紫陽花さんのレビュー一覧
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「侍女の物語」について
この物語は、ギレアデ政権の間、バンゴア市と呼ばれていた場所から発掘された、およそ30本のカセットテープに吹き込まれていたものを文章に起こしたものという設定。
語り手の女性は、出産を目的に集められた女性の第1陣のうちの1人。ギレアデ政権は、その後、様々な粛清と内乱を経て崩壊したようですが、まだまだその初期段階にあり、日々の監視が厳しく、違反者は容赦なく処刑されていた時代です。
各個人からその個性を奪い取るには、名前と言葉を取り去るのが効果的なのですね。
単なる出産する道具である侍女たちの名前は「オブ+主人の名」。
この物語を語っているのは「オブフレッド」と呼ばれる女性です。
侍女たちはくる -
本格的なパニック小説
巨大な甲殻類が襲ってくるという怪獣映画的な設定には驚きましたが、福井晴敏さんの作品を彷彿とさせる、本格的なパニック小説作品。
しかしこの作者の有川浩さんはライトノベル出身の方だったのですね。
デビュー作の「塩の街」が電撃文庫から出ていたとは驚きました。
物語は主に潜水艦の中の15人の視点、そして県警や派遣幕僚団、機動隊の視点から交互に描かれていきます。
県警や機動隊の側では烏丸参事官と明石警部が良かったですし、軍事マニアの掲示板もリアルで面白かったのですが、やはり軸となっているのは潜水艦でのドラマでしょうね。
夏木と冬原はとても良いコンビで彼らの会話も楽しく、次々と起きる出来事に対するそれ -
繊細さと透明感のある作品
リョウはコールボーイ。たとえ彼がVIPクラスの相手をする「特別な男の子」になったとしても、やっていることが売春であることには変わりありません。
売春という行為は、私には考えるだけでもとても抵抗がありますし、それをする人を認める気も全くないのですが、それでもこの作品を読んでいると、その価値観を人に押し付けるのも、どうなのだろうと考えさせらました。
リョウに仕事を辞めさせたがった彼女の気持ちはとても良く分かりますし、その行動もきっと間違ってはいなかったと思います。
それでも、彼女の正義感の押し付けが、まるで言葉の暴力のように感じられてしまったのです。
何が「普通」で、何が「混線している」かなどと -
「リセット」について
この「リセット」は、北村薫さんの「時と人の三部作」の第3弾で、これで完結ですね。
「スキップ」では未来へのタイムスリップ、「ターン」では同じ時の繰り返しが描かれたのですが、この「リセット」はどうなるのだろうと、とても楽しみにしていた作品です。
しかし、開いてみると、戦前のお嬢様の生活描写がつらつらと続き、さらに時代は戦争に突入。
北村薫さんの文章なので読みづらいということはなかったのですが、正直この手の話は苦手なので、最初はどうなることかと思いました。
ごく普通の淡々とした日常が描かれ、恋の予感などはあるものの、特に何も起こりません。
さらに第2部に入ってみると、私だけかもしれないのです -
「権力と栄光」について
この作品は、グレアム・グリーンの代表作の1つで、遠藤周作の「沈黙」に大きな影響を与えたと言われている作品。
メキシコの共産主義革命という実際に起きた出来事を背景に書かれています。
逃亡中の神父は、逃亡する以前に既に祭日や断食日、精進日といったものに心を煩わすこともなくなっていますし、妻帯や姦淫を許されないカトリックの神父であるのに、マリアという女性との間に6歳になるブリジッタという娘がいます。
そして、逃亡途中に聖務日課書を失くし、携帯祭壇(オールタ・ストーン)を捨て、通りすがりの百姓と自分の服を交換。
残っているのは、司祭叙任十周年のときの原稿だけ。
そこまで堕ちた神父であるのに、彼の -
「ブラフマンの埋葬」
この小説は、人にも場所にも名前がないおとぎ話だ。年代不詳、どこかの国の、山と海と川と沼に囲まれた村。
芸術家の桃源郷「創作者の家」で管理人を務める若者の僕は、森で親とはぐれた小動物を「ブラフマン」と名付けて飼い始める。
よそ者の男とつきあう雑貨屋の娘への僕の恋心。
ひと夏が過ぎ、季節風が死の気配を運んでくる。
この得も言われず愛らしい生き物がなんという動物なのか書かれていないが、そこが限りない夢想を誘って効果的だ。
読み手に具体像を思い描かせない力があり、それがこの小説をファンタジー以上のものにしているのだ。
映像文化に押されている小説だが、この小説を読むと、今もって言葉だけに成し得る魔 -
「花闇」について
闇というのは、やはり役者の世界のことなのでしょうね。煌びやかに、艶やかに舞台を演じながらも、役者たちは同時に色子として存在します。
それは家格の良い家に生まれても同じ。
田之助自身、10歳の頃から上野明王院の高僧に買われるようになります。
しかし、それもまた芸のこやし。田之助の女形としての色気に一役買うことになるんですね。
しかも、それらの贔屓筋が落としてくれる金がなければ、役者としての膨大な費用を賄えません。
そんな彼らの身分は卑しく、時には人間扱いもされないほど。しかし同時に、蔭の世界では役者は貴人。
芝居を観に来る人々は、役者に魅了され、夢中になるのです。何とも一筋縄ではいかない入り -
