あらすじ
広瀬すず主演で映画化! 2025年夏公開
英国で暮らす悦子は、娘を喪い、人生を振り返る。戦後の長崎で出会った母娘との記憶はやがて不穏の色を濃くしていく。映画化原作
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万里子に繰り返し「なんでそんなもの持ってるの」と言われる、あの綱。
あれは景子の首に掛かるものだったのか。
佐知子の記憶が現在の心境によって揺らがされていることに気づいてハッとさせられた。
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カズオイシグロは、前にも日の名残り、私を離さないでを読んだことがあり、
今回映画化されたことを受けて興味をもって読んだ。
流れ、雰囲気は日の名残りに近い。
途中途中のエピソードが何に繋がるのか、なんでそのようなことを思い出すのか、最後に少しわかる感じ。
相変わらずの読後感に圧倒されたが、今回一番圧倒されたのは、意外にも巻末の三宅香帆さんの書評だった。
書評にだいぶ解説が書いてあり、人によってはつまらなく感じるかもしれないが、自分は三宅さんの書評を読んでこの本の理解と読後感と理解を深めることができた。
人は誰しも人には言えないことを抱えて生きる。
そして、テクニック的には書かれていないことを想像して読むのが読書の楽しみのひとつなのだと知ることができた。
今回、紙の本と電子書籍を並行して読んだが、三宅さんの書評は電子版にもありました。
紙の本を売ってしまっても書評を今後も繰り返し読めるのが嬉しい。
自分にとっては今年一番の本です。
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主人公の女性は、本当にできた人だと思った。舅にも優しく、逆らわず、古い価値観にとらわれていることも受け入れて相手を立てている。自分勝手な知り合いの頼みごとも断らず、わがままな言動にも怒らずに付き合う。お金まで貸してあげる。とにかく怒るということがない。そういう姿に「なんてできた人なんだろう」と思った。
でも、今の彼女の状況を知ると「あれ?」と思う。離婚し、外国人と再婚している。ピアノ教師には意地悪な嘘までつく。あの時、舅に合わせていたのも本心じゃなかったのかもしれない。夫との離婚の理由も、恵子に何があったのかも明かされないままだ。
それでも、ニキの新しい価値観には理解を示していて、そこには相変わらずの柔軟さを感じる。価値観が急激に変わっていく世の中で、淡々と、しなやかに生きていく女性の強さを感じた。
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映画に比べて全てがぼんやりしていた。悦子は確かにいい母親ではなかったのかもしれない。でも、母親だからといって、自分のための選択ができないのはおかしい。とにかくこの時代は特にみんなが傷を負っていて、大人も大人のままではいられなくて、現代なら受け入れられる選択も景子を追い詰めたのだと思う。景子視点、二朗視点、景子の父親視点も気になる。
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【文学の森】2025年9月クールのテーマ作品。
戦後の世の中、価値観の違う人たちが精一杯生きる姿を静かに描いている。
わからない部分もあったので、平野啓一郎さんの解説を聞いたあと、再読したい。
翻訳物は基本的に苦手だが、本作に関しては全く違和感なく、素晴らしいと感じた。日本語の表現の多彩さを考えると、原作より表現が豊かになっているのではないかと思った(原作は読んでないけど)。
石川監督の映画も気になる。
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映画を観て感動したので原作を購入しました。
絵のラフを描く時、線をなんとなくでシャッシャと描くように読み、そのラフの中から真実という線画を完成させていくタイプの作品でした。私がラフ線から線画を描こうとしていると、物語から線を待たずに絵の具を塗られていて、「待って…置いていかないで」となりながらも線画を仕上げると絵が完成していた…というような感覚でしょうか。
何度も読み返したくなる好み作品でした。同著者の別作品も読んでみたいと思います。
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カズオイシグロのデビュー作。
