カズオ・イシグロのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ忘れられた巨人
はじめての「カズオ イシグロ」でした。
物語はアーサー王時代直後のイングランド。血で血を洗う争いが収まり、竜の吐息のせいで人々が諍いを忘れ平安に暮らしている。
アクセルとベアトリスの老夫婦はある日忘却の彼方にある息子の元へ旅立とうと決意する。
鬼を退治した戦士と鬼にさらわれて咬まれてしまったために村を追われた少年と旅を続けるうち、忘却の原因が竜の吐息のせいだと知り、その竜退治につきあうことになる。
竜退治のために派遣され長年それを果たせずにいるドンキホーテのような騎士も加わりますが、騎士の本当の目的は・・・
竜が退治され記憶が甦ることによって、甦る殺戮の記憶、そして復讐の念。
戦いとは?平和とは?
そのんなことを考えさせてくれる正統派の物語でした。
英語は疑似古語で書かれているということで、そういった文体に直接触れたい場合は英文で読まなければならないようです・・・
竹蔵 -
Posted by ブクログ
映画化されたものは役者さんの演技が非常に素晴らしく、それはそれで見ごたえあったのだけど、最後の種明かしがあまりに納得いかず、モヤモヤしすぎて原作買ってしまいました。
今はイギリスで暮らす悦子が回想する戦後間もない長崎での暮らしーー時代の変化に苛立ちを隠せない義父と冷淡な夫、恋人についてアメリカに移住さえすれば自分にも娘にも新しい道が開けると信じている、悦子とは対照的なように見える女性・佐知子。その回想の中には、子殺しの不穏なイメージが繰り返し立ち現れて、主人公がすすんで語ろうとはしないその後の離婚とイギリスへの移動、そして娘の自殺という犠牲がほのめかされる。すべてを語ろうとしない秘密をかかえた回想者は、イシグロの他の作品にも共通するものではあるけれど、やっぱりあの映画の解釈はちょっと無理があるというか、そこまでトリッキーな解釈をしなくても十分に深淵をのぞきこませることのできるような物語になっていると思うのですが、どうでしょうね。
イシグロ作品の中では自分はけっこう好きな方かもしれない。 -
Posted by ブクログ
表紙と、そして『音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』という副題から簡単に想像できる通り、この作品集には、人生の黄昏時の雰囲気漂う男女の別れを描いた短編が、五編収められている。
思えば夕暮れは、最もロマンチックな瞬間ではないだろうか。
一日で限られた特別な時間帯にだけ、目に映る独特の斜光。それは人によってはただの黄色い光線にしか映らないかもしれない。
だがよくよく考えてみると、その光線とそっくりそのままの夕陽が、将来再び僕らの下を訪れることは決してないのである。
そのような夕暮れ時に、同様にかけがえのない相手であったに違いない男女が、お互いに最後の別れを交わすのだ。
この作品集は、このような悲哀を求めている人に向いていると言えそうだ。
小説のイメージを示すのに、世俗的な表現として『喪失と再生の物語』というものがある。ここではただ『喪失』にのみ焦点が当てられていると言えるだろう。
しかしその雰囲気は決して暗くない。始終、どこかユーモラスというか喜劇的な空気が、そこかしこに漂っているのだ。
それゆえに読者は明るさと、何かしらの爽やかささえも持って、この短編集を閉じることもできるのではないだろうか。
才能はあるものの、あまりに感情的な男性を語り部に置き、時にヒロインや、その他の登場人物と感情をぶつけ合いながら、破局に進んでゆくという、退廃的ながらも情熱的な短編が多い。
短編集全体を包み込む喜劇的な雰囲気が、語り部たちのこの傾向にあることは、おそらく間違いないだろう。
彼らは他者の心理を読むことに長けているものの、「この人はこう思っているに違いない」と思い込んで、それで暴走してしまったりするのである。この傾向はとくに二編目、三編目、四編目の主人公に強い。
ここまでくると少し情緒不安定とも言えそうで、彼らの私生活がどこか案じられるのであるが、イシグロの世界の中では、彼らも彼らなりにうまく生きることができているようである。
僕の推測だが、彼ら語り手たちには、おそらく過去のイシグロの自己投影が多分に含まれているのだろう。
その意味でこの短編集は、イシグロ自身のサクセス・ストーリーを、僕らが垣間見るヒントになるかもしれない。
そして、このような特性が一読者である僕自身にも多少あるがゆえに、僕もこの本に安心して心を委ねることができた。
やはりイシグロは居心地のよい作家である。
これより以降、話の具体的なネタバレが少し入るので、今後読みたい方は気をつけてほしい。
個人的には五編目の『チェリスト』が好みだった。この作品だけ語り部と主人公が別人物である。
そして主人公ティボールは、心中に熱情を秘めている点では変わりないものの、それまでの主人公とは明らかに趣きを異にしている。
ティボールは、あたかもそれまでの激動的な主人公たちの領域を乗り超えて、ある種の悟りを開いたかのようだ。つまり非常に心穏やかなのである。
