カズオ・イシグロのレビュー一覧
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令和になって共感者がなお増えるのでは
主人公・小野益次が自分の過去の記憶を辿る真面目な姿勢に好感を持つ。なぜだろう。
漱石の『こころ』の主人公・先生は、明治の精神に殉死した。その死は衝撃的で、読者への問いかけはあまりにも大きく、先生は「先生」という神になり読者に越えられない存在となった。
その点、読後の小野は身近だった。戦前は耽美主義的な絵を習い、戦時中にかけ軍国主義を煽る絵を描いて名声を得、戦後は画家を引退したが、時代の大きな変わり目を迎え、先生と呼ばれなくなっても、殉死せず生き続けている。過去を振り返る姿勢は、ある時は自分に厳しいが、ある時は自分の行動を肯定し美化する。信念に従って生きるという信念を持つ。その代わり若い世代を否定もせず、彼らからの批判は甘んじて受け入れる。
年を取るとはこういうことなのか。ノーベル賞作家の作品だから、小説のつくりにも注意を払おうという決意で読み始めたが、読み進めるうちにそんな意識は消えてしまい、小野の視点にずっぷりと入ってしまった。
昭和から平成を経て令和になった。社会の価値観は大きく変わっている。あらためて、この作品への共感者が増えるのではないか。 -
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愛と平和は、雌竜が吐く霧によって保たれている。夫婦の愛と社会の平和は、忘却によって保たれている。
雌竜の霧。いい表現だ。
それはともかくカズオ・イシグロが導き出す現実は、身も蓋もないぐらいに厳しい。『私を離さないで』を読んだ後、目の前が真っ暗になるような思いをしたが、この『忘れられた巨人』も同様の読後感を持った。アーサー王物語も古代ブリテンの歴史も知識がほとんどないまま、ファンタジー的な物語なのかと思って読み進めていたが、終盤の終盤に一気に心が鬱になりかけた。
夫婦の旅の目的地は、三途の川の向こうの死の世界だ、と私は読んだ。結局、死は一人で迎えるしかないものである。最後の場面、主人公の決断が胸に来た。 -
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ネタバレ自分のためじゃくてジョジーのためだけに全てを尽くすクララが持ってるのは、果たして人間的な心なのか。思いやりや憐憫は確かに心の一側面ではあるやろうけど、保身、嫉妬、依怗みたいな醜い感覚が排除されてるそれを心と呼んで良いのかは難しい。
とはいえそんなクララが、人間を特別たらしめるものを看破してるのが何よりも尊い。
お日さまとの約束とかいう、信仰に近い論理に心からの希望を見出してる感じ、映画『A.I.』と同じくSF作品の中でファンタジーに解決策を見出す矛盾と無力感があった。このパターン心が苦しいからやめて欲しい。
最後の店長の「B3型には愛情を感じられなかった」という言葉、人間に近づき過ぎたものには抱けない愛情の存在な。 -
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上海租界で少年時代を過ごしたイギリス人クリストファー。その地には隣家の日本人少年アキラとの楽しい思い出もある。しかし、父親の失踪、それに次ぐ母親の誘拐という事件を経て孤児となり、イギリスの叔母のもとに引き取られることとなる。この少年が、長じて優れた探偵として名を馳せるようになり、満を持して上海に舞い戻り、消えた両親の謎の解明に挑む。
真実を知りたい、という気持ちで読んでいけるミステリー小説のような推進力がありながら、そこで描かれる世界に立ち込める闇は深い。ってその世界とは私たちの住むこの世界である。途中途中、ウィキペディアなどで世界史のおさらいをしながら読み進めた(アヘン戦争、上海租界、日中戦争、国共内戦⋯)。出来事自体は昔のものだが、同じ暴力の構造は今もここにある。
そして、大きな物語を背景にしながらも心のひだの奥にあるものを決して取りこぼさない透徹の視界が、私のカズオ・イシグロ作品の好きなところだ。彼には見えているけれど、すべて書きはしない、という筆の運びにまたしびれる。
▼連想した他の本
・王谷晶『ババヤガの夜』
うんざりする暴力(※本書にはバイオレンスシーンはなくて、あくまで私の勝手な読み方による連想です)。ラスボスの本音へのうんざり感。あー、うんざりうんざり。
そのうんざりから、彼女はおりられたのだ、と私は思っている。
・ギリガン『人間の声で』
(最近こればっかりだが)無視された“女”の声。
それから重要なことは、この物語が“クリストファーの声でしか語られていない”ということ。サラの声を、一度は聞いたクリストファーだったが、聞こえなくなったまま終わっているのだ。私たちはサラの声を聞いたほうがいい、と私は思う。
・平井杏子『カズオ・イシグロの長崎』
これは著者/作品に対する解釈本なので“連想した本”としては安易過ぎるが、ノスタルジー、子ども時代の記憶、外国、といった軸で彼の作品を捉えていたこの本の解釈は特にこの作品にドンピシャだったのかもしれない。
▼好きだったセリフ(うろ覚え!)