娘が自殺した女性が、過去の長崎での日々を回想する物語。とても面白いのだが、ストーリー展開的な面白さというより、登場人物たちの会話や、主人公の感覚に違和感を感じて先が気になる、そんな読み方をしたように思う。
読み終えたときに、佐和子は自分自身で、万里子は景子を投影してるのかなと感じたのだが、解説があったことでよりわかりやすくなった。解説を踏まえてもう一度読みたくなった。
どうして今、自分はこの記憶を思い出すのか?そんな視点を持って読むと、わかりやすくなると思う。語られないストーリー、語られない思いが多くあるけれど、何を見るのか、読者に託された余白の部分がイメージとして鮮やかで、いい意味でもやもやの残る小説。
とりあえずは素直に全部読むことを勧めたい。何かを信じることの痛々しさを、噛み合わない会話で表現するカズオイシグロ節が効いていてとても良かった。
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カズオイシグロの信頼できない語り手はデビュー作から健在だった。信頼できなさでいったら今まで読んだ中でもトップ。
結局彼女の回想やこの物語は何を言いたいのか、
全てはぼんやりとしか見えないのだが、言葉にできない印象にあふれている。
戦前の価値観を引きずる「緒方」、典型的な昭和の親父の「二郎」。彼らは悦子にとっていつのまにか足にからまる縄のような存在だったのだろうか。佐知子の行動は悦子のイギリス行きに影響したのだろうか。佐知子と万里子はその後どうなったのだろうか。悦子は日本を棄てたことを後悔しているのだろうか。
新しい時代への希望、家父長制への怒り、敗戦国の人間のプライド、女性の自立、殺人
事実どのようなことがあったのかを考えてみると
イギリスに住んでいる語り手=悦子なのかどうかも怪しい。特に最後の稲佐に遊びに行った時にすでに景子は生まれていたかのような発言。万里子=景子、語り手=佐知子という可能性も考えられる。あるいは自分の中の美しい記憶と景子を結びつけるもの悲しい嘘か。
長崎での少女殺人事件で、女の子が木に吊るされているというイメージは何を表すのか。回想の最後でどうやら悦子は縄を持っているらしい、それを見た万里子は怯えたように逃げ出す。
悦子の娘、景子はのちに首吊り自殺をする。悦子は自身の渡英という決断が景子に与えた影響について悔いている。そしてブランコにのる女の子の夢。紐で吊られたものがおそらく揺れているだろう、かなり不吉なイメージの繰り返し。
長崎を回想する→佐知子という子供をかえりみない、ある種自分本位に行動していた女性を思い出す→自分も佐知子と同じように日本を出て、その結果景子を失う。そのことへの罪悪感→首吊り自殺の光景とブランコの夢。悦子は自分が思ってるよりも景子の自殺を受け止めきれていないのではないだろうか。
ミステリばっか読んでるせいで、事実関係にばかり気を取られてしまう。この作品に真実など必要ないのに。
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映画を先に観た。映画では、佐知子と万里子は架空の人物、または悦子が作り出した幻想であったようなラストだった。原作では、ふわっとした終わり方だが、佐知子も万里子も実在の人物である。ただし、悦子の遠い記憶なので、自分と景子の記憶と混同しているかもしれない。過去の後悔を否定せず、忘れもせず、自分の中に受け入れて、薄明の中で生きていく。そんな悦子の姿が描かれていたように思う。
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『ミス・サイゴン』だと思った。戦後の痛みと、混乱のなか、世の中が「変化」していくことを嘆き、もがく旧世代の緒方さん(=悦子の義父)と、「停滞」する日本にいてはいけないと信じて、アメリカへ渡ろうとする佐知子。やがて同じように、離婚を経てイギリスに移民した、悦子。佐知子も悦子も、子どもを連れて越境する。本作において、ヒロインたちはとにかく自分を時代の前へ前へ、駒を進めようとする。子どもを巻き込んで。
ミス・サイゴンでは、ヒロインのキムは我が子に未来を切り拓くため、自分の命を犠牲にして、我が子をアメリカに渡らせた。
何が人を越境させるんだろう。海を渡った先に、約束された未来、少なくとも今よりもいい未来があると盲信させるものは何だろう。
この国の家族の形は随分変わった。特に、女性の生き方は。海を渡った悦子の次女・ニキの今も含めて、家族の形と女性の生き方を考えた。映画を観ているような読書時間だった。