彼の内に秘められた熱情は、ただの感情の奔走としてではなく、柔らかく優しい形で表現されていく。
ロンドンの王立音楽院(日本でいえば東京藝術大学のようなところだろう)で英才教育を受け、アドリア海沿岸で粛々とチェロを弾く彼は、物語が進んで、一人のアメリカ人女性に魅力される。
このプロのチェリストを名乗る女性はきわめてミステリアスかつチャーミングだ。
彼女はティボールの演奏に数多くの有用な指摘をし、指導をしてくれるのだが、彼は次第に彼女を疑いはじめる。
だがそれと同時に、彼女の指摘や指導方針も的確であるため、彼は彼女とどう折り合いをつけるか困ってしまうのである。
そこに彼女の婚約者が現れ、、
いかがだろうか。この流れに何かワクワクするものがあったとしたら、あなたもきっとこの作品をうまく咀嚼できるだろう。
結論を言うと、僕は彼女がティボールを欺いていたとは思わない。
彼女が行動していなかったことは事実だとしても、その指導は少なくとも彼にとっては本物だったのだし、彼の眼には、彼女の才能も本物と映っていた。
その意味で彼女は、おそらく彼の中にこれからも棲み続けることだろう。
本物と偽物の相違とは、一体どこにあるのだろうか。
この考察の答えを出すのは難しいが、最後に一つの事例を示して、この感想文の括りとしよう。
昔に読んだ国語の教科書における、ある哲学者の言葉である。
「宵闇の樹木が人に見えたままだったとしたら、その樹木は、見た人にとっては、確かに人だったのである」
カズオ・イシグロの文章は一見すると平易だが、その内容は深く難解だ。
時にはその深遠な世界にどっぷりと浸ってみるのも、いい読書体験になるのではないだろうか。 -
Posted by ブクログ
遠い山なみの光の主人公の父親と同じカテゴリーに属する、戦前にステータスがあって尊敬されていた男性が、戦後にそれまでの若者たちからの尊敬を一気に失って怒りと戸惑いの後に自分の中の落とし所を見つけていく物語
どちらの男性も途中で子や孫に対して上っ面だけの論理でmanipulateしようとする場面が本当にムカついて、その父親をさらに上っ面だけの傾聴でmanipulateしようとする嫁や長女の姿が、つい最近の日本でもまだ女と役割として求められていた、あるいはまだ求められていることと合わせてさらに怒りを感じるとともに、これをもう亡き父にはしなくてよい/してあげられないことを虚しく思った -
Posted by ブクログ
気になっていたクララとお日さま
正直、読み進めるのに苦労した。
それもそのはず。
この物語は、人工知能搭載ロボット(AF)のクララが
主役なのだから。
子供の成長を手助けするロボット、クララ。
病弱な少女ジョジー。
ふたりの友情が育まれつつ、ジョジーを取り巻く
大人たちの問題にクララが巻き込まれていくが、
クララは、見聞きしている情報を正確に捉え分析し、クララなりの答えを出していく。
その結果は。。。
この物語は、クララを通じて多くのことを考えさせ
られた。
子供に対する大人の倫理観と感情論。
環境に対する問題。
クララは静かに分析し。
ジョジーは冷静になりつつも大人達の考えに
導かれる。
さて、その先の答えは。。。
日本のある食べ物をジョジーたち家族が食べに行く
シーンで、日本の少子高齢化、環境問題などが
この先の日本を危惧してるように思われた。
いつかは人間に代わって人工知能搭載ロボットが
この日本を救うような。。。
そうでないような。。。
日本に『お日さま』を!!
-
Posted by ブクログ
確か『わたしを離さないで』を読んだ時にも感じたことなのだが、ずーっと感じる不安感、不穏な感じがここにもある。
読んでいると次第に悦子が佐知子と重なってくる。
そして、バサっと終わってしまう。
池澤夏樹氏の解説がとてもいい。
「人間は互いに了解可能だという前提から出発するのが哲学であり、人間はやはりわかりあえないという結論に向かうのが文学である。」
「それでも、われわれは日本語でこれを読みながらでも、これがあくまでも英文学、むしろ英語文学の作品であることを忘れない方がいい。訳がいかに巧みで、会話が日本語としていかに滑らかに流れていても、登場するのがすべて日本人でも、これは日本文学ではない。」 -
Posted by ブクログ
時代の移り変わりとそれが生む歪み。被害者というのは語感がやや強すぎるのだけれど、時代の流れに、パラダイム・シフトに晒され、翻弄された人々。その生き様。
メッセージを読み取るのが難しい作品だったけど、解説を読むと色々なことがしっくりくる感じがした。
佐知子と万里子、藤原さん、緒方さんという他人についての回想が全編を占めるにも関わらず、全ての要素が今の悦子に帰結していく点で、この物語の構成は爽快感すらある。イギリスへの移住と景子の自死、その詳細が語られることはほぼ無いのにも関わらず、回想とのシンクロ性が、悦子の人生に纏わり付く陰の輪郭をぐっと強めている。
集団的なトラウマ、というのがこの小説の主題を考える上でふと思いついた言葉。
しかし、三宅さんのYouTube解説、めちゃめちゃ参考になりました。「信用のならない語り手」ね。読み手に多くを託されている作品。
次は日の名残りを読みたいなー