あらすじ
短い旅に出た老執事が、美しい田園風景のなか古き佳き時代を回想する。長年仕えた卿への敬慕、執事の鑑だった亡父、女中頭への淡い想い、二つの大戦の間に邸内で催された重要な外交会議の数々……。遠い思い出は輝きながら胸のなかで生き続ける。失われゆく伝統的英国を描く英国最高の文学賞、ブッカー賞受賞作。
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旅は、人生を思い返すきっかけになったりします。
この物語は、執事であるスティーブンスが、旅の最中に自身の人生を思い返す物語です。
どこまでも完璧な執事であり、どこまでも完璧な執事であろうとするスティーブンス。そんな彼の働き方や生き方を、自分の働き方や生き方と比べて読み進めると面白いと思います。
登場人物が多く、すべての登場人物の名前がカタカナのため、最初は混乱しやすいですが、主要な登場人物は複数回出てきてだんだん人柄をつかめるようになってくるので、とにかく読み進めることをお勧めします。
また、スティーブンスの語りで進んでいくため、文章が丁寧で読みにくく感じるかもしれません。こちらについても、とにかく読み進めてみていくと、次第に慣れて心地よくなっていくと思います。
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Posted by ブクログ
できること、できないこと
『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』で、「もののあはれ」を感じたと書かれていたので気になって。
プロローグから、スティーブンス執事への愛おしさがすごい込み上げてくる!冗談を言ってくるアメリカ人の主人にどう対応するか、悩む様が可愛らしい。終始、話が回りくどくて長いのもいい。
定義するって、言葉でその言葉を説明するのではなく、具体的な出来事等から、その言葉の意味を抽出したり感じたりすることなのかもな。「品格」についての定義を読んでいて思った。
旅の間中、ダーリントン卿を救えなかったことやミス・ケントンがいなくなってしまったことについての出来事を思い返す描写がたくさんあり、読んでいくごとに切なくなってくる。
「あのとき、ああすればよかったのだろうか」とずっと考え悩んできたけれど、旅の終わりに、「真に価値あるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分」であったことに気づく。よかったね。桟橋にいたおじいさん、気づかせてくれてありがとう。
人は、昔の成功も失敗も思い出さずにはいられないし、昔の自分と今の自分を比較せずにはいられない。
以前はこんな仕事簡単にできたのに、なんで今のわたしはこんな仕事もできないんだろう、と思ってしまうこと、しばしば。
でも、きっと自分も老いや環境の変化に連れて変わっていくんだし、比較すること自体間違っているのかもしれないな。
Posted by ブクログ
『日の名残り』を読んでまず感じたのは、これは英国の老執事が過去を振り返る物語ではなく、「自分の信念を貫いて生きた先に、本当に後悔は残らないのか」を問い続ける作品だった。
主人公のスティーブンスは、名門ダーリントン邸に長年仕えた執事である。ある日、かつての同僚ミス・ケントンを訪ねる旅に出た彼は、その道中で自らの半生を静かに振り返っていく。主人への忠誠を何よりも重んじ、一流の執事として職務を全うすることだけを人生の誇りとして生きてきたスティーブンス。しかし、その回想をたどるほどに、彼が仕事と引き換えに失ってきたものが少しずつ浮かび上がってくる。物語は大きな事件や劇的な展開で読ませるのではなく、一人の男の記憶を丁寧に積み重ねながら、その人生の輪郭を静かに描いていく。
この作品が描いているのは、執事という職業ではない。人は「正しい」と信じた生き方を貫いたとしても、それだけで幸せになれるとは限らないという現実である。スティーブンスは感情を抑え、私情を挟まず、主人に忠実であり続けることこそが自分の使命だと信じている。その姿勢は誠実であり、職業人としては見事ですらある。しかし、その誠実さゆえに、大切な人へ伝えるべき言葉や、自分自身の本当の気持ちまで胸の奥へ押し込めてしまう。読者は彼の語りを通して、その人生の豊かさよりも、静かな喪失の大きさを感じ取ることになる。