文末にカズオ・イシグロの名訳者小野寺健氏、池澤夏樹氏、そして三宅香帆氏の三者三様の充実した解説がある新版が、とてもよかった。
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本書はカズオ イシグロのデビュー作で最近映画化もされ話題になった作品なので読んでみたいと思い手に取った。
他の方のレビューにある通り難解だった。
舞台は1980年代のイギリスで主人公悦子の元にある理由で娘のニキが帰省し、イギリス(現在)と戦後まもない長崎を回想しながら交互に物語は進んでいく。
読み進めていくと違和感と?が満載で読み終わったあとも霞が懸かってうっすらしか先が見えない感じ。
それもそのはず、具体的に語られていない部分があるので、解釈を読み手に委ねるタイプ。
なので池澤さんや三宅さんの解説、映画も解釈の一つで正解はないということ。
佐知子、万里子母娘の言動も謎や違和感ばかりで、ちょっとホラーっぽいところもあるし。
悦子の嘘か記憶が曖昧なのか?浮き彫りになったのがタイトルの元にもなっているであろう稲佐山ロープウェイのシーン。
悦子と佐知子、万里子の3人で登った筈なんだけど、そしてこの場所で悦子は必ず幸せになると未来は希望に充ちていたのに、景子への後悔の気持ちを思うと胸が痛みます。
謎や違和感は多く悦子は多くは語らないので時代背景や登場人物の心情を汲み取り推測、想像するのが本書の醍醐味なのかな。
この物語の背景には戦争の不条理さがあるのを忘れてはいけない。
女性の生きずらさや戦後の急激な変化、悲しみや苦しさを乗り越え必死に幸せになろうとした悦子や佐知子の逞しさ、時代の変化の犠牲になった景子が描かれている。
戦争は物だけでなく人の心や人生も狂わせる。
とても奥が深く物語を想像する楽しさがあり読みごたえのある一冊。そして自分の読解力のなさを痛感させられた一冊でもある。
こういう読書もあるのかと良い学びになったかな。
下衆の勘繰りだけど景子は二郎の子供なのかな?○○さんの可能性もあるような気がしてならない。もしかして離婚の原因は…
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先に映画を見たら、分からないことがいくつかあり、原作を読んでみた。疑問が解消されたわけではないが、それでいいのかも知れないと思えたし、読んでよかった。
なんだかすべてが霧の中に霞んでる感じ。なのに、強い印象を受ける場面がいくつかあった。
とくに、主人公と舅が戦争にまつわる思い出にふれながら、肝心のことはお互いに避けているような会話。
(ここは映画では、もっと具体的なことを話していた)
主人公と友人の佐知子が稲佐山でかわした会話も、かみ合っているのかいないのか。でも佐知子という鏡をとおして、主人公の気持ちがしだいに分かるように思えた。
映画を見て、分からないことに不満を覚えていたが、分からないことをそのまま受け入れたいという気もちになった。
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物語を全体的に覆っているこの薄暗さはなんだろう、と読んでいる間ずっと感じていたことがイシグロワールドと言われるものの正体なのかもしれない。主人公の悦子が抱えた「後悔」というものを軸に、長崎での思い出、そこで出会った佐知子と万里子という存在と、日本を出た彼女と長女の存在、悦子が感じていた価値が大きく変化する時代の中での齟齬が今の彼女に当てはまることに気づいた時、著者イシグロの描きたかった世界が見える。少し難解な作品ではあったが、そこに作品の深さと著者が信頼足り得るというのを掴むには十分だった。彼の別作品もぜひとも拝読したい。
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著者のカズオ・イシグロさん、初読みです。長崎生まれでイギリス国籍の方です。ブッカー賞、ノーベル文学賞などを、受賞されています。この作品は初長編で、1982年に彼が英語で書いた小説を、小野寺健さんが翻訳された本です。
私は映画を先に観たので、登場人物は俳優の顔が浮かび、情景も映像が浮かびながらの読書でした。疑問に思っていたことを知りたくて、この本を読みました。訳者のあとがきと、作家の池澤夏樹さんと文芸評論家の三宅香帆さんの解説に助けられて、ようやく理解できました。(と思っていましたが、色々な解釈があることをあとで教わりました。)
