにずっと前からそれは改革中なのだろう。筆者も言うように、学びの個別化・協同化・プロジェクト化や学校空間の再設計な -
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ネタバレ僕はもっと生きないといけない!生きてみたい!と強く思った。このような愛があるのなら、生きて確かめたい。25歳の僕はまだ、そこまで愛を経験していない。
「わたしとあなたの境界線は、いくらかおぼろげになる」ほどの極限的なエロティシズムとしての性愛。
自分の命と引き換えにしても、我が子を守りたいという親の愛。
「愛する妻がまだ生きているかどうか...それは、わたしの愛の、愛する妻への思いの妨げにはならなかった。」と言ったフランクルの極限状態での愛。
このような愛を自分もいつか経験できると思う。彼岸的な理想ではない。自分の意思で育てていくべきものだ。もっと自分の人生を生きてみたい。 -
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“真の愛”それはいったい、いかに可能なのか?
ー自分の尻でしっかりと座ること。
すなわち、自己不安と、その反動ゆえのナルシシズムー
自己の価値への過剰な執着ーを乗り越えること。
そして、「意志」をもつこと。
わたしはこの人を、わたしとは絶対的に分離された
存在として尊重するという、「意志」を持つこと。
これら2つの条件を満たさない限り、
わたしたちが“真の愛”を知ることはない。
1度読んでいたが、そのときは内容の6割ほどしか
理解できていなかったように思う。
今は8割ぐらいだろうか?
自分の中で、愛はいかに可能なのかということが分かるようになってきた。
なぜ、分かるようになってきたのか -
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タイトルは,そのものズバリの「愛」。なかなか手に取ってみようという本ではありません。それでも,読んで見ようと思ったのは,あの苫野一徳先生の著書だからです。
苫野さんの本は,『ほんとうの道徳』など,先に読んでいました。諸々の哲学者の話がでてくるのですが,それがとても上手に引用されていて,わたしのような哲学シロウトにもわかりやすく解説してくれるんです。それで,哲学への壁も少し低くなった感じがしていました。『ほんとうの道徳』は本当に読みやすく,分かりやすかったので,同僚にも紹介しました(うちの学校は,今年,道徳教育の研究発表校なので,ここは,道徳の基礎基本として読んでおいてほしいと思ったのでした -
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苫野 一徳さんの『愛』を読む。
ちょうど妻と暮らし始めて一年少しがたった。
私たちの間にある愛が成熟しつつあることを感じている。
著者が、大学時代「人類愛教」の教祖になったように、
私も、「あらゆる存在と生命の全ては根源的には絶対的に肯定されていて、その根源に愛がある」という啓示を受けて、その肯定の感覚があまりにも喜びに満ちていたので、何百何千もの詩を書いて、
それを本にしたりとかやってた。
きっかけは、ドイツ語の単位が取れず留年が決定し、サークルの多忙な仕事に追い込まれ、SNSで四方八方からくる心ない言葉に打ちひしがれ、世の中の矛盾を突きつけられ、そして失恋という「人生全否定しかない