印象的だったのは、スティーブンスが最後まで自分の後悔をはっきりと言葉にしないことだった。過去を振り返っても、自分の選択を大きく否定することはない。しかし、その淡々とした語りの隙間から、言葉にできなかった思いや、選ばなかった人生への未練が静かに滲み出てくる。その抑制された表現が、この作品をより切なく、より深いものにしていた。読んでいて何度も考えたのは、人生を後悔するのは間違った選択をしたからではなく、自分の本当の気持ちに最後まで向き合わなかったときなのではないかということだった。
そして終盤、物語は劇的な結末を迎えるわけではない。それでも、一日の終わりに差し込む夕暮れの光のように、静かな希望が残される。過去は取り戻せない。しかし、残された時間をどう生きるかは、まだ自分で選ぶことができる。その穏やかな結末があるからこそ、読後には悲しみだけではなく、不思議な温かさも心に残った。
『日の名残り』は、一人の執事の回想録ではない。社会や役割に誠実であろうとするあまり、自分自身の人生を後回しにしてしまう人間の姿を描いた作品である。読み終えたあとに残るのは、失われた時間への切なさだけではない。今、自分が大切だと信じているものは、本当に心から望んで選んだものなのかという、静かで深い問いだった。
Posted by ブクログ
再読。前に読んだ時は語り手のことに気付かず読み流していた。改めて物語の構成を理解して読んだが、クライマックスの場面は感極まるものだった。フレーズ的な良さよりはストーリー的な良さ。
Posted by ブクログ
スティーブンスは後悔したのだろうか?
彼が長年仕えたダーリントン卿は、歴史的には誤った判断をした人物として描かれる。利用されていたとも言える。
ミス・ケントンと再開し、昔の恋を打ち明けられた後、スティーブンスは「その瞬間、私の心は張り裂けんばかりに痛んでおりました。」と語る。
スティーブンスは後悔したのか? 何かを失ったのか? という問いだけで読むと、少しずれる気がする。
彼は、何かを犠牲にして職務に逃げたのではない。彼にとっては、職務をまっとうすることこそが、自分の人生をまっとうすることだった。主人が政治的失敗をおかしたとしても、ミス・ケントンとの愛を取り逃がしたのだとしても、だからといってスティーブンスの職務まで無価値になるわけではない。
もちろん、悲嘆がなかったわけではないだろう。しかし彼は、失った様々なものを「職務を全うした記憶」として抱えることで、それに耐えたのではないか。悲しみをそのまま抱えるのではなく、形式や職務や品格に包むことで、自分を保った。これは抑圧でもあるが、同時に救済でもある。
「人生が思いどおりにいかなかったからと言って、後ろばかり向き、自分を責めてみても、それは詮無いことです。私どものような卑小な人間にとりまして、最終的には運命をご主人様のーーこの世界の中心におられる偉大な紳士淑女のーー手に委ねる以外、あまり選択の余地があるとは思われません。それが冷厳なる現実というものではありますまいか。あのときああすれば人生の方向が変わっていたかもしれないーーそう思うことはありましょう。しかし、それをいつまで思い悩んでいても意味のないことです。私どものような人間は、何か真に価値あるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分であるような気がいたします。そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚悟を実践したとすれば、結果はどうであれ、そのこと自体がみずからに誇りと満足を覚えてよい十分な理由となりましょう。」(本文引用)
スティーブンスだけではなくて私たちは誰しもそうだと感じた。私たちはほとんど全員、世界を変えたりはできない。主人に委ねると言い切るほどはっきり誰かに仕えているわけではなくとも、世界や、国や地域や職場といった枠組みに委ねられている部分がある。その中で自分の信じた価値を疑わずに直向きに尽くし続けたのなら、それはとても幸せなことだと、個人的には思う。
スティーブンスは、愛の役割を果たそうとして失敗したのではなく、一貫して職務の役割を果たそうとして、そうした。そして、その職務に人生を賭けた。ミス・ケントンとの関係を「失われた愛」として読むことはできるが、それは読者が外側から見ているからであって、スティーブンスの内部では、職務こそが人生の中心であり、品格であり、価値だった。
