カズオ・イシグロのレビュー一覧
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ネタバレできること、できないこと
『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』で、「もののあはれ」を感じたと書かれていたので気になって。
プロローグから、スティーブンス執事への愛おしさがすごい込み上げてくる!冗談を言ってくるアメリカ人の主人にどう対応するか、悩む様が可愛らしい。終始、話が回りくどくて長いのもいい。
定義するって、言葉でその言葉を説明するのではなく、具体的な出来事等から、その言葉の意味を抽出したり感じたりすることなのかもな。「品格」についての定義を読んでいて思った。
旅の間中、ダーリントン卿を救えなかったことやミス・ケントンがいなくなってしまったことについての出来事を思い返す描写がたくさんあり、読んでいくごとに切なくなってくる。
「あのとき、ああすればよかったのだろうか」とずっと考え悩んできたけれど、旅の終わりに、「真に価値あるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分」であったことに気づく。よかったね。桟橋にいたおじいさん、気づかせてくれてありがとう。
人は、昔の成功も失敗も思い出さずにはいられないし、昔の自分と今の自分を比較せずにはいられない。
以前はこんな仕事簡単にできたのに、なんで今のわたしはこんな仕事もできないんだろう、と思ってしまうこと、しばしば。
でも、きっと自分も老いや環境の変化に連れて変わっていくんだし、比較すること自体間違っているのかもしれないな。 -
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ネタバレてっきりそれぞれの話が完全な独立しているものだと思っていましたが、ちょっとした繋がりもあって、一冊で連作短編集となっているのですね。
そしてその一篇一遍がレベルが高い!
『老歌手』
ヴェネチアという舞台設定がもうロマンチックなんですが、内容もウェット。愛し合っているけど、これからの自分達の先のために別れる、という芸能界ならではの価値観も、元共産圏の主人公だからこそ、色眼鏡がつかずに、スッと読むことができました。
『降っても晴れても』
カズオ・イシグロはコメディセンスがある、と解説で言っていましたが、本作は確かに然り。切れ味のある台詞の応酬もそうですが、散らかした部屋を偽装するために犬の真似をして四つん這いになりながら本を噛み嚙みしているところを家主にみられる、といういたたまれない展開。ホームコメディドラマみたいな情景が浮かび上がってくるような倒錯ぷりでしたが、ラストのダンスは、なんだかんだ情感たっぷりで、展開の乱高下に頭がやられそうになります。
『モールバンヒルズ』
男女間の危機を克明に描いた一作。
背景の山々の情景が対照的に瑞々しくてよい。
『夜想曲』
「これは一種の泥棒じゃないですかね」じゃねーんだよ!演劇の演出のようなドタバタ劇。ほんとにユーモアのセンスが高いです。
そして、『老歌手』にも出てきたリンディが出てきますが、リンディ側の価値観も描写しつつ、改めて我々に問うてきます。
「人生は、ほんとうに一人の人間を愛することより大きいのだろうか」
答えは明示されません。
自分たち自身で、見定めていく必要があるということでしょうか。
『チェリスト』
また、舞台はヴェネチアに戻り。「才能」と「男女」に関する話をずっとやってきた短編集の〆。
ある若手の追想録だが、部外者の主人公から語っているおかげで、客観的でよいです。
結末として、ヴェネチアにふらっと現れた今の彼が現在どうなっているかも明示されず、お気楽に「話をしてみたいな」という感じで留まっているので、読後感も悪くないです。
短篇になっても、カズオ・イシグロの底力がありありと感じられてよかったです。 -
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読んでるときのシチュエーションや、現実世界での出来事、感情、、なども良きスパイスとなって、忘れられない作品になりました。
カズオイシグロさん作品、まだまだ未読のものが多いけど、きっとどれも好きになるという確信めいた感覚がある。著者の持っている根本的なもの、世界の見方とか、人間への洞察とか、そういうものへの信頼の厚さというか。
「カパルディさんは探す場所を間違ったのだと思います。特別な何かはあります。ただ、それは…」という部分が特に好きでした。
この作品を読んでいる間に考えていたこと、それは、「優しさ=想像力」なのかな、ということ。相手の様子、感情、考え、などを理解しようお思いを馳せること、それ自体が優しさなのかな、とクララを見ていて思いました。
