あらすじ
世界的ピアニストのライダーは、あるヨーロッパの町に降り立った。「木曜の夕べ」という催しで演奏する予定のようだが、日程や演目さえ彼には定かでない。ただ、演奏会は町の「危機」を乗り越えるための最後の望みのようで、一部市民の期待は限りなく高い。ライダーはそれとなく詳細を探るが、奇妙な相談をもちかける市民たちが次々と邪魔に入り……。実験的手法を駆使し、悪夢のような不条理を紡ぐブッカー賞作家の異色作。
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どこまでも続く混沌とした世界。希望を求めながら、信念を抱きながらも、どうしようもない世界に身を置く人たちの声が響き合う。
そんな物語(物語ではないかもしれない)を900ページにわたって総合的に立ち上げている。良い意味で退屈。読み続けるのに苦労したが、唯一無二の読書体験だった。
柴田元幸さんがイシグロベストに挙げるのも納得の一作。
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とても風変わりな作品。私はこういうの好き。
夢の中のように脈絡なく続くストーリー、歪んだ時間、辿り着かない目的地、見知らぬ知人達(矛盾してるけど"見知らぬ知人"が正しい表現だと思う。)
永遠と続くワンカットシーンのような小説。
読後は長い夢を見終わったような気だるさ。
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この本はすごい。ほとんどもしくはすべての登場人物が自分のことしか考えられない。もどかしい思いで何度も本を閉じたのだが、読みきったあともう一度それぞれのエピソードを読んでみると、噛めば噛むほど味が出てくる。吸い尽くせないほどに。頑張って読み切る価値がある。
自分は果たして本当に誰かのことを知りたいと思ったことがあったのか? そう思っていたと感じていたときでも、ただ自分のことを誰かがどう思っているかを知りたかっただけではなかったのか? 時に誰かに優しくすることはできるが、結局いつも自分のことばかりだったんじゃないか? そんなことを思う。
最初は荒唐無稽で夢のような世界の話だと思うのだが、読み終わって数日が過ぎたあたりから、だんだんとそれが世界の本当の姿なんじゃないかというふうに思えてくる。みんな言いたいことだけを言っていて、すべての人同士がすれ違っている世界。でも、それは全くもってありのままの現実なんじゃないかと。
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巻末の解説によると、発表当初から賛否が大きく分かれたという本書。デビューからそれまでに寡作ながらいずれも高い評価と栄誉ある賞を得た作家が、本当に書きたかったものを書いたそうです。
出だしから登場する人たちの長いセリフ、それに続く非現実な場面転換。序盤から、読み進める側は、この奇妙な小説をどう受け止めていいのか、戸惑います。否定的な感想を持つ人は、おそらくこの戸惑いを消化できなかったのではないでしょうか。そうした気持ちも当然と言えるほど、風変わりな小説です。
自分は、その風変わりさが、ルイス・キャロルのファンタジー小説に通じるものとして呑み込み、非現実な進行も含めて楽しむようになり、中盤からは予想もつかない展開にスリリングな興奮を感じるようになった口です。※なお、補足すると三月兎やハンプティダンプティ的なものは登場しません。あくまでもひと同士の想いのズレや行き違いを描いたものです。
もっとも印象深い小説のひとつ。そう評したいです。
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カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』が面白いと話題なので読んでみようかと思ったのだが、そう言えば『充たされざる者』が未読だったのを思い出して、読んでみた。
時間も空間も歪んだ世界で、登場人物は何重にも重なり、悪夢のような(というか悪夢そのものの)不条理が延々と続くが、個々のエピソードが魅力的でグイグイと読ませる。大きな話の筋は世界的ピアニストのライダーが「町の命運は音楽藝術の解釈次第にかかっている」と信じられている町に招かれて演奏と講演を行うというストーリー。その枝葉として、やがて彼の義父であることが明らかになるポーターのグスタフとその娘ゾフィーとの不条理な関係、その関係と相似する名指揮者グロツキーとその元妻コリンズの関係、その関係と反比例する平凡な(しかし自己欺瞞の権化のような)ホテル支配人ハフマンとその婦人との関係、ライダーの幼少期と重なるゾフィーの息子ボリス、ライダーの青年期と重なるハフマンの息子シュテファンなどが描かれる。場面転換のたびに「あー、そちらに気を取られて本線を外れてはいけない」と思いながらも、話は枝葉から枝葉へと迷い込んでいく。
長らくカズオ・イシグロで一番好きだったのは『わたしたちが孤児だったころ』だったのだが、『充たされざる者』はそれを上回るかもしれない。願わくば原著で再読してみたいところだが、長いからなぁ…。
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丁寧な物言いなのに無遠慮な、愚かしい悩みを延々と聞かされる。昔だったらつまらない、と読めなかっただろう。愚かしい悩みが他人事でなくなってくる歳だから読めたと思う。
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カズオ・イシグロの4作目の長編。ブッカー賞を獲った「日の名残り」のあとにこれだったから、きっと面食らった人は多かったろうに。
世界的ピアニスト(と思われる)ライダーが「木曜の夕べ」なる催しで演奏をするために、欧米のとある街を訪れる。
ただしこの物語の舞台は不条理であり、筋が通っていない。悪夢的な世界の中で、とっ散らかりながら進行する。
