苫野一徳のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ今から3年前2019年、当時の首相による日本学術会議の会員任命拒否問題は、政府による自由・学術・教育に対する介入であると大変な危機感をつのらせることになった出来事でしたが、自分の周りでこの件について同じようなことを考えていたり意見を交換したりということがあったのは、小学校教員である友人ただ一人との間でした。
そこにあるものの不穏さを感じ取った人が自分の周りにはあまりにも少なかった、と思います。
それから現在までを振り返ってみるとたった3年の間に自由というものがとても堅苦しく緊張の伴うものになってしまっており今なお進行形であると感じます。
気づいたら周りから固められてて自分は奇特な意見を述べる -
Posted by ブクログ
一部ネットで嫌われてそうな論客たちからのメッセージ集。みなさん、日本から少しずつ自由が奪われていると危惧している。
ある一面の行動・発言が切り取られて批判されることが多い方々だが、その考えに直に触れると、国の在り方や自由について真剣に考えているのが分かる。
例えば表現の不自由展に携わった津田大介氏。近年、アートの世界では政権の意向に沿った展示しかできなくなってきたと言う。意向に反せば、補助金が下りないなど不自由を強いられるそうだ。
詳しく知らないが、おそらく、この展示は慰安婦像などを展示するのが目的ではなく、賛否両論のものを公の場で示すこと自体が目的だったのではないか。こうした国の動きに対 -
-
-
Posted by ブクログ
人間がもとめる「自由」というものをぐっと深く考えた末に得られる社会の根本原理から立ちあげた教育論でした。そもそも教育はどうして必要なのか。それは各人の自由を担保するためなのだと著者は論じます。
古代、農業の勃興によって蓄財が生まれたのち、人々はそれを奪い合うようになります。そのような争い、戦争は、「生きたいように生きたい」という種類の「自由」によって起きている、と二百数十年前の哲学者たちは見抜きました。つまり「自由」への欲望が、争いを生んでいるのだ、と。そこで考えられたのが公教育でした。ヘーゲルのよると、「自由」でありたければ、お互いの「自由」を認めあわなければならない。これを「自由の相互承 -
Posted by ブクログ
「探究」的なものを学校教育の核にするという発想は、戦後何度も説かれてきた。問題解決学習、ゆとり教育、アクティブラーニング…。しかしそれらはいずれも学校教育の現場に定着しなかった。教育予算をケチり、そのツケを現場教員に押しつけ、それでも教員が言う事をきくように教員管理を強くしてきた。そうした政治の力に抗えないできた文科省が、人手のかかる「探究」を上位下達で唱えても、疲弊した現場は日々を乗り切るために「探究」をも「スタンダード化」してしまう。「探究」を提唱するならば、それ以上の熱量で学校予算・人手の大幅増を唱え、そちらを先ず実現しなければ、結局これまでのムーブメントと同様、いくつかの「成功例」を残
-
-
Posted by ブクログ
著者は自分と同世代の教育哲学者。
就学時の子供を持つ親にとって考えさせられる内容。
自分たちが当たり前のように受けてきた、画一的・一斉型の学びから、「個別化」「協同化」「プロジェクト化」を基軸とした学びへの転換を提唱する。
ドイツの哲学者ヘーゲルが考えた〈自由の相互承認〉の原理が根底にある。これは自分が〈自由〉になるためには、他者の〈自由〉も承認し合う必要があるというもの。自分の〈自由〉ばかりを主張し続けても終わりのない闘争が続くだけで。
この〈自由の相互承認〉を教育を通して子どもたちに育ませることが著者の教育の理想である。
教育現場の慣習や様々なコストをあり実現するには容易ではないのは見てと -
Posted by ブクログ
ネタバレ■ひとことで言うと?