カズオイシグロさん、かけがえのない読書時間をありがとうございました。
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『日の名残り』を読んでまず感じたのは、これは英国の老執事が過去を振り返る物語ではなく、「自分の信念を貫いて生きた先に、本当に後悔は残らないのか」を問い続ける作品だった。
主人公のスティーブンスは、名門ダーリントン邸に長年仕えた執事である。ある日、かつての同僚ミス・ケントンを訪ねる旅に出た彼は、その道中で自らの半生を静かに振り返っていく。主人への忠誠を何よりも重んじ、一流の執事として職務を全うすることだけを人生の誇りとして生きてきたスティーブンス。しかし、その回想をたどるほどに、彼が仕事と引き換えに失ってきたものが少しずつ浮かび上がってくる。物語は大きな事件や劇的な展開で読ませるのではなく、一人の男の記憶を丁寧に積み重ねながら、その人生の輪郭を静かに描いていく。
この作品が描いているのは、執事という職業ではない。人は「正しい」と信じた生き方を貫いたとしても、それだけで幸せになれるとは限らないという現実である。スティーブンスは感情を抑え、私情を挟まず、主人に忠実であり続けることこそが自分の使命だと信じている。その姿勢は誠実であり、職業人としては見事ですらある。しかし、その誠実さゆえに、大切な人へ伝えるべき言葉や、自分自身の本当の気持ちまで胸の奥へ押し込めてしまう。読者は彼の語りを通して、その人生の豊かさよりも、静かな喪失の大きさを感じ取ることになる。
印象的だったのは、スティーブンスが最後まで自分の後悔をはっきりと言葉にしないことだった。過去を振り返っても、自分の選択を大きく否定することはない。しかし、その淡々とした語りの隙間から、言葉にできなかった思いや、選ばなかった人生への未練が静かに滲み出てくる。その抑制された表現が、この作品をより切なく、より深いものにしていた。読んでいて何度も考えたのは、人生を後悔するのは間違った選択をしたからではなく、自分の本当の気持ちに最後まで向き合わなかったときなのではないかということだった。
そして終盤、物語は劇的な結末を迎えるわけではない。それでも、一日の終わりに差し込む夕暮れの光のように、静かな希望が残される。過去は取り戻せない。しかし、残された時間をどう生きるかは、まだ自分で選ぶことができる。その穏やかな結末があるからこそ、読後には悲しみだけではなく、不思議な温かさも心に残った。
『日の名残り』は、一人の執事の回想録ではない。社会や役割に誠実であろうとするあまり、自分自身の人生を後回しにしてしまう人間の姿を描いた作品である。読み終えたあとに残るのは、失われた時間への切なさだけではない。今、自分が大切だと信じているものは、本当に心から望んで選んだものなのかという、静かで深い問いだった。 -
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ネタバレメリーバッドエンドともいえる結末。
クララ本人は、幸せいっぱい。でも、結局廃棄されてしまっているし、献身的に尽くしたジョジー、そしてリックの道は分かれます。
でも、すべては、本当に無駄だったのか、意味が無かったのか?というのはNOだと個人的には思います。
クララ本人が、よかったと思えたのなら……。
そもそも、意味、こころ、愛、信仰とは何か?人間だけが持ち得ると思われているものが極めて曖昧であることに気付かされる一作だと思いました。
本作の独自要素として、『向上処置』というものがあります。こちらは、知性の向上が望める処置で、受けさせているのが現代だと多数のよう(少なくとも一定の階級家庭では)。だが、命に関わるリスクもあるようで、それによってジョジーの姉は命を落とし、ジョジー本人も命の危機に瀕していることが伺えます。
そもそも、機械ぽいですよね。アップグレード、というか。
そして、この『向上処置』がある世界が、AIと人間の境目をさらに曖昧にします。
ジョジーの父は、『向上処置』をしていないせいで、『置き換え』られてしまったと描かれています。失職と同じ意味ですが、度肝を抜かれる表現ですよね。
この『置き換え』というのも、重要な表現だと思っています。
何故なら作中、人間自身が置き換え可能なものとして何度も描かれるからです。
お手伝いのメラニアさんも最後には居なくなっています。
作中のターニングポイントとなる、『肖像』もそうです。
リックの最終章の科白でさえも。
「ぼく自身は、きっといつもジョジーみたいな誰かを探し続けると思う。」