執事職自体が失われていく時代に、それに人生を賭けて何が残ったのか、という問いは外側の言葉だ。ある職能が時代の中心から外れていくことと、その職能に本気で到達した人間の価値は別の話である。スティーブンスは、執事として何者かになった。彼は「何かになれなかった人」ではなく、自分が価値を置いたものに近づき、かなり高い水準でそれを達成した人だと思う。
だから『日の名残』は、失敗した人生の物語ではない。スティーブンスが「本当は別の人生を選ぶべきだった」と悟る物語でもない。彼は、自分が選び、磨き、達成したものを最後まで持っている。ただ、その達成が万能ではなかったこと、職務と品格だけでは包みきれない何かがあったことを、夕暮れの光の中で見てしまう物語なのだと思う。
スティーブンスは、職務によって失い、職務によって救われた。職務は彼を孤独にしたが、同時に彼を保った。職務は彼を狭くしたが、その狭さが彼を守った。
終盤で見えるのは、喪失や犠牲というより、達成したものの影なのだと思う。
スティーブンスは、執事としての品格に価値を置き、それを目指し、それに自分を合わせ、実際に高いところまで到達した。その達成は確かにあった。しかし、その達成には影があった。ミス・ケントンとの再会によって、その影が日の名残の時間にようやく見える。
最後に彼がジョークを学ぼうとすることも、職務からの逸脱ではない。彼は職務を捨てるのではない。新しい主人によりよく仕えるため、より良い執事であるために、冗談という技術を身につけようとしている。
それは、人生をやり直すことではない。過去を否定することでもない。職務を捨てることでもない。彼は最後までスティーブンスであり続ける。ただ、陰る日を別の光で補うようにして、これからも職務を全うしていくのだろう。
『日の名残』とは、そういう時間なのだと思う。日中は終わりに近づいている。けれど、まだ完全な夜ではない。人生の中心にあったものは変わらない。ただ、その同じものが、夕暮れの光の中で少し違って見える。
スティーブンスの人生は、喪失や犠牲の物語ではない。
それは、達成された人生の残照に、遅れて影が差す物語なのだと思う。
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いいお話でした。
スティーブンスの執事に徹した生き方は、それはそれで素晴らしいものだと思いました。
「人生楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。」
優しい言葉。
Posted by ブクログ
イギリス文学最高峰のブッカー賞を受賞したという本、ようやく読む機会ができました。忖度なしで面白かった。私は「クララとおひさま」ではじめてイシグロ氏の本に出会い、これが2冊目ではありますが、共通して感じるのは「静謐さの中にある感動」。本書で扱われている時代は2つの世界大戦をはさむ激動の時期なのですが、あえて舞台は牧歌的風景の広がる英国貴族の屋敷(その意味でドラマ「ダウントン・アビー」を彷彿させる)。しかも主人公はその貴族ではなく執事です。このアプローチは「クララとおひさま」にも共通していると思います。クララとおひさまでは、貴族にあたるのがジョジ―という少女で、執事にあたるのがAI搭載ロボットのクララですが、クララというAI搭載ロボット目線で語られています。
本書を読むことで、読者は英国の執事という職業を外面的および内面的に疑似体験できます。執事にもプライベート領域があるはずなのに、この執事は仕事(公)一辺倒で生きてきたこと(これはまるでかつての日本のサラリーマンのようです)、それに誇りを持ちながら後悔を感じるなど複雑な心境を追体験できます。「日の名残り」とは英国貴族の最後の時代をあらわす象徴ですが、それは貴族だけでなくそれを支えてきた執事やメイドなどそのほかの人にとっても同様なのです。また自分の仕事のキャリアが終わりを迎えつつあるという感覚(これも「日の名残り」でしょう)は、この主人公に限らず誰にでも訪れる感覚です。本書の最後のシーンは、自分が定年を迎えるときに多かれ少なかれ起こるかもしれないと自分自身に重ね合わせています。数十年たっても記憶に残っていそうな作品です。
Posted by ブクログ
過剰なまでの遠慮ともてなしとこだわりには日本と通じるものを感じる。ただ翻訳文だからか、「執事なのにその言い方は無礼では!?」みたいな箇所もときどきある。日本とイギリスの文化の対称性の分析とかで深めるのも面白そう。
