あらすじ
優秀な介護人キャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。生まれ育った施設へールシャムの親友トミーやルースも「提供者」だった。キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度……。彼女の回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしていく。解説:柴田元幸
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Posted by ブクログ
前半は何となく退屈で、途中で読むのをやめようかと思いましたが、全体に漂う奇妙な雰囲気と、いくつかのテーマ(提供など)が気になって、読み進めていくうちに、少しずつ状況が明らかになって、途中からは猛スピードで読み終えました。
残酷な現実や少しだけの穏やかな時間が、淡々とした語り口とは対照的で、強烈に印象に残りました。
同じ著者の別の作品も読んでみたいと思います。
Posted by ブクログ
学生の頃、ドストエフスキーを読んで訳が分からず、今もまだ読み返せていないのだけど。先生がドストエフスキーは物語の中で色んなことを語っていると言っていた。
イシグロさんも、本作で、ここでは語り尽くせないくらい多くのことを語っていると私は感じた。
世界はSFとも言える、とても冷酷で無慈悲で、でも多分実現可能な社会。
その奇怪な世界において、子どもたちの心は、とても鮮明に映し出されている。
ヘールシャムは学校であり、家であり、故郷。
先生は親であり、生徒は友であり、恋人であり、家族でもある。
子供達の未来は、決まっている。
この圧縮された世界は、あまりに残酷だ。
だけど、キャシーの語るヘールシャムは、とても豊かで美しく見える。
彼ら生徒は、みな宝箱を持っていて、大切なものをそこにしまってる。キャシーはカセットテープ。
そのテープを聴いて、クッションを赤子に見立てて踊る。「ベイビー、わたしを離さないで」
その様はまるで、古い世界を抱き、新しい無慈悲な世界の訪れを待つようだったと。
幸福というのは、どこへ行くとか、なにになるとか、なにを持ってるとか、そうじゃなくて、もっと内面的な世界にあるんじゃないだろうか。
キャシーにとって、トミーと一緒にノーフォークへテープを探しに行った日は最良の日だった。
ノーフォークに打ち上げられる、失ったものの一つ一つは宝箱の中身なんじゃないだろうか。
今、人は豊かで、人生をどう生きるか選ぶことができる。
でも、多くの人はその自由を行使できてないんじゃないか、と思う。
人生は流れの早い川のようで、互いに相手にしがみついている。でも最期は手を離して、別々に流される。
いつかは使命を終えることが決まっているのは、わたしたちだって同じで、変えられない。
苦しいことばかりだと思う。
生きるのは辛い。
でも、わたしにとってもノーフォークがあれば、と思う。
いずれ、そこに流れ着くんだろう。
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途中まで何の話かわからなかったが、事実が明るみになりはじめる第2章後半からは、どうなっていくのか気になり読み進めた。
キャシーとトミーには、淡々とした中でも確実に存在する希望と諦めを感じたし、最後死を受け入れるしかない提供者の運命と、ささやかな人としての一生がいかに儚いながらも美しいかを、描写から直に感じるのではなく、キャシーの日常とそれに対する回想、憧憬にふれることで、想像させられた。
Posted by ブクログ
臓器提供のためのクローン人間を育てる施設…はて、どこかで聞いたことがあるような?と思いながら読み終わったあと調べてみたら、約束のネバーランドの元ネタになってるらしいと聞いてなるほどね、となった。約束のネバーランドの方はなんとなく話を聞いてただけだったから、こっちを先に読めてよかったと思う。設定に結構SF味があるんだけど、全体的に派手じゃなく、本当にあった話かのようにリアルに感じられた。謎が徐々に明かされていくどきどき感もあった。なにより、登場人物たちの複雑な感情の揺れ動きが言葉や行動の一つ一つ、すごく丁寧に描かれていて、思わず感情移入して切なくて何回も泣きそうになった。切なく、印象的な美しいシーンもたくさんあって、大好きな物語の一つになった。