全然趣の違う作品に『ハイパーインフレーション』という漫画作品がありますが、作中のフラペコというキャラクターがこんな事を言っています。
「役割は替えが聞きます。大事なものは替えがききます。それが、大事な自身の娘だろうと、大事な姉だろうと、祀り上げられた救世主だろうと」。『ハイパーインフレーション』では、自分の命くらいしか大事なものはない(本当に言いたいことも、さらに別のところではありますが、ここでは割愛)という趣旨を言っているのですが、
この「替えがきく」ということを何度も描く本作は、機械と人間の境目を問う意図が感じられます。
作中、ずっとクララの目線で話が進むこともありますが、人間達とは違って、クララの行動に、『こころ』の存在をどうしても感じます。
反面、『トイ・ストーリー』のおもちゃたちとは違い、自身に与えられた役割を全うし、順守する一方、あっさりと廃棄される運命も当然のこととして受け入れます。
AFに書きこまれた命令を、自分たちが「こころ」があると勘違いしているに過ぎないのでしょうか。
だけど、「こころ」ほど曖昧な概念もありません。そもそも、AFやロボットに書き加えられた命令の複雑さはつゆ知らず、私達人間も、本能に従って、行動するのですから。
母親に抱きしめられて混乱するところ。
店長さんに窘められても、ジョジーとの約束を覚え、大事にするさま。
交流会で、ほかの子供に行動を命じられても、応じなかったこと。
そして、ジョジーへの献身。お日さまへの信仰。
誰かのために身を捧げ、誰かのために祈る。
例え、書き込まれた命令だったとしても、この無垢さは、なんというのでしょう。『向上処置』を受けた人間達より、よほど「こころ」があるように思います。
やはりその境目を曖昧にする『向上処置』。
この『向上処置』を受けた人間は、やっぱりどこか超常的というか……サイコパス的というか……進歩のために、他者を顧みない性質があるようにも思います。
献身的なクララとは、あからさまに違います。
先へ先へと進んでいき、終わったものは振り返らない。
クララは結果として、命運通り、廃棄されました。
最後、店長さんと会えて嬉しがっていたし、店長さんも喜んでくれてましたけど、恐らくジョジーに似た独特の足の引き摺り方……『向上処置』を受けたのだと思われる店長さんは、別れた後のクララを振り返りません。
先へ先へと進んでいき、終わった者たちは振り返りません。
でも、それは本当に正しいのか?
と作者は語っているように思います。
テーマの根底は、能力主義や格差社会のアンチテーゼも感じさせます。
ノーベル賞受賞後第一作ということですが、さすがというしかない、一作でした。 -
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ネタバレchatGPTと話してると、よくオススメされるのと、SF好きなので一度は読んでみたかった本作。
展開が遅いのと、徐々に徐々に設定が明らかにされていく構成で、あと一歩で積読になりそうだったんですが、奥歯にものが挟まったかのような書き方が逆に、これどうやって風呂敷畳むの?作者はこの作品で何を描きたいの?という疑問を増幅させ、無理やり60%くらい読み進めたところ、やっと没入できてそこからラストまでは速かったです。
で、読後感が異常なほど切ないのと、結局作者が何を描きたかったのかはバシッとわかりませんでした。
ただ、ヘールシャム〜介護人になるまでが、リアル人生でいうところの学生〜社会人 介護人〜提供者になるまでが社会人〜老後の特に終盤あたり になんとなく思えて(期間が全く違いますが)考えさせられました。
私たちも終わりが決まってるという意味では同じ。また、主人公が1人、また1人とかつての学友を見送る姿と老後の(想像ですが)自分が重なって見えてきます。
30代半ばを過ぎた今では人生の重要な分岐点が一通り終わり、キャシーが介護人として提供者を見送りながら自分の終わりにも近づいていく時間の流れと、どこか重なるものを感じました。
再読すると、もっと理解を深められそうですが、思ったよりヘビーな作品だったので当面の間はできなさそうです。
(追記)
余韻がすごくてずっと考え続けた結果、これはクローン人間という設定を使った、人生のメタファーでは?という結論に至りました。人生という大きなテーマに触れたことで、今抱えている問題への執着が少し薄れました。
でも、話自体のスケールが大きいわけじゃなくて、なんなら主人公の半径数メートル以内の話で終わる、なのに頭の中にずーっと残ってジワジワと考えさせる感じ、さすがノーベル賞受賞作家・・
「日の名残り」も気になりますが、連チャンは重そうなので何冊か挟んでからにする予定です。 -
Posted by ブクログ
めちゃくちゃおもろかったんやけどなにこれ
ADHDの頭の中みたい!
