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旅は、人生を思い返すきっかけになったりします。
この物語は、執事であるスティーブンスが、旅の最中に自身の人生を思い返す物語です。
どこまでも完璧な執事であり、どこまでも完璧な執事であろうとするスティーブンス。そんな彼の働き方や生き方を、自分の働き方や生き方と比べて読み進めると面白いと思います。
登場人物が多く、すべての登場人物の名前がカタカナのため、最初は混乱しやすいですが、主要な登場人物は複数回出てきてだんだん人柄をつかめるようになってくるので、とにかく読み進めることをお勧めします。
また、スティーブンスの語りで進んでいくため、文章が丁寧で読みにくく感じるかもしれません。こちらについても、とにかく読み進めてみていくと、次第に慣れて心地よくなっていくと思います。
Posted by ブクログ
偉大な執事とは何か。
品格とは何か。
自らの仕事に人生を捧げた男の、独白。
執事という仕事に人生を捧げたスティーブンスが、最後にミス・ケントンと出会い、そして彼女が心境を打ち明けた時に彼女の幸福を祝福した(してしまった)シーンで、僕は少し涙が出た。
偉大な執事として、ダーリントンホールに君臨したスティーブンスとしてなら、かつての同僚の幸福を祝福するのは至極当たり前である。しかし、その地位と引き換えに、スティーブンスという1人の人間としての本能はかき消されてしまったのかもしれない。それが良い、悪いではなく、それが生きるということなのだと思う。
カーディナル卿との会話で、スティーブンスは頑なに自らの意見を言おうとはしなかった。あくまでダーリントン卿の執事として、最も正しい選択を選び続けた。言わずもがな、偉大な執事である。しかし、その行動が正解だったのかという点においては、誰も断定できないのである。仮に、スティーブンスが自らの思いの丈をカーディナル卿に打ち明けて、結果ダーリントン卿の未来が変わったというifストーリーがあったとしたら、それはスティーブンスが「執事とは何か」を追い求めなくなった場合に限る。そうなった瞬間、そのスティーブンスは姿を変え、スティーブンスでありスティーブンスではない何かになる。スティーブンスだからこそ、ダーリントン卿に全幅の信頼を置き、あくまで執事としての立場を守り続けたのだ。
と、なると、ミス・ケントンとスティーブンスは交わらない運命だということになる。そこに圧倒的な現実の物悲しさを感じる。誰かが誰かを精一杯想ったとしても、その結末は最初から決まっていて、行動なんてものは後から付随する金魚のフンでしかないのだから。
しかし、物悲しさを感じさせつつも、そこに絶望を残さないのが、「日の名残り」の素晴らしいところだと思う。ミス・ケントンが涙を流しながら、夫を愛していると断言をした。あるタイミングでは誤った選択をしたとみえたミス・ケントンだったが、あくまでそれは運命というレールの途中地点での話であり、そのレールの行先には幸せな家庭が待っていた。
運命のレールを走る列車の乗客である僕たちには、レールの行き先なんて到底みえない。その先が断崖絶壁であるのか、光り輝く国への入場口なのかなんて誰にもわからない。スティーブンスは、自らの仕事に誇りを持ち、その仕事に自らの全てを生贄として捧げた。それによって、失ったものもいくつかあるのかもしれない。しかし、最後に彼は未来を輝くものだとして捉えた。ジョークを練習しようとする姿勢からそれはハッキリとわかる。それこそが、僕たちが生きるうえでの全てなのだろう。
Posted by ブクログ
『日の名残り』を読んでまず感じたのは、これは英国の老執事が過去を振り返る物語ではなく、「自分の信念を貫いて生きた先に、本当に後悔は残らないのか」を問い続ける作品だった。
主人公のスティーブンスは、名門ダーリントン邸に長年仕えた執事である。ある日、かつての同僚ミス・ケントンを訪ねる旅に出た彼は、その道中で自らの半生を静かに振り返っていく。主人への忠誠を何よりも重んじ、一流の執事として職務を全うすることだけを人生の誇りとして生きてきたスティーブンス。しかし、その回想をたどるほどに、彼が仕事と引き換えに失ってきたものが少しずつ浮かび上がってくる。物語は大きな事件や劇的な展開で読ませるのではなく、一人の男の記憶を丁寧に積み重ねながら、その人生の輪郭を静かに描いていく。
この作品が描いているのは、執事という職業ではない。人は「正しい」と信じた生き方を貫いたとしても、それだけで幸せになれるとは限らないという現実である。スティーブンスは感情を抑え、私情を挟まず、主人に忠実であり続けることこそが自分の使命だと信じている。その姿勢は誠実であり、職業人としては見事ですらある。しかし、その誠実さゆえに、大切な人へ伝えるべき言葉や、自分自身の本当の気持ちまで胸の奥へ押し込めてしまう。読者は彼の語りを通して、その人生の豊かさよりも、静かな喪失の大きさを感じ取ることになる。
印象的だったのは、スティーブンスが最後まで自分の後悔をはっきりと言葉にしないことだった。過去を振り返っても、自分の選択を大きく否定することはない。しかし、その淡々とした語りの隙間から、言葉にできなかった思いや、選ばなかった人生への未練が静かに滲み出てくる。その抑制された表現が、この作品をより切なく、より深いものにしていた。読んでいて何度も考えたのは、人生を後悔するのは間違った選択をしたからではなく、自分の本当の気持ちに最後まで向き合わなかったときなのではないかということだった。
そして終盤、物語は劇的な結末を迎えるわけではない。それでも、一日の終わりに差し込む夕暮れの光のように、静かな希望が残される。過去は取り戻せない。しかし、残された時間をどう生きるかは、まだ自分で選ぶことができる。その穏やかな結末があるからこそ、読後には悲しみだけではなく、不思議な温かさも心に残った。
『日の名残り』は、一人の執事の回想録ではない。社会や役割に誠実であろうとするあまり、自分自身の人生を後回しにしてしまう人間の姿を描いた作品である。読み終えたあとに残るのは、失われた時間への切なさだけではない。今、自分が大切だと信じているものは、本当に心から望んで選んだものなのかという、静かで深い問いだった。
Posted by ブクログ
スティーブンスは後悔したのだろうか?