この本を読んで、品格は何に宿るのかを考えた。主人公が毎日こだわり抜いて磨いた銀器が要人の機嫌をよくするのに一役買ったことを、自分の仕事が世界情勢の好転に少しでも寄与したと誇っているシーンがあって、毎日積み重ねたこだわりや努力が実を結んだときにこう思えることこそが報いであって、そのために自分が是とすることを粛々と継続することは、どのような立場にあっても高貴なのだと思った。モットーと言い換えてもいいかもしれない。だから無駄と思われても毎日自分のルーティンを回して、毎日100%で仕上げる。これメイクとかファッションとか料理とか創作とか全部そうで、毎日一番美しい状態を目指すことで洗練されていくんだろう。
Posted by ブクログ
初めて手にした時には、展開の乏しさに、あえなく挫折。今回、リトライして、完読。引き込まれるには、かなり読み進める必要がある。
時は1956年、舞台はイングランド。執事スティーブンスの6日間の小旅行、そこに15~35年前の出来事の回想がはさまる。
スタイルがやや型にはまりすぎている気もする(執事らしさの演出なのかもしれない)。途中、ドーリントン邸での秘密裏の国際的会合など、どこかモームを思わせるところもある。何度も出てくる執事の品格の議論では、お茶大のあの先生の顔が浮かんでしまった。
解説は丸谷才一。イギリス文学史とイギリスの時代的変化の文脈で本作品を論じている。恋愛小説として読んでしまったが、なるほど、マクロにはこう読むのか。でも、ラストの一文はこれ。「わたしは、男がこんなに哀れ深く泣くイギリス小説を、ほかに読んだことがない」。
Posted by ブクログ
めっちゃ面白かった。一気に読んでしまった。
三宅かほさんがYouTubeで言っていた、「カズオイシグロは時代に取り残された人の小説(ニュアンス)」の意味が分かった。
言ってしまえば何も起こらない小説。
翻訳が素晴らしかった。
Posted by ブクログ
先日読んだ『わたしを離さないで』から2冊目のカズオイシグロ。免疫(?)がついた状態だったので語り手をかなり疑いながら読んでいました笑
スティーブンスの自己イメージは完璧主義なプロフェッショナルなんだと思うけど、それとは裏腹に人間らしいところが垣間見れてなかなか愛おしいおじさんだった…ミス・ケントン惹かれていたらしい(スティーブンスの独白によるとだけど)のも理解できるかな。
ラストのシーンは閉鎖的だった空間がひらけてふっと風が通り抜けるような感覚があり、かわいそうとも尊いとも笑いともつかない、色々な感情がないまぜになり泣けてしまった。
イギリスとナチスドイツの関係やスエズ危機など、歴史に疎いので文脈がわかってないところがありそう。少しお勉強しないと…
他のイシグロ作品も引き続き読んでみたい。
面白くてすんなり読めました
サー・カズオイシグロの作品を読むのはこれが初めてでしたが、冒頭からすんなり読めて良かったです。
大好きなドラマ「ダウントンアビー」の世界を楽しめました。主人公のドライブ中の描写も以前旅行した時のイギリスの田園風景が目に浮かぶようでした。
どちらかというと主人公より元女中頭のミス・ケントンに感情移入して読後感はどことなく悲しかったですが、他の方のレビューを読むと主人公もミス・ケントンも過去を振り返った上で希望を持って未来に歩み出す物語なのかもと思います。なかなか深い物語です。
Posted by ブクログ
スティーブンスが途中で「もしかしてダーリントン卿のもとでかつて働いていた執事かい?」と聞かれ、「いいえ。一度も。フィラディという方にお仕えしております。」と答えるシーンがある。
これは決してダーリントン卿に仕えていたことを恥じて昔の関係を秘密にしているのではなく、イギリスでは執事と主人の関係は離婚歴のようなもので、前の主人のことを一切口にしないというのがマナーだということだった。しかし一方で、ダーリントン卿が主人だとはもう言うことが叶わないという哀しさが漂うシーンでもあり、個人的に好きなシーンだった。
人生の黄昏
一部ご紹介します。
・「わしはあんたの言うことが全部理解できているかどうかわからん。
だが、わしに言わせれば、あんたの態度は間違っとるよ。
いいかい、いつも後ろを振り向いていちゃいかんのだ。
後ろばかり向いているから、気が滅入るんだよ。
なんだって?昔ほどうまく仕事ができない?