自分の思考回路全部言い当てられている。急に怒りが湧いてきたり急に自信が湧いてきたり、次々に訪れる事柄にただ翻弄され、自分の行動や感情でさえも自分自身で選択したものではないような感覚。全くもって乗りこなせていないけれど、自分を正当化することでまた仮初の希望みたいなものを抱いて歩き始める。悪夢の中にいるみたいだ。
それでいて、登場人物たちが主人公の幼年期から老年期のメタファーとして存在することで、ただ微視的に悪夢のようなものを示すだけでなく、人生そのものを俯瞰的に示すような構造になっているのがとても魅力的だ。俯瞰で人生を見せられることでより、巻き込まれるようにただ進んでいく悪夢の不条理さが際立っている。
長かったけどもう一回読みたいな! -
Posted by ブクログ
キャシーの回想から始まるこの小説。序盤から強く引き込まれる。介護人、提供者、どれも聞き慣れない言葉。
彼女達が幼い頃を過ごした学園。幼き頃の思い出はとても鮮やかなもの。些細なことで友人と喧嘩したり、仲良しグループで固まったり、実は気があることを悟られぬようようこっそり異性の友達と落ち合ったり、どこにでもある、私たちにでもあるような子供時代。だけどとこか私たちとは違う。
少しずつ浮き彫りになっていく学園と自分たちの未来の真実。
学園で過ごした側の立場と、運営側の立場の違い、それ故の残酷さが、なんとも言えなかった。人間らしく扱うことに意味があると思っている側と、だうせ提供されるのなら教育も道徳も無意味だったと思う側。でもその教育らがなければ家畜のように扱われることと同等になってしまう。
キャシーとトミーは再会するのだが、結ばれるのがもっと早ければ、というシーンはすごく切ない。2人にはとにかく時間がない。
ラストの先生方との再会。家族をおらず、仲間だけを頼りに生きてきたキャシー達。自分たちが生きてきた学園の意味。全てが切ない。
読みながら、思わず、何度も自分の娘を抱きしめてしまった。
そういう気持ちにさせられる作品。名作だと思う。 -
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クララは子供の成長を手助けするAF(人工親友)として開発された人工知能搭載ロボット。
人間の言葉を理解できて、見た目で人間の年齢も推定し、人間の感情を理解しようと努める。
ショーウインドーから街ゆく人々や来店するお客を観察し、外の世界を学び続け、自分を買ってくれる人が現れるのを待っている。
ある日クララはジョジーという病弱な少女と出会い、この少女の家に買い取られてゆくのですが、それはとても感動的なシーンでした。
今やAIアプリなどの普及で「人工の友人」との関わりが身近になってきている時代。
新型のAFがどんどん開発され、お店で売られる日が本当に来るかもしれない…。
クララは献身的で感受性豊かで、ジョジーとの間には確実に友情が深まってゆきます。
大きな秘密を抱えた家族と暮らしながらも、クララは礼儀をわきまえていて、優しい心ももっています。
人間の世界を冷静に見つめている、とても優れた能力を持つクララ。
最後に、AFにも記憶(人間でいうところの思い出)というものがあるのではないかと思わせる場面では泣きそうになりました。
「クララとお日さま」というタイトルにはとても深い意味が込められているのだと思います。読んでよかったです。 -
Posted by ブクログ
ノーベル文学賞受賞後の第一作目の作品。
人工親友AFと呼ばれる太陽光エネルギーの人型ロボット、クララが販売店に陳列され、ジョジーという女の子に買い取られます。
物語はAFのクララ目線で回想されるところから始まります。
クララの語り口は優しく、常に敬語で、人間を敬っているのが読み取れます。そう開発されたのでしょう。それがいじらしく、切なく、親しみを抱きます。
ジョジーに愛され、ジョジーの困難を全力で救い、自分の身を犠牲にしていくクララ。きめ細かい気遣いを見せるクララ。ロボットでありながら感情も情緒もあるクララ。だからこそその姿勢は痛ましく、涙を誘います。
二人の関係は、あたかもドラえもんとのび太くん。でも大きく違うのは、その関係性の中に、人間の傲慢さが含まれていることです。
シェル・シルヴァスタインの絵本「おおきな木」のような慈しみのある結末です。
私もクララに会いたいです‥。
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スティーブンスは後悔したのだろうか?