小説は、悦子が長崎で過ごした過去と、イギリスで暮らす家に休暇で訪れた娘ニキと過ごす日々が書かれています。喪失を経験した悦子の現在の様子は、戦後、夫と生まれてくる子どもと幸せになるという確信に満ちた言葉からは、想像できないものでした。時が流れた後、悦子と長崎で出会った佐知子の境遇が重なっていく感じがしました。戦前と戦後の考え方の違いも語られ、変わっていくことへの様々な思いを感じることができました。
読後、「遠い山なみの光」のように良い思い出があれば、人は何かあっても生きていけるんじゃないかと思いました。
難しくて自分の読解力のなさを感じましたが、またカズオ・イシグロさんの作品を読んでみたいと思いました。
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カズオ・イシグロのデビュー作。
『蜜蜂と遠雷』『ある男』『Arc』など着実にキャリアを上げている石川慶監督による映画化のこのタイミングで手に取った。
1970年代のイギリスの田舎町、一人で暮らす悦子の元に娘のニキが訪ねてくる。ニキはライターで悦子の長崎時代、特に原爆が投下された以降どうやって暮らしてきたのかを文章にしようと考えている。
悦子からするとそれは家を出て自殺したニキの姉、景子のことを思い出すことでもある。
悦子は長崎での暮らしはどうだったのか、その生活を捨て何故ロンドンに来たのか、景子には何があったのかを語っていく。
その語られていく1950年代の物語では長崎で夫の二郎と暮らす悦子が、イジメられていた幼い少女万里子を助け、家に送っていった先で佐知子という女性と知り合う。
佐知子は戦争で夫を失ったシングルマザーであり、アメリカ人兵士と共にアメリカに渡ることが控えていると悦子に語る。万里子はアメリカ行きを嫌がっているが、それはしょうがないし、やっていくしかないのだ、と悦子に言い聞かせている。
そんな佐知子と悦子は境遇としてはまったく違うように見えるが、共に長崎で被爆した経験を持っていることから、どこか似たもの同士であるような想いを抱いている。
一方の悦子の家では二郎の父である緒方さんが、夏の間やってくることになる。
二郎は一見、父と仲良くやっているが内心は疎ましく思っている。緒方のほうも二郎には強く出ることが出来ず、ギクシャクとした親子関係が描かれていく。
そんな緒方は元々は教師で戦時中に戦争協力をしたことが原因で追放されたらしい。更に長崎で教師をしている教え子が業界紙に寄稿した文章で緒方を批難したことも長崎に来るきっかけとなっているようである。
この緒方と二郎、悦子のやり取りは小津安二郎の影響が強く感じられる箇所だった。特に台詞がそう感じさせるのか、緒方は笠智衆、二郎は山村聰、悦子は原節子か高峰秀子あたりをイメージさせるようだった。
自分は読んでいて悦子=佐知子という解釈が途中で入り込んできた。
ただ、この解釈はちょっと怖くて、自分の主体が佐知子→悦子なのか悦子→佐知子なのかによって大分解釈の余地が変わるし、見方によっては大分ホラー味が増す気がしたから。
だが、そういう解釈をしている人もいるが、そうではなくて佐知子は佐知子、悦子は悦子、だがこの二人の人生が重なるような瞬間があるよね、という解釈をしている人もいるようだし、それとは違うまた違う別の解釈の余地もある。
その解釈自体には別段意味はないのだが、語られないことで多くの余白を生んでいるのがとても好みだった。
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◼️ カズオ・イシグロ「遠い山なみの光」
映画を先に観て再読。広瀬すずが悦子にダブる。描かれない部分を想像する。
カズオ・イシグロの、日本を舞台にした初期作品はノーベル文学賞受賞の時に読んだ。次作の「浮世の画家」では戦争に協力した大家の画家が戦後、世間の価値観が変わり、画壇の関係者が離れていく様が中心になっている。
「遠い山なみの光」にも、戦前戦中は教壇に立ち戦後おそらくは教職追放となった老教師が、かつての教え子から教育雑誌で名指しの批判を受け、納得できずに談判に行く場面が盛り込まれている。これらの印象が強かったためか、もうひとつメインのストーリーは思い出せず、映画を観た時はこんなにミステリー風味が強かったかな・・という感想を持った。だから再読してみる気になった。
イギリスの片田舎に暮らす初老の悦子のもとを娘のニキが訪ねてくる。友人の詩人が悦子のことを書きたがっていると。悦子は長崎からイギリスに来て、日本人の前夫との子、景子を失っていた。悦子は、長崎に住んでいた時友人だった佐知子と、その幼い娘の万里子のことを思い出す。