Posted by ブクログ
ちょっと不思議な青春小説といった雰囲気で淡々と進むけれどゾッとする話。オカルトっぽくないから余計に怖い。
ノーベル賞作家の作品って余り読んだことが無く期待もしていなかったけれど凄く面白かった。
Posted by ブクログ
なんて悲しい話なのか、と思いながら読んだ。主人公であるキャシーらは、臓器提供のために育てられたクローン人間である、という設定はそれ自体大変ショッキングな内容だが、読者としては、物語が進むにつれ、直接な言及はなくともなんとなく察せられるようになっていて、いつの間にかそれを知っている、ということになっている。それはまるで、主人公たちが、知るともなしにその事実を知って、いつのまにかその事実を受け入れているというストーリーをなぞっているようだ。そういう体験を、実に周到に用意しているように思う。そして、そのこと、つまり、自分たちがいつのまにかその事実を受け入れてしまうということが、とても残酷なことだと気づく。主人公のパートナー(といっていいのだろう)トミーが、些細な理由で癇癪を爆発させているのは、その事実を感づいていたからではないか、というくだりが最後の方に出てくる。本当はそれだけ抗わなくてはいけない、そういう運命のはずだが、彼らは何もわからないままに癇癪を爆発させることしかできない。すごく悲しい話だなと思った。でも、直接描かれているのはとてもリアルな人間関係のぎくしゃくだったりその中で通じ合う気持ちだったりする。そうして気持ちが通じ合う瞬間の尊さも、悲しさを増す要素のような気がする。
Posted by ブクログ
物語を通して漂う不穏な空気、終盤にかけて「臓器提供」、「クローン」、「手術台」といった直接的な言葉で分からせられる地獄の中で「わたしを離さないで」というフレーズが刺さって、頭の中をぐるぐる巡っていた。
クローンが作り出した絵画や詩に映る魂、友情、愛の在り方、それを人間達はどう見るのか等、単なる悲しみや切なさだけでなく、ヘールシャムの風景をはじめとした光のようなものも見えて、余韻が美しかった。
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あまりに良かった。最後の終わり方が美しすぎて余韻に浸っており、感想も書けなかったし、別の方を読む気にもならなかった。
「記憶」を一つのテーマにしているとのことだが、知らずに読み進めた場合、そのような印象を受けなかった。のちに見てしっくりきた。
友達に勧めて貸している。感想を聞くのが楽しみである。
Posted by ブクログ
全てを書き切らないこと、教えないことがヘールシャムの保護官の方針だったそうだが、この本にもその要素があった。そのためだろうか。終始どことなく漂う不安と不気味さが、この本を先に先にと掻き立てた。
ただ、それ以上に人物描写が圧巻。傑作に大袈裟な「転」と「結」は必ずしも必要ではない。
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読み終えた正直な感想は、「しんどい」だった。
物語は主人公の一人であるキャシーの語りで進む。
キャシーの主観での語りという不安定さもあるし、端々に小さい違和感があったり、「ご存知ですよね?」という感じでサラッと語られる怖い事実があり、読んでいて「これ、この中の世界はどうなってるの?」と思わされて、まるで見通しの悪い霧の中にいるようだった。
人間関係の描き方が細かくて、人間の嫌で面倒なところがすごく表されている。
最後に「しんどい」と思ったのは、救いが無いからだ。
運命は決まっていて、希望が見えて抗ってみようとするけど、やっぱり運命に逆らえない。
無力感、脱力感に襲われる読後感だった。
私はこの本のテーマを一つ決めるなら、「運命を知って、一生懸命に生きられるか」ということだ。
もし、自分の将来が分かるとする。
だとしたら、私は知りたくない。
知ってしまえば楽しみが無くなるし、怖いからだ。
もしかしたら、自分が思う以上に短い命なのかもしれないし、とんでもない目に遭うかもしれない。
そう思うと、直視したくない。
それに、今できることを精一杯味わって生きていたい。
奥さんとの会話、息子の成長、燃えるような仕事。
今できることを、今やりたい。