みんな同じさ。いつか休む時が来るんだよ。
わしを見てごらん。隠退してから、楽しくて仕方がない。
そりゃ、あんたもわしも、必ずしももう若いとは言えんが、それでも前を向き続けなくちゃいかん」
「人生楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。
みんなにも尋ねてごらんよ。夕方が一日でいちばんいい時間だって言うよ」
Posted by ブクログ
内省的で抑制された文章、よく考えられたプロット。
イギリスを舞台とした日本の私小説のようでいて、
それでいて英国精神がに根底に流れる本。
日本の作家でいえば村上春樹氏と近いのかもしれないが
イシグロの方が剛直か。
Posted by ブクログ
映画が好きで、この度原作も読んでみようと。
最初はなかなか進まなかったけど、後半にかけてグンと惹き込まれた。
映画では掴み切れなかったダーリントン卿の立場、それに対するスティーブンスの思いなんかも分かって、切なくなった。
スティーブンスに対するイメージもかわったな。また映画もみなおしたい。
Posted by ブクログ
30年ぶりの再読。素晴らしい本でした。若い頃は、女中頭の好意にまともに応えられない執事の臆病さを歯がゆく思いながらも、品格を追求する姿勢に共感して自分もそんな風でありたいと思ったものでした。それから30年が経って品格とは程遠い自分を見ながらこの本を読むと、この執事の臆病さと愚かさは自分と変わらないと感じてしまいます。
旅に出て昔を回想しながら徐々に自分の過ちに気づき、最後に再会した女中頭との話のなかで自分の臆病さのせいで失ったものに気づいて涙する。しかし日の名残りの時こそが人生の最良の時だと思い至って、これからのことを前向きに考える。
自分の気持ちに正直に自分の人生を一生懸命に生きる女中頭のミス・ケントンと比べて執事のスティーブンスは頭でこねくり回すばかりで何が大事かがわからないのですが、それでも2人ともがとても素晴らしい人生を生きている、と感じました。
Posted by ブクログ
日本人作家による英国文学を読むのは初めてだ。著者がノーベル文学賞を受賞した際に話題となり、読もうと思いつつも長年積読状態だったが、ようやく読み終えた。
まず感じたのは、翻訳の秀逸さである。翻訳文学特有のぎこちなさは皆無で、まるで日本語で書かれた物語を読んでいるかのようだった。
本書は、執事スティーブンスが休暇中の旅を通して、自らの半生を一人称で振り返る物語である。序盤では、自らが立派な執事であったことを誇り高く語る。しかし回想が進むにつれ、その言葉の隙間から、動揺や疑念、そして決して表には出さなかった感情が静かに滲み出てくる。それは後悔なのか、それとも取り返しのつかない人生への失意なのか。読者に明確な答えは示されない。
私はこの物語を、「仕事や信念に人生を捧げた結果、その人生は本当に幸福だったのか」という問いを投げかける小説として読んだ。
今の私には、この問いに対する答えはまだない。人生経験を重ねたときに、もう一度読み返したくなる一冊なのかもしれない。
Posted by ブクログ
戦前のイギリスの執事が、数日間のドライブでの旅を舞台に、自分の人生を振り返る。執事という仕事にささげてきた自分、父親、そして元女中頭のミス・ケントンなど、旅の場面場面で多くの回想を交えながら、誇りとやるせなさの混じったような気持ちを吐露していくような内容に、古い時代の異国の物語ながら、郷愁を感じてしまう作品でもあった。著者の作品は初読で、他の有名作も読んでみたい。