「トロフィーのようなものが欲しかったけど今は別のものがほしい。私が何をしたかとかどうであるかということと関係なくそこにあって、そこに戻ってこれるもの、例えばいつもそこにある空のような。」
「私には、子ども時代が外国のようには思えないのです。ずっとそこにいて、ようやく今旅立とうとしているところです。」
▼タイトルについて
わたしたちって、誰と誰だろうか。誰もがそうではないかもしれないけど、意外と私やあなたやあの人もそうかもしれない。拡大解釈し過ぎか。過去形なのは、救いと私は感じた。 -
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冒頭は1930年代で主人公クリストファー・バンクスは20代なかば。ロンドンで、子供の頃からの夢だった探偵として認められつつある。
クリストファーは子供時代を上海の租界(外国人居留地)で過ごした。父親はイギリス貿易会社の社員で、母は上海の人々がイギリスが売りつける阿片で苦しんでいることを許せずにいる。そして自分たちの不自由のない生活には中国人たちを阿片付にしていることで父を責める。
クリストファーの一番の友達は日本人一家のアキラだった。二人とも異国で暮らしているのだが、自分の国は上海だと思っている。子供なりに人生を見つめる独自の理論や哲学、自分を保つための嘘もある。
だがクリストファーの父が、次いで母が相次いで行方不明となり、彼は10歳で一人でイギリスの親戚に引き取られた。
そして現在、クリストファーは探偵として事件も解決しそれなりに評価も高まってきている。最近親しくなった女性、サラ・ヘミングスは社会的地位のある男性を狙う野心家のようだが彼女は何かを成し遂げる人物を欲している。そしてかつて第一線にいて今では引退した老外交官の後妻となり上海に渡った。
ロンドンでクリストファーは、両親をなくしたジェニファーという少女を養女に迎えた。だがいよいよ両親失踪の謎の確信に近づき、ジェニファーが学校にいる間に上海を再訪することにする。ジェニファーは「わたしはおとなになって、クリストファーおじさまを助けてあげるわ」と言う。
そして1937年、クリストファーは上海に渡った。
主人公が探偵で、両親に何があったのか、この先どうなるのかという推理小説要素もあります。
上海ではクリストファーの調査がちょうど上海での日中戦争(第二次上海事変)の真っ只中、クリストファーも残酷なものを多く目撃します。上海の現地中国人の貧民窟の様子とか、その貧民窟での日本軍による砲撃などは本当に悲惨で。
子供の頃のクリストファーもアキラも、中国人を使う立場で不自由なく暮らしているけれど、やはりここが完全に自分の居場所ではないとも感じている。しかしそれぞれが自分の国(アキラは日本、クリストファーはイギリス)に戻ったときは「上海の租界こそが自分の居場所」だと感じる。大人になって上海に戻ったクリストファーは「自分はずっと租界にいたころの子供の延長だった」と感じている。
題名の『私たちが孤児だったころ』は、実際に親がいないという意味もあるし、精神的に居場所を探しているって意味もあるのかな。ラストでクリストファーは「最善を尽くすしかない」と結論に達する。題名の「だったころ」と過去形なのは、やっぱり心の平穏はないけれども、そんな状態を受け入れて自分の心のあり方が落ち着いたってことでしょうか。
<最後まで使命を遂行しようとしながら、最善をつくすより他ないのだ。そうするまで、わたしたちには心の平安は許されないのだから。(P530)> -
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カズオ・イシグロさんの『クララとお日様』を読みました。