長崎で終戦を迎えた悦子は会社での栄達が目覚ましい夫・二郎と暮らし、出産を控えていた。最近に知り合った川近くの草地のバラックに住む佐知子は娘の万里子を学校にも行かせず放置していることが多く、帰ってこないことがあると、悦子が一緒に探しに出たりしていた。佐知子は、近くアメリカ人の男と渡米すると悦子に語るが、しかしー。
様々な要素を盛り込んだ物語だと思う。はからずもニキと佐知子は女性の自立について強い意識を持っている。これも世の中の変化であり、一方で長崎の悦子は幸せでありながら、昔ながらの家父長的な言動をする義父や仕事人間の二郎との関係性の中で生活している。そして暗く被さる原爆の影が確かにボトムに敷かれている。
悦子と佐知子は互いに尊重しながらも、本音を覗かせた会話が噛み合わない。また父が二郎のことを慮りながらもこうしないか、ああしないか、というまだるっこしい会話は、悦子とニキとの会話と似ていて、かつ、重ねて考えさせるように書いており、読み手は明確なズレを認識し、また考える。
そして長崎で甲斐甲斐しい若妻であった、佐知子への冷ややかささえ見えていた悦子は二郎との子を連れてイギリス人の夫と再婚して当地に渡り、ニキという言うことを素直に聞かず、人生に迷っている娘がいる。この描かれないジャンプが大きなポイントで、夫も景子も失った今、娘のためにもアメリカに渡ることにこだわった佐知子のことを思い出して、悦子は自分に問いかけている。
一筋縄の物語ではないですね。
映画ではもっと原爆の影響を前面に出したところがあり、また悦子役の広瀬すずが啖呵を切るシーンが入っていたりとちょっと目立つアピールが強め、また何よりラストの、悦子と佐知子、景子と万里子の重ね方が直接的で、やっぱり別の話に見えてしまうかなと、再読して思った。ストーリー自体は同じはずで、エッセンスは各所に活かされている。広瀬すず、そして三浦友和の好演もあり、家庭を含めた昭和の演出には知っている匂いがした。
主婦として母として家庭に縛られる将来を嫌い、外国へ飛び出して、娘を無理に連れて行ったことは何を残したか?先のことは誰にも分からないし、決断自体が正解かどうかでなく、ひとつ生まれた人生のひずみを描いている、と思う。複雑な、だけど確信の持てるストーリーかも知れない。
会話の噛み合わなさが特徴で、これって、なんか、結論を明確に綴らない川端康成に似てるなあ、なんて感じた。
カズオ・イシグロはこの作品でイギリス王立文学協会賞を、「浮世の画家」でウィットブレッド賞を、そして「眺めのいい部屋」「モーリス」のポール・オースター監督で映画になった「日の名残り」で遂にブッカー賞と1980年代にトントンと巨匠への道をステップアップした。
私が「ハワーズ・エンド」を含むオースター監督作品が好きだ、という話をしたら本読みの先輩が「日の名残り」の文庫本を貸してくれたのがカズオ・イシグロとの出逢い。長い間を経ていまこうしてるとは、なんかちょっと悦子の気持ちになったりして。長々と書きました。おしまいです。
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映画が公開になるので、かなり久しぶりの再読
前に読んだのは10代の時だったけど、自分も大人になって、語り手の悦子の複雑な心情が以前よりも分かるような気がした。
長崎で出会った母娘のエピソードに自身の過去が投影されているのだろうけど、他人のエピソードに置き換えないと、罪悪感や後悔で押しつぶされてしまうのだろうな。
人は自分に都合の良いことしか思い出したくないし、遠い過去の出来事はおぼろげにしか見えないのです。
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他のレビューで見たような、最後の語りから想像できる部分が、私にはよく分からず、残念だった。もう一回読んだら分かるかな。
マリコはどうなったの?と分からないことばかりで、放り出されたような気持ちになった。
これもこの小説の良さなのかな…
ただ、戦後長崎の価値観が変化していく様や、その中で逞しく生きていく女性たちの生活感あふれる情景など目の前で広がっていくようだった。
そして当時の生や死の近さも、とても辛い描写もあったが、その分生々しさがとてもよく伝わった。
もう一度読んでみたい。