子どもたちの「探求する力」を伸ばす学校をつくる
■キーポイント
・画一的な学習スタイルからの脱却
→スタンダード化は「自分で考える力」を奪う
・「探求する力」の育成
→自分なりに問いを立て、自分なりの方法で、自分なりの答えにたどり着く力
→子どもたちの学びたい欲求を活かす
→教師は探求をサポートする「共同探究者」「探究支援者」
・探究型教育
→学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合を核とする
→探究の方法論
→1.テーマ:探求するテーマを決める
→2.問い:解決したい問いを立てる
→3.方法:問いの解決方法を検討 -
Posted by ブクログ
ネタバレ■ひとことで言うと?
自由に生きられる力=「学ぶ力」を養う学校教育を
■キーポイント
・教育の目的
→1.自由に生きるための力を育む
→2.自由の相互承認の土台をつくる
・これからの時代の「よい」教育
→学力=「学ぶ力」を育む教育
→自分に必要な知識・情報を自ら学ぶ能力
→「よい」教育は時代によって変わる
・「よい」教育の実践
→1.学びの個別化:各人の興味に沿った内容・スケジュールで学ぶ
→2.学びの協同化:生徒どうしが互いに教え合う
→3.学びのプロジェクト化:プロジェクト遂行の過程で学び方を学ぶ
→3つの学びを融合させ、生徒の「学ぶ力」を -
Posted by ブクログ
教育の力を読んでいたので、基本的な部分はおさえつつ、時代の変遷によりさらなる議論が追加されている。
プロジェクトの三類系は見直しを行うのに参考になる。課題解決型、知的発見型、創造型。
低次の忍耐力ではなく、自分が探究したいことのために粘り強く探究する能動的忍耐力が必要。この議論はとても重要。やらされやただの理不尽を押し付ける意見に対して、目的を見た上で議論することができる。
また、義務教育学校では指導要領の何学年で何を学ぶかの規定が緩いというのは知らなかった。小中学園構想で行うのと、義務教育学校として行うことでは、進め方がかわりそうだ。 -
Posted by ブクログ
なぜ教育は必要なのかという問いに対する筆者なりの答えに共感した。
自由に生きられるようになるためには教育が必要。誰しも自由に生きたいと思うが、みんながみんなやりたい放題してしまったら、争いが起こる。この争いを無くす、もしくは少なくするために秩序を設ける。学校内で決まりやルールを守るのはそのため。また、学校で様々な人と接する中で、他者の自由も尊重することを学ぶことで、自分の自由と他者の自由を上手に調整する術を体得していく。そうすれば、社会には、自分と他者の自由双方を大切にできる人が増えていく。
自分も大切に、他者も大切にすることは必要だし、それは家庭で学ぶことも出来るが、学校という環境の方が -
Posted by ブクログ
愛とは何か?
この深い問いに哲学的アプローチで答えんとする本著。
最終章とあとがきで収斂された一つの回答は、非常に説得力のあるものだ。
思えば、小中学の頃、「自分は誰のことも嫌っていない。人を嫌うなどできない」と嘯いていた時期が私にもあった。それは苫野先生が唱え、後に否定した「人類愛」に通底するものが多少あったように感じられる。私のそれは、「誰からも嫌われたくない」という思いの反動だったに違いない。
私も、子の親となり、苫野先生が本著で説く愛の本質に迫っているように思われ、そのことを本著が言語化してくれたことで幾分スッキリしたようにも思う。
やや難しい点もあるが、その分読み応えもある -
Posted by ブクログ
どんな問いには正解がなく(正解をめぐって議論しても意味がなく)、どんな問いなら答えうるかという視点で話がすすんでいくので、すっきりした。自分の体験を一般化してしまうことなく、また相対主義で止まってしまうのでもなく、教育についての話を前にどう進めるか、というのはとても興味深かった。結論として、よい教育とは、社会における「自由の相互承認」を、より実質化できる教育であるとのこと。
個々人の自由、そしてそのための「自由の相互承認」を最終目標にするという視点は確かに反論のしようがない気がする。(個人的な感覚としてはとても賛成)
専門家たちの間ではこのあとどう議論が進んだんだろうということも気になった。