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Posted by ブクログ
めちゃくちゃおもろかったんやけどなにこれ
ADHDの頭の中みたい!
自分の思考回路全部言い当てられている。急に怒りが湧いてきたり急に自信が湧いてきたり、次々に訪れる事柄にただ翻弄され、自分の行動や感情でさえも自分自身で選択したものではないような感覚。全くもって乗りこなせていないけれど、自分を正当化することでまた仮初の希望みたいなものを抱いて歩き始める。悪夢の中にいるみたいだ。
それでいて、登場人物たちが主人公の幼年期から老年期のメタファーとして存在することで、ただ微視的に悪夢のようなものを示すだけでなく、人生そのものを俯瞰的に示すような構造になっているのがとても魅力的だ。俯瞰で人生を見せられることでより、巻き込まれるようにただ進んでいく悪夢の不条理さが際立っている。
長かったけどもう一回読みたいな!
Posted by ブクログ
この本はすごい。ほとんどもしくはすべての登場人物が自分のことしか考えられない。もどかしい思いで何度も本を閉じたのだが、読みきったあともう一度それぞれのエピソードを読んでみると、噛めば噛むほど味が出てくる。吸い尽くせないほどに。頑張って読み切る価値がある。
自分は果たして本当に誰かのことを知りたいと思ったことがあったのか? そう思っていたと感じていたときでも、ただ自分のことを誰かがどう思っているかを知りたかっただけではなかったのか? 時に誰かに優しくすることはできるが、結局いつも自分のことばかりだったんじゃないか? そんなことを思う。
最初は荒唐無稽で夢のような世界の話だと思うのだが、読み終わって数日が過ぎたあたりから、だんだんとそれが世界の本当の姿なんじゃないかというふうに思えてくる。みんな言いたいことだけを言っていて、すべての人同士がすれ違っている世界。でも、それは全くもってありのままの現実なんじゃないかと。
Posted by ブクログ
巻末の解説によると、発表当初から賛否が大きく分かれたという本書。デビューからそれまでに寡作ながらいずれも高い評価と栄誉ある賞を得た作家が、本当に書きたかったものを書いたそうです。
出だしから登場する人たちの長いセリフ、それに続く非現実な場面転換。序盤から、読み進める側は、この奇妙な小説をどう受け止めていいのか、戸惑います。否定的な感想を持つ人は、おそらくこの戸惑いを消化できなかったのではないでしょうか。そうした気持ちも当然と言えるほど、風変わりな小説です。
自分は、その風変わりさが、ルイス・キャロルのファンタジー小説に通じるものとして呑み込み、非現実な進行も含めて楽しむようになり、中盤からは予想もつかない展開にスリリングな興奮を感じるようになった口です。※なお、補足すると三月兎やハンプティダンプティ的なものは登場しません。あくまでもひと同士の想いのズレや行き違いを描いたものです。
もっとも印象深い小説のひとつ。そう評したいです。
Posted by ブクログ
カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』が面白いと話題なので読んでみようかと思ったのだが、そう言えば『充たされざる者』が未読だったのを思い出して、読んでみた。
時間も空間も歪んだ世界で、登場人物は何重にも重なり、悪夢のような(というか悪夢そのものの)不条理が延々と続くが、個々のエピソードが魅力的でグイグイと読ませる。大きな話の筋は世界的ピアニストのライダーが「町の命運は音楽藝術の解釈次第にかかっている」と信じられている町に招かれて演奏と講演を行うというストーリー。その枝葉として、やがて彼の義父であることが明らかになるポーターのグスタフとその娘ゾフィーとの不条理な関係、その関係と相似する名指揮者グロツキーとその元妻コリンズの関係、その関係と反比例する平凡な(しかし自己欺瞞の権化のような)ホテル支配人ハフマンとその婦人との関係、ライダーの幼少期と重なるゾフィーの息子ボリス、ライダーの青年期と重なるハフマンの息子シュテファンなどが描かれる。場面転換のたびに「あー、そちらに気を取られて本線を外れてはいけない」と思いながらも、話は枝葉から枝葉へと迷い込んでいく。
長らくカズオ・イシグロで一番好きだったのは『わたしたちが孤児だったころ』だったのだが、『充たされざる者』はそれを上回るかもしれない。願わくば原著で再読してみたいところだが、長いからなぁ…。
Posted by ブクログ
カズオ・イシグロの4作目の長編。ブッカー賞を獲った「日の名残り」のあとにこれだったから、きっと面食らった人は多かったろうに。
世界的ピアニスト(と思われる)ライダーが「木曜の夕べ」なる催しで演奏をするために、欧米のとある街を訪れる。
ただしこの物語の舞台は不条理であり、筋が通っていない。悪夢的な世界の中で、とっ散らかりながら進行する。
悪夢的な世界なので、すべてが脈絡なく突然起こる。ライダー自身も「木曜の夕べ」で演奏する、ということのみ認識しており、それをやりきることが使命だということのみ理解している。そのイベントがどこで行われるのか、誰と行うのか、何もわからない。それを知ろうとすると突然誰かが現れ、見知らぬ場所に連れて行かれる。でも見知らぬ場所は言われてみるとよく知っている場所であり、そこで自分がどのように振る舞えばよいのかを思い出す。しかし、その場で適切な行動を取ろうとすると、取れない。動けなかったり声が出なかったり。まさに悪夢的。
なんというか、不条理が9割、常識が1割くらいの内田百閒的な悪夢であれば、それはもう幻想小説的な感覚で、スタートから一気に増大していくエントロピーを受け入れる(というか諦める)ことで楽しむことができる。一方でこの小説はカフカ的悪夢、不条理5、常識5くらいの配合で物語が進んでいくので、不条理な世界に入ってエントロピーが増大しかかったときに、こんどはその世界の中で道理が発生し、エントロピーが収束していく。理解可能な世界に連れ戻された気になった瞬間また不条理が発生する。この繰り返しが不気味であり一種の疲労感を生む。
その悪夢的展開が延々940ページにわたって続く。これは賛否あるのもむべなるかな。
カズオ・イシグロの数々の作品の根底に共通するものの一つに、「記憶の曖昧さ」というものがある。
この記憶の曖昧さが、彼が描く物語に大きな特徴を与えている。彼の作品の特徴である「信用ならない語り手」を作り出したり、奇妙なミスリードを我々にもたらして話を展開させるのもこの記憶の曖昧さを巧みに利用したものであると思っている。
そして今回の作品についても、単なる不条理小説なのではなく、今までであれば、たとえ曖昧であってもあくまで時系列という軸はぶれていなかった記憶を、悪夢的舞台という設定を利用して時系列すら無視して物語に組み込んだというふうに見ることができる。
時系列を無視というのが正しいのかはわからない。ある程度まで読むと、実はこの作品がある種の階層構造を持っており、そういう意味では時系列は正しいのかもしれないのであるが、それでも一読では完全に時系列を無視した記憶が出てくる。それでも、記憶のトリックをふんだんに散りばめていると考えると、いかにもカズオ・イシグロの作品らしいと言える。
彼が書いているものに、ぶれはない。そう思える。
940ページ、分量としてはだいぶあるのだが、ただ読みにくいわけではないから特にこのボリュームが苦痛ということはない。
ただ、先にも述べた通りこの不条理世界を体験したときの不安やイライラがこの長さ続くというところは、うーん、難しいな。
私はすごく面白いと思った。私はね。というところかな。
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