物語は、AF(人工親友)であるクララの視点で語られます。
最初は聞き慣れない用語が多く出てきて少し戸惑いますが、丁寧な筆致を読み進めるうちに、徐々にこの世界の輪郭が見えてきます。
ハッキリとは描かれていませんが、科学技術が進歩しすぎたことで様々な分断が生まれている、そんな「ディストピア」な社会であることが想像できます。
そんな厳しい世界の中で、常に人に寄り添い、優しくあろうとするクララ。人間よりも、信仰心を持ち続ける彼女の方が、よほど人間味を感じられる点がとても印象的でした。最後にクララが見出した、「人間を人間たらしめるものは何か?」という考察にも心揺さぶられます。
結末には少し物悲しさもありましたが、決して人を批判しないクララの姿は、現在私達が日常的に接しているAIにも通じるものを感じます。
技術の早過ぎる進化や社会への影響など、本作にある要素は現代と重なる部分も多く、そう遠くない未来を見ているような気持ちになりました。
個人的には、ロボットやAIと過ごす未来はもっと明るいものであって欲しい…と願ってしまうのは、やはり自分が「ドラえもん」で育った世代だからですね。 -
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ノーベル文学賞を受賞したカズオイシグロ氏のデビュー作とのことです。
今イギリスで生活している女性の人生について、戦後の長崎で生活していた時の記憶を交えて描かれています。
「遠い山なみの光」というタイトルは、主人公の女性の記憶にある戦後まもない長崎の風景と当時の将来への希望を表したものであると思います。
ストーリーですが、主人公の悦子はかつて戦後まもなくの長崎に夫と二人で生活していて、初めての子供を妊娠して幸せに暮らしていました。女の子を出産後、理由は描かれていませんが当時の夫とは別れ、二人目のイギリス人の夫と共に娘(景子)を連れてイギリスに渡り、現在はイギリスの田舎で生活しています。
イギリス人の夫との間にも女の子(ニキ)が生まれますが、長崎で前の夫との間に生まれイギリスに連れてきた長女(景子)は、イギリスでの生活に馴染めず引き篭もりとなり、やがて家を出たいと言い出して、独り暮らしをする中で自殺してしまいます。
イギリス人の夫との間に生まれた次女(ニキ)も今は家を出て独り暮らしをしており、母親を心配して一時的に家に戻りますが、その娘と生活する中で、かつて自分が長崎で生活していた時のことを思い起こします。
長崎で、悦子は幼い娘を抱えるシングルマザーの佐知子という女性と知り合います。佐知子は戦後の混乱期を幼い娘を抱えて乗り越えようとしていました。一方、当時の悦子は良い夫にも恵まれ、お腹には子供も授かり、幸せな生活をしていると満足していたはずですが、そんな自分が、やがて夫と別れ、幼い娘を連れてイギリスに渡ってきた今になって、かつて長崎で出会った佐知子のことを思い出し、今の自分と重ね合わせます。当時の佐知子は、確証もないまま愛人のアメリカ人を頼って長崎を抜け出しアメリカに渡ろうとしていたのですが、悦子はそんな佐知子を見て、環境を変えることは幼い娘が可哀想と思い、口には出さないまでも佐知子を批判的に見ていました。
しかし、悦子もやがて夫と別れ幼い娘を連れてイギリスに渡り、その娘も失ってしまったわけで、未来に夢を見つつも現実に翻弄されていた当時の佐知子を思い出しながら、今の自分を重ねていたのだと思います。当時は佐知子に批判的だった悦子ですが、今は肯定的に思わざる得ない自分をこの時は認識していたと思います。