そうやって生きていった先で迎えた運命のゴールだったら、後悔は少なく済むかもしれないな、と考えている。
怖さ、不気味さの漂う小説だけど、『日の名残り』を読んだ時に感じた、じんわり染みるような優しい言葉が溢れている。
「世界の手触りが優しくなった」という言葉が印象的だ。
大切な人と過ごす温かい時間。
それがあるだけで、少しだけ世界の感触が変わる。
私も家族といてそれは分かる。
「家族のため」ではなく、「家族のおかげ」で、今の私はある。
運命というものはあるのかもしれない。
でも、だからといって今を疎かにして良いわけじゃない。
今を精一杯に味わって、良い人生だったと笑って言えるように生きていきたい。
Posted by ブクログ
この小説を読み終わった後で、何か大きなものに突き放され、しかしすがるような気持ちで思ったことは、「キャシーの人生を意味づけたものは何か」ということである。
小説を読み終わると、このキャシーの回想は、トミーとルースの提供が完了した後に、一人おそらくどこかのセンターの病床でなされたものであることが分かる。
そこでキャシーは過去への未練が全くない。キャシーを意味づけるものは、例え臓器が提供され肉体が完了しても、普遍に残る3人の記憶。そして、例え2人が既に失われたとしても、記憶の残る限り、それを否定する必要はないという矜持である。
小説の最後で、キャシーは「甘え」と称して一度だけその記憶を変容させ、空想をしたと告白をする。有刺鉄線と木の前に畑の広がる場所。その有刺鉄線の柵が失われたものが打ち上げられる海岸線であると想像される中で、もう一度だけトミーと会う空想である。
今まで読者に対する回想という形式で語られていたこの小説が、確かで誠実なものであることが伝えられると同時に、もう会えないけどまた会いたいと思える人との記憶がキャシーの人生を意味づけたことを確認し安心した。
3人の記憶を象徴的に表す海にまつわる情景達(ノーフォークの砂浜に打ち上げられた廃船、先述の失われたものが打ち上げられる海岸としての柵、海岸沿いに立つエミリ先生の家)が美しいものとして想像された。
「わたしを離さないで」について
ノーベル賞作家のカズオ・イシグロが端正な筆致で綴る、ある女性の人生の物語。
提供者を慰める介護人の職に長くついていた女性。彼女が職を辞めるにあたり、自分のこれまでの人生、特に生まれ育ったヘールシャムで仲間と過ごした日々を回顧する。
提供者、介護人など説明なく出てくる言葉の意味が、女性の回想から次第に明らかになってくるにつれ、世界の残酷な姿が浮かび上がってくる。
この世界の真実は、SF小説のファンならばすぐに見当がついてしまうだろう。
読みどころは、むしろ小説としての巧さ、人間描写の厚みの部分だ。大きな状況に翻弄される主人公たちが、小さな人間関係にすがる姿がなんとも哀しく映るのだ。
淡々とした中にあるインパクト
特殊な暮らしにおける日常の描写、心情が淡々と書かれているものの、ミステリーがちりばめられているよう不思議な小説でした。
人生の尊厳
一部ご紹介します。
・「あなた方は教わっているようで、実は教わっていません。
形ばかり教わっていても、誰一人、本当に理解しているとは思えません」
「あなた方の人生はもう決まっています。これから大人になっていきますが、あなた方に老年はありません。
あなた方は一つの目的のためにこの世に産み出されていて、将来は決定済みです。ですから、無益な空想はもうやめなければなりません」
「みっともない人生にしないため、自分が何者で、先に何が待っているかを知っておいてください」
・「絵も、詩も、そういうものは全て、作った人の内部をさらけ出す。作った人の魂を見せる」
・すぐにも行動を起こさないと、機会は永遠に失われるかもしれない
・「あなた方はいい人生を送ってきました。教育も受けました。もちろん、もっとしてあげられなかったことに心残りはありますけれど」
「生徒たちを人道的で文化的な環境で育てれば、普通の人間と同じように、感受性豊かで理知的な人間に育ちうること、それを世界に示した」
「あなた方は、駒だとしても幸運な駒ですよ。追い風が吹くかに見えた時期もありましたが、それは去りました。
世の中とは、ときにそうしたものです。受け入れなければね。
人の考えや感情はあちらに行き、こちらに戻り、変わります。
あなた方は、変化する流れの中のいまに生まれたということです」
