カズオ・イシグロのレビュー一覧
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まず読み終わって感じたことは、読みやすかったと言うこと。外国の翻訳された本が苦手な私でも楽に読めた。日本の本でも同じなのだが、その国の人ならある程度分かる事でも、他国の人には分かり難い事がある。その国の歴史、文化、地理的な事とか。例え注釈があっても、その注釈を見ながら読むと話の流れが途切れ途切れになり話に入り込めない。この点、この小説は分からない事は分からないなりに読んでいっても話に入り込めた。これは作者、翻訳者の力量もさることながら、この小説が「昔ながらの品格ある執事」の1人称の語りという形をとっているからだろうと思う。この語りで、話の内容も雰囲気も分かりやすくなっていると思う。「昔からの由
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第二次大戦前から画家として活躍してきた小野が、うまくいかない娘の縁談や周囲の態度から過去を回想していく。師匠の耽美主義を離れて精神主義に傾き、戦時のプロパガンダに加担し評価され、自信を深めるが、価値観が一変した戦後の日本社会で、そのアイデンティティをどう扱ったらいいか迷い悩む。
語りの中で、小野が自分の記憶の曖昧さを何度も確かめるように表現している。話の筋そのものにはあまり関係しないが、読み手としてなぜかそこにひっかかりを感じてひきこまれる。
人が過去を振り返るときの記憶の曖昧さこそが、人間らしさであり、だからこそ生きていけるのかもと思わせる。ここに焦点を当てる語りが、著者の技の一つかもしれな -
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副題は「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」。
全盛期を過ぎた歌手が再起を目指して愛する妻と別れようとする「老歌手」。
音楽の趣味でつながった大学時代の友人夫妻との、今となっては埋めようもない価値観の溝をコミカルに描く「降っても晴れても」。
メジャーデビューに目指し作曲にいそしむ主人公が旅回りの音楽家の夫妻とのわずかな交流の中に、人生のままならなさを感じる「モーバンヒルズ」。
「夜想曲」は、「老歌手」で出てきたリンディが再び登場する。
風采の上がらないサックス奏者が整形手術を受けさせられ、術後を過ごすホテルの隣室に彼女がいる。
二人とも顔を包帯でぐるぐる巻きにされている中で、退屈しのぎに深 -
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ネタバレ今回はロンドンと上海。
大戦中の上海の様子が、生々しい。日本の侵略が書かれていると同時に、イギリスが犯したアヘン貿易についても書かれている。
『わたしたちが孤児だったころWhen we were orphans 』のタイトルにある孤児とは、両親が行方不明になるまでの子供の頃までではなく、父の死と母に会うまでの時間も含まれているのではないだろうか。
危険な地域に両親を探しに行くときは、中尉やアキラに止められても、語り手の頭を占めていたのは、戦争ではなく両親だった。
カズオ•イシグロの作品には、何度も同じセリフがでてきたり、自分がされたことを結局は自分が他の人にすることになるという設定が多いように -
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カズオイシグロ作品を読んだのは、「わたしを離さないで」に次いで二作目。
ミステリーに分類されてもされなくても違和感無し。結末はえげつない。
表題が少々謎めいて聞こえる。「わたしたち」とは誰と誰のことなのか? 「だった」と過去形なのは、いつ孤児でなくなったということなのか?
素直に読めば、クリストファーとジェニファー?それぞれ実の親と育ての親を見つけたのだから孤児でなくなった、ってことか?
終盤クリストファーはアキラらしき日本兵と遭遇したが、本当にアキラだったのか? そんな偶然はあるわけないし、描写的にも別人かと思う。
クリストファーが、盲人の俳優宅っぽい家を見つけたと思い込もうとする辺りは -
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そろそろ桜が咲こうかという時季になんだけど、今年みた初夢の話。
燦々と陽光降り注ぐ部屋でクリスタルピアノを弾いているYOSHIKIが、メロディを奏でるのをやめ、グラサンを指先でスッとあげながら、こちらを見ると、じゃ、20分後に、これ舞台で歌って下さい、と言って出て行った。
オッケー!任しときな!と安請け合いしたのはいいものの、よく考えたら、俺、歌詞を知らないや、ということに気づいた。さすがにお客さんの前でカンペみながら歌うのも失礼だし、手のひらに書いて、それみながら歌うってのも、様にならないし、さて、どうしよう・・・
ってところで目が覚めた。
完全に大晦日にみた紅白の影響だ。