物語の中では、結婚して義父に甲斐甲斐しく尽くす旧態然とした悦子の姿や、戦後の価値観の変化についていけず民主主義や男女平等に不満を漏らす義父・緒方の姿が描かれ、一方でこれと対比的な思想の佐知子や悦子の夫・二郎が描かれていて、これも戦後の日本における思想の移行が、この小説のもうひとつのテーマになっていると思います。
長崎で幸せな生活を送っていたはずの夫と別れ、自らの意思で娘を連れてイギリス人の新しい夫とともにイギリスに渡り、その結果娘の景子を犠牲にしてしまったという自責の念が、悦子の意識の中には常に存在していたと思うのですが、後悔しても戻すことはできない、先に進むことはできないと、まるで何事もなかったかのように、これからの人生を生きていこうとする女性・悦子の姿がこの小説には描かれています。
イギリス人の夫との間に生まれた次女ニキは、現在の自立した考え方をする女性の象徴的な存在として描かれているのですが、彼女から悦子が長崎で生活していた当時の思い出の資料が欲しいと頼まれ、悦子は長崎の港の風景のカレンダーを渡します。そこに遊びに行った時の思い出を話し、その時は本当はまだ妊娠中であったにもかかわらず、「あの時は景子も幸せだったのよ。みんなでケーブルカーに乗ったの。」と、ニキに嘘をつきます。これも過去を忘れて(偽ってでも)生きていくしかないという、自立して生きていこうとする悦子の思いを示しているように思いました。
ただ、小説の中で語られていない真実を、小説の中で語られている事実の断片から、読者が想像して判断するしかない部分が多々見られるように思います。例えば、なぜ悦子は長崎を離れイギリスで生活するようになったのか、長崎で生活していた当時の夫である二郎となぜ別れたのか、景子はなぜ独り暮らしを始めたのか、景子とニキとの関係はどうだったのか、景子はなぜ自殺したのか、などです。
最後に思うのは、悦子が長崎で知り合ったという佐知子は架空の人物で、実は悦子そのもの(本人)のことだったのかもしれないなということです。 -
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ネタバレカズオイシグロは、前にも日の名残り、私を離さないでを読んだことがあり、
今回映画化されたことを受けて興味をもって読んだ。
流れ、雰囲気は日の名残りに近い。
途中途中のエピソードが何に繋がるのか、なんでそのようなことを思い出すのか、最後に少しわかる。
相変わらずの読後感に圧倒されたが、今回一番圧倒されたのは、意外にも巻末の三宅香帆さんの書評だった。
書評に解説が書いてあり、人によってはつまらなく感じるかもしれないが、自分は三宅さんの書評を読んでこの本の理解と読後感を深めることができた。
人は誰しも人には言えないことを抱えて生きる。
そして、テクニック的には書かれていないことを想像して読むのが読書の楽しみのひとつなのだと知ることができた。
今回、紙の本と電子書籍を並行して読んだが、三宅さんの書評は電子版にもありました。
紙の本を売ってしまっても書評を今後も繰り返し読めるのが嬉しい。
自分にとっては今年一番の本です。 -
「わたしを離さないで」について
ノーベル賞作家のカズオ・イシグロが端正な筆致で綴る、ある女性の人生の物語。
提供者を慰める介護人の職に長くついていた女性。彼女が職を辞めるにあたり、自分のこれまでの人生、特に生まれ育ったヘールシャムで仲間と過ごした日々を回顧する。
提供者、介護人など説明なく出てくる言葉の意味が、女性の回想から次第に明らかになってくるにつれ、世界の残酷な姿が浮かび上がってくる。
この世界の真実は、SF小説のファンならばすぐに見当がついてしまうだろう。
読みどころは、むしろ小説としての巧さ、人間描写の厚みの部分だ。大きな状況に翻弄される主人公たちが、小さな人間関係にすがる姿がなんとも哀しく映るのだ。