・「新しい世界が足早にやってくる。科学が発達して、効率もいい。
古い病気に新しい治療法が見つかる。すばらしい。でも、無慈悲で、残酷な世界でもある。
そこにこの少女がいた。目を固く閉じて、胸に古い世界をしっかり抱えている。
心の中では消えつつある世界だと分かっているのに、それを抱きしめて、離さないで、離さないでと懇願している」
・「俺はな、よく川の中の二人を考える。
どこかにある川で、凄く流れが速いんだ。で、その水の中に二人がいる。
互いに相手にしがみついている。必死でしがみついてるんだけど、結局、流れが強すぎて、最後は手を離して、別々に流される。
俺たちって、それと同じだろ?最後はな、永遠に一緒ってわけにはいかん」
Posted by ブクログ
なかなか残酷で悲しいお話。表紙だけ見ていると、正直こういう話だとは全く予想していなかった。
何と言えば正しいのだろう。物語が淡々と進み、淡々と悲しい事がたくさん起こる。そこに諦念や怒り、憎しみも感じづらく、年頃の子達がよくある悩みや不満をぶちまけている様子が物語の大半だ。
こういう子ども時代を過ごせることは幸運なのか、幸運とも言えるかもしれない、ただ、そもそも臓器提供をする為だけに産まれてきた子達がいる事が衝撃ではないか、その視点からみると、エミリ先生たちが行った事は、自己満足の欺瞞かもしれない。それに翻弄されたキャシー達は一体何なのか。まだ自分の中でうまく感想が言えない。
読み手によって評価も感想も180度違ってくると思う。ただ、面白い作品であることは間違いないです。一度手に取ることをオススメします。
Posted by ブクログ
まずページを開いた印象、文字多い。。端から端までびっしりと文字で埋め尽くされている。
正直かなり読み辛かったが、ページをめくる手が止まらないという不思議な読書体験。
Posted by ブクログ
回想を追体験しながら徐々に明かされてゆく真実。語り手の記憶に基づき物語が進行することで、読者はのちの結末を予感しながらも、その細部の主観的な現実を受け入れてゆく。記憶の曖昧さや運命の抗えなさを精緻なディテールで描かれていた。
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何喰ったらこんな残酷な話を思い付くのか?と言うほどに救いのない話だった。
教育を経ているとは言え、非人道的な使命を当たり前のように受け入れて疑問にも思わず反抗も逃げ出しもしないのを見るに、悲しいかな結局彼らは制御された家畜でしかないと言うことなんだろうな。作品内で"魂"について追求しつつもそれすらもコントロールされた心底悲しい存在でしかない。本当に残酷。
作品全体がキャスの回顧録と言う体裁も疑うべきもので、通常の人間と彼らが感じる外界からの刺激や情報の感じ取り方も実はまったく違うものなんじゃないかな。キャスの目から見た世界は存外優しく穏やかなものだけど、先生やマダムの働きかけやヘールシャム以外の施設の話を通して想像するに現実の彼らの扱いは決してそんなに優しいものではないんだと思う。
いわゆる"信頼できない語り手"そのもので、この作品自体がそうしたコントロールされた目線、何ならこの回顧録自体がコントロールされたものと言う作りになっていることがさらにこの世界の残酷さを際立たせている。
ほんと何も救いがなく、やるせなさや切なさすらも上書きする暗くて寒さのある作品だった。
Posted by ブクログ
子どもたちの暮らすヘールシャムはどこか暗い雰囲気を感じる施設だと感じ、それがずっと心に引っかかっていましたが、読み進めるとその原因が次第に明らかになっていき、その度に衝撃を受けました。
臓器提供を目的に作り出されたクローンに教育を受けさせる。それは本当に必要なのだろうか。人間らしく育てた先にあるのが、臓器提供でいいのだろうか。私には安易に答えが出せませんでした。切ない気持ちが残りました。
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綾瀬はるか主演のドラマが大好きだったので、だいぶ前から原作の存在は知っていた(舞台が日本ではないというのも知っていた)が、なかなか読む機会がなかった本作。三浦香帆さんのYouTubeでもカズオイシグロ初心者にはこれがオススメ、ということで、ようやっと手を出しました。面白かった〜!
