【感想・ネタバレ】伝授! 哲学の極意 本質から考えるとはどういうことかのレビュー

あらすじ

戦争や経済格差など、現代社会の様々な難題に直面する今こそ、哲学である。表面的な思考ではなく、問題を根っこから引き抜き解決する哲学の思考法を、師弟による初の対談を通して伝授する。

人気哲学者2人による初の師弟対談!
いま、私たちは、かつて経験したことのない問題に直面している。
一見、こたえの見えない問いに対して、
「誰が考えてもそう考えるしかない」こたえを探しだす思考が、「哲学」である。
現代を代表する哲学者の師弟である竹田青嗣と苫野一徳が、
紀元前6世紀のタレスに始まり、現在にいたるまでリレーされてきた、哲学の歴史を振り返りながら、その極意と学び方を伝授する。

哲学は、徹底的に問題を突きつめて考えるための
最強のアート(技術)である。

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Posted by ブクログ

竹田青嗣先生と苫野一徳さんの初の対談本、
一気に読んでしまいました。

普遍暴力をいかに逓減するか、という問いかけ。

ずっと頭にこびりつきながら問いかけていたことは、
「ではどうやったら具体的に、日常においてそれが可能か」
ということ。

仕事や、家庭、あるいはそれぞれの共同体の中で、
「場」を創設していくには?
あるいは確かによくできた原理かもしれないが、
覇権主義の現在の世界システムで、「相互承認」の感度を世界的に育んでいくことはできるのか?
人間には理性とは別のエゴイズムの原理があって、道徳はおろか法をも掻い潜ってそれが制御不能なものになるのが人間の常ではないか。
(いじめや学級崩壊やパワハラの現場や無秩序な街を前にして、
私たちは「原理」を確認し「対話」をできるか)

現代社会の強固なシステムと欲望、
あるいは、「そもそも」を振り返り考える思考回路が形成されていない人が多数ななか、
「対話のテーブル」をつくることはどこまで可能なのか。
一部の天才たちがギリギリまで考え抜いて宝石のように残った「原理」は果たして本当に暴力と経済の原理で動く現場や社会を動かす力になりえるのかどうか、ということです。

さて、
哲学というのは、
物事の「そもそも」の本質を、誰もが納得できる言葉で見つけ出していく営みです。

世界の説明には、
物語の方法か、原理の方法か二通りしかありません。
それぞれに長所と短所があります。
前者の代表が「宗教」「神」(スピリチュアル含む)ですが、
決して普遍的なものにはなり難いのです。
他方、後者の営みは誰にも疑えない出発点から思考をスタートさせていきます。

哲学は「真理探究の学問」とよく言われますが、そうではなく「言葉はそもそも真理を言い当てることはできない」ということが、常識です。
「正しい絵」ではなくて「万人がなるほどと納得できる絵」が描けるかどうか、なのです。
哲学の方法は、科学の方法も生み出し、物質の最小単位、構造、動因、全体像という現代物理学に至るまでの枠組みを作り上げているのです。

私自身は、キリスト者であり、世界の根源には「大いなる意志」が働いていると直感し、確信し、それに賭ける立場でありますし、
「認識」以前に「存在」が先立つ、と「思う」、わけですが、
これは客観的には証明不可能です。
だからと言って「ない」「別の何かだ」とは「わからない」。
哲学は、「欲望相関性」の相で還元していく。
これはつい「真理」を巡って議論しがちで何千年決着が永遠につかない宗教の世界でも「これは確かにいいやり方だ」と思える知恵です。
現象学では、
「リンゴがあるから、わたしはそれが見える」
ではなく、
「わたしは、リンゴが見えている、と確信している」
という立場から議論をはじめていくわけです。

現代の世界をどうしていくか、という問題に対して。
世界とはこういうものだと言い切る体系化された説明が挫折した後、
なんでもかんでも相対化し、「人それぞれ」「ただしさなんて人それぞれ」「要するにみんな見えない権力」というポストモダン思想も座礁した中、
すでに葬り去られたと思われていたヘーゲルやフッサールの中に現代にも通用する普遍的な思考法があると言います。

対談の中で、興味深かったのが、
「権力をなくしてしまえ」「資本主義を解体してしまえ」「国家を揚棄せよ」
というのではなく、
「どういう権力であれば正当であると言えるのか」
「国家同士の自由の相互承認」の可能性を現実的に追求している点です。


「哲学対話」「本質観取」
また身近なところで定期的にやってみたいと思います。

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2025年05月03日

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