悪夢的な世界なので、すべてが脈絡なく突然起こる。ライダー自身も「木曜の夕べ」で演奏する、ということのみ認識しており、それをやりきることが使命だということのみ理解している。そのイベントがどこで行われるのか、誰と行うのか、何もわからない。それを知ろうとすると突然誰かが現れ、見知らぬ場所に連れて行かれる。でも見知らぬ場所は言われてみるとよく知っている場所であり、そこで自分がどのように振る舞えばよいのかを思い出す。しかし、その場で適切な行動を取ろうとすると、取れない。動けなかったり声が出なかったり。まさに悪夢的。
なんというか、不条理が9割、常識が1割くらいの内田百閒的な悪夢であれば、それはもう幻想小説的な感覚で、スタートから一気に増大していくエントロピーを受け入れる(というか諦める)ことで楽しむことができる。一方でこの小説はカフカ的悪夢、不条理5、常識5くらいの配合で物語が進んでいくので、不条理な世界に入ってエントロピーが増大しかかったときに、こんどはその世界の中で道理が発生し、エントロピーが収束していく。理解可能な世界に連れ戻された気になった瞬間また不条理が発生する。この繰り返しが不気味であり一種の疲労感を生む。
その悪夢的展開が延々940ページにわたって続く。これは賛否あるのもむべなるかな。
カズオ・イシグロの数々の作品の根底に共通するものの一つに、「記憶の曖昧さ」というものがある。
この記憶の曖昧さが、彼が描く物語に大きな特徴を与えている。彼の作品の特徴である「信用ならない語り手」を作り出したり、奇妙なミスリードを我々にもたらして話を展開させるのもこの記憶の曖昧さを巧みに利用したものであると思っている。
そして今回の作品についても、単なる不条理小説なのではなく、今までであれば、たとえ曖昧であってもあくまで時系列という軸はぶれていなかった記憶を、悪夢的舞台という設定を利用して時系列すら無視して物語に組み込んだというふうに見ることができる。
時系列を無視というのが正しいのかはわからない。ある程度まで読むと、実はこの作品がある種の階層構造を持っており、そういう意味では時系列は正しいのかもしれないのであるが、それでも一読では完全に時系列を無視した記憶が出てくる。それでも、記憶のトリックをふんだんに散りばめていると考えると、いかにもカズオ・イシグロの作品らしいと言える。
彼が書いているものに、ぶれはない。そう思える。
940ページ、分量としてはだいぶあるのだが、ただ読みにくいわけではないから特にこのボリュームが苦痛ということはない。
ただ、先にも述べた通りこの不条理世界を体験したときの不安やイライラがこの長さ続くというところは、うーん、難しいな。
私はすごく面白いと思った。私はね。というところかな。
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悪夢の中でもがきながら読み進めていく感覚。
一つの小宇宙が小さな本の中にぎゅっと詰めこられているようで、家の中にこの本があると引き込まれてしまいそうになり、本を閉じた時に鳥肌が立ち恐怖を感じた。日の名残りが美しく精巧な描写だったからこそ、充されざる者の不安定さや歪みが対比になるようだった。混沌とした世界を描いていても発散的な描写にならないカズオイシグロの素晴らしい技量を感じることが出来る一冊。
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退屈なのに読み進めたくなる作品。今まで体験したことのない読書体験だった。
読み切った後でやっと、全てのシーンに、ああ、なるほど、と納得できた。
登場人物全員がどこかおかしさを抱えていて、読者はそれに翻弄される。そこが面白いと感じられる作品でした。
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カズオ・イシグロの4作目。ハヤカワ文庫で948P(厚いし重い。物理的に読みづらくて手こずった)。
不条理ゆえか、焦燥から喪失、郷愁‥‥いろいろな感情がよぎった。今までにない不思議な読後感。
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最後のなにも解決してないのに知らない下層階級の人に泣きついて朝食を食べるラストが気持ち悪すぎて変な夢を見た。
でも読んだ本に左右されて眠れなくなるほど心に色が付いていない部分があったんだと知って嬉しくなる。ずっと子どものまま小さいものも大きく感じたい。
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「充たされざる者」(カズオ・イシグロ : 古賀林 幸 訳)を読んだ。
読んでいる間中〈混乱〉か〈苛立〉もしくは〈混乱と苛立〉に支配される。
『ライダー』は泥濘んだ方泥濘んだ方へと足を踏み出さざるを得ない状況に落ちていく。
カズオ・イシグロ氏は読み手の辛抱強さを試しているみたいだ。(笑)
過去に一度挫折した作品だが、今回は腰を据えてじっくりと向き合った。
最後の最後に救済が待っていた。
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そろそろ桜が咲こうかという時季になんだけど、今年みた初夢の話。
燦々と陽光降り注ぐ部屋でクリスタルピアノを弾いているYOSHIKIが、メロディを奏でるのをやめ、グラサンを指先でスッとあげながら、こちらを見ると、じゃ、20分後に、これ舞台で歌って下さい、と言って出て行った。
オッケー!任しときな!と安請け合いしたのはいいものの、よく考えたら、俺、歌詞を知らないや、ということに気づいた。さすがにお客さんの前でカンペみながら歌うのも失礼だし、手のひらに書いて、それみながら歌うってのも、様にならないし、さて、どうしよう・・・
ってところで目が覚めた。
完全に大晦日にみた紅白の影響だ。
だいたい夢って、その先の展開が読めなくなって困ってくると、目が覚める。自分の想像力以上のものは出てこない。
じゃ、もし覚めなかったらどうなるかっていうと、この小説みたいな展開になる。
延々と困った、困った、が続く。
充たされざる者、ってそういうこと?
