カズオ・イシグロのレビュー一覧
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ネタバレ今回はロンドンと上海。
大戦中の上海の様子が、生々しい。日本の侵略が書かれていると同時に、イギリスが犯したアヘン貿易についても書かれている。
『わたしたちが孤児だったころWhen we were orphans 』のタイトルにある孤児とは、両親が行方不明になるまでの子供の頃までではなく、父の死と母に会うまでの時間も含まれているのではないだろうか。
危険な地域に両親を探しに行くときは、中尉やアキラに止められても、語り手の頭を占めていたのは、戦争ではなく両親だった。
カズオ•イシグロの作品には、何度も同じセリフがでてきたり、自分がされたことを結局は自分が他の人にすることになるという設定が多いように -
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カズオイシグロ作品を読んだのは、「わたしを離さないで」に次いで二作目。
ミステリーに分類されてもされなくても違和感無し。結末はえげつない。
表題が少々謎めいて聞こえる。「わたしたち」とは誰と誰のことなのか? 「だった」と過去形なのは、いつ孤児でなくなったということなのか?
素直に読めば、クリストファーとジェニファー?それぞれ実の親と育ての親を見つけたのだから孤児でなくなった、ってことか?
終盤クリストファーはアキラらしき日本兵と遭遇したが、本当にアキラだったのか? そんな偶然はあるわけないし、描写的にも別人かと思う。
クリストファーが、盲人の俳優宅っぽい家を見つけたと思い込もうとする辺りは -
Posted by ブクログ
そろそろ桜が咲こうかという時季になんだけど、今年みた初夢の話。
燦々と陽光降り注ぐ部屋でクリスタルピアノを弾いているYOSHIKIが、メロディを奏でるのをやめ、グラサンを指先でスッとあげながら、こちらを見ると、じゃ、20分後に、これ舞台で歌って下さい、と言って出て行った。
オッケー!任しときな!と安請け合いしたのはいいものの、よく考えたら、俺、歌詞を知らないや、ということに気づいた。さすがにお客さんの前でカンペみながら歌うのも失礼だし、手のひらに書いて、それみながら歌うってのも、様にならないし、さて、どうしよう・・・
ってところで目が覚めた。
完全に大晦日にみた紅白の影響だ。
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ネタバレ悪夢を彷徨うような不条理な小説でした……
ふわふわ、あてどなく1000頁近くも彷徨うのはいささか疲れました。
なのにシュールリアリスティック的ではなく、最後まで読ませる力があるのは、作者の確かな手腕によるものでしょう。
そんな夢の中で、挟まれる断片的なエピソードは、誰でも覚えのあるような根源的な傷を抉ってきます。
両親とシュテファンの関係とかお辛い…
ライダーの両親が来ないこととの相似性もありますね。
ブロツキーとミス・コリンズとの関係は、ゾフィーと自分との関係とも相似しているような気がする。
過去、現在、未来を淀んだ形で顕現した世界なのかもしれない
そう考えると、グッと面白くなった -
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これを30歳そこそこで書いたのか!とまずそこに驚く。たしかに日本人ぽくない言い回しや思考回路、やりとりはあちこちに見られる。特に、一郎。理路整然と喋りすぎ。けれど、主人公である小野は明治生まれの鼻もちならないじいさん。そんな作者自身からかけ離れた人間の自分語りを、その年齢でこのレベルの作品に仕上げるのがすごいと思う。いかに彼に祖父母の記憶があるとはいえ、カケラのようなものに過ぎないはず。そこからこのサイズの図を描きおこす筆力を、若くしてすでにもってたんだなぁ。
功罪という言葉があるけれど、功績の大きさを認めると罪の大きさも同時に認めざるを得なくて、そうすれば必然的に罰を受けていない今の自分を -
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ネタバレ幼少期を上海の外国人居留地・租界で過ごしたイギリス人のクリストファーは、今やロンドンの社交界でも噂の名探偵。彼が探偵になった理由は他でもなく、かつて上海で行方不明になってしまった両親を探しだすためだった。父、母、フィリップおじさん、そして隣の家に住んでいた日本人の友だち・アキラとの日々を回想しながら、遂にクリストファーは真相解明のため再び上海へ向かう。しかし、かつての〈故郷〉は戦火に飲み込まれつつあった。
古川日出男の解説がめちゃくちゃ上手いのであれを読んだ後に付け足したいこともないくらいだけど、この小説を読んでいて、昔からずっと考えていることを思いだしたのでそれを書きたい。
児童文学に孤 -
Posted by ブクログ
ネタバレわたしたちが孤児だったころ。カズオイシグロの本のタイトルは、いつもこれしかないと思わせるタイトルをつけてくれる。
この本には、主人公は勿論、幾人の孤児が登場する。サラ、ジェニファーを含む3人が主に指している人物だと思うが、要素として日本人としてのアイデンティティが今一つ持てずにいたアキラも精神的には孤児だし、犬を助けて欲しがった少女は、戦争で散っていった民間人の遺子である。アキラと思われる日本兵の子供も孤児になってしまうかもしれない。
そして、孤児達は、様々なバックヤードや性格違いがあるものの、根底の心根にあるものは非常に似通っているように思える。
現実から目を逸らし、答えのみつからない幸せ