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映画化されていた為、読んでみた。わかりやすい会話ですーっと読めてしまうが、何をいいたいのかがわからずに最後もあっけなく終わってしまった。解説を読んでぼんやりと感じていた事が明確になった。強烈なインパクトがある話ではないが、なんとなく記憶に残っていく気がする。
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映画→原作を経ても理解が難しい作品だった。カズオイシグロ作品は深く話の真理を追い求めると更に分からなくなるので、抽象的に読むのが1番読みやすいのかなと思う笑 でも読んだ人の分だけ解釈があるのは面白いなとも思う。私は悦子は景子のことを後悔するあまり、「自害させない為にどうすれば良かったか」を佐知子と万里子との思い出に重ねて、話していたのだと思った。その中には自戒も込めて、ありもしないような話も入れていたのだと思う笑 これを踏まえてまた映画が観たくなった。
Posted by ブクログ
伏線回収!すっきり爽快!本ではありません。
自分的に気になってた箇所が明確にはならないのでモヤモヤ感が残りました。
あとがきを読んで、なるほどなぁと思う事が多々。ニキの言葉にはハッとさせられて思わずブックマークしてしまう文章も。そして会話がとても独特。会話の中で何度も繰り返される言葉が印象的だが、会話でその人の表情、心情まで読者に想像させてしまうところがすごいところ。
Posted by ブクログ
小説を読む限りは、佐知子は実在した人物で、過去の悦子にとってはその価値観に腹の底からは承服しかねる異質の存在だったように解釈していたが、映画ではそれは実は悦子そのものであり、そういう人物がいたかのように二キに嘘をついていたと最後にネタバレをして終わるように脚色されていた。原作に対してあまりにも分かりやすく説明し過ぎであり、火曜サスペンス劇場のような単なるエンタメサスペンス映像になってしまっており、舞台のセットや俳優陣は豪華であるものの、映画としてみると☆1。
記憶を無意識に変えずしては思い起こすこともはばかられるような過去を抱えながら、強く生き抜いてきた当時の人々の人生が思い起こさせられる。
Posted by ブクログ
映画化を機に購入。有名作「わたしを離さないで」の世界観が好みだったことを思い出して迷わず読み始めたものの、私にはやや難解だった...。
起承転結が掴みにくくて、どうにも読み進まない。
ただ、日本にルーツを持つ著者が日本を舞台にして英語で書いた作品を、日本語で読む。
このねじれは面白かった気もする。
映像の方もやや掴みづらそうなので
ただ世界観に浸るつもりで観に行こう。
Posted by ブクログ
過去と現在、真実と虚構が錯綜し、半ば混濁した視点から語られる物語に終始翻弄されながら何とか読み終えた。理解できた気はとてもしないけど、題名とも深く関わるケーブルカーの場面は忘れ難い。あと、三宅香帆さんの解説が「渾身」を感じさせるやつだった。
Posted by ブクログ
オーディブルで。終戦直後の長崎。妊娠中に触れ合った母娘。夫のお父さんの話。民主主義の悪。一方、現代は1980年で、現代的価値観を持って、ロンドンで暮らす次女、ニコが、一人暮らしになった母のもとにやってくる。二人の話から、ニコはイギリス人夫との間にできた子で、日本人夫との子である長女は自殺したことがわかる。
主人公はなんでイギリスに渡ったのか、どういうふうにイギリス人夫と知り合ったのか、妊娠中の話から現在までの間が全く描かれていない。妊娠中の話は不穏だ。親しくしている母娘の母は、アメリカ人と付き合っていて、日本を出ることに心を傾けている。戦争で、富も地位も失い、何もかもが変わってしまったのだ。娘はそんな母の元から時々いなくなる。母は心配していない。妊婦が今でよかったと繰り返す主人公。夫は常に苛立っている。人の良さそうな義父は、家父長制が失われつつあることを、嘆いている。
戦後パートは古き良き日本という感じで、落ち着いた文章は好きでずっと聞いていたかったけど、何かを隠していそうな怖さもずっとあった。結果、何も書かれておらず、空白を埋めるものを想像し続けることになる。母娘は実在していたのかなあ。どうなったのかなあ。以下ネタバレです。最後の方の主人公のセリフにおや? と思うとこがあり、母娘は主人公がつくりだしたのだとわかるのだけど、それですっきりはしない。映画の感想を読んでたら、主人公は被爆したことを隠していたというのがあり、それもまた陰影を深くした。