主人公はたぶん世界的に有名なピアニストのライダー。故郷に凱旋公演で戻ってきた。街中誰もが彼のことを知っていて、誇りに思っているので、あっちこっちで声をかけられる。有名人の宿命だから、それは我慢しなくてはいけないこととわかりつつ、公演を前に肝心のピアノを弾く練習が出来ない。
会う人会う人、私がどれだけあなたを尊敬しているかとか、昔あなたに会ったことがあるとか、今度こういう会があるからぜひ来て下さい、ちょっと寄ってひと言スピーチをしてくださるだけでいいんです、とか。
ライダーも、忙しいのに、まあ、ちょっとだけなら顔を出しましょう、とあっちこっちで安請け合いしてしまうので、もう、スケジュールがメチャクチャ。そもそも自分の公演までのスケジュールってどうなってんの?となってしまう。
困った。困った。
まんがにっぽん昔ばなしのおじいさんのナレーションが延々とリフレインする状況に陥る。
そのうち、時間の流れもおかしくなり、空間もあやしくなってくる。
そして、ひたすら、困った、困った。
だまし絵のエッシャーの世界を小説で表現したらこんな感じになるんじゃないかな。なんか拗れてて、どこかでループしてて、知らないうちメタモルフォーゼしちゃったよ、みたいな感じ。
この作品、傑作か駄作か評論家のあいだでも評価が分かれているらしいが、たんに好きか嫌いかだと思う。
自分はこういうの、嫌いじゃないから、途中退屈したけど、最後まで読んで良かった、面白かった、と思えた。でも人には薦めない。
だって長いんだもん。
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悪夢を彷徨うような不条理な小説でした……
ふわふわ、あてどなく1000頁近くも彷徨うのはいささか疲れました。
なのにシュールリアリスティック的ではなく、最後まで読ませる力があるのは、作者の確かな手腕によるものでしょう。
そんな夢の中で、挟まれる断片的なエピソードは、誰でも覚えのあるような根源的な傷を抉ってきます。
両親とシュテファンの関係とかお辛い…
ライダーの両親が来ないこととの相似性もありますね。
ブロツキーとミス・コリンズとの関係は、ゾフィーと自分との関係とも相似しているような気がする。
過去、現在、未来を淀んだ形で顕現した世界なのかもしれない
そう考えると、グッと面白くなった
Posted by ブクログ
これまでのイシグロ作品と一線を画す非常に不思議な小説。読んでも読んでもつながらない、なにか少しずつずれていく、現実もしくは非現実。自分の考えの小さなサイクルが帰ってこない、ボールペンの試し書きのような思考と行動。なんでしょう、理解できないものは永遠に平行線になる、といったような不寛容を感じされる、まさに”充たされざる者”の物語。そういう解釈にたどり着くラストになぜかすっと入る読後感。
Posted by ブクログ
ライダーは著名なピアニスト。中欧のこの国のある街に演奏会の招待できている。街をあげての記念式典だそうだ。タクシーでホテルに到着したが、迎えにでる人もなく、運転手がとまどうばかり。ようやくポーターが出てきたが、本来は支配人が出迎えるべきなのに申し訳ないと何回も詫びる。これから先もライダーは色々な人に用事を頼まれ、それを成し遂げようと努力するごとにまた不思議な出来事にさえぎられるということが続く。不思議な霧の中でお話がすすむような感じを受ける。
Posted by ブクログ
人々は自分の理由をしゃべり、空間は自在につながる。
名を成したピアニストのライダーは「木曜の夕べ」というコンサートに出演のため、ヨーロッパのある町にやってきたが、出会う人々からいろいろな相談を持ち掛けられ打合せもままならない。
ホテルのポーター、ポーターの娘とその子供、ホテルの支配人、支配人の息子の若いピアニストなどが一方的に事情を話し出す。またそれに丁寧に応えてしまうライダー。またレセプションの会場、カフェ、ポーターの娘の部屋、写真撮影の建築物などががぐるぐると、あるいはドアからドアへとふいに現れ、途切れ、繫がる。
ポーターの娘とその息子ボリスのアパートに行くあたりまでの7,80ページくらいまでは普通に事が進んでいくようだったが、人間関係と建物の位置関係がだんだん歪んで来て、しかし内容は人々のライダーへの一方的な相談が延々と続く。
