カズオ・イシグロのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
カズオイシグロ作品を読んだのは、「わたしを離さないで」に次いで二作目。
ミステリーに分類されてもされなくても違和感無し。結末はえげつない。
表題が少々謎めいて聞こえる。「わたしたち」とは誰と誰のことなのか? 「だった」と過去形なのは、いつ孤児でなくなったということなのか?
素直に読めば、クリストファーとジェニファー?それぞれ実の親と育ての親を見つけたのだから孤児でなくなった、ってことか?
終盤クリストファーはアキラらしき日本兵と遭遇したが、本当にアキラだったのか? そんな偶然はあるわけないし、描写的にも別人かと思う。
クリストファーが、盲人の俳優宅っぽい家を見つけたと思い込もうとする辺りは -
Posted by ブクログ
そろそろ桜が咲こうかという時季になんだけど、今年みた初夢の話。
燦々と陽光降り注ぐ部屋でクリスタルピアノを弾いているYOSHIKIが、メロディを奏でるのをやめ、グラサンを指先でスッとあげながら、こちらを見ると、じゃ、20分後に、これ舞台で歌って下さい、と言って出て行った。
オッケー!任しときな!と安請け合いしたのはいいものの、よく考えたら、俺、歌詞を知らないや、ということに気づいた。さすがにお客さんの前でカンペみながら歌うのも失礼だし、手のひらに書いて、それみながら歌うってのも、様にならないし、さて、どうしよう・・・
ってところで目が覚めた。
完全に大晦日にみた紅白の影響だ。
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Posted by ブクログ
ネタバレ悪夢を彷徨うような不条理な小説でした……
ふわふわ、あてどなく1000頁近くも彷徨うのはいささか疲れました。
なのにシュールリアリスティック的ではなく、最後まで読ませる力があるのは、作者の確かな手腕によるものでしょう。
そんな夢の中で、挟まれる断片的なエピソードは、誰でも覚えのあるような根源的な傷を抉ってきます。
両親とシュテファンの関係とかお辛い…
ライダーの両親が来ないこととの相似性もありますね。
ブロツキーとミス・コリンズとの関係は、ゾフィーと自分との関係とも相似しているような気がする。
過去、現在、未来を淀んだ形で顕現した世界なのかもしれない
そう考えると、グッと面白くなった -
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これを30歳そこそこで書いたのか!とまずそこに驚く。たしかに日本人ぽくない言い回しや思考回路、やりとりはあちこちに見られる。特に、一郎。理路整然と喋りすぎ。けれど、主人公である小野は明治生まれの鼻もちならないじいさん。そんな作者自身からかけ離れた人間の自分語りを、その年齢でこのレベルの作品に仕上げるのがすごいと思う。いかに彼に祖父母の記憶があるとはいえ、カケラのようなものに過ぎないはず。そこからこのサイズの図を描きおこす筆力を、若くしてすでにもってたんだなぁ。
功罪という言葉があるけれど、功績の大きさを認めると罪の大きさも同時に認めざるを得なくて、そうすれば必然的に罰を受けていない今の自分を -
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ネタバレ幼少期を上海の外国人居留地・租界で過ごしたイギリス人のクリストファーは、今やロンドンの社交界でも噂の名探偵。彼が探偵になった理由は他でもなく、かつて上海で行方不明になってしまった両親を探しだすためだった。父、母、フィリップおじさん、そして隣の家に住んでいた日本人の友だち・アキラとの日々を回想しながら、遂にクリストファーは真相解明のため再び上海へ向かう。しかし、かつての〈故郷〉は戦火に飲み込まれつつあった。
古川日出男の解説がめちゃくちゃ上手いのであれを読んだ後に付け足したいこともないくらいだけど、この小説を読んでいて、昔からずっと考えていることを思いだしたのでそれを書きたい。
児童文学に孤 -
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ネタバレわたしたちが孤児だったころ。カズオイシグロの本のタイトルは、いつもこれしかないと思わせるタイトルをつけてくれる。
この本には、主人公は勿論、幾人の孤児が登場する。サラ、ジェニファーを含む3人が主に指している人物だと思うが、要素として日本人としてのアイデンティティが今一つ持てずにいたアキラも精神的には孤児だし、犬を助けて欲しがった少女は、戦争で散っていった民間人の遺子である。アキラと思われる日本兵の子供も孤児になってしまうかもしれない。
そして、孤児達は、様々なバックヤードや性格違いがあるものの、根底の心根にあるものは非常に似通っているように思える。
現実から目を逸らし、答えのみつからない幸せ -
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画家の人生を通して、戦前から戦後の日本における価値観の変化を描いた作品。
戦中から戦後の世情の空気の移ろいを察知した画家の、過去の自分の作品が世間に与えた影響と責任を認めつつも、時代を生きたという誇りは忘れない強さを感じる。
同じような境遇で責任を感じて自ら命を絶った作曲家との対比なども印象的ではあるが、この話から思い出されるのは藤田嗣治。
彼が戦後、この作家と同じような境遇に陥り、世間から大きなバッシングを浴び逃げるようにパリに移住したことは、時代と世論の変化の残酷さをつくづく感じさせる。
そして最近のSNSを通しての、諸々の炎上騒動についても同様に考えさせる。 -
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極めて明確に、簡潔に、美しく、イギリスの地で創作を開始した日本人の血を持つ作家が、半生を語った。ノーベル文学賞受賞記念講演。
始まりの2冊は日本を舞台にした英語の文学だった。次は、きわめてイギリス的な話なのに、世界的な世界観を描いた。らしい。
私はカズオ・イシグロの小説は読むまいとしてきた。人生は短く、読まなければならない本ははるかに多い。読み始めたならば、一冊だけで済むとは思えなかった。ただ、この小さな講演記録文章によって、世界基準とも言えるかもしれない文学を見渡す地図を貰った気がした。「遠い山なみの光」と「日の名残り」と「わたしを離さないで」を読んでもいいかもしれないと思い始めている。 -
Posted by ブクログ
夏目漱石の『それから』とか、太宰治の『斜陽』のように、破滅的な最後に向かっていくのかと思っていました。これはこれで好きです。
翻訳版の文体のためか、今まで触れた同氏の作品と比べると、舞台がそうであるからという理由以上に、日本的な印象を強く受けました。
一方、少し気になる点もいくつかありました。
語り手である小野さんの話がいちいち脇道に逸れるのは、もちろんそれが物語の肉付けとして重要なエピソードだからなんですが、「逸し方」っていうのはそう何パターンもあるわけではないので、「またか」と少し気が散る印象がありました。
それから、誰かの発言を思い出した直後に「本当にそういう表現をかの人が使ったか