信頼できない語り手として名を馳せている作者だということも存じてあげてはいたけれど、やっぱりドラマで内容をだいぶ補完された頭ではその醍醐味を楽しみきれず、綾瀬はるかと水川あさみと三浦春馬を思い浮かべながら、ドラマをおさらいしているような感覚で一気読み。それはそれで楽しかったし
ドラマ版でお気に入りだったマナミというキャラクターはドラマオリジナルだったと知れて、アレンジが良い方向に活きた脚本だったんだと今更思うなど。
語り口が完全に一人称なのとですます調なので最初は新鮮だったけど、意外とこういうのも好みだと気付けたのもよかった。テーマは非常に倫理的で、ここまでではないにしても脳死の人間の臓器移植をどうするか、というようなテーマはずっと議論され続けてきただろうし、全く考えられない世界観ではないと思った。こういう人間を、世界をつくってはいけない、という、ディストピア小説のような側面も持った小説。
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静かで悲しい話だった。
主人公が半生を振り返る口調がたいへん抑制がきいてきて冷静で、あとルースが嫌なやつすぎて、そして長くて、ページをめくる手が鈍った...けど、ラストスパートのヒリヒリとした切実さは胸に迫るものがあった。運命が悲しいし、やるせないし、おそろしい。
マダムとエミリ先生の、無自覚な残酷さ(むしろ人格者だくらいの自負すらある)、こわい。
ふたりの運動によって主人公たちに豊かな感情が生まれ、そして絶望する。もし大きな変化の波の中にあっても「私たちの人生はこれがすべて」...。変えられない運命なら期待を持たせるような教育自体が悪なのでは?いやそれでも彼らに大切な人とあたたかい記憶ができるなら無意味とは言えないか...いろいろ考えてしまうな。
沼地の難破船を3人で眺めるシーン、静かで絵的で美しかったな。
Posted by ブクログ
ディストピア的世界。
大きくネタバレになるけど、臓器ドナーのためにクローン人間として生まれ、育てられた人達の話。
やがて臓器は提供され、使命を終えていく。
正直、SFとしては、突っ込みどころが色々あったり、胸糞悪い展開で、決して好きな物語ではなかった。
カズオ・イシグロの作品を初めて読みましたが、しかし、なんと人の心情を読み、描くのが上手なんだろうと思いました。
作中での人間社会は、クローンの人間性に目を向けようとしませんが、紛う事なき人間描写です。
おじさんであるはずの作者が、よく女の子の心情をここまで描けるなと思いました。リアルすぎて、辟易するぐらいに。
終盤に向かうに連れて、作中のクローンも、人間も、人生の全うの仕方に大きな違いはないなと強く感じました。
当然、自由や人権だったり、臓器の提供という強引な終焉、倫理的にあり得ない差はあるものの、人間もクローンも心は同じで、つまりそれは、人間は、作中のクローンよりも猶予はあるものの、いつか来る死を前に、どう実存していくか、どう心を育んでいくかに他ならない事と思います。
Posted by ブクログ
続きが気になって読む手を止めるのが難しいくらいだった。
だが、少し現実味がないというか時代が進みすぎてて、追いつけないところがあった。(私の想像力が足りないのかも)
Posted by ブクログ
クララとお日さま微妙だった(ボックスとかよくわかんなくてページ進まなかった)ので文学的要素読解するのに苦手意識あったけど有名だから読んでみたくて。読みやすかった。そして意外にも関心分野だった。もう生命倫理とかそんな興味ないけど
結局提供で人生を終えるなら、「生徒」以外の人間と同じような感性を育むことで、より一層最後の結末の悲壮感を増すことになってしまうのに。
医学的存在として利用するなら、一貫してそのように扱った方がまだマシでは。
作品創作など、魂や心といったものに注目させる機会を通じて、人間としてしかるべき感情のあり方や感性(何かを慈しむ気持ち、自分はこれが大切だというアイデンティティの追求、愛する人とのセックスを通じたつながり)を学習させる。(学習させられなくても情動は自然発生すると思うが、提供者同士の閉鎖的な空間での生活がデフォルトだったら、感じ方もそれに合った、その中で都合が良いものに調節されるはず)