彼が長年仕えたダーリントン卿は、歴史的には誤った判断をした人物として描かれる。利用されていたとも言える。
ミス・ケントンと再開し、昔の恋を打ち明けられた後、スティーブンスは「その瞬間、私の心は張り裂けんばかりに痛んでおりました。」と語る。
スティーブンスは後悔したのか? 何かを失ったのか? という問いだけで読むと、少しずれる気がする。
彼は、何かを犠牲にして職務に逃げたのではない。彼にとっては、職務をまっとうすることこそが、自分の人生をまっとうすることだった。主人が政治的失敗をおかしたとしても、ミス・ケントンとの愛を取り逃がしたのだとしても、だからといってスティーブンスの職務まで無価値になるわけではない。
もちろん、悲嘆がなかったわけではないだろう。しかし彼は、失った様々なものを「職務を全うした記憶」として抱えることで、それに耐えたのではないか。悲しみをそのまま抱えるのではなく、形式や職務や品格に包むことで、自分を保った。これは抑圧でもあるが、同時に救済でもある。
「人生が思いどおりにいかなかったからと言って、後ろばかり向き、自分を責めてみても、それは詮無いことです。私どものような卑小な人間にとりまして、最終的には運命をご主人様のーーこの世界の中心におられる偉大な紳士淑女のーー手に委ねる以外、あまり選択の余地があるとは思われません。それが冷厳なる現実というものではありますまいか。あのときああすれば人生の方向が変わっていたかもしれないーーそう思うことはありましょう。しかし、それをいつまで思い悩んでいても意味のないことです。私どものような人間は、何か真に価値あるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分であるような気がいたします。そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚悟を実践したとすれば、結果はどうであれ、そのこと自体がみずからに誇りと満足を覚えてよい十分な理由となりましょう。」(本文引用)
スティーブンスだけではなくて私たちは誰しもそうだと感じた。私たちはほとんど全員、世界を変えたりはできない。主人に委ねると言い切るほどはっきり誰かに仕えているわけではなくとも、世界や、国や地域や職場といった枠組みに委ねられている部分がある。その中で自分の信じた価値を疑わずに直向きに尽くし続けたのなら、それはとても幸せなことだと、個人的には思う。
スティーブンスは、愛の役割を果たそうとして失敗したのではなく、一貫して職務の役割を果たそうとして、そうした。そして、その職務に人生を賭けた。ミス・ケントンとの関係を「失われた愛」として読むことはできるが、それは読者が外側から見ているからであって、スティーブンスの内部では、職務こそが人生の中心であり、品格であり、価値だった。
執事職自体が失われていく時代に、それに人生を賭けて何が残ったのか、という問いは外側の言葉だ。ある職能が時代の中心から外れていくことと、その職能に本気で到達した人間の価値は別の話である。スティーブンスは、執事として何者かになった。彼は「何かになれなかった人」ではなく、自分が価値を置いたものに近づき、かなり高い水準でそれを達成した人だと思う。
だから『日の名残』は、失敗した人生の物語ではない。スティーブンスが「本当は別の人生を選ぶべきだった」と悟る物語でもない。彼は、自分が選び、磨き、達成したものを最後まで持っている。ただ、その達成が万能ではなかったこと、職務と品格だけでは包みきれない何かがあったことを、夕暮れの光の中で見てしまう物語なのだと思う。
スティーブンスは、職務によって失い、職務によって救われた。職務は彼を孤独にしたが、同時に彼を保った。職務は彼を狭くしたが、その狭さが彼を守った。
終盤で見えるのは、喪失や犠牲というより、達成したものの影なのだと思う。
スティーブンスは、執事としての品格に価値を置き、それを目指し、それに自分を合わせ、実際に高いところまで到達した。その達成は確かにあった。しかし、その達成には影があった。ミス・ケントンとの再会によって、その影が日の名残の時間にようやく見える。
最後に彼がジョークを学ぼうとすることも、職務からの逸脱ではない。彼は職務を捨てるのではない。新しい主人によりよく仕えるため、より良い執事であるために、冗談という技術を身につけようとしている。
それは、人生をやり直すことではない。過去を否定することでもない。職務を捨てることでもない。彼は最後までスティーブンスであり続ける。ただ、陰る日を別の光で補うようにして、これからも職務を全うしていくのだろう。
『日の名残』とは、そういう時間なのだと思う。日中は終わりに近づいている。けれど、まだ完全な夜ではない。人生の中心にあったものは変わらない。ただ、その同じものが、夕暮れの光の中で少し違って見える。
スティーブンスの人生は、喪失や犠牲の物語ではない。
それは、達成された人生の残照に、遅れて影が差す物語なのだと思う。 -
Posted by ブクログ
とても素晴らしい作品だった!
同じくカズオイシグロの「わたしを離さないで」と通じるところがあって、生きるとは何か、その人らしさとは何か、それを問い続けることがカズオイシグロのテーマの1つなのだろう。
この作品でも、思いもかけないアプローチで生きることへの問いかけを試みている。
最後に再びクララの前に現れる店長の姿は何を物語っていたのだろう。あれはもしかしたら「わたしを離さないで」とリンクしているのかもしれない。
そして読後はもう、なんとも言えない気持ちに襲われてしまった。
AIであるクララの言葉が清らかで淡々としていて、そのことがより一層読み手の感情を揺さぶるのだろう。