彼が長年仕えたダーリントン卿は、歴史的には誤った判断をした人物として描かれる。利用されていたとも言える。
ミス・ケントンと再開し、昔の恋を打ち明けられた後、スティーブンスは「その瞬間、私の心は張り裂けんばかりに痛んでおりました。」と語る。
スティーブンスは後悔したのか? 何かを失ったのか? という問いだけで読むと、少しずれる気がする。
彼は、何かを犠牲にして職務に逃げたのではない。彼にとっては、職務をまっとうすることこそが、自分の人生をまっとうすることだった。主人が政治的失敗をおかしたとしても、ミス・ケントンとの愛を取り逃がしたのだとしても、だからといってスティーブンスの職務まで無価値になるわけではない。
もちろん、悲嘆がなかったわけではないだろう。しかし彼は、失った様々なものを「職務を全うした記憶」として抱えることで、それに耐えたのではないか。悲しみをそのまま抱えるのではなく、形式や職務や品格に包むことで、自分を保った。これは抑圧でもあるが、同時に救済でもある。
「人生が思いどおりにいかなかったからと言って、後ろばかり向き、自分を責めてみても、それは詮無いことです。私どものような卑小な人間にとりまして、最終的には運命をご主人様のーーこの世界の中心におられる偉大な紳士淑女のーー手に委ねる以外、あまり選択の余地があるとは思われません。それが冷厳なる現実というものではありますまいか。あのときああすれば人生の方向が変わっていたかもしれないーーそう思うことはありましょう。しかし、それをいつまで思い悩んでいても意味のないことです。私どものような人間は、何か真に価値あるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分であるような気がいたします。そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚悟を実践したとすれば、結果はどうであれ、そのこと自体がみずからに誇りと満足を覚えてよい十分な理由となりましょう。」(本文引用)
スティーブンスだけではなくて私たちは誰しもそうだと感じた。私たちはほとんど全員、世界を変えたりはできない。主人に委ねると言い切るほどはっきり誰かに仕えているわけではなくとも、世界や、国や地域や職場といった枠組みに委ねられている部分がある。その中で自分の信じた価値を疑わずに直向きに尽くし続けたのなら、それはとても幸せなことだと、個人的には思う。
スティーブンスは、愛の役割を果たそうとして失敗したのではなく、一貫して職務の役割を果たそうとして、そうした。そして、その職務に人生を賭けた。ミス・ケントンとの関係を「失われた愛」として読むことはできるが、それは読者が外側から見ているからであって、スティーブンスの内部では、職務こそが人生の中心であり、品格であり、価値だった。
執事職自体が失われていく時代に、それに人生を賭けて何が残ったのか、という問いは外側の言葉だ。ある職能が時代の中心から外れていくことと、その職能に本気で到達した人間の価値は別の話である。スティーブンスは、執事として何者かになった。彼は「何かになれなかった人」ではなく、自分が価値を置いたものに近づき、かなり高い水準でそれを達成した人だと思う。
だから『日の名残』は、失敗した人生の物語ではない。スティーブンスが「本当は別の人生を選ぶべきだった」と悟る物語でもない。彼は、自分が選び、磨き、達成したものを最後まで持っている。ただ、その達成が万能ではなかったこと、職務と品格だけでは包みきれない何かがあったことを、夕暮れの光の中で見てしまう物語なのだと思う。
スティーブンスは、職務によって失い、職務によって救われた。職務は彼を孤独にしたが、同時に彼を保った。職務は彼を狭くしたが、その狭さが彼を守った。
終盤で見えるのは、喪失や犠牲というより、達成したものの影なのだと思う。
スティーブンスは、執事としての品格に価値を置き、それを目指し、それに自分を合わせ、実際に高いところまで到達した。その達成は確かにあった。しかし、その達成には影があった。ミス・ケントンとの再会によって、その影が日の名残の時間にようやく見える。
最後に彼がジョークを学ぼうとすることも、職務からの逸脱ではない。彼は職務を捨てるのではない。新しい主人によりよく仕えるため、より良い執事であるために、冗談という技術を身につけようとしている。
それは、人生をやり直すことではない。過去を否定することでもない。職務を捨てることでもない。彼は最後までスティーブンスであり続ける。ただ、陰る日を別の光で補うようにして、これからも職務を全うしていくのだろう。
『日の名残』とは、そういう時間なのだと思う。日中は終わりに近づいている。けれど、まだ完全な夜ではない。人生の中心にあったものは変わらない。ただ、その同じものが、夕暮れの光の中で少し違って見える。
スティーブンスの人生は、喪失や犠牲の物語ではない。
それは、達成された人生の残照に、遅れて影が差す物語なのだと思う。
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