Posted by ブクログ
イギリスの大きな屋敷で執事をしている主人公は、雇い主からの提案で小旅行をする。
旅行中、
以前の雇い主の元での様々な出来事を思い出し、
読み手に語る。
その語り口調がイギリス上流階級の、
伝統を重んじるかんじで、
主人公の真面目さを感じた。
真面目さでいうと、
ジョークをよく飛ばす今の雇い主への対応に
気を揉んでいる様子が面白かった。
ラジオや本を読んでどう冗談を言ったらいいか
勉強して雇い主のジョークに適切に答えることを
「新しい任務」として大真面目に頑張ったり、、
冗談を冗談で上手く返して、
雇い主を楽しませられないのは職務怠慢にあたるのではと考えたり、、
架空のことをいつまでも考え続けるわけには
いかない、人並みの幸せはある、もしかしたら
人並み以上の幸せかもしれないということを
早く気づいて感謝すべきでしたわ、
という言葉が印象的だった。
Posted by ブクログ
最初から最後までなにもなく静かに流れていく日常
でも世界は確実に動いていて、それをある執事の語り口から垣間見ていく不思議な体験でした。
自分はスティーブンスはプロ意識の高い優れた人だとおもったけれど、感想を語った相手のAIが反論してきて少し面白かったです。
わたしは歪んでいるのだろうか、、、
Posted by ブクログ
夕方の窓辺に座って読んでみたりした。エモ。
一番好きなシーンは何度か出てくるスティーブンスがアメリカのジョークを習得しようと試みるシーン。後書きで失われる英国の伝統と栄光を表した物語と紹介されていたが、それを読んでから、このシーンで、新生アメリカに時代の主導権を奪われて、それに迎合していくイギリスをスティーブンスが体現してるように思えた。カズオイシグロはこれで三冊目、とても気に入ったので全制覇を目指したい。
Posted by ブクログ
「品格の有無を決定するものは、みずからの職業的あり方を貫き、それに堪える能力だ」
「私はダーリントン卿にお仕えしたことで、この世界という車輪の中心に、夢想もしなかったほど近づくことができた」
「もしかしたら実現していたかもしれない別の人生を、よりよい人生を──たとえば、ミスター・スティーブンス、あなたといっしょの人生を──考えたりするのです」
品格という言葉が多く出てきて、仕事のスタンスや取り組み方が良くも悪くも硬派だなと。プロフェッショナルであることに疑いはないが、いまのライフを重んじる考え方とはまた違うかも。
別の人生があったら…と思ってしまうのは古今東西変わらないのだろうと。最後は夕焼けを楽しむということで前向きに終わってよかった。
Posted by ブクログ
アメリカ人の主人ファラディは、旅をすることに通じて、自国のことやスティーブンス本人に自身に目を向けさせようとしたのだろうか。短い旅が始まり、スティーブンスが過去を見つめ始める。彼は仕えていたダーリントン卿を救うことは叶わなかった。また彼自身の私生活も失敗であったと断定せざるを得なかった。旅の最後にそれに気づいた彼は、選択の余地があるとは思えない人生の中でも少し前を向いて進もうとしているのかもしれない。
Posted by ブクログ
英国式の愛国ポルノ。
老執事があの頃は良かったなぁをする。
回想されるエピソードが特に面白いわけでもない。
懐古大好きな老人が読むなら良いが若者が読んでもつまらんよ。
Posted by ブクログ