いつのまにかポーターの娘と息子のボリスがライダーの妻と子供になっていて、会話の内容も過激に、絵具を全色塗りたくったようなものになってゆく。いいかげん人々の独白に飽きて、ライダーがリハーサルできないのにいらいらしてくるが、だんだん混沌としてくるあたりから、ウォン・カーウァイあたりの映像でやったらけっこういいのでは、などと思い始めると、物語世界を楽しめた。
全939ページ、厚さ3.5cm。上下にしたらきっと下を買う人は半分以下かも。1冊で重かったが途中斜め読みしてしまったが、なんとか読み終えた。
カバー絵の黄色い街灯に照らされたこげ茶の建物と路地が内容にぴったりだ。一点透視の路地の先は歪んだ時空間に続くようだ。
Posted by ブクログ
この作家は、読者に霧のなかを歩かせる。名声高いピアニスト、ある街のリサイタルに招かれるが、住民の厄介ごとに巻きこまれ....。テーマは家族愛だろうか。最後救いあるけど、仕事人間のお父さんへのペーソスを感じる。どこの国、時代、家庭にもありそうな不条理。読み終えるのが難渋で、再読はしたくない。
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不思議と読み進めてしまう
非常に独特で、つかめそうでつかめないような、笑えるような笑っちゃいけないような、ぬるぬるした小説。
これは誰もが見る「夢」の共通言語で描いたというインタビューを見て、その描写のあまりの巧みさに気付いた。
Posted by ブクログ
難しかった…退屈といえばもうそれまでだし、不条理?とかそういう世界を楽しめる人向けかなと。休み休み、どうにかこうにか読んだけど、よくわからなかった。私はストーリーがないとダメなんだなぁと思った。
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すべてが夢の中の話なのかと思うほど、空中に浮かんだように感じる文庫本900ページを超える作品。それなりに話は展開されていくのであきはしないが、もう一度読み返そうとは思えない。イシグロさんの小説の中では散漫だなと思ってしまう一冊。
Posted by ブクログ
まさに、不条理文学。みんながサイコパス。
物語って、なにか目的があってそれに向かって進んでいくものだけど、これはその途中でいろいろな別の目的がうまれて、結局当初の目的は果たされずに終わる。
しかもみんな話が長く、別のエピソードを勝手に語ったりするので、語り手と同じように読みながらイライラしてしまう。
でも不思議なことに、最後まで読めてしまった。すごいなカズオ•イシグロ。登場人物があまりに、予測不能なので、クスッと笑ってしまうところもあった。
結局、この世界は何だったのか。夢??
登場人物は結構、語り手と似ているところもあった。
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ブロツキーとは何者なのか
Audible体験、悩んだ末に分厚さ的にも内容的にも自力で読破できるか不安な本作を選んでみたけど朗読いい感じ。しょっぱなのホテルのポーターの哲学とかハンガリアンカフェとか家族関係をつらつらと綴る感じとか幼少期過ごした部屋の話とか不思議だけどなんか好き
9番⚽
ボリスを私の息子だと言い出すライダー
『2001年宇宙の旅』
度々思い出したように出てくるゾフィーへの苛立ち
ブロツキーに延々とチンポとキモい性生活の話聞かされるの嫌過ぎるんですが…
Posted by ブクログ
正直に、読むのにとても疲れた一冊。
カフカの小説のような不条理感がずっと続き、時間の観念が崩され、いまどこにどれくらいいるのかわからなくなりながら、停滞しそうで停滞しない感じの物語に翻弄される。そして疲れる。
最後まで気の抜けない感じで、「よし、読むぞ!」と気合いを入れないと読み進められない感覚は久しぶり。
読後の達成感を味わいたい方は、是非。
Posted by ブクログ
登場人物の会話が多い。脈絡のない場面転換。移動にも違和感が残る。夕べ見た夢をたくさんつなげて、言葉で表現するとこんな感じになるかも。
ボヤーッとした世界の霧の中をやっと歩み終えた。
チョット疲れた。