ヘールシャム出身者を羨みながら、あったかもしれない希望に想いを馳せて人生を終える提供者、提供の猶予を求めて必死で噂に縋り恋を証明しようとする提供者。結局破滅が外部から定められている短い期間に、提供という物理的役割だけでなく、人間的な感情の変動も強いられる。こっちの方がよほど残酷だと思ったけど。でも全ては作り出す側のエゴだからな。臓器提供のための便利な存在としてだけじゃなく、同じ姿形をしている同じ生物種なら、同じ心を持っていた方が安心するというエゴで作り出されたヘールシャム出身者たち。
優秀とされる遺伝子で世界が支配されていくのではないかという恐怖に怯えて、クローン人間を違う生物種として排他的に扱うのもエゴ。人間であるはずなのに自分たちと同じだという感覚を得られず生理的に湧く嫌悪感と折り合いをつけるために人権を主張するのもエゴ。
p400「こういう絵が描ける子どもたちを、どうして人間以下などと言えるでしょう…。」以上とか以下とかいう表現がしっくりこない。情動含めて存在を操作しているのは自分たちで、医学的役割に加えて精神的にも自分たちをなぞるような機能を備えようという試みをしているだけなのに、つまり舵を握っているのは自分たちなのに、その存在の新たな一面に初めて気づいたかのような演出は薄気味悪い。
p416「かわいそうな子たち」も違和感ある。マダム1人でこの世界を生み出したわけではないから、彼女を一概には責められないけど、人間が都合よく作り出したものに犠牲が生じるのは当たり前だし織り込み済みだと思うのに、悲しいとか可哀想とかいう感情すらちゃんと享受するのかというね。
エミリ先生による活動の前は、クローン人間たちの精神はどう発達したのか気になる。
人は運命という外力で人生の終末を操作されていると考えたら、クローン人間もその他の人間もそんな変わりはない気がしてくるのだけど、その外力が同じ生物種によって決められているというのが気味悪さや嫌悪感が生じる要因だろうな
エミリ先生派閥も対立派閥もどちらも正しいとかはなくて、どちらの考えの方が都合がよく、納得がいくかという、各人の嗜好の違いに感じる。
p407キャシーの発言「追い風か、逆風か。先生にはそれだけなことかもしれません。でも、そこに生まれたわたしたちには人生の全部です。」に胸が痛む私はエミリ先生の試みには反射的に反感を持ってしまう。ルーシー先生みたいに、全て現実を知らせた上で役割を全うさせようとする態度も、告知された側はそれを受け入れるしかなくて、先生が絶望とともに一緒に生きてくれるわけでもないのに、とんでもない暴力だと感じるが。
時代が変わればまたもっともらしい理由が生まれてそれが倫理的だの何だのと大層な判を押される。知的遊戯でしかないな、だがその過渡期に生まれた、古い世界にnever let me goと懇願する姿がもの悲しさを誘うのも事実で。
クローン人間としての自分達が何から生まれたのか、親やポシブルに敏感に反応する様子が途中描かれていた。
親が実際にどうであるかという真実より、真実のようなものに触れたときにそれによる印象や生じた感情で自分というものの説明が書き変わるから、
自分の存在を生んだ大元のdnaや現実というより、その情報を自分の中でどう解釈するか、の方が自己の形成に大きく関与している気がする。
何かに決定的に気づく前の潜在意識下での違和を掬い上げる感覚を表すのが上手い
対話も個人的な思考も言葉になる以前のものが大半を占めているんじゃないかと思わされた。ベールを剥いで目に見える形で明らかにする前にも確実に存在していたもの、それが水面下で自分も含めて人をコントロールしている。トミーの癇癪もそうだったよね、という考え方はおもしろい。
話題作
ドラマ化され、世界的な有名な賞をとり、
初めてですが読んで見ることにしました
最初は、なんだか話がよくわからないなあ、、なんて
思ってましたが、途中からページをめくる手が止まりませんでした
自分には程遠い世界と思いがちですが、実際に起こっている世界とだといいことを
認識していたいと思いました。一度は読んでおきたい作品だと思います
Posted by ブクログ
最初は翻訳感が強い文章で、背景もイマイチ読めないまま外れかな、なんて感じで始まるものの、途中でだんだん引っかかるものが出てきて、その違和感がだんだん形になっていく中で一気に読んでしまった。