面白かった。主人公の仕事一筋という精神に感銘を受けた。やはり、そのような人間は、ある意味女性的な繊細な感情というのを排除することが得意なのかもしれない。主人公の父親が、黙々と階段の上り下りの練習をするシーンが感動した。心と体が一致しない老いの残酷さを悲壮感たっぷりに演出されていて、それでも死ぬまで仕事を全うするという、果てしない一流の召使いとしての意地のようなものも感じた。主人公の父親の生き様そのものを表していて涙が出た。「かつての主人は、自分の意思で選択をして間違われた、それに対して自分は選択すらしていない」というのは印象に残るフレーズだった。主人に対する深い尊敬と謙遜をここまで客観的に捉えられる姿に感銘を受けた。主人公は、主人が最大の過ちを犯し、ミスケントンとの別れが決定的となったあの夜を人生最高の一時と一寸の翳りもなく言い切っていた。ここまで美しく、残酷な生き方というのはあるのだろうか。
ファラディ様へのユーモアのあるコミュニケーションを身につけようとするラストは感動した。あんまり深刻になりすぎず、笑い飛ばせばいいのかもしれない。真面目で実直に生きてきた人間が、ユーモアにたどり着くというのは、すごく今の自分に刺さった。
Posted by ブクログ
父親の臨終に立ち会わず、道を過つ元主人ダーリントン卿を止めず、ハウスキーパー(家政婦長)だったミス・ケントンの想いに一切気付かず……。
常に「品格」を意識して「偉大な執事」たらんと長年努めてきたスティーヴンス。そうして得たのは冷淡、無関心、傲慢、空虚——傍から見ればおよそ人間的な温もりを感じられない立ち居振る舞いと半生だった。終盤にようやく少し認識できた彼のこれから先や如何に。
己の領分に留まり、そこで全うする。——程よければまっとうだが、過ぎれば世界に対して無自覚・無関心・無批判で空っぽになる恐ろしさ。世界情勢はおろか目の前のミス・ケントンの気持ちにすら暗すぎるスティーヴンスが、彼の上品な言葉遣いと相俟ってロボットのようであった。
スティーヴンスは、はっきりと言って嫌な奴だ。作者はなぜこの嫌な奴を、それも執事という役割を与えて描いたのだろう? 何かしらを諷刺しているのか?
作中のミス・ケントンの言動に些か当惑させられた。いきなりスティーヴンスに突慳貪な態度をとり、それが何週間も続くのは彼女の恋心ゆえ? やられた方はたまったものではないが。
土屋政雄の訳文のうち、ミス・ケントンの役職「housekeeper」を「女中頭」としている事だけが気に入らない。イギリス貴族に仕えた使用人の話なのに、この単語が出た途端に和装のおばちゃんのイメージが浮かんで集中しにくい。イギリスが舞台の小説に日本的要素の訳語は要らない。
Posted by ブクログ
真面目な執事の生涯を綴った物語。執事としてのプライドと、仕事第一が故に見過ごした男女の機微。
豊かな情景描写と細やかな心の動きの表現が淡々とした日常を鮮やかに思い浮かばせる。
Posted by ブクログ
イギリスの歴史本を借りたのでせっかくならイギリス文学を、と一緒に借りた本。
「この人、執事としての矜持にこだわり過ぎて生きにくそうだなぁ」と思いながら読み進めていたが、最後はとても哀愁を感じる終わり方だった。
当時のイギリスの貴族文化がどんなものだったのかわかっておらず、教養のなさが浮き彫りになるような感想しか浮かばなかった。
解説でこの作品の読み方を学んだ。
この作品から味わえることの半分も味わえてない気がしている。