「夜の国のクーパー」
伊坂幸太郎がまさか「吾輩は猫である」でくるとは思わなかった。語り手は人の言葉がわかる猫のトム。
舞台は毒塗りの防壁が巡らされた小さな国。鉄国が侵入して来て、国王の冠人が射殺され、国が支配される。
トムは生まれて初めて馬という動物と銃という武器を目の当たりにする。
そんな占領された国の様子をトムは「私」に語りかける。
仙台の公務員の「私」は妻に浮気をされ、趣味の釣りに逃避して海に出たら時化に遭い、気付いたら見知らぬ場所で横たわっていたのだ。
恐らく伊坂幸太郎の愛読者なら、彼のデビュー作「オーデュボンの祈り」を思い出すだろう。
人間の言葉を喋る案山子が存在する異世界を舞台にしたファンタジーを -
「凍える牙」について
この乃南アサさんの「凍える牙」は、その他の強力な候補を破り、第115回直木賞を受賞した作品ですね。
30代で離婚歴のある音道貴子。離婚の原因は夫の浮気。そして、今回彼女と一緒に組むことになったのは、かつて女房に逃げられた経験のある中年刑事の滝沢。
男社会の中で認められずに孤軍奮闘する女刑事と、女刑事の存在を認めたくない叩き上げの頑固者の刑事の構図ですね。
この2人が、渋々ながらも一緒に捜査活動を続けるうちに、徐々にお互いを認め合っていくことに-----というのは、言ってみればありがちなパターンなのですが、しかし、なかなか読ませてくれますね。
しかし、滝沢の愛想がないのは、実際には貴子の -
恩田陸さんの「象と耳鳴り」は、裁判官を退官し、悠々自適の生活を送る関根多佳雄が主人公。
散歩とミステリが好きな彼が、身の回りに起こった、ちょっとした出来事を推理する連作短編集ですね。
はっきりとした白黒をつけずに、曖昧なグレーゾーンで終わる話もあれば、「待合室の冒険」のように、その場ですっきりと気持ちよく決着がつく話が混ざっており、なかなかバリエーションに富んでいますね。
そして、どの話も、ミステリとしてだけでなく、恩田陸さんらしいファンタジー的な雰囲気や映像的な美しさも楽しめますね。
例えば、「曜変天目の夜」に出てくる茶碗。
実際には見ることも触ることもできなくても、情景はありありと思い -
「夏空白花」につぃて
日本人の多くが熱狂し、感動する全国高校野球選手権大会。
公共放送が試合を中継し、球場の名前である"甲子園"が通称になるほど多くの人に親しまれ、学生スポーツの中では屈指の人気を誇っている。
十代の限られた時期にしか立てない球児の夢の舞台に、こんな歴史があったとは知らなかった。
須賀しのぶさんの「夏空白花」は、戦争によって失われた甲子園の復活に燃えた男の物語だ。
夢の甲子園の陰の一面も描き、ただ気持ちよく読者を泣かせてくれる感動秘話で終わらないところが、実にいい。
まず主人公の新聞記者の神住が、元甲子園球児なのに、「野球は愉快だが、そこまでたいしたものではない」と思っている -
「わたしを離さないで」について
ノーベル賞作家のカズオ・イシグロが端正な筆致で綴る、ある女性の人生の物語。
提供者を慰める介護人の職に長くついていた女性。彼女が職を辞めるにあたり、自分のこれまでの人生、特に生まれ育ったヘールシャムで仲間と過ごした日々を回顧する。
提供者、介護人など説明なく出てくる言葉の意味が、女性の回想から次第に明らかになってくるにつれ、世界の残酷な姿が浮かび上がってくる。
この世界の真実は、SF小説のファンならばすぐに見当がついてしまうだろう。
読みどころは、むしろ小説としての巧さ、人間描写の厚みの部分だ。大きな状況に翻弄される主人公たちが、小さな人間関係にすがる姿がなんとも哀しく映るのだ。
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「螢川」「泥の河」について
「螢川」
宮本輝の芥川賞受賞作「螢川」は宮本文学の永遠の傑作だ。この小説の舞台は富山。
主人公は中学三年生の竜夫。昭和三十七年三月から物語は始まる。
この物語において、竜夫の父の死や竜夫の友人・関根の死が主人公の人生に陰翳をもたらす。
同級生の英子に想いを寄せる竜夫の恋心にすら、友人の死の影が伸びてゆき、そこに思春期の複雑な心理の綾が描き出される。
宮本作品では登場人物がどんなに若年であろうと、厳然とした死が突きつけられる。
しかし、惑いながらも死を受け止め前を向いて生きてゆく登場人物たちに、私は読みながら知らぬ間に心が鼓舞されているのだ。
この「螢川」では四月に大雪に見舞われると、螢の -
「熱帯」について
現代日本版の「千夜一夜物語」は、古川日出男の「アラビアの夜の種族」や星野智幸の「夜は終わらない」などの名作がありますが、森見登美彦の「熱帯」もその系譜に繋がる作品だと思う。
語り手は作者の分身である「モリミン」。小説が書けず、スランプ気味のある日、謎の本をめぐる物語を思いつく。
「汝にかかわりなきことを語るなかれ」という警句から始まる、「熱帯」という本の記憶が甦ったからだ。
見るからに、虚実の境があやしくなりそうな危ない設定だ。この本を最後まで読んだ者は一人もいない。
語り手は奇妙な「沈黙読書会」で本に再会し、「学団」がその内容の全貌をつかもうと研究を重ねている事を知るが、「熱帯」にはどう