ある種ディストピア的でミステリ的で、最後も別に明確に終わりがあるわけではない、という点で個人的には消化不良感がある。
最終的には提供者として死んでいく。その中で幻かもしれないが人生の素晴らしさ、それは主に創作とこの小説の中ではされてると思うけど、それを味わえたことをよしとしているのか、いや残酷だというところなのか、そこの判断はある種委ねてるのかなとは思う。
Posted by ブクログ
この作品の肝である残酷な事実を除いて読むことが出来たとして、幼馴染の3人とその思い出の場所に馳せる思いは、まんまと語り部のキャシーを肯定するかもしれないけど、その設定を受け入れればルースやトミーと肩を組みたくなる。
Posted by ブクログ
10年程前になるだろうか。当時のドラマは衝撃的だった。私が介護人だったらどう思うだろうか。私が提供者だったらどう生きたか。知っているようで知らない生まれた意味、生きる目的。
それにしても、読み終わるのに時間がかかってしまった。
Posted by ブクログ
霧の中でなーんも見えなくて手探りで進んでいくうちに何かをつかむ。後で明るいとこでそれを見たら、とんでもなくおぞましいものだった。って感覚。
「介護人」「提供者」「保護官」などの耳慣れない単語が、主人公キャシーの追憶を通してだんだん形を成していく。キャシーの淡々とした語り口も相まって、その過程がとてもグロテスクだった。彼女にとっては「それ」が「使命」として当たり前のこととされているのが、不気味で…
でも、私の感じた不気味さと裏腹に、キャシーは友達と過ごし、好きな人と愛し合い…彼女の人生を送っていく。
全て読み終わった後に、「私と彼らの違いってなんだろう」とぼんやりした。
Posted by ブクログ
人間であるということはどういうことか。
誰かの犠牲のうえに成り立っている何かを見ないふりをする社会をあなたはどう感じるのか。
を問う作品であると同時に、残酷な未来を受け入れていても、それでもなお誰かを愛し、傷つけ合い、想う人間の姿を描くことで、人間の美しさ、儚さ、愚かさについて考えることをさせる作品だった。
問いに対する答えが用意されている作品ではなく、また登場人物が抱えているだろう諦観以外の感情を激しく書くようなこともされていないため、読後の余韻やざわつきが凄まじく残った。
(なお、原作で読んだほうがいい作品かと)
Posted by ブクログ
終始女性の一人称で進む物語。土の中でじっ、とし続けているように読み進め、最後の一章で急に飛び立つような展開でした。
境遇がわからないまま、大きくなっても子どものままのような主人公達。一方で、大きなものに流されている様子は今の私たちと特段変わらないのではとも思えてくる。悲しさや怖さ、爽やかさ、いろんな感情を重ねたら丸になったような、独特な感覚を覚える面白い本でした。
Posted by ブクログ
不思議な読書感でした。
ひとりの女性の回想で展開されます、日常の違和感のなか、心理や感情はありがちで、その先は?
その先は?と何故か引き込まれいきます。
結末もなんとも言えない感じ、読後もモヤっとします。
淡々としたノスタルジー
高評価のレビューがいっぱいの中、すいません。
ノーベル文学賞を取ったというニュースで初めて知り、読んでみました。
期待が大きすぎたのか若干がっかりしました。
何の予備知識もなく、提供、3-4度目の提供で使命を終える、とのことから主人公たちがどういう子供たちなのか検討はつきました。
不思議だった施設での授業や保護官とのやりとりが後に明らかにされますが意外性や驚きがなく終わってしまいました。
こういう目的のために生まれてきた子供たちの話は日本の漫画でかなり昔にも読んでいたので、その時の衝撃が大きかったのと、内容もはるかに壮大(漫画的)だったからかもしれません。
ちなみに清水玲子の『輝夜姫』(1993)という作品になります。
ところで主人公キャシーはこの物語を誰に向かって話しているのでしょう?私たち読者?翻訳だからなのか、それは違うような感じがしながらずっと読み進んでいました。
一度読んだだけの感想としては、意外性がなくがっかり、というところですが、再読の際にはいろいろ想像力を働かせて読んでみるといいかもしれません。
語り手キャシーの一方的な思い出話は、もしかしたらトミー側、ルース側では全く違う受け取り方が出来るかもしれません。